1980年9月7日生まれのアルゼンチン人ミリートが、バルサ入団記者会見の席上で次のように語っている。
「フットボール選手として最も旬の時期に、この偉大なクラブに入団できてラッキーだと思っている。」
すでにスペインリーグで4年間にわたりプレーする経験を持ち、年齢も27歳を迎えようとしている今、確かに旬の時期を迎えているフットボール選手かも知れない。“ガビ”ミリート、2003年にアルゼンチンからスペインに渡り、サラゴサに入団している。

だが、本来であるならば、彼はレアル・マドリというクラブに入団しているはずだった。彼が所属していたインデペンディエンテ・デ・アベジャネーダというアルゼンチンのクラブと、フロレンティーノ・マドリの間ではすでに移籍に関して合意に達しており、スペインの首都マドリッドでおこなわれるメディカルチェックさえ済ませれば、350万ユーロの移籍料が支払われるはずだった。つまり、普通であるならばほぼ99%の確率で、レアル・マドリへの移籍がなされるはずだった。だが、フロレンティーノ会長の好きな言葉を引用すれば「彼はバルサの選手になるために生まれてきた」選手だったようで、メレンゲ入団は実現しなかった。彼はメディカルチェックに落っこちてしまったのだ。

「過去に大きな負傷をしたすべての選手におこなわれるように、彼に対しても厳密なメディカルチェックがおこなわれた。その結果提出されたドクター陣による報告書によれば、常にベストな状態で試合に望むことが義務づけられる世界最優秀チームであるレアル・マドリでは、危険が大きすぎるということであり、彼にとっては非常に残念な結果ながら、我がクラブへの入団はおこなわれないこととなった。」
ミリートの“大きな負傷”とは、2001年3月におこなわれた試合での右足膝十字靱帯断裂というものであり、リハビリに9か月もかかった大負傷のことだ。

だが、その後のマドリメディアが伝えるところによれば、真実は他のところにあるようだ。当時ジェネラルマネージャーであったバルダーノがミリートの獲得を画策したのに対し、当時会長フロレンティーノは反対の意見であったという。その理由は簡単に想像できる。“パボンちゃんとジダーン野郎”作戦を展開していたフロレンティーノ・マドリだが、ミリートはパボンちゃん組に入るようなカンテラ育ちではないし、かといってジダーン野郎組に入るクラックでもなかった。つまるところ、彼のユニフォームは売れないだろうというフロレンティーノの思いが、ミリートの入団を阻止した理由だというのが、大方のマドリメディアの予想となった。

4年契約で世界最優秀クラブに入団するはずだった“ガビ”ミリートは、それから4年後にバルサに入団することになった。
「いまだにレアル・マドリの件は気分が悪い。」
そう地味に、そして控えめに語るミリートだが、今回のバルサ入団で彼としては2回目の“復讐”を果たしたことになる。

1回目、それは2004年3月10日に、モンジュイクを舞台として戦われた国王杯決勝戦。ペセテロ、ジダーン、ベッカムというユニフォーム売りまくり部隊は、この3月の段階で2位に6ポイントの差をつけてリーグ戦首位を走っており、リーグ優勝と国王杯制覇というドブレッテを狙っていた。そして彼らの相手となるサラゴサは国王杯決勝戦に出てきているものの、リーグ戦ではカテゴリー降格を逃れる争いをしており、調子そのものも決して良い状態とは言えなかった。もちろん試合前の下馬評では、レアル・マドリ圧倒的有利で始まったこの決勝戦、何とミリートの執念が神に通じたか、サラゴサが2−3というスコアで勝利してしまう。そしてこの敗戦のショックが尾を引いたのか、リーグ戦でも優勝を逃してしまうフロレンティーノ・マドリ。

だが、そんな彼の個人的な“復讐”はともかく、バルサにとってデフェンサの重要な要となる選手の獲得に成功したことを喜ばなければならない。1997年、17歳という若さでメノッティ監督率いるアベジャネーダでデビューを果たし、21歳の時にはすでにカピタンマークを付けていた“ガビ”ミリート。その当時、彼の獲得を狙っていたバルサが、6年後にミリート入団を実現させることができた。

バルサとは4年契約、違約金9000万ユーロ。そしてサラゴサに支払われる移籍料1700万ユーロの支払い方法は次のようになっている。
・2007年8月・・・600万ユーロ
・2008年8月・・・600万ユーロ
・2009年8月・・・500万ユーロ
そして彼のバルサ在籍中に各種タイトル獲得ボーナスとして最高額350万ユーロがサラゴサに支払われる。

スエルテ! ”ガビ”ミリート!!
ブエナ・スエルテ!