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僕の名はジョルディ、姓はクライフ、文句ある?(2001/5/17)
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| 1996年の5月、父のヨハン・クライフがバルサから追放されてしばらくして、その息子ジョルディもクラブを後にした。当時のクラブ会長ホセ・ルイス・ヌニェスが、クライフを監督業以外でのこと、つまり個人的なことまで含めた攻撃をおこなった時、ジョルディは深く傷つくことになる。 そして今、ジョルディは26才になった。バルサを出た後、マンチェスター、セルタを経てアラベスでプレーしている。UEFA決勝戦を目前にしているジョルディの心境を探る。
どうですか、最近の調子は? うん、とてもいい。何が一番いいかって、毎週プレーできることがうれしいですね。リーガでは30試合近く出場しているし、UEFA カップでもほとんどの試合プレーしているからね。試合自体は勝つときもあるし、もちろん負けるときもある。でもプレーできることがとにかくうれしい。 アラベスのような小さいクラブがUEFAの決勝戦にでるわけですが・・・ 大きなクラブに所属して決勝戦に到達するより、はるかに魅力的なことだと思います。先に進む「困難さ」というのは、例えばマンチェスターにいたときなどと比べると、比較にならない。まして小さい、小さいアラベスですからね。その分、すごいメリットがあることだと思います。 決勝戦の相手は、バルサがよかったですか? とんでもない。なぜなら両チームともそれぞれ知り過ぎでいる。良いところも悪いところもね。でもリバプールの人々は我々のことを多分なにも知らないでしょう。「小さい街アラベスにある、小さいクラブ」ぐらいの知識しかないんだと思います。それとイギリス人というのは「歴史」を非常に重く見るところがあって「現在」を見ない習性がある。アラベスには歴史はないけれど、すごい「現在」があることを彼らは見過ごしている。 イギリスと言えば、マンチェスターのいたときの思いでは? 当たり前だけど、良いことも悪いこともあった。最初の2年間はケガが多くあまり良い思い出はないですね。その後は少しずつではあるけれど試合にでれるようになって、個人的にはすごく成長した時期だと思っています。 セルタは? 思い出というほどのものは何もないです。5カ月しかいなかったうえに、ほとんどその間ケガしていましたからね。ただし、ビーゴの人々の暖かい声援は忘れられません。 バルサ? ああ、もう思い出だらけです。本当に。バルサのカンテラとしてあった時代に習ったことは一生忘れられないでしょう。もちろんバルサには一番の愛着があります。僕の夢はあのクラブでできるだけ長い間プレーして、勝利することでしたからね。でも、そうはならなかった。 本当にそう思う? もちろん。僕は具体的な証拠を持っていますからね。ここでは言えませんが。 クライフという性が重たいですね。 僕にはそんなことはない。「重たい」と感じたのは、あの当時ネクタイをつけてふんぞりかえっていた人たちでしょう。でもね、今では恨みなんかはこれっぽしも持っていません。僕にとってバルサは、こういう人たちをすべて超えたところに存在しているわけですから。 今のバルサをどう見ていますか? いつの時代でもバルサはクラブ以上の存在ですよね。いろんな意味において。僕はマンチェスターというイギリスのクラブにいたから言えるけど、バルサはあらゆる意味において「違いのあるクラブ」だと思います。 あなたのお父さんが去った後、チームの調子が悪いと「ヨハン!ヨハン!ヨハン!」という叫び声がグランドに響きわたります。この前のリバプール戦でもそうでした。 そうですね。チームが思うようにいかないとき、ファンの人々は良い時代のことを思いだすということでしょう。つまり、僕の父がベンチにいた時代のことをね。
カピタン「クライフはもちろん、ジョルディもバルサに戻ってくることはないと思う。2回のバイパス手術をしているし、第一奥さんが許すはずがない。ジョルディは残念ながら、バルサで通用するとは思えない。でも決勝戦でのヘディング、見事でした」 |
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