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| 「政治の季節」から「内戦の時代」に入る前に、時代を少し戻してみる。1920年代を通してのFCバルセロナの事に触れておかなければならない。後の世で語られる事になる最初の「黄金の時代」と、伝説となる人物が登場するのがこの1920年代だからだ。
1902年、バルセロナに伝説の人物が生まれる。その名はジョセップ・サミティエル、生後100年たった今でもバルサソシオの間に生き続けている男の一人だ。そしてもう一人、リカルド・サモーラ、彼もまたバルセロナで1901年1月21日に生まれている。奇しくもこの二人、FCバルセロナで選手生活を送ったあと、レアル・マドリに移籍し再び一緒にプレーすることになる。
サモーラは、FCバルセロナに3年間しか在籍していないことから、バルサソシオというよりはフットボールファンの間で「伝説」化している人物であるのに比べ、サミティエルはレアル・マドリに移籍した過去をもちながらも違っていた。彼は16歳の時からFCバルセロナに在籍し、14シーズンを通じて326ゴールを記録した選手であった。「彼がどんなユニフォームをつけてプレーしようと、彼の皮膚はアスールグラーナ」というファンの気持ちがサミティエルを「伝説」の人物として記憶の中にとどめている。
「黄金の時代」は、奇しくもこの二人のデビューから始まった。サミティエルとサモーラは1919年10月26日、カタルーニャ選手権で一緒に公式戦初デビューを飾っている。監督はイギリス人のジャック・グリーンウエル。フットボールに対する唯一のアイデアは「攻撃」という人物であった。当時クラブに在籍していた選手のポジション構成を見るとそれが明らかになる。フォワード35人(35人!!!)、ミドル28人、ディフェンス14人、キーパー9人というのが、その内容だ。1920年代を通してFCバルセロナは、スペクタクルで非常に攻撃的フットボールを展開し、数々のトロフィーを獲得する事になる。 だが1930年に入り、ガンペルの死がひとつの時代の終了を意味したように、クラブ自体も20年代の「黄金の時代」のサイクルを閉じようとしていた。 1931年10月、ジョアン・コマが新たにクラブ会長に就任し、クラブの再建を目指した大改革を目標に掲げる。そのアイデアのベースとなるものは、新しい選手の大補強であり、そのためには「黄金の時代」を構成した選手達の放出が必要であった。昨シーズンまでの選手のほとんどが放出対象となり、サミティエルもその中の一人になった。 バルサソシオはもとより、多くのバルサファンからの抗議を受けたクラブ理事会は、新たに正式なクラブコメントを発表する事を余儀なくされた。その中に「サミティエルはすでに34歳(実際はまだ30歳であった)。もう選手として峠を過ぎた選手だから、どこのクラブも興味を示すとは思えないので自由契約にした」というものだが、実際はクラブ会長コマとサミティエルの不仲が原因と見る人が多い。 サミティエルが加わったレアル・マドリはこの32−33のシーズンを、FCバルセロナチームに9ポイントの差をつけてリーグ優勝する。翌年の33−34シーズンも落ちるとこまで落ちてしまう事になり、再びクラブ再編成を迫られることになった。 |
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