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アメリカは不自由な国でした
ボストン空港のパスポートコントロールにあるコンピューターからクルイベルに関して出された情報、それは“タルヘッタ・ロハ”だった。レッドカード一発退場、すぐに帰国せい!という厳しいものだった。
そのコンピューターが出した“タルヘッタ・ロハ”は1966年の交通事故の記録から出されたものだ。友人から借りたBMWに乗り込んだ若きクルイベルはアムステルダムの街を時速104kmで走り回っていた。時速50kmが制限速度となっているにも関わらず倍以上のスピードで走っていたBMWは一台の車と衝突し、衝突した車の助手席に乗っていた奥さんは奇跡的に助かるものの運転していた56歳の男性を即死させてしまう。9か月の求刑が検事からなされるこの事件は、最終的に“社会福祉関係の仕事に240時間従事せよ”という判決で終わりを見る。
7年前の事件でありすでに刑も終了しているものの、一度“有罪”となった人間にはスペシャルビザの請求をおこなうのが自由の国アメリカのしきたりだ。3時間にわたって空港審査室に拘留されたクルイベルだが、クラブ関係者はアメリカのスペイン大使館やナイキ関係者に連絡をとるもののらちがあかず結局クルイベルには“タルヘタ・ロハ”が示され一人帰国となった。
土曜日の午後にバルセロナに戻ってきたクルイベルは、日曜日には居残り組と合流してカンプノウで練習をおこなう。そしてその翌日、つまり月曜日にクラブ責任者とマドリッドにあるアメリカ大使館に向かいスペシャルビザの請求をおこない、発給されしだい再びアメリカに向かうことになる。
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