セマーナ・サンタ

スペインはセマーナ・サンタの真っ最中。スペイン語で「セマーナ・サンタ」、英語で「イースター」、日本語で「聖週間」。ガイドブックによれば「キリストがエルサレムに入った日から、受難の日を経て復活するまでの1週間」を、こう呼んでいるようです。無宗教の自分には何のことかぜんぜんわかりませんが、唯一わかっていることは、これにより街中がストップしてしまっているということ。大きい会社に務めている人々は、1週間から2週間の休暇をとっているし、学校も休み。小さい商店も店を閉めて家族で出かけてしまっている。

特に今日はビエルネス・サント(聖金曜日)と呼ばれる日で、全国的に誰でも休暇届けを出さずに休める祭日。新聞も出ません。誰も働きません。街を走る車も普段の半分以下。ほとんどの人々は先週あたりからバケーションをとって街を離れています。

というわけで、明日のカンプノウは例年通りであれば空席が目立つ試合となりそうです。しかも相手はラス・パルマス。どんなに頑張っても魅力的なカードとは言えない。金持ちソシオたちはとっくに街を離れて別荘にいっているから当然グランドには足を運ばない。せいぜい駆けつけるのはどこかに行くお金のないソシオか、バルセロナに観光に来ている人々。そして最後の最後の休日を楽しんでいる日本の大学生。これくらいでしょう。

バルサの練習も月曜、火曜とお休み。でもこれはセマーナ・サンタとは何の関係もなく、主要選手たちが代表の試合に行ってしまったため。それでもいつものように、一人だけ練習に出てきていた選手がいたそうな。そう、その選手はボナノ。彼はシーズン開始日から最終日まで、1日も休むことなく練習をする選手。敬虔なクリスチャンである彼だけども、キリストが受難を迎えていようが仕事は別の話。プロ中のプロ選手です。
(02/03/29)


うわさは五面

この手の話しほど面白いものはないけれど、それと同時にいい加減な話しでもあります。読む人たちはいわゆる本当かどうかわからない話しに「踊らされる」側になるわけで、それでも「踊る」のはタダだから良しとする人には面白いもんです。

個人的に、新聞記事に「でっちあげ」はまずないと思っています。ジャーナリストが勝手に記事を想像のもとに作ることは考えられない。ではなぜ、こうも当たらないニュースが流れるか。「新聞は売れなければビジネスになっていかない」という事実の前に、スキャンダラスな話しばかり載せるものは別として、例えばエスポーツ紙とかエル・ムンド紙になぜこのようなウワサがでるのか。どこからどういうように情報が彼らに入ってきたか。ラッチオのクレスポを例にとって考えてみよう。

クレスポが自分の商品価値をもっと高いものにしたい。それはどこかからかオファーが来ているということを流せば所属クラブとの年俸値上げ交渉に役立つ。ウワサは彼の代理人からコネを通じてジャーナリストへ。(例・2、3か月前のベッカム)

ラッチオに他のクラブからクレスポに関するオファーが来ている。移籍料交渉を有利にするために、バルサも狙っているというウワサをラッチオのクラブ代理人がジャーナリストに流す。(例・マンUに行ったときのベロン)

上の二つはクレスポという名前をリバルドとかオーベルという名前に、あるいはラッチオをバルサという名前に差し替えても同じ事。

クラブ首脳陣内に「反会長」グループはどこでも存在する。その中の人間が知り合いのジャーナリストを通じて「ウワサ」か「真実」かは別としてニュースを流させる。シーズン真っ最中の時点でのこの手のニュースが流れることは、現体制に揺さぶりをかけるものとなる。(例・バルサの歴史そのもの)

現首脳陣の中から知り合いのジャーナリストを利用してウワサを流す。それはソシオの反応を見るため。この手の話には必ずといっていいほど各紙で是非を問うアンケートがおこなわれる。言ってみれば世論調査をするようなもんだ。もちろんクラブとしては、その移籍ウワサを否定し続ける。(例・マラドーナ)

常識的なところでざっとこんなもんでしょうが、もっとグチャグチャした理由もあるでしょう。ということで、ウワサはウワサとして楽しむのが一番です。
(02/03/28)


フットボールが好き

一昨日の試合、もしクライフがベンチにいたらどのような試合展開になっていただろうか。そう思ったのは今ちょうど机の上にクライフの本「フットボールが好き」があるから。彼だったらどのように采配していたかは、選手も違うし時代も違うから何とも言えないことはわかっているのだけれど、何となく想像してしてしまう。

クライフの時代にも何回にもわたって10人という試合があったと思う。まあ、少なくてもこの前の試合のように下がり続けることはないだろうな、あの頃のチームだったら。テクニック的に今の選手とは比べものにならないから、比較してもしょうがないと言えばしょうがない。それぞれのポジションを見てみても、バッケロ(ルイス・エンリケ)、エウセビオ(ガブリ)、チキ(コクー)、グアルディオーラ(チャビ)、クーマン(クリスタンバール)、スビサレッタ(ボナノ)、今すぐに思いつくこれらの選手のテクニックを比べるとやはり差がある。彼らは一人少なくても、そう、例えば先日のバジャドリぐらいのチームだったらボールを回すテクニックを持っていた。

それじゃあ、バジャドリ戦みたいに勝てたかというとこれはまた別の問題。それはそれぞれの試合での運による。だからボールを回せば必ず有利に運んだとしても、勝負の世界は別のことだ。だが、クライフにとってもぜひポイントが必要な時は、醜かろうが何だろうがレシャックみたいにポイントを取りにいったことは間違いない。

クライフが言ったという「醜く勝つよりも美しく負けた方がいい」という言葉はどうも信用できない。原文を知らないから何とも言えないけれど、無責任に言わせてもらえばそれは彼の言葉が正確に訳されていないんではないかと思っている。彼の口から吐き出されるスペイン語(カタラン語は理解できるがしゃべることはない)は、とにかくイメージ語なのだ。クライフ語といってもいい。日本人でいえば長島の言葉を想像すればいい。

このクライフ語で書かれている本を、ほんのチョットだけ日本語にしてみようと思う。
(02/03/26)


バルダーノ

昨日の試合後の、コクーやクルービーの疲れ切っている表情でのインタビューをニュースで見ていた。そして突然画面は変わってマドリコーナーへ。そこに現れたのはニコニコ顔のバルダーノ。こっちも疲れ切っていた状態だったので、本当に場違いな感じだった。だからチョットけちをつける気になりました。

レアル・マドリのスポーツ・ディレクターのホルヘ・バルダーノ。これまで彼のことを「何にもしない」ディレクターと呼んできたけれど、それは誤解ということに最近気がついた。別に補強選手の獲得に活躍したという話しも聞かないし、すでに計算外となっている選手を利益が上がるように売ったというニュースも聞かなかった。だが、表面的には動いているようには見えなかったバルダーノが、水面下ではきちっと仕事をしていたようだ。そして彼が今シーズンやった仕事は、カランカをがっかりさせ、やる気をなくさせ、来シーズンはマドリから追い出すこと。これに尽きる。1年近くかけた壮大なスケールの仕事だった。

今シーズン限りで契約が切れるカランカは、シーズン開始直後から延長契約の交渉を望んでいたようだ。そして同時にチーム内で一番安い年俸の見直し。だがバルダーノはカランカの希望した年俸額からはるか離れた金額を提出していた。そして交渉は中断。時間が経ち再び交渉に臨んだカランカを待っていたのはバルダーノの「ノー」だったという。つまり、もうアンタとは交渉しませんということだ。そしてデルボスケ職員に彼を出場させないよう命令する。バルダーノが監督をしていたころの事を思い出すこの一件。ガッツ・エンリケが契約切れになるシーズンに同じことが起きている。ガッツはバルダーノが契約延長と年俸引き上げを拒否したため、バルサとの交渉に走った。そしてそれ以降バルダーノは1試合も彼を出場させなかった一件。同じだ。

チャンピオンズの抽選会でバイエルンとの対決が決まったあと「これは事実上の決勝戦になるだろう。勝ち残ったクラブがチャンピオンズを制覇するだと思う」とバカなことを言っているのはディレクターの仕事には入らない。ビッグクラブのディレクターともあろう人間が、一般のファンみたいな思い上がったことを言っちゃあいけないよ。フットボール評論家はやはり現場に戻るべきではないと思うのであります。
(02/03/25)


この際、思い切って言っちゃおう

レシャック「簡単なチームのように見えるがそんなことはない。ファンの人々も戦う前に勝ったなんてことを思わないで欲しい」

パレイラ「それほど人々が思うほど甘いチームではない」

ガスパー「この段階に来て簡単に勝利できるクラブなどあるわけがない。パナシナイコスが準々決勝まで進んできているということは、それなりの実力があるということだ」

大体これが抽選が終わってすぐの関係者のお言葉です。相手がどこであれ、そう、例えばサラゴサ相手であれテネリフェ相手であれ同じようなコメントになってたのは間違いないでしょう。そして今回みたいに相手がパナシナイコスであっても、です。そう、パナシナイコス......

でもそれは公式発表っちゅうもので、心の中ではすでに準決勝との相手のことまで考えているのは間違いない。そりゃそうだ、相手はギリシャのパナシナイコスなんだから。現ヨーロッパチャンピオンのバイエルンでもなく、チャンピオンズの試合では絶好調のデポルティーボでもなく、何と言ってもパナシナイコスなんだから。そう、パナシナイコス、パナシナイコス、パナシナイコス......

そりゃ確かにアーセナルやマジョルカやスパルタに勝ったチームとはいえ、パナシナイコスだからなあ。マドリのカンテラチームと戦って引き分けたパナシナイコスだしなあ。チャンピオンズに出てきているチームとスペインの2部Bのフィゲーラスを比べるのは失礼な話しかもしれないけれど、他のクラブのことを考えるとつい同じように感じちゃうのであります。オットォ、そう言えばバルサはフィゲーラスに負けたか。でも相手は、そう、パナシナイコス......

実のことを言うと、パナシナイコスというチームのことはまったく知らないカピタンであります。でもパナシナイコスだからな、相手は。
(02/03/23)


イタリアメディア

この何週間か、イタリアから毎日のように伝わって来ていたニュース。それはカペーロが一日一日バルサに近づいて来ているというニュースだった。「今日の一面」はすべてのニュースを載せるわけにはいかないから、こういう不謹慎なニュースは当然カット。できるだけウワサ関係のニュースは載せないようにしている。そう、何日か前には彼が就任した場合の「放出選手リスト」も発表されていた。よく覚えていないけれど、その対象選手にはリバルド、クライハート、コクー、オーベル、ジェオバンニ、そしてロッケンバックあたりの名前があったような記憶がある。そして獲得選手がパヌッチとシードルフは間違いないとして、彼らに加えてデル・ピエーロの名前もあがっていた。ゲェー。

でも今日は楽しいニュースが入っている。それはこれまでのウワサの逆をいくもので、カペーロがローマに残る決心をしたというもの。それはチャンピオンズの決勝リーグに進めなかったことに責任感を感じているからだという。まあローマ程度のチームの監督やっていて責任を感じるほどのこともないと思うけれど、それがカペーロという鼻の高い人の考えることなんだろう。責任をとりたいのであれば、それは他人がとやかく言うことではないし。

鼻で思い出したけれど、これがレシャックの持っている花なのかも知れない。ガラタサライ戦での勝利が、バルサの決勝リーグ進出ということだけでなくカペーロのローマ居残りまで決意させてしまった。あくまでもウワサだけれど。

さて明日はチャンピオンズの抽選会。バルサにあたる可能性のある可哀想なチームは、バイエルン、デポルティーボ、そしてパナシナイコス。2戦目をホームで戦える利があるバルサだからというわけではないけれど、個人的にはバイエルンがいい。デポルはお互い知り尽くしすぎているし面白みがない。パナシナイコスはやさしそうだが、カンプノウはガラガラになるかも知れない。かつての復讐を込めて、ここはバイエルン、どうだ!
(02/03/21)


花だらけ

スペイン語の口語文で「あの人には花がある」というと、それは幸運を持った人を指す。バルサでその代表的な人物はクライフだった。3年連続してシーズン最後の試合で逆転優勝を決めた監督だから当然かもしれない。彼はその幸運さから「クライフはケツの穴にまで花がささっている」とまで言われた。だが当時、本当にその「花」を持っているのはコーチをしていたレシャックではないか、という声も一部であがっていた。

昨日の試合を見る限り、その声は正しいかもしれない。これまで何回か首の皮一枚だけつながっていたレシャック。実際には彼が辞任となる可能性はほとんどなかったにも関わらず、多くのメディアは「この試合に負けたら」とレシャックの「最後の試合」を見守っていた。そしてメディアの言うその「最後の試合」でいつも土俵際での見事とはいえないながらも、それなりのウッチャリを見せてきたレシャック。クライフには絶対「花」があったと思うけれど、レシャックの「花」説も本当のように思えてきた。

お世辞にも誉められた試合ではなかったガッツ。プレー中は、一人で三人分のボールを奪われていた。その彼がオフサイドゴールを決める。これだからフットボールはわからない。そして間違いなく決勝リーグに進出すると勝手に思っていたローマが落ちた。カペーロが落ちた。嬉しい。とてつもなく嬉しい。クーペルは決勝戦では決して勝てない「花」のない監督だったが、カペーロもその勝利を讃えながら何回もの決勝戦での敗北はあまり語られない。この人にも「花」はないかも知れない。

「幸運は探さなければやって来ない」
事あるごとにその幸運さを指摘されてきたクライフが決まり文句のように語っていた言葉。そう、幸運も勝利も探さなければやって来ない。だが少なくても昨日の試合からはレシャックが勝利を探したとは思えなかった。探しもしないのに転がり込んで来た感じの勝利と言っては言い過ぎか。そしてもう一つ、レシャックには少なくても他の人より「花」があることはわかったが果たして「ケツの穴にまで花がささっている」かどうか、それがわかるのがこれからだ。
(02/03/20)


二つに一つ

クラシコは、ある意味ではリーグ戦とは何にも関係ない試合であります。ひたすら地元の面子をかけての試合であり、このビジターチームにだけは勝たせてはまずい試合。その目的は一応「負けなかった」ということで達したものの、試合から2日もたつと厳しい現実がやってくる。

あと何時間かでヨーロッパバルサがまだ生き残れるか、あるいは2年目ガスパー政権が失敗に終わるか、二つに一つの結果がだされる。リーガは8試合残っていることと、バルサとマドリに象徴されるようにこれといった「強い」チームが存在しないから最後まで団子状態でいきそうだ。したがってバルセロニスタとしては毎試合、毎試合、まだまだ苦しむことを要求される。だがチャンピオンズに生き残れるか、あるいはここで幕を閉じるかは数時間後に決まってしまう。いずれにしても生き残ればまたまた苦しい思いをさせてくれる試合が続き、負ければ早くもヨーロッパバルサの終焉にガッカリしなければならない。

多くのというか、ほとんどと言っていいかも知れない「レシャックを信用していない」カタラン人は、クラシコでは胸を張ったもののこれからのことについては悲観的だ。それが普通かもしれない。リーグ戦の残りわずかとなった3月に入って、それでもまだどのようなチームでいくのかはっきりしないバルサ。試合が始まってみなければ、どのようなバルサが見られるかわからない状態。だいたい想像できることは、攻撃の口火を切るのに苦労しているか、いつの間にかデブーとクリスタンバールの「史上最強」のディフェンスの後ろや間を抜かれるシーンだ。

水の流れは明らかにバルサに逆らって流れている。ここ何試合かの「勝たなければならない」試合での展開を見れば、それは誰にも納得がいく。それでも「ひょっとしたら」という思いにかられるバルセロニスタもいるだろう。そう、何かの間違いでアンフィールドのバルサを見られるかも知れないという思いが心のどこかに残っていたりして。期待や想像はタダだ。今日の試合に勝利する可能性が少ないわけではない。

ここで今シーズンのヨーロッパバルサの終焉を見てスッキリするより、やはりもう少し苦しむ方にかけよう。
(02/03/19)


クラシコだから負けなかった

ラウールの絶妙なパスによるものと思いこんでいたジダーンのゴール。なんだ、テレビで見たらあれはココの絶妙パスじゃねえか。不運の固まりのようなプレー。ついてない。チャビと並んで一番良かった選手のココにあのプレーは可哀想だ。

たった3日前のリバプール戦に90分間にわたって、それこそ走り回って疲れ切った試合をしていたココが、マドリ戦でも誰よりも運動量の多いプレーをしていた。確かにカルッチオ育ちの選手ということで、スペインリーグ育ちの選手より体力はありそうだ。でも体力以上に「最後まで諦めない」勝利者の精神が彼にはあるように感じだ。それは試合後のインタビューでも同じだった。
「我々はまだ何も失っていない」
これが、大げさに言ってしまえば、イタリア代表とスペイン代表との国際大会での成績の圧倒的な違いを見せている一因ではないか、などと思う。この選手の精神を少しでも他の選手に伝染するためにも、来年もバルサに残って欲しいとも思う。

普段は試合開始5分前か、へたすりゃ審判の笛がなるころに集まってくるソシオが30分前には8割方カンプノウを埋め尽くしていた。選手入場と共に歌われるバルサイムノを、ほぼ全員で立ち上がって歌ったのは何年振りだろうか。多分、レシャックにとっては監督として最後となるこのクラシコ。もちろん彼に「ご苦労さん」というために盛り上がったわけではない。そうではなく、レシャックバルサに危機感を感じての盛り上げだった。

「今年はやばいんではないか」
マドリだけには負けてはならないカンプノウでの試合。その思いがクラシコを盛り上げる。だから試合内容がどうであれ、12番の選手の戦いは続く。どんなに不満があろうと試合中は応援を続けるバルセロニスタ。18年間にもわたってマドリに負けていない秘密がここにある。あの前半で見せた試合展開で、もし相手がオサスナとかラージョとかだったら、明らかに負けている試合だった。前半には嵐のようなブーイングがバルサ選手に浴びせられていただろう。
(02/03/18)


こちら「カピタン特派員」

出張先のクラシコ・コーナーで「こちらカピタン特派員」を始め、明日のクラシコに向けて頑張ってます!


あと2日

明後日のクラシコを前にして、すべての不満を別の場所に保管してマドリ粉砕にかけてみよう。

そう、例えば昨日の「勝たなければならない」リバプール戦で攻撃的な4番のチャビを使わずに守備的な4番のコクーを起用したことはとりあえず忘れよう。

そう、例えばサイド攻撃を使わずに、リバプールの中でも最も固さを誇るセントラールの選手相手の中央突破を試みた愚な戦術も忘れよう。

そう、例えばボールを触るたびに観客席から不安のため息がでたクリスタンバールのオッカナビックリなプレーや、その彼を起用し続けた間抜けな監督のことも忘れよう。

そう、例えば後半41分になにゆえサビオラに代えてジェオバンニを投入したかという疑問も忘れよう。

そう、クラシコはそんなことを越えたすべてのところに位置している。両チームのリーグ戦における順位に関係なく、ポイント差も関係なく、まったく別の世界に存在する試合、それがクラシコだ。だからチャンピオンズリーグの試合内容がどうであろうと、ベティス戦に負けていようとまったく関係ない。この試合に駆けつけるためだけにソシオになっている人もいるんだ。

あと2日で待ちに待ったクラシコがやって来る。フィーゴが来ようが来まいが、それは塩加減がチョット濃いか薄いかぐらいの違いでしかない。フィーゴなんてどうでもいい。マドリというバルサの最高のライバルがやって来るだけで、クラシコは例年通りの価値があるというもの。

さてそれではそろそろクラシココーナーを充実させていくか。
(02/03/14


明日はリバルドファン

何が悲しいのか、何が不満なのか、何が気にくわねえのか、何が何だかわからないリバルド。最近の試合ではいつもに下を向いて、何かふさぎこんでいるような感じだ。フリーキックも蹴らないし、ペナルティーも蹴らない。疲れも貯まっているだろうし、ケガもしているのだから休みたいのかと思うとそうじゃない。これほどわからない選手も珍しい。

明日の試合リバルドは必ずスタメンで出場すると思う。これまでの彼の経過を見てみれば、負傷→出場絶望→出場微妙→痛み止め治療→召集→途中出場か?→スタメン出場でした、という繰り返しだ。いかにもだるそうな、完全ではない体でのプレーを続けているリバルドに対し、観客席からはブーイングが飛ぶ。それでもプレーし続けるリバルド。ブーイングなんぞ気にならないのかと思うとそうじゃなくて、先日の記者会見では「正しく評価されていない」と不満をぶつける。それじゃあ、またケガしたら次の試合にでないかというと、そうじゃない。痛み止めを駆使してでも出場を願い出るリバルドだ。これで今シーズン何回目だろうか、緊急処置をしてでの出場は。

リバルドのプロ精神というか、強靱な精神というか、あるいは単純にプレーするのが大好きということだけなのか、いずれにしても逆境を迎えての反発精神というのはこれまで見てきた選手の中でもすば抜けている選手の一人だ。それをもちろんバルサソシオも認めている思う。それでも、どういうわけか、リバルドのプレーを見ているとブーイングしたくなっちゃう人たちがいるんだなぁ、これが。

彼に欠けているものは、それははっきりしている。バルサに来てもう5年目の選手になるにも関わらず、リーダーシップをとるのを拒否しているということ。性格的にそうなのか、余計なことはしたくないと思っているのか、彼にはリーダーシップをとろうという感じがいっさい見受けられない。だからキャプテンマークをつけてもいい経歴なのに、キャプテンじゃないことに誰もが不思議には感じない。そこが不満だ。大いに不満だ。

「100%じゃない選手は、例えリバルドという名前の選手であっても出場させるべきではない」というクーマンの意見に賛成。だがそんなことは忘れて、明日は暖かく迎えてあげよう。最高の力を振り絞れるように、お世辞混じりでリーボーコールもしてやっちゃおう。明日の大事な試合はリバルドファンです。
(02/03/12


クライフはやっぱりクライフ

久しぶりにクライフの本を読んでみた。つい4、5日前に出版された「フットボールが好き」というタイトルの本。これはバルセロナ生まれで、生涯バルセロニスタであり、同時にドキュメンタリー作家でもあるセルジ・パミエスという人がクライフに半年ほど密着取材し、そこから生まれた会話をクライフの言葉として文章にしたものだ。したがって実際に書いた人はセルジ・パミエスでクライフではない。

クライフの本は単純ですっきりしたものが多い。これまでの彼の本がそうであったように、この本も読みやすい本だ。1時間もあれば何となく読み終わってしまう。

いくつか彼らしい面白いことが書いてあるけれど、その中でフムフムと思ったものを一つ。それは多くの外国人選手の加入で、かつてあったチームカラーへのファンの思いが減少してきていることに対する対策問題。クライフが提唱するのは外国人を何人までという代わりに、自国の選手を最低5人使わなければいけないというルールの考案だ。

この「自国の選手」というのはその国の代表に選ばれる資格のある選手という意味。したがってスペインパスポートを持ちながらも、出身国ですでに代表に選ばれている選手はこれに当てはまらない。例えばジョルディのようにスペインとオランダのパスポートを持ちながらも、すでにオランダ代表として出場している選手は「自国の選手」にはならない。残りの6人の選手はヨーロッパ出身選手であろうがまったくの外国人選手であろうが問題はない。これだと偽パスポート問題もなくなるし、わざわざ実際に存在もしないヨーロッパの親戚を捜してヨーロッパパスポートをとる必要もなくなるわけだ。
(02/03/11


今日は勝たなければならない

と、この言葉を今シーズン何回使ってきただろうか。その「勝たなければいけない試合」をこれまで引き分けたり負けたりしてきたバルサだが、それでも今のところ首位に4ポイント差となっている。でも今日からの10日間におこなわれる3試合は本当に「勝たなければならない試合」となってきた。そしてこの言葉を、誰よりもまずレシャックに送ろうと思う。

今日のベティス戦を皮切りにリバプール戦、マドリ戦と続く3連戦での引き分けはすでに許されない状況だ。だからこの3つの試合に「今日は勝たなければならない」とメッセージを送る。そしてその後のガラタサライ戦を「まあ、引き分けでもヨシとするか!」という状況となればみっけものだ。

何事にも計算高いカタラン人の典型的なタイプとして知られるレシャックのことだから、もう1ポイントの獲得ではあまり意味のないことがわかっているはずだ。だから彼の計算の中に「3ポイントとるために勝たなければならない」というアイデアがあれば、ケツの引いた試合を選手たちもしないだろう。実際にプレーするのもゴールを決めるのも選手とはいえ、コーチの「勝つ」雰囲気を感じるか感じないかでは相当違うんではないだろうか。だから、余計なこととはわかりつつ、レシャックにこの言葉を送ろう。

「今日は勝たなければならない」

そして気持ちよく「クラシココーナー」を開始したいと思う。今日からちょうど1週間後となったマドリ戦に向けカウントダウンがベティス戦終了と共に始める予定。水曜日にリバプール戦があるのでメディアの間でもまだまだ盛り上がらないクラシコだけど、チキートはスペインのどこのメディアよりも早くカウントダウンを開始。

今日の試合に勝利し、気持ちよくメレンゲ粉砕フィエスタのスタートが切れれば最高だ。
(02/03/09


メレンゲ最終回
世界最高のクラブには、最高のディレクターを

20世紀最優秀クラブとして選ばれたレアル・マドリ。そのクラブのスポーツ・ディレクターも最高の人物でなければならないのはもちろんだ。そしてフロレンティーノが会長に就任してまず決まったのがこの役職に就く人物、ホルヘ・バルダーノだ。

ホルヘ・バルダーノを有名にしたのは選手としての才能というよりは、マラドーナと同じセレクションにいたことによると言った方が正しい。アラベス、サラゴサ、そしてレアル・マドリの選手として何年かプレーしたバルダーノだが、歴史に残る活躍はしていない。むしろテネリフェの監督となってからの方が、彼の才能が花を開いた感じだろう。そして監督業を辞めた後のコメンテーターとしては、最大の能力を発揮したと言える。彼はフットボールに関する理論家であり、選手上がりの人物のなかでは最たるインテリでもあった。

さてスポーツ・ディレクターとしてのバルダーノの評価はどうか。実際のところ彼はこれまで何をしてきたのだろうか。

そう、何もしていないのが現実。評判の悪いバルサディレクターのパレイラは、それでもやることはやってきた。金にまつわる黒い噂が常にあるパレイラだが、選手獲得に関する交渉人としては超一級の人物だ。だがバルダーノにそういう才はないように思える。フィーゴ、ジダーンの獲得にしても、フロレンティーノの個人的な政治によるものだった。

スポーツ・ディレクターの仕事の一つに、コーチングスタッフの要請で新加入選手を獲得することがある。だがデルボスケには選手を選ぶ実権はゼロといっていい。彼はクラブ職員にすぎない。バルダーノがディレクターとして企んだ獲得選手はネスタ、ルイ・コスタ、トゥラン、サネッティ、メンディエッタときりがない。だが一人も獲得できなかった。誰一人としてレアル・マドリに移籍してこなかった。

もう一つ大事な仕事に、監督の必要としない選手の移籍先を決める仕事がある。今シーズン開始前、マドリにはどれだけの数の放出候補選手がいただろうか。マクマナマン、セラーデス、ソラーリ、サビオ、カンポ、フラービオ、バリッチ、コンゴ、ジェレミ、少なくてもこれだけの数の選手が放出予定選手だった。だが今は3月。バリッチがレンタルされただけだ。そして金持ちクラブを目指すマドリは、彼らに高額な年俸を払い続けている。

そうなると、ホルヘ・バルダーノの凄いところは、何もしないで年俸200万ユーロを取っていることぐらいかも知れない。
(02/03/08


メレンゲに学ぶ、
クラブ創立100周年記念行事の仕方

バルサの100周年記念は2年前におこなわれている。その時おこなわれた多くの記念行事における趣旨となるものは、クラブ創始者であるジョアン・ガンペル氏を讃えるものであった。クラブが存在できたのも100年の歴史を作れたのもすべて創始者のおかげという考えで、あくまでもジョアン・ガンペル氏が主役として各種のイベントがおこなわれた。クラブ創始者がスイス生まれの外国人であるということなどは、何の障害もなく讃えられている。

だがレアル・マドリは少し違う趣旨で記念行事がもたれている。それは「世界のレアル・マドリ」を讃えるというアイデアのもとでおこなわれているからだ。これまで実施されている彼らの100周年記念行事には、いっさい創始者の名前がでてこない。クラブ創始者を讃えるというような行事はこれまで一つもおこなわれていないのだ。マドリ100周年記念行事の責任者を務めるミゲランヘル・ロドリゲス(元・政府スポークスマン)が先日のインタビューではっきりと言ってのけている。
「創始者はあまり関係ない。世界最高のクラブとしてのレアル・マドリの100周年を、世界中で祝うことがより重要なことであるから。」

ではミゲランヘル・ロドリゲスが語りたがらない創始者とはいったい誰だったのか。冗談のようだが、ディ・ステファノが創始者だと思っているメレンゲも多いと聞く。いずれにしても正確な人物に関してはマドリッドでは話題にもなっていない。それは知ってか知らずか、創始者がカタラン人だからなのだろうか。

MADRID FOOTBALL CLUB は1902年4月22日に正式にフットボールクラブとして登録されている。登録したクラブ創始者はジュアン・パドロスという繊維業を営むカタラン人だった。やはりバルサの宿敵クラブとしてあるマドリの創始者がカタラン人ではまずいのかも知れない。

さて、このマドリ100周年記念行事の準備は、フロレンティーノが会長に就任してからすぐに始められている。さすがに2年近くたっているんだから手抜かりはないと思われたものの、そうはいかなかった。

100周年行事に使われるロゴに問題が起きている。REALという文字の下に4本の線が入り、その下にMADRIDという文字が入っているロゴ。ここまでは問題なし。だがMADRIDの下に入っている1902−2002という数字に問題が発生した。それを使うのは違法だと、ある団体がクレームをつけたからだ。

クレームをつけたのは輸出入業を営む繊維会社。フリオ・ゴメス・フローレスという人が会長を務めるこの会社は、すでに2年前にこの1902−2002という数字を「登録商標」として登記済みにしている。したがってこの会社の許可なしにこの数字を使うことは、法律的観点から言っても違法ということになる。

フリオ・ゴメス・フローレスによって裁判沙汰となっているこのロゴ問題だが、いずれにしても裁判での判決が下りるまでマドリ側としてはここのロゴを付けた商品は正式には販売できない。ジダーンやフィーゴのユニがいくら売れようが、それらの売上金は借金のカタとして銀行にとられているマドリだ。100周年ユニもヤバイことになっている。
(02/03/07


メレンゲに学ぶ、
借金の正しい返済の仕方 その2

ここでメディアに公表された限りの、フロレンティーノと政治家との関係を見てみよう。

まずマドリ市長であるアルバレス(民衆党党員)とフロレンティーノは個人的事業においても政治的立場においても旧知の仲だ。それはフロレンティーノが会長に立候補した時にも両者が公表している事実である。もちろんこの選挙以前にはフロレンティーノの会社であるACSがおこなう事業を通じての密接な関係があったことも知られている。
またマドリッド州知事のガジャルドン(民衆党党員)との関係もアルバレスとのそれとほぼ同じようなものである。
そしてマドリッド都市開発顧問であるイグナシオ(民衆党党員)との関係はもっと密接なものとなっている。マドリッド銀行の助役を務めるイグナシオとは、経済的問題でフロレンティーノの会社との接触も強く、彼の会長選挙の時にも影となって動いていた人物。

レアル・マドリに対する土地売上金の支払いは次のような形でおこなわれる。

スポーツ用施設専門地としてあったマドリスポーツ施設は、すでに商業用地区として認定されている。したがってこの土地にどのようなビルを建てようとそれは自由ということになった。そしてこの広大な土地に4つの高層ビルが建てられる。この4つのビルのうち2つがレアル・マドリ用ビルであり、1つがマドリッド州(ただしこのビルの64.3%はレアル・マドリ、残りの35.7%がマドリッド州の所有権)、そして残りの1つがマドリッド市のものとなる。レアル・マドリはこの2つのビルを売却し、その売上金が土地譲渡金の替わりとなる。

さてこの4つの高層ビルを建築する業者はどこか。もちろんフロレンティーノの会社が中心になってのものである。この利益はもちろんレアル・マドリとは関係ないものとなるのは明らかだ。したがってフロレンティーノにとっては一石二鳥となるものだ。個人的な事業としても多くの利益があがることとなるし、クラブの歴史的な借金も返済可能となる。もちろんマドリッド市民の税金を使っての話しだが。

この2つのビルを売却することによって生まれる利益は、700億ペセタから800億ペセタと言われている。これまで歴史的な金額の借金(460億ペセタ)を抱えてきたレアル・マドリだが、この売り上げにより借金は完全に返済されることになる。

だがビルはまだ建てられていない。それは当然のことだ。反対住民により裁判も申請中だし、完全にことがうまく運んでいるわけでもないのだ。いずれにしてもビル所有権の売買は、ビル建設工事開始とともにおこなわれることになる。だが世の中の常識として全額払いということにはならない。工事開始期に何%、途中で何%、完成時に何%というような分割払いというこことになるわけだから、レアル・マドリに借金返済にための資金が揃うのは何年も先の話しではある。

マドリッド市とマドリッド州が決めた「土地専用利用の変更」に反対する社会党系の住民運動が訴えるのは次のようなことだ。

「我々マドリッド市民が、一つのスポーツクラブの借金偏在になぜ協力しなければならないのか。クラブ首脳陣がおこなってきた経済政策の失敗の穴埋めに、なぜ我々の税金が使われなくてはならないのか。この『土地専用利用の変更』によって唯一利益を得るのはレアル・マドリとそのソシオ、そして会長の所有する会社ではないのか。そして何よりも将来おこるであろう、交通渋滞と空気汚染問題をいったいどう考えていくのだろうか。我々はスポーツクラブと政治家のどす黒い癒着を追求していく。」

また社会党の反対運動とは別に、市民レベルで反対運動を繰り広げているグループがいくつかある。このうちの一つのグループが昨年の10月31日に、ブルッセルに本部のあるECの中央審議会に訴訟をおこない、現在審査中である。訴訟の内容は次のようなものだ。

「45階建てという、マドリッドで最も高い4つのビルに集中する人口を考えた場合、すでに多くの公害問題がおきている地区にさらに環境汚染問題が加わることは間違いないことである。都市計画書によれば、この4つのビルが完成したあかつきには何と2万人の労働者や住人が増えることになる。これから予想される交通渋滞、騒音、公害問題に対し、マドリッド市と共にマドリッド州は何の対策も考えていない。しかも我々マドリッドに住んでいる住民には何の利益にもならない事柄に対し、市や州が莫大な額の税金を使うことは許されない。」
(02/03/06


「こちらメレンゲ」のご挨拶

来週末はクラシコなので、今週末には「クラシココーナー」を再びスタートする予定です。それまではメディアの間でもクラシコに関するニュースがあまり流れません。そこで今週は今日から4日間続けて、クラシココーナーのイントロとして少しメレンゲのことに触れることしました。
「敵を知って己を正す」
この精神でいきます。まずは「借金の正しい返済の仕方」ということからメレンゲに学んでいきたいと考えております。

メレンゲに学ぶ、
借金の正しい返済の仕方 その1

フロレンティーノ。ペレス、 マドリ会長にしてACS社(建設会社)会長。そして民衆党党員。

2000年の夏、マドリ会長選挙に立候補したフロレンティーノは、選挙公約の一つとして次のように述べている。
「マドリ首脳陣は我々マドリディスタの財産である『マドリスポーツ施設(別名カステジャーノ)』の一部分の土地を売り払った過去をもっている。それも非常に安い価格でマドリッド市に売り払ってしまった。もし私が会長に選ばれたあかつきには、一切我々の所有する土地は売らないことを約束する」

2000年6月27日にこのような発言をしてから約1年後、マドリッド市・マドリッド州は第一野党である社会党、一部地元住民の反対を押し切って、カステジャーノを購買することを決議する。

この広大な面積を誇るカステジャーノと呼ばれる土地は、古くから常に「スポーツ用施設専門地」として認定されていたものである。それはフランコ時代(1963年)、社会党政権時代(1985年)、民衆党政権時代(1997年)と各時代を通して3回もマドリッド州議会で再決議されている。つまり住宅や商業ビルなどは一切建ててはならない土地であった。

フロレンティーノが選挙公約を守らなかったということは、あくまでもマドリソシオあるいはマドリシンパの人々の問題なので、それはどうでもいい。だがそれとは別に存在する2つの問題がある。

1.マドリッド市・州がカステジャーノの購買を決めた最大の理由は「2012年オリンピックに、マドリッド市が立候補するための諸施設候補地を確保するため」というものがある。だが反対勢力の調査では、カステジャーノはただでさえ交通渋滞が激しい地域であり、その様な場所に大勢の人が集まる施設を作ることは、非現実的な行いであるという。さらに現存する諸施設をリフォームする方が、遙かに経済的な計画であると判断している。また時間の経過と共に、実際この土地の利用はオフィスやマンションとしてのものとなることが明らかにされた。

2.これが一番の問題となっている点だが、それは「土地の専用利用の変更」である。前にも触れたがカステジャーノは「スポーツ施設専用地」であった。マドリ首脳陣はそれこそベルナベウ会長の時代から、メンドーサ会長、サンツ会長とマドリ市・州に土地用途変更の申請を試みてきたが、それは常に見果てぬ夢に終わっていた。この広大な敷地にクラブ経営の商業ビルを建てることにより、クラブ収入の増加を狙ったプランではあったが、それは常に役所に拒否されてきていた。しかしフロレンティーノはこれをたったの24時間でやりのけてしまう。普通、役所に申請書を提出してからどんなに早くても半年、通常1、2年かかるといわれる「土地用途の変更」が、今回フロレンティーノが申請してからわずか24時間で変更許可がおりたのだ。

これを可能にしたのは、まぎれもなくフロレンティーノが持つ政治家コネクションである。彼が会長を務める建設会社ACSの昨年の実質売り上げ高は、5600億ペセタと公表されている。民衆党政権になってから異常な伸びを記録し、今ではスペイン最大手の一つでもある。彼はこの間の事業を通じて、多くの政治家との接触を図ってきた。仕事の受注で高いパーセンテージを占めるマドリッドの都市計画関係の仕事により、マドリッド市長のマンサーノや州知事のガジャルドンとも交友関係を築いてきたのはもちろんである。
(02/03/05


男ルイス・エンリケ

アベラルドがついに帰ってきた。1年間にもわたるリハビリ期間を乗り越えて昨日ついにカンプノウに帰ってきた。

ハーフタイムにアベラルドの走る姿を見つけたバルセロニスタは、すかさず暖かい拍手を送る。それに応えてアベラルドも軽く手をあげる。あとは待望の出番を待つだけとなる。そしてそれがやって来た瞬間、いつものように十字をを2回切り、アベラルドは自分のポジションにひたむきに走っていく。そして観客からは立ち上がってのスタンディングオベーションが送られた。待ちに待ったアベラルドの復帰の瞬間だった。

多くのバルセロニスタに愛されるアベラルド。優勝パレードでは彼の明るい性格からか、いつも主役となりバルセロニスタから人一倍の拍手が送られるアベラルド。観客席に陣取る奥さんと2人の子供が、涙ぐみながらアベラルドの姿を見守る。多分、アストゥリア地方に住む彼の両親もテレビの前にかじりついてこの瞬間を見ていただろう。そしてグランドの中には、彼の復帰を、まるで自分の事のように誰よりも喜んでいた選手がいた。ルイス・エンリケだ。

ルイス・エンリケとアベラルドはスポルティング・ヒホンのカンテラ育ち。しかも子供の頃からの友達でもある。ルイス・エンリケは一足早くレアル・マドリに移籍するが、アベラルドもすぐその後を追うようにバルサへ移籍する。そしてバルサで再会だ。

昨日の試合、ルイス・エンリケがしたことは前代未聞のことだった。彼がアベラルドの復帰に対しておこなったプレゼント。それはキャプテンマークをわたしたことだった。普通キャプテンマークを付けた選手が交代したとき以外には絶対おこなわれない試合中のキャプテン変更。それをルイス・エンリケがこともなげにやってのけた。審判も見てみないふりをする。規則上どうなっているのかわからないけれど、尋常なことではない。

男の友情ここにあり。ルイス・エンリケ、いい奴だ!
(02/03/04


今月のバルセロナ

3月のバルセロナは3つのデカイ行事がおこなわれます。

一つはますフットボール関係、リバプール戦とマドリ戦がそれぞれ13日と16日におこなわれる。リバプール戦に勝利し、ローマもまたガラタサライを敗ればバルサの2次リーグ突破が決定。

そして二つめは、15日・16日に予定されている欧州連合理事会(バルセロナ・サミット)だ。いつものことながらこの手のサミットには多くの反対デモがおこなわれるし、各国からお偉いさんが集まってくるので街の警備が凄いことになる。16日といえばマドリ戦。しかもサミット会場やお偉いさんが泊まるホテルはカンプノウ周辺に集中している。街には小銃を持った武装警官でいっぱいになりそう。スペイン国首相にして自他共に認めるマドリディスタであるアスナール首相もクラシコは見に来るだろうから、この日のカンプノウ周辺の警備は想像を超えるものになるかも知れない。

何も知らないで、初めてバルセロナにやって来たフットボールファンだったら「さすがクラシコ」と思うほどの警備になりそうだけれども、そうではない。今回は特別なのです。

そして三つめ。今年は、カタラン人建築家アントニ・ガウディの生誕150周年にあたる年(アントニ・ガウディ、1852年6月25日生まれ、1926年没)であり、今月からバルセロナを中心としたスペイン各地で多くの記念行事がおこなわれること。あくまでも6月がメインとなりそうだが、今月から「150周年記念行事」が正式にスタートする。したがってガウディに興味ある人には絶好のチャンスであります。
(02/03/03


どこへ行く、ジェオバンニ

今シーズン、サビオラに次いでの高額な移籍料を払って獲得したジェオバンニ。最近、彼の名前が聞かれない。試合に出ないどころかベンチにもいない。つまり試合にも呼ばれていないんだ。

プレシーズンからシーズン開始当初の試合において「う〜ん、さすが」という感じのした右ウイング選手だけど、運悪く負傷してから突如としておかしくなってしまった。1か月だったか2か月近くかったたか、とにかくリハビリから戻って来てからは、冴えが全然見られなくなってしまった。どうも左ウイングのお坊ちゃんといい、このブラジル人といい、バルサのウイングはうまくいかない。

最近では新聞の片隅のほんのチョットした記事にしか載らなくなってしまったので、詳しいことはわからない。だが彼が移籍してきたときのコミッション問題(01/10/29参照)と宗教的問題(01/10/04参照)の二つがかなり関係あるようだ。

ジェオバンニには何の罪もないのに、コミッション問題では精神的な面でかなりのショックを受けたらしい。記者には追いかけられるは、裁判には出頭しなければいけないわで、ブラジルでの静かな生活をしていた彼には窮屈な日々だったようだ。そして何よりも、彼の信じる「アトレッタ・デ・クリスト」が、彼の生活を非常に閉鎖的なものにしているらしい。

練習が終わるとジェオバンニが会う人物はアトレッタ・デ・クリスト関係の人間だけ。毎晩どこかに集まって討論会をしたり、お祈りをしたりするらしい。選手たちとのつき合いはリバルドとロッケンバックをのぞいていっさいないという。今のところクラブにもとけ込めず、選手たちともスムーズにいかず、街の人々との交流ももちろんない。

これだから、ホント、新しく来た選手たちが成功するかどうかを当てるのは難しい。「あたるも八卦あたらぬも八卦」の世界だ。でも個人的にはすごく良い選手だと思うのになぁ。
(02/03/01