CampNou is different.

カンプノウにはスタディアム内に150のカメラが設置されています。そのほとんどは観客席に焦点を当てられたもので、このビデオを見ることにより「犯人」の発見に当たることになります。クラシコ翌日から警察官との連係して「犯人」の割り出しに当たっていたバルサ職員ですが、これまで40人近くの該当者を発見しているそうです。そしてそのほとんでが過激派応援団組織として知られるボイショスノイスのメンバーかと思ったら・・・とんでもない間違いでした。

そう、昨日もこのコーナーで書いたように「若くて血の気の多い人たちの仕業」と思うのが自然なわけですが、この40人の人々のほとんどが正面スタンドに席を持つ人々という結論が今のところ出ています。正面スタンドに席を持つっちゃあ、なんですよ、昔からのソシオであり経済的にも多分恵まれていて子供とか孫とかと一緒に来る「おばさん、おじさん」連中じゃないですか。

唯一の危険物質として認定されたのはウイスキー瓶。よく焼けたブタの頭(あれはゲンコツぐらいの大きさ)やライター、携帯は危険物質に入らないそうです。いわゆる「合法物質」と認定されているそうであります。つまりスタディアム内に持ち込んでいいものということでしょう。

そのウイスキー瓶を投げた人が当然ながら脚光を浴びることになるわけですが、どうやらアレを投げたのは正面スタンドに座る「年輩の女性」と認定されたようです。年の頃50代から60代のこの女性、自分の席を離れるやコーナー付近にひとっ走りしてアレを投げたようで、もちろん白鬼の胸に当たって「ウワ〜オ〜」とはならず、白鬼から10m以上も離れた地点に着地して外れ。ただでさえ野球文化がないスペインではデモの際の投石もお粗末なものですから、おばさんの投球がうまくいくわきゃあありません。キャッチボールの経験なんぞ、1万人に1人もいればいい方でしょう。

もしこれが事実だとしたら、この「熱いおばさん」が本当に実行者であるのであれば、ワタクシことカピタンは是非ともカンプノウ閉鎖措置反対運動に立ち上がろうと思います。レアル・マドリが来るとき以外はいっさい物が投げられないカンプノウですから、この「熱いおばさん」も40年だか50年のソシオ生活において物なんぞは投げたこと(常習者じゃないことを祈ります)はないわけだろうから、多分この日のカンプノウに2年ぶりにあらわれた白鬼をかつて心底愛していた人なのでしょう。その想いが高じてウイスキー瓶がいっちゃったんだな。

それにしてもそんな年輩のしかも女性だったとは!
やはり、カンプノウ イズ ディッファレントだ!
(2002/11/29)


カンプノウ

カンプノウはご存知のように50年以上の歴史を持つスタディアム。フランコ独裁政権、フェリッペ・ゴンサレス社会党政権、そして今のアスナール中道右派政権を経てきている歴史の生き証人でもあります。そして驚くことにいまだに一度も閉鎖措置を喰らったことのないスタディアムでもあります。ここ何年か前に改装あるいは新築されたスタディアム、例えばビルバオやソシエダ、マジョルカやエスパニョールあたりのナントカスタディアムは別として、スペインリーグの中で唯一いまだに閉鎖措置をいただいていないことでも知られています。そしてどこのスタディアムよりも早く、つまり一番最初に観客席とグランドを分けていた金網を取り除くことを許されたスタディアムでもあります。

前に書いたかどうか、調べるのも面倒くさいので重複する可能性もあるけれど、生まれて初めてフットボールの試合をナマで見るという人と先日カンプノウに行きました。彼女は日本で聞く噂、つまりフットボール場にはたくさんの暴れ者がいて、みんな入れ墨をしていて、そして酒を飲みまくって人に迷惑をかけるので非常に怖いところだという認識をもっていたということでした。そしてこわごわといざ、カンプノウへ。

バス停からカンプノウまで5分ほど歩いていきます。そのバス停からの道のりは、カンプノウへ向かう人で賑わうことになります。彼女の見た人々は入れ墨をしている逞しい若者たちではなく、子供連れの家族や髪の毛が真っ白な老人夫婦がほとんどで、彼女としてみれば「これはチョットおかしい風景」となります。実際、カンプノウはヨーロッパの他のスタディアムに比べるとおかしいのであります。

ソシオ数約10万人、その平均年齢約50歳前後、女性ソシオのパーセンテージ約3割。スタディアム内ではビールは売っていますがすべてアルコール抜きのもの。長さ10センチほどのブタの頭はスタディアム内に持ち込めてもバイクやピストルは持ち込めません。時たま起こるウエーブにしても腰を痛めることを恐れる人が多い感じのカンプノウです。アルゼンチンのフットボール場で見られるように、試合中ずーとジャンプする体力のある人はほんのわずかです。そんな「迫力のない」人々が多く集まるのが普段のカンプノウです。

体力はないものの、そこはそれ、政治的に制圧を受けてきた人々が多いところですから「パッション」という意味で語るならどこにも負けないようです。もちろん今回の「投げ入れ桜吹雪」事件はもっともっと若く、しかも血の気の多い人たちがやったことでしょう。その結果、閉鎖措置がとられるかどうか、そういう状況となっています。このことに関しては今度触れるとして、とにかく普段のカンプノウはこんなところです。
(2002/11/28)


バルサ現監督

もうクラシコは過去のこと。フィーゴの話題なんてもうどうでもいいし、クラブ会長やバルサ現監督の「フィーゴ挑発」発言もどうでもいいし、カンプノウ閉鎖措置の可能性もそれほど興味を引く話題でもない。でもどうでもよくないのはクラシコでも見られたように、バルサのここ何試合かの、そう、特にここ何試合かのヒジョーに消極的は戦い方。

ラーシング戦しかり、ビジャレアル戦しかり、コルーニャ戦しかり、そして今度はカンプノウでのクラシコしかり、とにかく傍で見ていて消極的であり保守的でありケツの引いた試合をしている、と思う。この4試合で2点しか入れてないことはどうでもよくないけれど、まあ良しとしよう。もう11節を終わったというのに10位だかそこら辺にいるのも、まあ良しとしよう。獲得したポイントが獲得可能ポイントの半分以下だったり、セラ・フェレールバルサやレシャックバルサより同じ時点で比較しても少ないというのも、まあ良しとしよう。でも良しとできないのは、バルサ現監督がこれで良しとしているところだ。

クラシコの戦いを「戦術的な勝利」として密かに喜んでいるなんてえのを聞いちゃうと、いったいこのバルサ現監督は何の戦いを目指しているんかいな、と目をパチクリしてしまう。監督業を営む同業者同士の戦いなんていう「個人的な戦い」はどうでもいいのじゃ、俺たちファンとしては。しかも勝てなかったのは「ゴールを無効にされた」からであり「運がなかった」からだと聞くに及ぶと、耳のたこをが更にでかくなってしまう。

バルサ現監督に幻想をいまだに抱いている人はいいかも知れない。そのうち「攻撃的」で「スペクタクル」なフットボールが展開されるという、そういう幻想も捨て切れていないだろうからわずかな望みがあるだろう。でも、もともと幻想も抱いていないし、どちらかというとその監督能力を疑っているいる人間には、非常に将来が暗く見えてくる。もちろんバルサ現監督のどうでもいい将来じゃなくてバルサの将来が。

でも、と思う。「無効なゴールを有効」にされたり「ありあまる幸運」がバルサにやって来るかも知れない。しかも最近でいえば、セラ時代やレシャック時代にも思ったことだけれど、バルサには普通に使えば非常に素晴らしい選手がたくさんいるじゃないか。ロブソン時代にも起こったように選手が監督の意思とは別のところで、自分たちのアイデアで動き出して成功するということもあるじゃないか。だからそういう意味で言えばまだまだバルサは捨てきれない。つまるところ試合は選手次第でどうにでもなる。問題はそういうことができるキャラクターを持った選手がいるかどうか。やはりこういうことはリケルメに期待するしかない。

と、ここまで書いたら明日の試合にリケルメとサビオラがスタメンででない可能性が強いというニュース。う〜ん、敵さんもなかなかやります。バルサ現監督による「戦術的な勝利」が試合の勝利に結びつく幸運を祈りましょう。スエルテ!
(2002/11/26)


バルサ・マドリ

一人のバルサ好きの単なる一ファンがカンプノウで試合を見たあと、試合を観戦し専門家の立場として記事を書きまくるジャーナリストや、空気や熱さが伝わってこないテレビの小さい四角の画面を見ている人とはまったく違う感想となることは多々あります。というか、しょっちゅうの出来事です。試合を見たあとに録画をテレビで見てみると、なんか他の試合を見ているような気がする経験からもそれは確かだと思います。それは多分、誰もが経験していることでしょう。

嬉しいことに、昨日の試合でのフィーゴに対する「反応」は期待以上のものでした。あれから2年たって、個人的にはヤツのしたことは決して忘れることはできないけれど、多くのバルセロニスタにとってはどうなんだろうか、ひょっとしたら人間の記憶なんていうのは結構かんたんに消しさられちゃうもんじゃないか、そんな感じがしていたもので2年前のようなことはないだろうとチョットばかし思っていたのであります。でもそれは間違い。あの素晴らしい歓迎風景に、いつも隣に座っているバルサ観戦40年の歴史を持つ年輩の女性と喜んだワタクシでした。彼女と2年ぶりに触れるフィーゴの話題。
「あの子はね、この40年間で知った選手の中で唯一いつまでも許されない選手だね、私には。」
ブラボー、おばさん!

赤信号では道路をわたってはいけないということと同じように、人にものを投げてはいけない、こんなことは7歳のガキだって知っていることだろうし、ひょっとしたらうちのネコだって知ってるかもしれない。でもそういう倫理観とは別のところに属する物事もあると思うのであります。“バルサの魂”として当時のフィーゴを見ていなかった人は別として、そういう風に見ていた自分も含めた多くの人々が昨日の場にいて、あの雰囲気を感じて、同じ空気を吸っていたとしたら、車やバイクやゾウが投げ込まれなかったのが不思議な感じがしてもおかしくありません。本当のバカが投げた2、3本のウイスキーの空き瓶は別として、ちょっとしたバカが投げたプラスチックの空き瓶なんてかわいいものです。

フットボールはパッションです。システムがどうのこうの、戦術がどうのこうの、試合展開がどうのこうの、監督采配がどうのこうの、審判の判定がどうのこうの、バカ監督の発言がどうのこうの、そういうこと以前の問題として「立ち会った試合」にフットボール=パッションという形式さえあればそれでOKだと思っています。そしてクラシコはそれが120%証明される試合。いかにバンガールがレシャックなみにケツの穴が小さいところを見せようと、ものが投げられて試合が中断されようと、そして試合そのものはつまらないものでしかも無得点に終わったような昨日のゲームであっても、やはりあの試合は間違いなくクラシコでした。「敵」として見るレアル・マドリは1年でも早く二部に落っこちて欲しいと願うものの、「好敵手」として見るレアル・マドリはミランやユーベ、マンチェスターよりも遙かに強いチームであり、毎月のようにカンプノウに訪れて欲しいチームです。

今年のクラシコも本当に興奮して過ごせました。昨日までの1週間でエネルギーを使い果たしてグロッギー気味。でも気分は良し。
(2002/11/24)


う〜ん、チョット残念

この大会で楽しみなのは「噂に聞く選手」や「噂に聞くチーム」が見れることだ。多くの噂の選手や噂のチームがバルサと対決するところを見られるのが楽しみなわけだから、どうでも良いチームが来てしまうとつまらないし、やはりそれなりのチームが同じグループに入ってくれると嬉しい。だから個人的には「勝てそうな相手」より「見てみたい相手」が最優先となる。そういう意味で言うと、今日の抽選は少々ガッカリ。インテル、レバクーゼン、ニューキャッスル、魅力に欠けます。

イタリアのチームではやはり「噂のユーベ」を見たかったな。最後にカンプノウで見たのはもう10年以上前のレコパの準決勝だか準々決勝の試合だったから、それ以来ずいぶんとご無沙汰チームなのだ。今のユーベがどういうチームか知らないけれど、バッチオやスキラッチがいる当時のユーベを見たとき「なんてカウンターアタックが早いチームなんだ」という印象だった。バルサとはあまりにも違うそのスタイルに驚き、そして感心もしたように思う。どう説明していいかわからない「きれいなカウンターアタック」、それに比べ先日見たアヤックス戦でのインテルのそれは「品がないカウンターアタック」だった。いつものクーペルフットボールだ。

もう過ぎたことだからどうでもいいけれど、理想的にはやはり面白いフットボールが見られる可能性のある対戦、アーセナルとかアヤックスとかの試合が見られれば最高だった。閉じてるフットボールより開いているフットボールが見たかったな。でもそれは次のステップまでオアズケということにしよう。ところでココが戻ってくるけれど、これは間違いなくスタンディングオベーションだな。

バンガールが抽選後の記者会見でいつものように不満を言っていた。
「この試合スケジュールがどうも納得できない。アウエーで始まりアウエーで終わる組み合わせ。これはホームで始まってホームで終わる抽選に入ったチームと差がありすぎるのではないか」
言われてみれば確かにその通りだ。なんでホームで始まるチームは終わりもホームなのか。なんでアウエーで始まるチームは終わりもアウエーなのか。この疑問をはっきりと説明してくれたコメントを聞いたことがない。
(2002/11/15)


ゼロからのスタート

白い服に身体を包んで颯爽と記者会見場にあらわれたビクトル。カタラン人にしては珍しいほどのはっきりとしたカステジャーノで話し始める。テレテレせずキッパリとした態度で話し始めるコイツはなかなかだ。とても20歳とは思えない。

「ソシオの人々やバルサシンパの人々に、そして二部の選手を含んだすべての同僚選手にお詫びをしたいと思う。決して第三者に迷惑をかける意図はなかったことを理解して欲しい。練習に参加しなかったのは個人的に考える時間が必要だったからだ。新しい状況を前にして自分の考えをはっきりとしておきたかった。この決意はあくまでも個人的なものであり、第三者がからんだということは一切ない。自分で考え一人で決意した結果の行為だ。この行為によって自分は再びゼロからの出発になることもわかっている。監督の信頼を再び勝ち取るためには、これまでの2倍の努力が必要かも知れない。こんな状況を生んでしまったけれど自分の夢はバルサで成功すること以外は考えられない。これまでの2倍でも3倍でも努力して一部に戻るために頑張る。」

こういう問題が起きると必ずといっていいほどバンガール派と反バンガール派が登場してくる。バンガール派の人々が言うことはもちろん誰もが考える常識的なこと。つまり若きビクトルの考え違いを非難する内容。反バンガール派は監督と衝突したビクトルを応援するのは当然だ。いわく、ペップやガブリやチャビも同じように一部や二部を行ったり来たりしたというが、彼らが一部デビューしてからは二部での練習に戻ったことは一度もないというもの。それなのにビクトルはなぜ二部の練習に戻るのか。あるいはシーズン開始前にビジャレアルにレンタル移籍するチャンスがあったにも関わらず、バンガールだかガスパーだかが「今シーズンは一部での選手として扱う」という甘い言葉によってビジャレアル行きを断るハメになったこと。それなのになぜまた二部で練習しなければいけないのか。

もちろんこれらのことはビクトルが公式に発言したことではない。いずれにしてもバルサに何か起きれば、待ってましたとばかりバンガール派とアンチ派が出現してくる。そういう格好の材料にされちゃったビクトルも迷惑っちゃあ迷惑な話だ。

キーパーなんていう孤独な職業のヤツは強烈なキャラクターが必要。シューマイケルやカーンを見てみればよくわかる。ブスケやアルナウ、レイナを越えたキャラクターを持っているビクトル君、頑張ろう。
(2002/11/12)


3ポイントですか

クソッタレでオタンコナスな試合内容のことはもうどうでもいいとして、試合後に3ポイント3ポイントと言って騒いでいる風景は去年のレシャックバルサを思い出す。そう、結果がすべての世界で結果が一番大事なことはわかっているけれど、それだったら翌日のスポーツ新聞だけを見ればいい。いちいちスタディアムに足を運んだり、朝早く起きてテレビの前に頑張ったりする必要のない試合はどういうものかと聞かれれば、このクソッタレでオタンコナスな試合のことを言うんだな、きっと。プン、プン、プン。

口直しにバルサBの試合。久しぶりに日曜日の17時から始まったこの試合には、20歳にして反抗期を迎えたビクトル青年はいない。もうバルサBには戻らないという心意気を持つことと、プロの選手が約束事を守らないということは別のこと。チョット勘違いしちゃいました。まあとにかく舌出しながらでもへそ出しながらでもいいから謝っちゃえばいいんだ。謝った方が勝ち、それを許さない方は負け。いまだに反抗期が続いているオジサンからの忠告です。

さて、最近のバルサBの試合では、今シーズンからこのカテゴリーに上がってきたベルドゥという選手を見るのが楽しみ。何人かいる楽しみな選手の中にベルドゥもいると言った方が正解か。まだ19歳か20歳の選手だと思うけれど、地味な選手で若々しさがまったくないイメージを受けるのだけれど気になる選手だ。エウセビオとかセラーデスを思い起こすような選手でもある。これまで右のカリレーロをまかされてきたのだけれど、必要に応じて色々なポジションをこなしてきている。そして昨日の試合では「6番」のメディアプンタでプレーしていた。これがまたいいんだこの選手。

久しぶりに見た「ゴール・オリンピコ」。そのうち「ほんとカナ事典」に出てくるかも知れないけれど、コーナーキックからどの選手にも触らずに直接入ってしまうゴール。これがでました、ベルドゥ君からの右足から。見事な曲線を描いてゴール枠ぎりぎりに入る「ゴール・オリンピコ」はスペクタクルです。

さてさて、彼らの何人が明後日のガラタサライ戦に出るのでありましょうか。イニエスタやナノは負傷中。果たして間に合うか。試合開始が19時15分などというシラケタ時間に始まるこの試合、普通のオフィスが20時までの仕事時間だということを考えれば2万人も入ればグー。後半に入って4万というところか。いずれにしても史上最低の入場人員を記録するんでは。
(2002/11/11)


復活、「副会長」ガスパー

ガスパーがバルサの会長の器でないことは誰もが知っていること。さすがにホテル王であるだけに、交渉力に関しては人一倍の手腕をもつものの、いかんせん人物が小さい。したがって人望もそれほどないし、魅力的な人物でもない。政治力に優れるものの、いかんせん底が見えてしまう。それでも誰もが疑わないこと、それはマドリを攻撃する際の「突撃隊長」としての才だ。

突撃隊長、それは彼が副会長だったから許されてきたこと。彼は20年間にわたって史上最大の突撃隊長だった。マドリの会長がメンドーサだったりサンスだったりした時代には、それこそバルセロニスタの突撃隊長として果敢に戦ってくれた経歴を持つ。あまりにも非常識な発言を繰り返したことで、一体いくらぐらいの罰金をフットボール協会に払っただろうか。メンドーサもサンスも「熱い」人物だったからすぐ挑発に乗ったり、あるいは挑発をしてきたりしてくれた。ところが今の紳士面した会長になってからというもの、いわゆる場外乱闘のない、つまらない気取った関係の異常事態となってしまっている。それまではそれぞれのメディアを駆使してお互いを口汚く攻撃する、という正常な関係にあったというのに。つまらないと思っていた最近のマドリとバルサの関係。ところがガスパーが何を思ったか副会長時代の彼に戻ってきた。あの知性や常識のかけらもないガスパーに戻ってきた。いよいよガスパーの本領発揮だ。

まず、マドリ百周年の「世界選抜」との試合には招待されたにも関わらず出席しないと言うし、試合に招待されたプジョーも他にすることがあるので行くことはないだろうと言う。こんなことはいい大人のすることではないし、まして歴史的なクラブの会長のとる態度でもない。だが、こういう関係が正常となるのがマドリとバルサの関係であることも確か。そう、ここ2年間の異常事態がついに正常事態に戻りそうな感じではないか。しかもマドリ戦の当日にセレモニー的におこなわれる両クラブ会長同士の「昼食会」も今回は準備しないという。いいぞ、いいぞ、ますます関係が正常に戻ってきている感じだ。

あの、冷静沈着冷酷無比フロレンティーノがガスパーごときの挑発に乗るとは思えない。でもそれでもいい、一方的な空回りした戦いとなっても、それはそれで面白い。せめてクラシコ前の2週間ぐらいはお互いに正常な関係に戻った方が面白い。グランドでのスペクタクルはもちろんだか、場外乱闘でのスペクタクルも必要だ。

そしてこの場外乱闘を引き継いで、23日にはメレンゲを粉砕してしまおう。一方的に粉砕してしまおう。は〜やく、こいこい、にじゅさんにち〜。
(2002/11/08)


国の代表ねぇ〜?

それにしても、やはり国の代表選手に選ばれるということは選ばれたことのない人間には想像ができないぐらい嬉しいことなんでしょう。特に中南米の選手を見ていると、それはやはり理解に苦しむぐらい嬉しそうに見える。ブラジルの選手の「所属クラブ」はセレソンだということぐらい前からわかっていたけれど、アルゼンチンの選手にしてもそれはそれは名誉なことなんだろうと、今日のリケルメやサビオラなどのインタビューを見ていて感じる次第。

リケルメはグランドではああいう苦虫を噛みつぶしたような顔をしているけれど、記者会見場にあらわれる彼の表情はまったく違う。最初の頃こそ緊張していたのか視線をアッチャコッチャ、両手をアッチャコッチャさせ、困った顔をしながらしゃべっていたけれど、最近は笑顔とジョークの多いスタイルになってきている。そして今日のはこれまでになく満面に笑みを浮かべて代表に選ばれた喜びを語っていた。「めっちゃ嬉しいっす」こんな感じ。まあ選ばれちゃったものはしょうがないからお国のために一生懸命頑張ってきなっさい。

いつものことながら、このクラブと代表の問題はつきない。FIFAの決めている規約が具体的にどういうものか知らないから確かなことは言えないけれど、代表がおこなう正式な試合は別として、親善試合であっても年に何試合かクラブに有無を言わせず好きな選手を召集する権限があるのは前に読んだことがある。シーズンは始まったばかりだからすべての選手が自由に代表に選ばれる可能性があるのだろう。ここで一クラブの会長がいくら頑張ってもどうしようもない。特に今回みたいに同時にいろいろなところで親善試合がおこなわれる場合はどうしようもない。特別な期間におこなわれる親善試合、例えば前回のワールドカップ前のブラジルみたいにその日に彼らだけがおこなう親善試合の時はクラブと代表関係者で話し合ってゼニで解決することも可能だ。でも今回みたいにいっせいにおこなわれてしまうとクラブの意向なんてものは無視されてしまう。

そういうことは何となく納得いくけれど、どうしても納得いかないのは莫大な年俸を選手に払っているクラブに対し代表チームが一銭も「借用料」を払わないことだ。しかも負傷に関しても多くの代表チームは責任を持たない。代表の試合で負傷してもその負傷期間中の給料をクラブは払わなければならない。国家制度が続く限りこの代表チームというのは存在し続け、クラブが抱える重要な選手をいつでも持っていかれるのは終わりを見ないのだろうから「召集」はしょうがないとしよう。しかしタダっちゅうのはおかしいんじゃないかい? 国代表と名の付く試合にはまったく関心のない人間にはそう思えるのであります。
(2002/11/06)


発想の違い

そう、これは発想の違いだから、どちらが良いとか悪いとかというよりは、どちらが好きか嫌いか程度の問題だと思う。バンガールとクライフの発想の違い、それを感じたのが昨日のプジョーのポジション。

最初、何であんなところにプジョーがいるのかわからなかった。そのうちテレビの解説者が「プジョーは個人マークについている」と言って初めて理解。本来ならメンディエタの位置にいたプジョーは、相手選手次第ということであのポジションにいたわけだ。最高の選手のマークには最高の能力を持った選手を、この当たり前そうな発想を、当たり前のように否定したのがクライフだった。

相手チームの最も優秀なデランテロにはバルサの最も能力の低い選手をあてがう。これがクライフの発想だった。突然の抜擢にモチベーションが実力を上まわり、うまくいけば相手デランテロを無効にしてしまうかも知れない。でも現実的にはその選手にピッタリくっつくことで、本来の実力の80%ぐらいにさせればいい、これが目的の一つ。そして最大の目的は別のところにあった。それは自分のところの最も能力の低い選手を相手の最優秀選手にくっつけてしまえば、残りの10人の能力は相手10人の能力を上回る、そういう単純計算から来ている。もともと自分のところの11人の選手能力は相手チームのそれより優っている、そういう発想がなければこういうことはできない。

クライフバルサでの優秀なディフェンスはマークも完璧なら攻撃能力も持っていなければならない。そういう選手の能力を相手選手をマークするということだけで使い切ってはもったいない。だからできるだけ全般的な能力の低い選手をマークだけの仕事につけさせる。そうすればバルサディフェンスの優秀な選手はたいしたことのない相手選手のマークについて、余った能力を攻撃に利用できる、これが彼の発想。

自分のチームに所属する選手の能力をどのように発揮させるか。リケルメやメンディエタやプジョーの能力をどのように発揮させるか。それがバルサの監督の仕事。フットボールファンとして、というよりはバルサファンとして、バンガールの発想に疑問を持つことや納得することはあっても驚くような「常識を覆す逆転発想的」なものはない。でも、もうクライフバルサが終焉してから何年もたつというのに、彼の発想を突然思い出しては今でも驚くことがある。不思議な人でした、クライフは。もっとも、選手クライフには常に個人マークが、選手バンガールにはもちろん個人マークなんかつかなかった、そういう単純な経験から来ているかも知れないけれど。
(2002/11/04)


ダメだな、ジェオは

パラグアイの新星というふれ込みでバルサにやって来たアマリージャ。一度もプレーを見ることもなく沈没。若すぎたアマリージャ。
日本でおこなわれたジュニアーワールドカップで注目の的となったマラドーナ。どうしようもない取り巻き連中との夜遊びとケガとクラブとの不仲でバルサでつまずき、ナポリで白い粉と共に爆発。
田舎からやって来たマーク・ヒュークス青年。慣れない外国での生活によりホームシックにかかってバルサでは何の良いこともなく終わる。そしてマンチェスターでチョット爆発。
代表では素晴らしい活躍をしていたハジ。だがマドリではイマイチ。第二のラウドゥルップとしてバルサに来たものの、ケガなどの不運がありやはり不発。
ヨーロッパのマラドーナと騒がれマドリに行ったプロシネッキー。不発状態でクビになりシャトル便に乗ってバルサへ。でも彼のプレースタイルはバルサには合わずに再び不発。
東ヨーロッパからやって来たゴレアドールと騒がれ、レアル・ソシエダーで活躍したコドロ。バルサに来たものの暗い暗い毎日を送り沈没。
ヨーロッパ最優秀キーパーという称号を持ってバルサにやって来たバイア。ケガが多かったこともさることながら基本的にはプレッシャーに負け沈没。

もっともっと多くの、バルサで成功しなかった選手がいたのだろうけれど、キリがないのでこのへんでやめときます。ジョバンニやゼンデン、リトゥマネンなんていう最近に通り過ぎて行った選手もいるけれど、上の選手の誰かと同じような感じで消えていった人たち。そして彼らと同じように消えていく予感がする最近のジェオバンニ。

ジェオバンニはなぜか気に入っている選手。だから彼には成功して欲しかったなと、もう過去形で書いてしまっている。これまでバルサで成功していった選手、例えばユーロコパで注目されたシュステルがそのままバルサで期待通りに活躍したように、ユーベで沈没していたラウドゥルップがバルサで再生したように、無名のブルガリア兵だったウリストがバルサで爆発したように、そう、ジェオバンニもそんな感じで爆発して欲しかった。でもこれまでの彼のプレーを見ている限り、はっきり言ってダメだ。まったくダメ。ダメ、ダメ、ダメ。ブルッハス戦の彼のプレーを見てガッカリだ。心の広いバンガールは、それでも再び彼にチャンスをあげるだろうか。なんか、いくらチャンスをやろうが爆発しそうな気がしなくなってきた。
(2002/11/01)