2003年
9月
2004年

なんじゃ、このバランスの悪さは

宇宙からやってきた大スター軍団、と、まあ、スペインの真ん中あたりにある都市のメディアに騒ぎまくられるメレンゲチーム。その超がつくほどの破壊力を誇る攻撃陣を構成する各選手の“その日”の調子次第でバッカバッカとゴールを決める豪快さは個人的には非常に愉快なチームだ。でも後ろの方の選手を見るとなんと情けない守備陣であろうか。これほどバランスがとれていないチームも珍しい。あの超攻撃力を誇ったドリームチームだって世界に誇るディフェンス選手がいたのだ。

とは言うものの、実はまだメレンゲの試合は一試合も見たことがない。リーグ戦はおろか週中におこなわれている各クラブ親善試合リーグ戦も見たことがない。新聞の記事から想像してそう勝手に思っているだけ。でもたぶん当たっているだろう。

この“世界に誇るクラブ”と自認するメレンゲクラブ、バランスのとれていないのはチーム状況だけではない。世界一(しかし、このクラブは世界一というのが好きだなあ)の経済力を持つと自認するフロレンティーノ・ペレスがウソツキだということはわかっているけれど、それにしてもクラブ内事情はよろしくないようだ。なんたって、自分のクラブの練習場さえ持っていない世界一のクラブなんだから。二部Bのチームだって結構立派な自前の練習場を持っているというのに、この世界一のクラブは練習場さえ持っていないんだ。

これまで練習場としてきたシウダー・デポルティーボは、すでに土地ごとマドリッド市に売っちゃっている。そして先週からそこはビル工事現場となってしまった。当初新たな練習場として予定されていた“マドリディスタ夢の新シウダー・デポルティーボ”はまだ工事さえ始まっていない。始まっていないどころか、練習場として認可されるかどうかまで怪しくなってきている状態だ。これもすべて前回の地方選挙戦で社会党が勝ってしまったため、現政府与党が認めようとした“土地利用の変更”がドタバタとしてしまったからだ。結局、この世界一のクラブはスペインフットボール協会が所有する近くのグランドを年間100万ユーロで借りて、つまり賃貸し練習場を使って超スター軍団様たちが練習することになったとさ。

ああ、それにしても我らがチーム状態はひどいもんだ。メレンゲをからかってる場合じゃねえぞ、まったく、プン、プン。
(03/09/25)


チャッピー・フェレール

ひっそりと、いかにもバルサにいた頃の彼らしく、目立つことを嫌い自分がすべき仕事だけをひっそりとしかしバッチシとこなしていた彼らしく、選手生活を終える時もひっそりと身を引いたチャッピー。33歳、そう、気がついてみれば彼はもう33歳。

チャッピーはバルサの中でも大好きな選手の一人、だった。彼で思い出すのは何と言っても1991−92のシーズン。1991年の年末に大怪我をして手術をし、全治8か月と言われた彼がそのシーズンが終わるチョット前にはカンプノウに戻ってきた。8か月と言われていたのに半年弱で戻ってきた彼に対してのスタンディングオベーション、なかなかいい風景だった。リハビリを1日10時間おこなってきた強靱な彼の意思がその年におこなわれたウエンブリーの戦いにも出場することを実現したし、バルセロナオリンピックでも優勝メンバーとなることができた。

カンテラ出身の選手の多くがそうであるように、彼もまたユニフォームを汗だらけにするタイプの選手だった。例えば、ボールがラインを割るかどうかギリギリのところでも必死になってボールを追いかける選手とでも言うのか、とにかく諦めないで最後まで走りまくる選手。彼がデビューしてから2、3年後に出てくるセルジみたいに足が速く、彼がバルサを去ってから登場してくるプジョーみたいにファイト満々の選手、それがチャッピー・フェレールだった。

チビダボ遊園地というのがバルセロナの北の丘の上の頂上にある。夏は夜中の3時ぐらいまで開園していて、ある夏の日我が家全員で遊園地に出没。その遊園地の中に、50人ぐらいの人が乗り込める巨大な船ががユラユラと揺れるだけの“バイキング”という単純な乗り物があって、それに乗っていた時にチョイと後ろを振り返ったらチャッピーが座っていた。その当時ウワサになっていた彼女も一緒。

「オラー、チャッピー、元気?」
「うん、元気だよ。」
「今シーズンも頑張ってっちょ!」
「うん、ありがとう」。

これだけの簡単な挨拶だったけれど、この真夏の出来事は良い思い出です。
(03/09/22)


4試合で早くも10ポイントいただき

たとえ試合内容がどうであれ、たとえ戦い方がイタリアチックであれ、これまで3試合ぶちかまして2勝1分け、しかも2試合がアウエーの試合だということを考えると、とてつもなく美味しい7ポイント。そして明日はもちろん勝つだろうから10ポイント、う〜ん、悪くない。

いまのところ今シーズンのバルサには結果的に満足。試合内容にしても戦い方にしてもそのうちグアーイになってくるかも知れない。そう、そういうことはじゅうぶん期待できる。でも納得できないこともある。それは今シーズン加入してきた選手があまり使われていないことだ。何週間前のこのコーナーで、誰であろうと獲得した選手は使って欲しいということを書いたけれど残念ながらそれが実現していない。ここ何シーズンにわたって起きたことと同じことが起きてしまっている。

チキ・ルセー・ライカー・クライフチームが構想した補強選手は、バレンシアグループだということはもう知られている事実。つまりアヤラ、アルベルダ、そしてアイマール。だが資金的な問題か、あるいは何か裏があってのことか、やって来たのはロナルディーニョとマルケス、マリオ、クアレスマ、ジオ、ルイス・ガルシア、そして会長選挙中にすでに決まっていたルストゥ。

フラン・ライカーがこれまで使ってきた選手はロナルディーニョとジオだけだ。エチェベリアを欲しがっていたライカーにはクアレスマはまだ青すぎるしプレーが軽すぎる。マルケスは故障がちでリズムが掴めていないうえに、レイジゲルには絶大の信頼を持つライカー。マリオはまだどこの馬の骨かもわからない。ルイス・ガルシアはズーと負傷中だったから参考の対象ともならない。ルストゥに至っては負傷前から起用されていない。もちろんジオはよく知っている選手だからオスカー・ロペスよりは信頼できる。

いわゆる外国人選手というのは、サビオラとロナルディーニョの二人しか出ていないのに、なんでまたロマンが外国人選手オーバーブッキング問題で追い出されなきゃならないのだ、とはもう言わないけれど、でもせっかく獲得した選手はグランドにださなきゃ。国王杯という、とりあえずローカル試合となる大会での楽しみはこういう選手たちが日干しという意味でもいいから出てくることだな。
(03/09/19)


コピート・デ・ニエベ

ついこの間の日曜日にバルセロナ動物園の園長さんが記者会見を開いてショッキングな発言。
「1週間、あるいは2週間、もって3、4週間、コピート・デ・ニエベの寿命はそんなものとなっている。」

まるで雪のように白いところから付けられた名前がコピート・デ・ニエベ、それがバルセロナの動物園に長い間住み続けている白ゴリラ。彼は今から約40年前にカメルーンで発見されてバルセロナの動物園に連れて来られたそうだ。当時まだ2、3歳という年齢のようで、そうするとすでに42、3歳前後ということになり、人間の年齢に当てはめると80歳を越えるという。もっとも野生に住むゴリラはこんなに長生きしないそうで、オンナにもメシにもカネにも、何にも不自由しない動物園で生活したからこれほど長生きしたのだそうだ。

2年前に発見された皮膚ガンがもうどうしようもない状態だという。これまでゴリラには皮膚ガンという例がないらしく、彼が白子ゴリラという世界で一匹しか例を見ない特殊なゴリラだから皮膚ガンに病んでしまったのではないか、という推測もされている。いずれにしても手術などをしたら痛みが激しすぎるし、助かる可能性もほとんどないという。

動物園の園長さんがわざわざ記者会見まで開いてコピート・デ・ニエベの状態を語ったのは、このゴリラがバルセロナ市民の“象徴”とまではいかなくても、バルセロナ市民と密接な関係にあったからだ。人が危篤状態になったときに、お医者さんが「会わせたい方がいたら早めに連絡を」というのと同じで、とにかくいち早くバルセロナ市民に知らせる義務を感じたからだという。

彼にはこれまで3人の奥さんがいたようで、産まれてきた子供は22匹の普通のゴリラ。彼のような、いわゆる白子ゴリラは決して誕生することなく生涯を終えることになる。息をひきとった後は火葬され埋葬されるのは動物園で死亡した普通の動物と同じ。ただ彼の場合は長い間にわたってバルセロナ市民に愛されていたことから、銅像を建てるべきだ、いや通りに彼の名前を付けるべきだ、そういう討論がいまおこなわれている。でも、まだ死んでないっちゅうの。
(03/09/18)


チョット違うんだな

どうしてこの人たちはこんなに早く、しかもかなりうまく、外国語であるカステジャーノをしゃべれるようになるんだろうか。フラン・ライカーは1年弱サラゴサにいたことあるしイタリア語はもちろん堪能、ロナルディーニョはポルトガル語を母国語とする人だけれど、それにしても彼らのしゃべりっぷりは見事なもんだ。ロナルディーニョがバルセロナに来た何週間前のコメントはポルトガル語なまりのカステジャーノというよりはポルトガル語そのものだった。フラン・ライカーがおこなった最初の記者会見では英語でやっていた。語学能力は人それぞれだと思うけれど、子供の頃に映画で見たインディアンみたいに単語を並べるだけのしゃべり方をするオーベルマルスとは対称的な二人だ。

25年間バルサが守ってきた“政治的な中立”というモットーを明らかに越えようとしているラポルタ新会長。ナショナリズムを高々と掲げ、どこへ顔をだしてもそのことを強調している。
「バルサはクラブの根源となるカタラナニズムに戻らなければならない。我々のバックにはカタルーニャという国が控え、そして何百万人のカタラン人が応援するクラブだ。我々の基本言語はカタラン語としなければならない。」

バルサがカタルーニャのクラブであることは誰しもが認めることであり、カタルーニャ国家の誇りとなっていることも間違いないこと。だがクラブを支えているのはカタラン人バルセロニスタだけではなく、スペインのあらゆる地方に住むバルセロニスタや世界各国から応援するバルセロニスタによって支えられていることをこの人は認識していない。いや、知識としては認識していると思うけれど、その認識が甘いと言った方が良いかも知れない。ラポルタはいずれ政治家に、それもナショナリズム政党の政治家になる人だろうと思う。

その彼が“バルサファンクラブの集い”に集まってきた300近いファンクラブの人を前にしてカタラン語で挨拶している。スペイン各地や世界各国から集まってきたバルセロニスタを前にしてカタラン語でしゃべっている。メッセージを伝えるための挨拶にも関わらず、彼が語った内容を理解できないバルセロニスタが多くいたことは想像できる。もちろんこの集会後、多くのセクションから彼に批判があった。言語はコミュニケーションする道具であるということをこの人は忘れている。ああ、イヤだな〜、こういうカタランバカは。
(03/09/16)


バルサカンテラ最新の宝石

「ゴールを奪うことがボクの仕事。もしそれがうまくいかないときはイライラするんだ、自分に対してね。でもゴールは自分だけの力で生まれるものじゃない。チームが一つになったときに生まれるものなんだ。」
これが今年12歳になるバルサカンテラ最新の宝石ボージャン・クルキック君のお言葉だ。

彼の名前を初めて聞いたのは2年前。ヤゴが話題になったときにヤゴからのパスをよくゴールしている選手がテレビに写されていた。それがボージャンという名前だった。

一番下のカテゴリーであるベンジャミンカテゴリーで226ゴール、アレビンBで69ゴール、アレビンAで92ゴール、そして昨シーズンはインファンティルBで36ゴール、バルサカンテラのすべての記録を塗りかえたボージャンはこれまで合計で423ゴールを決めている。そしてこれらの423ゴールの思いではすべて彼のノートに記録として残されているという。ゴールの感触を忘れないために、ゴールするごとにその夜にノートをつけるボージャン。

お母さんはプジョーの生まれ故郷であるレイダ県の人、そしてお父さんは元レッド・スターの選手だったというユーゴスラビア人。ボージャンのアイドルは二人、一人はパトリック・クルイベル、そしてもう一人はカルラス・プジョー。クルイベルはデランテロとしての見本となる選手であり、多くの批判がありながらもヨーロッパ最高のデランテロだと思っているという。そしてプジョーはカンテラの鏡であり、将来は彼のようにバルサエスクードを肌に染みこませてグランドを走り回る選手になりたいから、なそうな。パトリックのようなデランテロセンスを持ち、カルラスのようなハートを持った選手、これは凄いぞ。

この最新の宝石を見つけたのは誰か、そう、それはもちろん、今は亡きオリオル・トルトさんだ。彼が生前に見つけた最後の宝石だ。
(03/09/13)


天才ヨハン・クライフ

昨シーズンまで何の因縁かマルカ紙のコラムニストに化けていたフットボール界のご意見番ヨハン・クライフが、今シーズンからカタルーニャ紙のラ・バンガルディアのコメンタリスタとなっている。マルカと同じように毎週1回のコラムを書いている、というよりは口実筆記というのが正解だろうけれど、とにかくもう2回めが終わっている。

もうずいぶん前からウワサされていた彼の“コラム移籍”だけれど、面白そうだったら紹介しようと思っていた。が、チットモ面白くないから辞めた。

そもそも天才というのは自己批判をする能力がないのか、あるいはよほど無神経にできているのか、それともとてつもなく図々しくできているのか、かつての己と同じことをしている人々を、さも非常識ここにありとばかり批判する非常識さを持っているようだ。もちろんそれは今に限ったことではなく、監督をやめフットボールの現場を離れてフットボール界のご意見番となってからの彼はいつもそうだ。

例えば、レアル・マドリのことに触れているクライフ。イエロやボスケがへんな形でクラブを去っていったことをクラブの責任として批判するご意見番。マドリにいい選手が入団してくるのはクラブの環境が素晴らしく、前に所属していたクラブより働きやすいからいい選手が来るというご意見番。バカいっちゃあいけないよ本当に。スビサレッタやサリーナスやエウセビオやゴイコや、その他多くの選手をイエロと同じように追い出したのは現在ご意見番その人だ。フットボールの世界に同情心などは存在してはいけないとして彼らの放出を正当化したのは現在ご意見番その人だ。しかもペセテロがマドリに行ったのは、バルサよりアッチの方が働きやすいからとでも思っているのだろうか。

フットボール史にゴシック文字で名前が残るこの方のご意見は貴重なものが多いけれど、彼がバルサでしてきた8年間のことを知っている人にはすぐにばれてしまうようなことを平気でコラムっちゃう。それでもこの人の人気貯金箱はいっぱいに詰まっているからそんなことを批判するメディアは存在しない。天才はトクだ。
(03/09/12)


歴史は繰り返す、っちゅうやつですか

アーセナルに持って行かれてしまったセスクに関する話題はいまだに終わりを見ていないようだ。来週にでもサンドロ・ルセーがロンドンに行きアーセナルの首脳陣と話し合いにはいるという。親の引っ越しによる“住所変更”が今度の移籍のキーポイントとなっているけれど、その肝心の両親の引っ越しはまだなされていない。FIFA調停に持ち込む前に、まずアーセナルの言い訳を聞いてやろうということだ。

でも、まあ、それは何らかの解決を見ることになるのだろうとして“セスク事件”にはもっと面白い話しがある。

アーセナルの指令を受けてスペインとポルトガルの若い選手たちをスカウトするフランシス・カヒガール氏。彼は4年前にもナノに声をかけ、もうチョットのところでロンドンに誘惑することに成功しそうになった。そして今回は今年の春頃からセスクを追っかけ、彼の成長ぶりを逐一ロンドンに報告を送っていたという。

面白いのはこの人は若いときはバルサBの選手だったということだ。1988−89シーズンにバルサBでデランテロとしてプレーし、9試合に出場して0ゴール。このシーズンのみでサヨナラとなっている。ところがもっと面白いのは彼がどうやってバルサに来たかということだ。

当時のバルサのイングランド方面スカウトが「アーセナルの下部組織で活躍している一人の選手をとるべし」という報告をクラブ事務所に何回も送っていたという。そしてゴーサインをだしたバルサは、イングランド生まれでありながらスペイン人の両親を持つその未成年の選手を“両親の引っ越し=住所変更=タダで移籍”という方程式を使ってバルセロナに連れてきてしまった。その連れられて来てしまった坊やが、今回セスクを誘拐したフランシス氏だという。笑っちゃうね。
(03/09/07)


スペイン・イズ・ディフェレンス

24時05分、こんな時間に始まるフットボールの試合なんて世界の常識では考えられないだろうな。だいたい、こんな時間に試合をしても人が来るわきゃないし、来ることができても帰るのが大変だ。しかも“普通”の人ならそろそろ寝るっかいっちゅう時間。でもここはピレネー山脈を越えた“スペイン・イズ・ディフェレンス”のお国なのだ、そう、何でもありのスペインなのだ。

もちろんこんな時間に試合をやるというのは非常手段であって、バルサとしては少しでも各国代表選手を引き止められるという読みがあったからだ。同じような問題を抱えているメレンゲはビジャレアルの現監督にして元メレンゲ監督のベニート・フローロにお願いしてアウエーの試合でありながら火曜日にしてもらった。だがセビージャの会長は転んでもただでは起きない、というよりもただでは転ばないことで有名なやり手弁護士。彼らにしてはアウエーの試合でありながら、ホームのバルサがお願いしても水曜日試合を主張してきた。地元では地元クラブが好きな時間に試合開始時間が決められるルールがあるが、それを武器にバルサが“意地”を見せた、というところか。それにしてもこの試合時間をフットボール協会が認めちゃうところもまた凄い。

まだ9月だから空が暗くなり始めるのは9時頃。普通の家庭では夕食時間が10時とか11時、つまり日が暗くなってから1時間か2時間たってからの夕食。だからメシ喰ってからボツボツとカンプノウを目指してでかければちょうどいい感じ。でも問題は週末の試合じゃなくて平日の試合ということだ。明日というか今日は仕事や学校がある平日の試合。したがって、6万も入ったら大成功じゃないだろうか、もし雨が降らなければの話しだけれど。

最終的にオランダ勢は不参加、サビオラはとっくにアルゼンチンに帰っている。したがってロナルディーニョとクアレスマ、そして控えポルテロのルストゥだけが出場できることになった。でも誰が出られるようになって誰がダメになったということはもう二の次だ。バルサとして“意地”を見せる試合、何だかよくわからないけれどそういうことらしいから、雨さえ降らなければ行くベシ! 少なくともグランビア通り576から出撃予定は総勢19名。雨が降ったら17名。バルセロニスタの意地を見せてやろう。
(03/09/02)