2003年
2004年
2月

コイツがすべての元凶

審判技術審議会とでも訳すのか、スペインフットボール協会内に存在するセクションであり、審判のテクニックの向上を図る目的で生まれた“正式”な組織がある。そのボスが何とディアス・ベガだと最近知った。あのディアス・ベガ、クライフとは犬猿の仲でありいつぞやのクラシコの試合後に醜い論争を展開したことでも有名だ。クラシコでとんでもない笛を吹いたディアス・ベガに対し「ジュニアークラスの試合にも役にたたない審判」とクライフが決めつければ、それを受けて「マドリ戦となると彼はなんでいつもチビッタ戦い方をするのか」と反撃したディアス・ベガ。ベルナベウでのマドリ戦とかカップ戦の決勝戦とかトヨタカップあたりでも確かによそ行きのつまらない試合をしていたのは確かだけれど、そんなことは審判であるお前なんぞに言われとうはない。審判が監督のやり方にイチャモンをつけるのはお門違いというもんだ。

そしてこのお門違い野郎が審判技術審議会の公式声明としてあれをペナルティーだと認めている。それも「明らかなペナルティー」としている。ビデオなんぞは1回見るだけで明らかなペナルティーだということがわかったという。もちろんマドリ・バレンシア戦の“歴史的”なペナルティーのことだ。

この審判技術審議会がスペインリーグに所属するすべての審判を招集して正式声明をだそうとして失敗に終わった。審判の中でも意見が分かれてしまったからだ。今では審判ご意見番の一人であるロペス・ニエットでさえあれはペナルティーではないと言っているぐらいお茶目なペナルティーだからして、多くの現役審判にしてもあれをペナルティーと認識されてしまうと今後の試合がやりにくてしょうがないと思ったのだろう。何がやりにくいかって、あれをペナルティーとしてしまうと、これからコーナーキックのたびに少なくても3回のペナルティーを吹かなければならなくなってしまう。一度のコーナーキックで3回のペナルティーは不可能だけど、7回コーナーキックがあったら7回はペナルティーがあることになる。するってえーと、コーナーキックを獲得した方のチームが勝負に勝つということになってしまう。

トリスタンテ・オリバ、この方が今度はコルーニャ戦にしゃしゃり出てくるそうな。つい4、5日前におこなわれていた審判の体力測定で、この人、余程あの試合のことがまだ気になっていたのか、あるいは余程体力がないのか、1500m走行の後に気分が悪くなってぶっ倒れてゲーゲーやっているのがニュースで流れていたけれど、本当にだいじょうぶなんですかねえこの審判?

だがこんなヘボ審判のことよりディアス・ベガだ。コイツがすべての元凶と見た。もともと大きっらいな野郎だったけれど、現役引退した後もメディアにしゃしゃりでたがりオヤジとなっているのも気にくわない。バルセロニスタにとって気にくわない笛が吹かれたら、そう、責任はすべてこのディアス・ベガにあると認識すべし。
(04/02/26)


バルサ100年史あとがき

2001年3月から始まった100年史、先のことなどナ〜ンにも考えずカル〜イ気持ちでスタートし、果たして何回で終わるのか、どのくらいの時間がかかるのか、本当に100年史となるのかどうか、そういうことがいつまでたってもはっきりしない無計画コラムが、どうにかこうにか3年かかって終わりをみました。100周年を迎えるバンガールの時代に入り、ヨロヨロとしながらゴールに突入です。

この日本語によるバルサ100年史が完成するには多くのカステジャーノで書かれているバルサ歴史書や雑誌が必要でしたが、何といっても一番役にたったのは元クラブ関係者が出版していた“FC.バルセロナの歴史”というシリーズ本。そして個人的には一番気に入っていたジミー・バーンズというイギリス人が書いた“Barca: la pasion de un pueblo”という本。これはたぶん日本語訳されていないだろうけれど、バルサに関するものの中では抜きんでた名著でもあります。もちろん英語版は出版されているので、興味がある人には是非ともお勧め。もっとも、チキートの100年史で充分だろうけれどね。
(04/02/24)


バルサに正しい副会長誕生

セビージャとの国王敗戦前半に、“アンタッチャブル”ジダーンがスペインに来て初めて退場になったことに怒り心頭興奮状態となったマドリ何にもしないディレクターのホルヘ・バルダーノ。年俸200万ユーロももらっている立場上こういうときにこそ何かをしなければ、そう考えたのか、とにかく彼の足は審判控え室に向かってしまった。ここで一つ、マドリ・ディレクターの権威を示してやろう、そうも考えたのだろう。
「お前ら、誰を相手にしているのかわかっているんか?」
柔らかく表現するとこういうことをおしゃべりになったらしい。

アルゼンチン独裁政権に反対はしたものの行動的にはいっさい何もしなかったというインチキゲンチャーでもある彼は、おっと、いけないことをしてしまった、と、そのぐらいは気がついたのだろう。
「普段の自分では考えられない、とても誉められた行動とは言えなかった」
としながらも反省はしていないという。スペインに長く住みついちゃった人の典型的な発言だ。いずれにしても彼の愚かな行為に対して罰金2千ユーロが言い渡されている。

審判がバルダーノの恫喝にビビッてしまったのか、後半に入ってすぐにセビージャの選手が退場となっている。試合を見ていないから何とも言えないけれど、まあ、よくありそうな話しだ。セビージャの選手やアンダルシアのメディアによれば、後半の審判の態度は非常に神経質でひどいものだったという。そしてそれから間もなく例のピノキオ・ペナルティー事件だ。罰金2千ユーロで後半の審判を“買える”なら安いものだと思っていたけれど、次の試合にまで効果があるんなら超安い額だ。

ジョアン・ラポルタは「審判は公平であり、リーグ戦が終了してみれば各チームに平均して損得勘定がいく」と超一般的な発言をしている。でも同じ日にサンドロ・ルセーは「アスナールは一国の首相であるにも関わらず、いつも同じスタディアムに来ているのはおかしくないか。ここら辺からして何か臭って来るというもんだ」と語っている。そう、副会長はこうじゃなくちゃあいけない。会長は一般受けするためにひたすらお上品に、副会長はファン受けするために“攻撃隊長”となるのが理想的。

22年間続いたヌニェス会長には、ガスパーという名副会長がいたからこそ彼は長期政権を続けることができたと思っている。ところが、ガスパー会長の悲劇は彼が副会長の役目までしなければならなかったことであり、更なる悲劇は彼は会長の器ではなく“突撃隊長”としての副会長職のみに才があった人だったことだ。まあ、それはいいとして、ラポルタにはいい副会長がいるとみたぞ。
(04/02/18)


ダニ

バルサに在籍していた選手が何らかの理由でクラブを去っていくのを見るのは決して楽しいことじゃあない。それぞれの選手にそれぞれ思い入れみたいのがあるから、次のクラブでは頑張って欲しいとも思う。でも、ダニにはそんな感情は一切なしだ。この選手には思い入れはまったくない。

日本円にして年俸3億もらっている選手が、クラブを相手に“労働条件改善”を訴えて裁判沙汰にしていた。合同練習に参加する“権利”を剥奪されたことや、背番号を与えられないことにより試合に出場する“権利”も奪われたという。ボナノやエンケも同じような境遇に置かれていたが、それでも彼らは黙々と練習し、冬のマーケットが可能にしてくれるであろうバルサ以外のクラブでのプレーチャンスを待っていた。結果的には不満を吐こうが吐くまいが、皆にそれぞれチャンスが与えらたことになる。ダニはサラゴサに、ボナノはムルシアに、そしてエンケはテネリフェに。

今シーズンのプレステージの段階で、すでにダニは現監督の計算外選手であることが伝えられている。アメリカ遠征から帰ってきたときにそれはすでに伝えられている。そして彼にはいくつかのオファーが来ていた。それでもダニはバルサに残ることを決意する。バルサとはまだ2年間の契約が残っているし、何もしなくても2年間で6億入ってくる。もちろんどこのクラブもこんな年俸は彼に支払えないからして、彼に来たオファーはもっと低い年俸のものだ。プレーすることを選ぶか、あるいは現在の年俸を確保することを選ぶか、それはプロの選手として覚悟を決めて選べばいいことで、他人がどうこう言うことじゃあない。ダニはゼニを選んだ。ゼニを選んだんだったら、ガタガタ“労働条件”云々などと抜かすんじゃあねえ。

サラゴサへ行く前にバルサを“友好的”に去る彼は、今シーズンの年俸をしっかりと懐に入れてサヨナラしている。それだけじゃあなく“契約違約金”として100万ユーロもお財布にいれてサヨナラしている。そしてさらに当然の事ながらサラゴサからも半シーズン分のゼニをもらっている。こんな選手にとてもじゃあないがブエナ・スエルテなんてことは言えない。

カンプノウにサラゴサの選手として戻ってきても、これまで多くの“元バルサ選手”に与えたような拍手はしないのだ。ブーイングもする必要はないだろうから無視、無視、無視が一番良い。それでも彼にチャンスがないわけじゃあない。暖かいパラパラ拍手を受けるチャンスがないわけじゃあない。第2のベルナベウ・モンジュイクでの国王杯決勝戦、この試合でカンテラ選手として育ててくれたかつてのクラブに対し優勝につながるゴールを決めれば、そう、そうしたら少しはみんなに気にしてもらえるかも知れない。だから、この試合だけには、ブエナ・スエルテ、ダニ君、頑張ってちょ。
(04/02/13)


頑張れフラン・ライカー監督

我らがフラン・ライカー監督の契約期間は4シーズン。厳密に言えば2シーズン+2シーズンという内容になっている。最初の2シーズンが終わった段階でクラブ側と監督側の合意があれば自動的にもう2シーズン追加という意味。したがってどちらかが「これで終わり」という意思表示をすれば、残りのシーズンの契約は抹消されることになる。なぜ4ではなく2+2=4という足し算にしたのか、それは契約期間中にクビを切る場合の賠償金問題が絡んでくるからだ。

この賠償金の支払い内容が最近になって発表されたけれど、これがなかなか意味深。例えば、最初のシーズン中にクビにした場合、つまり今シーズンが終わるのを待たずにサヨナラさせた場合、クラブ側は4年間の総額年俸を支払う義務があるというもの。ただし、シーズンが終了し「1年間だけでしたがご苦労さんでした」とクラブ側がフラン・ライカーに伝えたとすると、2シーズン目の年俸だけを支払えば済むことになる。そして2シーズン目の途中で更迭した場合、そのシーズンの年俸+100万ユーロの賠償金だけで済んでしまう。もっとも、どのシーズンの途中であろうとも監督自らが“辞任”を申し出た場合は、その時点までの給料しか支払われない。それはまあ、当然と言えば当然の話し。

したがって経済的問題を考えればラポルタは今シーズンの途中でフラン・ライカーのクビを切るなんてことはできない。クーマンを獲得するのに“移籍金”を渋ったラポルタだ。監督なんぞにデカイ資金を投入する気なんかない。クラブの大事な資金はひたすらメディア的クラック選手を獲得するものとして理解している。

いずれにしてもフラン・ライカー続投は良い結果をだしている。国王杯に負けたあとにクラブ首脳陣が色々な監督と接触していたことはメディアにすっぱぬかれていたし、もしアルバセテやオサスナに負けていたら“ケッカ・オー・ライカー日記”も終わりをみていたに違いない。ロブソン時代じゃあないんだから、結果さえだしていけばメディアが何と騒ごうがバルセロニスタは平静だし、セラ・フェレールやレシャック時代でもないから4位以内に入れば拍手で迎えられる監督だ。こんな幸せな境遇で監督を務められる人は珍しいんだぜ、さあ、頑張ってみよう。
(04/02/11)


ペセテロの様子がおかしい

この人を理解するのはなかなか簡単なことじゃない。10代の時から二重契約問題でいくつかのクラブやフットボール協会と揉めた経験を持っている選手のことだからして、何を語ろうが腹の中では何を思っているのかを探るのは困難な作業だ。口ではきれい事を言っておきながら、影で代理人と組んでゴチャゴチャやるのがこの人の趣味みたいなもんだし。

彼のおかげで会長になれたものの、もう役目を果たした30歳過ぎのペセテロはそろそろ売り時、そうフロレンティーノが考えても不思議じゃない。今年の夏ならまだこの商品には美味しい値段が付けられるかも知れない、が、来年の夏じゃあ遅すぎる、そうフロレンティーノが考えるのは自然なことだ。

不思議なのはペセテロがマドリッドのラジオ番組で次のように語ることだ。
「ベルナベウの観客は要求が厳しい。バルサ時代にカンプノウでブーイングを受けたことはないし、自分以外の選手にも暖かい拍手さえあれブーイングなどされたことはなかった。バルサではエストレーモ選手だったからへたすりゃ80分間キンタマ(直訳です、すいません)いじっていて、ほんの10分間の真剣勝負という試合が多かった。それでも彼らはフットボールに詳しい人々だったから、自分の役割をちゃんと理解してくれて拍手をしてくれるファンだった。だがベルナベウではセントロカンピスタとしてほぼ90分間走り回っているのに、それでさえ自分の仕事を正しく評価されていないと感じている。」

カタランメディアとのインタビューはペセテロと改名してからこの三年間一度もおこなっていないが、マドリメディアとも今シーズンに入ってから半年近く接触を避けてきていた。それがここ3、4日、ラジオ番組にはよく顔を出すし、プレスの質問にもよく答えている。どうも様子がおかしい最近のペセテロ。

「バルサ時代の方が同僚選手との接触機会が圧倒的に多かった。どういうわけか奥さん同士が気があったこともあって、夫婦揃っての食事会なんかでしょっちゅう同僚と一緒だった。でもマドリではそういうことがないね。バルセロナは海があるし気候もいいから現役引退後にあちらで住むことはあっても、マドリッドに残ることはないだろう。」
もう、ここまで言われると頭の中が混乱。あれだけカンプノウでブーイングを受けながらも、そして子豚の頭まで投げられながらも、ひょっとしたらまだまだバルセロニスタの努力不足だったということか?
(04/02/06)


エスペリアホテル騒動判決

もう2年前の話しだから覚えていない人もいるかも知れない。2002年1月19日、ラージョとの試合の前日マドリッドにあるにエスペリアホテルというところでバルサの選手がランチキパーティーを開いたというすっぱ抜き記事が発表された。そのニュースを“特に関心を持って”発表したのがマドリッド州の地方テレビ局であるテレ・マドリ、そしてミカノ・コムというウエッブページだ。特に後者の方はバルサの選手の実名まで発表してしまった。当時の詳しいことが2001年1月のこのコーナーに掲載されている。

ミカノ・コムが発表した5人の選手、それはこの手の話となると常連さんのクルイベル以外にコクー、ジェラール、ダニ、そしてガブリ。彼らはもちろんそのパーティーのことを否定し、裁判沙汰にすることを表明。そして2年たった今、ようやく判決が下りたことになる。

「テレ・マドリとミカノ・コムは各選手に一人ずつ120万ユーロの謝罪金を払うベシ!」

この忘れかけていた騒動を思い出させてくれたのはここ2年間で2、3回あったかどうか。裁判の進行具合がメディアに2、3行という情けない量で触れられたときのみだ。訴えられたテレ・マドリとミカノ・コムは彼らの“スクープ”を証明する具体的証拠をいっさい提出しなかった。というか、提出できなかった。テレ・マドリのディレクターである白・ロペスなどは「必要とあるなら彼らの相手をした女性のパンティーまで持ってきてやる」なんてテレビ討論会でほざいていたくせに、証拠物品は何も提出できなかった。つまり、そんなものはもともと何もなかったのか、あるいは女房にプレゼントしちゃったか、どっちかだ。

ラージョとの大事な試合前にこんなことが発表されたバルサは、いかにも集中力ゼロという感じでこの試合に負けてしまう。そして翌週のカンプノウでおこなわれた試合なんかでは、そういうニュースを信じることが好きなアホバルセロニスタによってクルービーに対してどでかいブーイングまで登場するハメとなってしまった。

この騒動はアンチバルサのメディアが流したものだから、その構図は単純でわかりやすい。でも今のバルサが複雑なのは、例えばクルービーの練習遅刻酔っぱらい騒動が、どうやらクラブ内部から流されていることだ。このへんが、いつものことと言うべきか何というべきか、タチが悪い話しだのお〜。
(04/02/03)