2003年
2004年
3月

ヌニュスの遺産が・・・まだあった

ヌニュスが会長をしていた時代に残していってくれた遺産、それはナイキとの、今では考えられない額の長期にわたる契約であり、そしてテレビ放映権の、これまた今では考えられない額の美味しい契約。皮肉なもので、その彼の残していってくれた遺産が、当時、ヌニュスを糾弾して止まなかった野党組織“エレファント・ブラウ”の親分だったラポルタ現バルサ会長を経済的に救うことになる。そして、またまた出現したヌニュスの遺産。

それは彼が会長を辞任する4年ぐらい前に購入していたカン・リガーと呼ばれる地域にある土地。グランドが4つ程度作れるこの土地をヌニュスが購入したのは、将来、今あるマシア寮が狭くなるだろうし、練習場もさらに必要となると考えたからだ。しかもこのカン・リガーにはマシア寮に似た古いお城みたいなものが建っていて、それを改造して第二のマシア寮にしようとしたからだ。だが彼の会長時代にそれが実現しなかったのは、サン・ジョアン・デスピという土地に現在建築中のバルサ・シウダー・デポルティーボの方が遙かに広く総合施設の建設が可能となったからだ。しかもカン・リガーでは近接住民の反対運動もあったようだ。

というわけで“忘れられた土地”となっていたカン・リガー。ところがつい最近、オスピタレ・デ・ジョブレガーという、カン・リガーが位置する市の市長さんがこの土地を買い取る意志があることをクラブに通告してきている。もちろんバルサにとっては依存はない。ヌニュスが買い取った時の購入値段が120万ユーロ、そして現在の評定最低価格が何と2400万ユーロ、算数に弱い人が計算しても強い人が計算しても20倍以上となっているじゃないかい。

もっとも、今すぐ資金が入ってくるというものでもないらしい。土地をならしてビルを建設してからのことになるらしい。それでもこの金額をよく見てみれば、今シーズンラポルタがやったソシオの年会費値上げ分と1千万ユーロとかいう捕らぬタヌキの皮算用ユニ広告代金を足しても、まだおつりがくる数字だよ。この収入が見込めるのがもっと早くわかっていたら、ソシオ年会費もユニ広告もナカッタ話しになったのだろうか。

ラポルタの本業は弁護士、ヌニュスは土建屋の大親分。弁護士がチマチマやる金儲け案より土建屋の大親分が考えることの方が単純にしてしかもスケールが大きいのお。
(04/03/27)


バルサとクラック

ストイチコフ、フィーゴ、ラウドゥルップ、ロナルド、リバルドなどがバルサにやって来たとき、彼らは無名の選手ではなかったとはいえ、間違ってもクラックと呼ばれる選手ではなかった。しかも多くのソシオにとってストイチコフやラウドゥルップ、フィーゴなど知らない存在の選手でもあったように思う。そしてクーマンやロマリオなどはすでにフットボール界に名を売ってはいたが、世界的なクラックとは呼ばれていない選手だった。ロナルディーニョにしても同じようなものだろう。少なくてもPSGに在籍している頃にはバロン・デ・オロ候補ではなかったはず、だと思う。

彼らのバルサでの大活躍は、結果的に世界的な規模での注目を浴びることになる。フランスやオランダの何とかチームやブルガリアのナントカチームで同じような活躍を見せたとしても、それとバルサというクラブでの活躍に対するメディアの対応は大いに異なることになる。したがって世界的な規模での注目の仕方も当然ながらスケールに違いがやって来る。クラック選手がバルサを大きくするのではなく、バルサがクラック選手を大きくする、それが歴史的な傾向だ。

だから、個人的な好みは別として、いつの季節にも噂としてのぼってくる選手にそれほど興味がわかない。彼らがバルサをさらに偉大にするのではなく、バルサが彼らを偉大な選手にするわけだから、プロの目から見た“正しい”補強作戦による“正しい”選手が来てくれればいいだけの話しだと思う。

レアル・マドリというクラブにおける選手との歴史的関係は知らないけれど、フロレンティーノが会長になってからの傾向は明らかだ。ベッカムやロナルドやジダーンがマドリを大きくすることはあっても、クラブが彼らを偉大にするというわけではない。もうすでにクラックと呼ばれてから入団してきた彼らをクラブはさらに偉大にするわけではない。せいぜい平行線か、あるいは下降線を行くクラック選手たち、だと思う。

ロナルディーニョがバルサに入団してきたとき、これほどの活躍を予想した人は少ないだろう。それは彼に限ったことではなく、ストイチコフを初めとする上にあげた選手らが来たときも同じようなものだった。バルサというクラブが彼らを偉大にしている、これ、間違いない、と思う。
(04/03/24)


相変わらずパトリック

先日、バルサ医師団の親分がクルービーの負傷が長引いているのは、もともと医師団の読みが甘かったというようなことを言っていた。つまり全治2週間から3週間というリハビリ期間を想定した医師団だが、実際はもっと重傷だったというような意味として受け取ればいいのだろう、よくわからんけれど。

いくら専門家とはいえ、こんな子供だましみたいな話をしてはいけません。負傷してから4週間後とか5週間後にそういうことを表明するというのならまだしも、もう8週間も過ぎているこの段階でこんな医師団の説明を信じるほどバルセロニスタはアマちゃんじゃないし、この異常なほどの長引きの原因はチョット違うことろにあるんじゃないかと思うのが普通であります。何たって主役はパトリックなわけですから。じゃあ本当の原因は何なのか、そんなことは外部の人間にはわからないし、わかったとしても想像の域をでない。

相変わらずパトリックだからして、楽しい噂だけは事欠かない。2月のカーニバル時期にシッチェスのカーニバルパーティで大騒ぎしている彼を目撃したというジャーナリストもいるし、今月の最初にロンドンに私用で行った彼が朝方までパーティーに参加していたのを目撃したという人まででてきている。全治2〜3週間の負傷だったものがこんなに長引いている原因の一つは、リハビリ期間中に再び負傷箇所が悪化したからだということは医師団はもうずいぶん前に認めているからして、その悪化をなぜ招いてしまったかは別として、とにかくゴムのように回復・悪化を繰り返しているんだろう。夜遊びが過ぎたのか、あるいは走り込みをし過ぎたのか、そこまでは当人しかわからない。そしてその当人はこれまで黙秘を決め込んでいるからして、いまだに理由がはっきりしない。

でもまあ理由はどうでもいい、と思う自分みたいな人間もいれば、これだからヤツはダメなんだとカンプノウでピーピーと騒ぎまくるファンもいるだろう。それでも復活してきて貴重なゴール(ここが重要なところ。どうでもいいゴールではこれまでの彼と同じ)さえ決めてくれれば、どうでもいい批判は消えてしまう。この人やオーベルが来シーズンもいるとはとても思えないけれど、それでもバルサのユニを着ている間はパッパパッパと活躍してくれるといい。30ゴールの約束をしてそれを果たしたロマリオのディスコ通いを誰も批判しなかったように、グランドの中で頑張ってくれればいいのだよ。
(04/03/21)


スペイン初のバルセロニスタ首相誕生

スペインにとって初と言うことは、当然ながらバルサにとっても時の首相がバルセロニスタであるということは初めてのことだ。

スペインの首都は誰もが知るようにマドリッドであり、国会ももちろん首都におかれている。地方から集まる議員さんたちが己の地方のクラブを応援するのはこの国では当たり前だからして、バレンシア出身の議員がバレンシアニスタであったり、ラス・パルマス出身の議員がピオピオであっても、そしてセビージャから来たフェリッペ・ゴンサレスがベティコ宣言をしたときも何の問題にもならなかったし、アスナールがメレンゲ宣言をしてもそれはそれで当然のことだ。それでもカタルーニャ州出身以外の議員がバルセロニスタ宣言をしてしまうと、それはチョイとニュースとなってしまう。

それをしてしまったのが2年前にカンプノウに観戦にやって来たホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロだ。リバプール相手のUEFAカップの試合を観戦したサパテロはバルサ大好き人間ということを公然と宣言してしまった。試合後のインタビューを試合の翌日のニュースで見たとき、フムフム、この人は首相になれないな、そう思った私でした。

そして半年前だったか1年ぐらい前だったか、深夜のラジオ番組でもこの人はバルサ大好き宣言をしていた。
「党の同僚が選挙の際の投票に響くからそれを言ってはいけないという忠告をしてくれたが、私は公言してもかまわないと思っている。政治方針と一つのスポーツクラブを愛すること、これらのことにゴチャゴチャした関係はいっさいないからだ。私はレオン出身議員、でも愛するクラブはバルサ、それでいいじゃないか。」
こんな感じのことを言っていた記憶がある。

彼がなぜバルサ好きとなったのか、そこまでは知らなかったけれど、昨日の新聞を見たらどこもかしこもサパテロ=バルセロニスタの記事が載っていて、そのことについても触れていた。彼が育ったレオンにはペーニャと呼ばれるバルサファンクラブが16もあり、どうやらバルサファンが多いところらしい。彼の家族もその一員でクバーラが活躍した頃の“シンココパス”時代からのファンという。その中にセサーというレオン出身の選手がいて、彼のファンでもあったことからバルサ大好き人間となったようだ。

さてと、それではバルサが抱えている余っている広大な土地をどんどん高く買ってもらったり、土地の利用目的を簡単に変更してもらったり、フットボール協会や審判協会に対する影響も強くしてもらいましょうか、っていう冗談が当分街のバールにゴロゴロする親父達の間でかわされるのは間違いないな。
(04/03/17)


イニエスタとメッシー

アンドレ・イニエスタがチキートのHP上に初登場したのは2001年5月の“ラ・マシア編”でのこと。ひょっとしたらその前に掲示板で登場しているかも知れない。いずれにしても今から3年前の出来事で、もちろん当時は多くのバルセロニスタにとって無名の存在だった。その彼がいつの間にかカンプノウで一丁前のプレーをするようになり、選手交代でベンチに下がる時にはスタンディングオベーションまで起きてしまう。“ラ・マシア編”を書いていたときには想像も出来ない早さで一部デビューしたイニエスタだ。そして彼と同じようにとてつもなく早足で階段を登っている少年がいる。そう、レオ・メッシーのこと。

レオ・メッシーは1987年6月24日生まれの16歳になるアルゼンチン人選手。彼が“こちらカピタン”に登場したのが2002年10月だからなんだかんだ1年半前のこと。まだカデッテカテゴリーでプレーしている少年だった。この少年をまさかこんな早くバルサBの選手としてミニエスタディで見ることが出来るとは、もちろん思わなんだ。

去年の夏に日本でおこなわれたユースの大会から戻ってきた彼は、シーズン開始と共にフベニールカテゴリーに昇進している。最初の頃はフベニールBカテゴリーで2、3試合出場している。それがアッという間にフベニールAカテゴリーへと移され、快進撃の中心となる選手となっていた。だが去年の終わり頃だったか今年の初めだったか、バルサCが不調だったため急きょ助っ人要員として、デランテロのリエラと共に頑丈な体の選手たちがいる三部リーグへと“移籍”。今シーズンは最後までこのカテゴリーでプレーするのかと思っていたら、それはとんでもない大間違いだった。バルサBの選手となってしまったからだ。

バルサ一部チームの次のカテゴリーであるバルサBに、若干16才のレオ・メッシーは驚くべきスピードで入り込んできてしまった。フベニールBからフベニールAに、そしてバルサCに入り込み今はバルサB、わずか半年強の間の出来事だ。こりゃひょっとしたらボージャンやヤゴをミニエスタディで見られるのもそう遠くのことじゃないかも知れんね。
(04/03/09)


バルサ物語騒動編・その3

何だかややっこしくなってきたので、バルサ関係、つまりラポルタ脅迫関係だけに絞って少し整理してみよう。この事件で逮捕されたのはヌニェス・ガスパー政権時代にカンプノウ警備担当ナンバー・ツーだったマヌエル・サントス、そしてアントニートを含む“カスアルス”メンバーの4人、さらに同時に逮捕されたラポルタ個人のガードマン責任者であったハビエルということになる。

ビック警察署が発表した資料の中に彼らの間でかわされた電話会話内容や録音テープがある。だがもちろんその内容に関しては発表していない、が、そこはサービス精神に富んでいるスペインだ、ラディオ・バルセロナというラジオ局がどうやって手に入れたのか、そのテープの一部を流してしまった。

ガードマン責任者のハビエルから“カスアルス”メンバーのアントニートへ。
「聞いてくれ、俺は今回、ラポルタの個人的ガードマンの責任者に任命されたんだ。この意味わかるか?ヤツの乗っている車を壊すこともできる立場になったんだぜ」

警備担当ナンバー・ツーであったマヌエル・サントスから“カスアルス”メンバーのアントニートへ。
「可能性だけの話だが、そう、可能性として聞いてくれればいいんだが、ラポルタを襲う資金は用意できそうなんだ。3万ユーロ、この程度を考えている。」
「そうか、資金は準備できるのか。それならお互いにとって面白いことが出来るかもしれないな。」

彼らは警察の取り調べでは「その会話は冗談だよ、それは、ジョーダン!」と答えているらしい。それは、本当に、子供だましの冗談のような言い訳だ。そしてマヌエル・サントスは証拠隠滅の恐れがないという理由でいまのところ釈放されている。

現時点ではここまで。これから考えられる二つの展開。一つ、総メンバー40人程度と言われている“カスアルス”の4分の1が逮捕されている今、果たしてボイショス・ノイスはどのような反応を見せるのか。攻撃態勢に移るのかあるいは守備体制に入るのか、雨降って地が固まるのかそれとも溶けていくのか。そしてもう一つ、それはマヌエル・サントスがラポルタ襲撃に準備したという3万ユーロは誰が支払おうとしたのか。元クラブ理事会メンバーが提供したということはほぼ既成の事実となっているが、その人物の名前が公表されることがあるのかどうか。というわけで、バルサ物語騒動編でありました。
(04/03/07)


バルサ物語騒動編・その2

ビック警察署が電話盗聴までして本格的に“ビック誘拐事件”関係者を調べ始めたのは、何も麻薬関係の事件だからということだけではなかった。逮捕者の中に右翼過激派組織“カスアルス”のメンバーのほかにも、元警察官や現役警察官までがいることがわかったからだ。そして内密に現役警察官を調査していく段階で一人の疑わしい人物の名が上がってくる。M.マヌエルという現役警察官がいくつかの過去の事件のプランニング係となり、そのプランを実行するのが“カスアルス”のメンバーというパターンが多いことが、盗聴電話における会話でつかむことができたのだ。そしてM.マヌエルが逮捕されるのが2月17日、それからおこなわれた取り調べの中で“カスアルス”の実体が明らかにされていく。そして同時にやはりマヌエル・サントスという人物の名前もでてくることになる。

クラブ警備担当ナンバー・ツーであったマヌエル・サントスを知らないメディア関係者はいないと言っていい。カンプノウでの試合であれば試合2時間前に88番ゲートに立ち、ボイショス・ノイスのメンバー相手に入場チケットを渡している彼を見ているはずだ。そしてアウエーの試合であれば飛行機の中やホテルの中で常にボイショス・ノイスのメンバーと一緒の彼を目撃しているはずでもある。その彼が4人の“カスアルス”のメンバーと共に逮捕されたのが2004年2月24日。逮捕された4人の“カスアルス”メンバーの容疑は非常に多彩だ。麻薬密輸容疑であったり、武器不法所持であったりするが、要はラポルタ脅迫容疑がメインということになる。そしてマヌエル・サントスの逮捕容疑は、彼らにラポルタを脅迫するための資金を提供したのではないか、そういうことだった。

逮捕された人物が実はもう一人いたことが翌日になって明らかとなっている。その人物とはプロセグールという警備会社の元社員だ。ハビエル、そう名乗る人物はバルサというクラブで働いている人物でもあった。仕事は、そう、彼の仕事は、ラポルタ個人のガードマン責任者、そういう仕事だ。

彼の自宅を捜索した結果、大量のコカインと共にラポルタの日常行動に関する多くの資料が見つかった。そして“カスアルス”のメンバーであり逮捕された4人の中の1人であるアントニートという人物との会話テープもでてきている。ビック警察署でおこなわわれている電話盗聴では、このアントニートとマヌエル・サントスの会話もすでに録音されていたのだ。ああ、もう、なんだかややっこしくってわからなくなってきたぞ!
(04/03/05)


バルサ物語騒動編・その1

バルセロナから北に約30km行ったところにビックという小さいながらも歴史の古い街がある。その静かなビックという街中の真っ昼間の大通りで誘拐騒ぎがあったのが2003年10月3日。たまたま非番の警察官がこの誘拐事件を目撃し警察に通報、誘拐事件はアッという間に解決することになる。

ほんの短い間誘拐された人物はモロッコ人。誘拐した犯人たちは誘拐、麻薬密輸、武器密輸などを本業とするプロ集団で、どうやら同じ業者同士の仲間割れという結論にたっした。だが捕まった犯人がこれからのバルサ物語騒動編を構成してくれる人たちとなる。なぜならその犯人の中にボイショス・ノイスの親分の一人がいたからだ。マテオ・ロペスと名乗る若者は“カスアルス”という組織の中心メンバー。この組織はナチズムの組織であると共にボイショス・ノイスというバルサペーニャを構成する中心のセクターでもある。その親分の一人が誘拐メンバーの中にいちゃったんだなあ。

今シーズンに入ってからバルサ会長ラポルタとボイショス・ノイスが揉めているのは周知の事実だけれど、警察関係者はこの時点ではこのマテオ・ロペスという人物とその騒動に関しては調査していない。だが誘拐騒ぎが麻薬組織同志の仲間割れということで、彼らの組織構成員の電話盗聴を始めることになる。

誘拐騒ぎから1か月たった11月13日、ラポルタ会長の自宅にいたずら書きがされた。“ラポルタに死を!”“我々の家はカンプノウ、お前の家は墓場”などという脅迫めいた走り書きがラポルタの住んでいるアパートの門や壁に書かれた事件だ。この事件を担当したのはバルセロナの警察署。その担当官にビックの誘拐騒ぎ担当官から連絡が入ってくる。
「電話盗聴の結果、何回かマヌエル・サントスという人物の名前がでてきている。この人物はカンプノウ警備主任ナンバー・ツーだった人物。ラポルタ自宅への脅迫事件と関係があるかも知れない。」

マヌエル・サントス、元警察官であった彼はヌニェス会長時代に警備責任者の一人としてクラブに入団。決してメディア的クラックではなかったものの、彼に任された仕事は重要なものだった。ボイショス・ノイスの取り締まり、具体的には北ゴール裏に陣取るボイショス・ノイスの行動を見張り、アウエーでの移動の際にも彼らに密着して過激な行動をおさえる役目だ。20年間にわたってクラブ警備担当ナンバー・ツーだった彼はラポルタの会長就任と共にクラブをやめることを強制される。その彼の名前が“ビック誘拐犯人”グループと関係するメンバーの中であらわれることになる。う〜ん、面白くなってきたぞ!
(04/03/03)