2006年
9月
2007年

バルサドクター
(06/09/30)

サムエル・エトーが手術した日の午後、バルサTVでは手術を担当したドクター・クガット氏の記者会見を実況中継している。クラブの記者会見場にクガット氏が現れるのは初めて見る光景だったから一瞬不思議な感じだったが、もっと驚いたのは彼の隣にドクター・プルーナ氏が座っていたことだ。ラポルタ政権が誕生して以来、選手の負傷に関する記者会見では必ずクラブドクター親分が現れ、決して現場担当医師が登場することはなかったからだ。ここ3年間にわたって理由も明らかにされず、インフェリオールカテゴリー専用医師と“格下げ”されていたプルーナが、今シーズンからバルサAチームドクターとして戻ってきている。やはり実力的にはこの人が最も信頼されているということなのだろう、と勝手に解釈。

ブレーメン戦終了後、バルセロナメディアに囲まれたドクター・プルーナさんは、エトーのリハビリ期間に関して聞かれ「約3か月」と明確に答えている。バルサではここ3年間に多くの選手が長期負傷しているが、即時にリハビリ期間を示したドクターはいない。負傷翌日におこなわれる精密検査をしてみなければはっきりしたことがわからないのは当然であるし、外部から負傷箇所を触っての初期診断から結論をだすことは、医師にとってあまりにも冒険過ぎるからだろう。だが、プルーナ医師はかつてバルサAチームのドクターをしていた頃と同じように、言葉を濁さずキッパリと決めつけている。右膝外側半月板裂傷、翌日おこなわれた精密検査では、負傷直後にプルーナ医師が診断した結果と同じ答えがでている。そしてこの午前中におこなわれた検査の結果では、リハビリ期間も3か月とされていた。それが5か月というリハビリ期間となったことをドクター・クガット氏が説明する。

「治療手術には3つの方法があった。一つは損傷している部分の半月盤を除去し成形する方法。二つめは除去するが、その部分に新しい半月板を移植する方法。そして最後の三つめは損傷している半月盤を縫合する方法だ。一つめは最も一般的なものでありリハビリ期間も3か月程度と見られるが、将来的に問題が再発する可能性も多い。最後の方法はやや難しい手術となりリハビリ期間も長くなるが、まだまだ将来性のある選手にはこの方法が一番いいと判断し、この方法を選んだ。エトーもこの方法を友人たちから聞いて知っていたようで賛成してくれた。」
二つめの方法は最近取り入れられているもので、リハビリにはもっと時間がかかるようだ。ちなみに、バルサオフィシャルページでは「二つの方法」と書かれていたが、これは勘違いだ。スペイン語と日本語両方のぞいてみたが、両方とも誤っている。もっとも日本語の方はスペイン語あるいは英語から訳しているのだろうから元が間違っていれば仕方のないこと。まあ、それはどうでもいい。

プルーナ医師の判断に誤りがあったというよりは、手術方法を変えたことにより、リハビリ期間が長くなってしまったと理解したほうが正しいだろう。もともと彼は膝関係の専門医ではない。だが、クガット医師は世界中に名を知られた膝専門医だ。

何年か前、ルイス・エンリケが負傷し彼のお世話になったときに、クガット医師のルポルタージュ番組を見た覚えがある。そのとき印象に残ったのは、なんと年間に1500回もの膝の手術を担当しているという発言だった。単純計算でも月に100回以上の膝の手術をしていることになる。カタルーニャ州のスポーツ選手が占める割合が60%、スペイン全国のスポーツ選手が30%、そして残りの10%は外国人スポーツ選手だったというような記憶がある、が、確かではない。そしてもう一つ、ルイス・エンリケの言葉も印象的だった。

「リハビリ期間は医師ではなく俺に聞いてくれ。彼はあくまでも治療を助けてくれる役目の人、でも傷を治すのは俺の仕事でありリハビリ期間を設定するのも俺の仕事。俺が考えるリハビリ期間は○○ぐらいだと思うよ。」
○○期間の数字は覚えていないが、彼が復帰してきたのは医師が予想したのよりだいぶ早くルイス・エンリケの予想期間に近かった。今回、クガット医師が予想するリハビリ期間は5か月、だが、エトーは4か月程度で戻ってくると言っている。つまりチャンピオンズが再開する前の2月中にはエトーの元気な姿が見られることになる。
スエルテ!サムエル!

それでは、今度はどうだ、のビルバオ戦スタメン予想。


バモス、ロナルディーニョ!
(06/09/29)

これまでバルサに入団してきた何人かのブラジル国籍選手と同じように、ロナルディーニョもまた個人専用トレーナーを抱えている。そして毎日の練習メニューは、彼の個人トレーナーとクラブトレーナーが話し合って組むことも同じだ。ただ、これまでの選手たちとほんの少し違うところは、彼専用トレーナーの組んだメニューがかなりの比重で取り入れられていることだという。つまりクラブトレーナーが組んだ練習メニューより、個人トレーナーメニューによる練習の方が多いことを意味する。それを端的に示しているのが今シーズンの合同練習参加状態だ。

8月25日におこなわれたセビージャ相手のユーロスーペルコパの翌日から、9月17日のリーグ第3節となったサンタンデール戦に至るまで、つまりこの23日間の期間中、ロナルディーニョはバルサ合同練習に4回しか参加していない。完璧な形での合同練習参加(つまり最初から最後までの約90分間)はたったの4回だ。もちろん合同練習に参加していないことが、練習をさぼっているということにはならない。ジムでの筋肉増強運動やプールを使用しての筋肉疲労をとる運動、トレーナーとの走り込みという独自の練習をこなしているロナルディーニョではある。

プレステージに遅れて参加してきたムンディアル組の一人であり、しかも移動の多い遠征が続いたため、普段のプレステージよりは練習時間が圧倒歴に少ない。CM撮影やプロモーション関連の参加プログラムも例年以上に多かったため、負傷気味だったデコと並んで、プレステージでは他の選手の三分の一以下の練習時間となってしまった。そしてシーズンがスタートしてからも上記に示された練習しか(少なくても合同練習に関しては)おこなってきていない。

もともとシーズン開始時期から完璧な体調でスタートする選手でないことは、ここ3年間に証明されている。いわゆるスロースターターという特徴をもつことが、現在の不調さを“たいしたことじゃないさ”と肯定的に考えさせてくれる唯一の材料だ。

運動量で勝負しようというような、俗っぽい選手ではない。守備にまで気を使うような、気の利いた選手でもない。相手デフェンサにプレッシャーをかけようなどという、こまっしゃくれたことをする選手でもない。いわゆる超クラック選手と呼ばれるタイプの彼は、ボールをもって何かをしてナンボの選手であり、チームがうまく機能しないときに個人技で勝負を決めてナンボの選手だ。そういうタイプの選手に共通したこと、例えばバルサマラドーナや、バルサロマリオや、バルサロナルドや、バルサリバルドがそうであったように、ボールをとられてしまったときには形相を変えて盗人を必死に追いかけ、そのボールを奪い返す姿勢を見せることにある。残念ながら、少なくともバレンシア戦やブレーメン戦を見た限り、その姿勢さえ見られない。

彼の不本意ともいえる状態を変えてくれそうな、だがとても不幸な事件が起きてしまった。エトーの右外側半月板裂傷(かの有名なドクター・クガット氏によって28日午後4時に手術)というアクシデントは、3か月のリハビリが必要ということらしい。ブレーメン戦を見ていておやっと思ったのは、エトーが負傷退場してから彼の動きがそれまでとはまったく違う感じになったことだ。最も難しい最初のゴールを奪う名人エトーという主役が抜けたいま、もう一人のクラックが主役としての自覚を持ってチームを引っ張っていかなければならない状況になった。ロナルディーニョ復活のきっかけとなればいい。

ちなみにチャンピオンズの各試合が終了するとともに、UEFA背広組の人たちが各試合の最優秀選手をWeb上で発表している。さて、この試合でその名誉ある賞に輝いたのは・・・・ロナルディーニョでした。ハッ?


サビオラを取り巻く多くの疑問
(06/09/27)

実に久々に見るサビオラがカンプノウのグランドに登場したとき、他の人々に混ざってスタンディングオベーションをしたものの、これは何かの間違いではないか、そういう思いが個人的にあったし、たぶんほかにもそういう思いをもった人々がたくさんいただろう。多くの解けない謎があるサビオラ登場。答えの見つからない多くの疑問。何かおかしい。“計算外”と通告された選手の登場、それはやはり何かおかしい。

「可能な限り我々が移籍先を探してもそれをすべて拒否し、最終的にクラブに残ると決めたのならそれは仕方ないこと。だが、我々(チキとライカー)のアイデアとしては、ロナルディーニョ、エトー、メッシー、ジュリー、グディ、そしてエスケロの後ろに並ぶ最後のデランテロであり、試合出場の見込みはまったくないと言っていい。」
これがチキ・ベギリスタインのシーズン前、そしてシーズンが始まってからも繰り返された言葉だった。いや、正確に言うならば、昨日や一昨日から言いだしていることではなく、もう2年間も言い続けていることだ。

だが、バレンシア戦ではベンチに座るジュリーや、後半始まってからすぐにライン際を走り出し身体を温め始めたグジョンセンを押しのけて、サビオラが登場してきた。
「彼はゴールの嗅覚に優れた選手。どうしてもゴールが必要だったから彼の投入を決めた。」
試合後のインタビューを聞いていたら、そう語っていたライカー。だが、たった1か月前には、メディアのインタビューで次のように語っているのを聞いている。
「彼には他のクラブを探すように勧めたが、どうしてもバルサに残るという結論に達したようだ。もちろんグディやエスケロの後ろに列を作っているデランテロだということは伝えてある。難しくなった状況を変えてくれるデランテロは彼のようなタイプではなく、ラルソンやググディのようなタイプと我々は認識している。」
だから、やはり何かおかしい。

どうもよくわからない。ジュリーやグジョンセンはブレーメン戦用に温存?だがプレー時間はわずか10分程度だ。グディは約40分間ライン際を走っていた。第二のデランテロとして1500万ユーロも移籍料を支払って獲得した選手を押しのけ、“計算外“選手が登場したのをどう理解すればいいのだろう。

ガスパー時代に獲得した生き残り選手だからとか、新しい給与体系を拒否しとんでもない額の年俸をとっているからだとか、バルサとの契約が切れる来シーズンからの入団クラブとすでに仮契約しているからだとか、サビオラパージ現象の原因となる噂は山ほどある。どれか一つが真実であるかも知れないし、すべてが真実かも知れない。それはいつかわかるかも知れないし、永遠に埋もれてしまう謎かも知れない。

チーム作りの最高責任者であるスポーツ・ディレクターや、実際に各選手を起用する監督のアイデアは、これまでの彼らの公式発言ではっきりしている。スポーツ・ディレクターが“最終列に並ぶデランテロ”だ語り、“違うタイプのデランテロが必要”と語る監督であったからこそ、今まで彼を試合出場させないばかりか招集さえしてこなかった。ライカーの単なる気まぐれで誕生したバレンシア戦でのサビオラ出場だったのか、あるいはこれからもちょくちょくとあることなのか、それはこれからの試合が証明してくれる。そしてとりあえず次のブレーメン戦はこれまでと同じように招集さえされていないサビオラ。もしあの10分のプレーで劇的な勝利のゴールをサビオラが決めていたら、この試合での招集はどうなっていたのか、“計算外”の選手がいつから“計算内”の選手となったのか、う〜ん、どうもよくわからん。

ブレーメン戦に同行しているエウセビオやチキにメディアから質問がバッシバッシと飛んだのは当然だ。
「サビオラは我々が抱えるデランテロの中でも最もゴール能力を持った選手。したがってああいう場面で登場するのに何の不思議もない。」
とエウセビオが語れば、チキもしゃべる。
「サビオラの出場?個人的には非常に嬉しいニュースだった。彼は我々のメンバーの一人なんだからチャンスを与えられて良かったと思っている。」
う〜ん、ますますこの人たちがわからなくなってきた。

そしてブレーメン戦。どうしてもイニエスタをスタメンで起用しないライカーに挑戦しスタメン予想。


カンプノウ
(06/09/26)

カンプノウ開幕戦となったオサスナの試合が終了した翌日あたりから、バルセロナ上空は一日中黒い雲で覆われた。12日火曜日に予定されていたレフスキー戦前後には、いわゆる大型台風並の雨量がカンプノウに落ちてくるのではないか、あてにならない気象庁はそう発表していた。それも何十年ぶりかの大雨が降るだろうということだった。だが、試合前にはどういうわけか雨一滴落ちてこず、何の準備もなくチャリンコで駆けつけた一人のアホ日本人は、試合開始10分後くらいに滝のような大雨によってビチャビチャの身体となってしまった。が、それはここでのテーマではない。恐ろしいほどの大雨がふりながら見事に耐えたカンプノウの芝、それがテーマ。

昨年の1月15日、カンプノウでのビルバオ戦に2−1で勝利したあと、プジョーはクラブ理事会に次のように訴えている。もちろんカピタンとして選手を代表しての訴えだ。
「芝の状態は最悪、どうにかならないだろうか?」
それを受けてクラブ理事会はさっそく動き出したという。芝管理会社の責任者を呼びつけ、芝の改善を要求している。
「できるだけ経済的に、しかもできるだけ早急に、どうにかせい!」

チェルシーを迎えた2004−05シーズンののチャンピオンズ戦が、現在のカンプノウ芝のデビュー戦となっている。それまでの荒れ放題で見栄えも決して良くなかったカンプノウ芝の全取っ替えを、わずか3週間という短い期間で終了することができたおかげだ。それ以来、カンプノウのグランド全面に敷かれた緑鮮やかな芝はデビュー戦時とまったく変わらず生き続けている。真夏にはグランドの上を白い布で覆い、強い直射日光が当たらないようにしていたし、地面の温度が24度前後となるように巨大な扇風機が何台もカンプノウに配置されてた。そして先日のレフスキー戦は、新しいカンプノウの芝に大量に落ちるであろう大雨に耐えられるか、それを試す最初のテストとなった試合だ。

50%の確率で当たること言われているスペイン気象庁の予想が見事に当たった。まさに半世紀ぶりの大雨、試合開始10分くらいから降り始めた雨はカンプノウの緑のジュウタンを襲う。だが、奇跡的にも、カンプノウのグランドには水は貯まらずボールはごく普通に転がっていく。不思議だ。どうやら芝の技術者たちは試合前日一日かけてグランドに穴を開けていたらしい。1平米あたりの芝に約300個のミクロ的な穴を開けて水を吸収するようにしたという。こうしてグランド総体にしてみれば約300万個の穴が開けられ、半世紀ぶりの大雨にも何の支障もなくプレー続行が可能となった。

そしてカンプノウにバレンシアを迎えての試合。この週はバルセロナ最大のフィエスタであるメルセ際が賑やかにおこなわれるはずだったが、残念ながら連日降り続いた雨のせいでここ何年かで最もさえないフィエスタとなってしまった。だが、それでもカンプノウの芝は見事に頑張る。試合開始時間あたりには大雨が降るだろうと予想した50%的中気象庁の発表は確率どおり見事にハズれ雨一滴落ちてこない状況ということもあり、カンプノウの芝はきれいな緑のジュータンとなっていた。

1−1の引き分け。ここ何年か続いているいつもの風景どおり、今シーズンもバレンシア相手に勝利できず引き分けという結果。そして“カニさんと遊ぼう90分”という風景も同じ。実に久しぶりの登場となったサビオラにみんなでスタンディングオベーション、何度打っても入らないシュートながら、決して隠れたりせず執拗にシュートしまくったデコのキャラクターに感服、大活躍のイニエスタにもちろん大拍手、そして審判に大ブーイング。引き分けという結果ながら楽しい90分、そしてバルサは首位、もう優勝は間近だ。


アニモ!ソリアーノ!
(06/09/24)

日曜日21時に開始されるバルサ・バレンシア戦を前にして1分間の黙祷がおこなわれる。つい1週間前の月曜日早朝に亡くなられたバルサ副会長フェラン・ソリアーノ氏の奥さんクレスパンを偲んでの1分間の黙祷だ。。

2003年11月22日、バルセロナのサンタ・マリア教会で挙式したソリアーノとクレスパンだが、第一次ラポルタ政権が誕生する何年も前から一緒だったようだ。彼らが共有する二つのこと、それは世界各地の恵まれない子供たちの救済運動、特に彼らがよく訪ねるブラジル各地の恵まれない子供たちを救うボランティア運動が一つ、そしてもう一つがバルサというクラブへのパッションだったという。バルサ会長選挙に出馬したラポルタと共に動き始めたソリアーノの横には、常に彼女がいたことを何人もの人々が目撃している。そしてラポルタが会長に選出されると同時に副会長という職にソリアーノが就いてからも、日本や韓国、そして中国などへの遠征にも必ず彼女の姿が見られた。

29歳を迎えた年に結婚した彼女は、すでにその4年前からガンに冒されていることを通告されていたという。彼女の両親、そしてソリアーノと彼の両親、すべての関係者がそれを知りながらの入籍だったという。7年間にわたる長い闘病生活、親しい友人たち以外には秘密としていたソリアーノ夫婦だが、バルサの試合となると必ずカンプノウにやって来る彼女をみて、その衰弱ぶりに何かを感じ始めた人も多かったようだ。

バルサをこよなく愛したクレスパンにとって最後のカンプノウ観戦となったのはつい先日おこなわれたチャンピオンズのレフスキー戦。この試合にはふだんは滅多にあらわれない両家族の両親も同席している。ハーフタイムにはソリアーノ夫婦を囲んで、それぞれの両親と一緒に写真撮影するという珍しい風景を多くの人々が目撃していた。彼らにとって一緒に撮る最後の写真となることはすでにわかっていたのだろう。

そしてこの最後の記念撮影会から5日後の日曜日、病床に横たわる彼女を見守るソリアーノや両親に対し、生前最後のものとなる次のような言葉を残している。息を引き取ることになる数時間前のことだという。
「ここまで生きてこれてとっても誇りに思っているの。精一杯がんばってこれたのはすべてみんなのおかげよ。さあ、みんなそんな顔しないで笑って!今度は私が天国からみんなを見守って助けてあげるから!」

たまんないっす。

さて、ラ・ビダ・シゲ、つまりそれでも人生は続くということで、バレンシア戦の話題。バルサファミリーにとってこういう沈んだ雰囲気のときに、カニサレスというような誰からも等しく憎まれる便利な選手がやって来てくるとはタイミングが良いではないか。審判が笛を吹くと同時に時間稼ぎ労働に走るであろう彼に、怒濤のようなブーイングが襲いかかるカンプノウ。早いところゴールを奪い、笑いもののピエロにすることができれば最高だ。

それでは、いつも惜しいところで外れるカピタン予想。


背番号14
(06/09/22)

各選手に固定背番号が設定され、ユニフォームの背中の部分に選手名が入るようになったのは、スペインリーグでは1995−96シーズンからだった。すでにヨーロッパ各国の代表チームやプレミアリーグでは、何年か前からおこなってきていることであり、ユニフォーム販売に大いなる貢献材料となっていることが証明されてから、スペインリーグでも取り上げられることになった。それまではスタメン選手が1番から11番を付けることが義務づけられていたことになるが、このシーズンから、いくつかの制限がありながらも、各自好きな背番号を付けることが可能となる。

ここ30年のバルサの歴史において、ヨハン・クライフがクラブにとって大きな存在となっていることは誰もが知っていることだ。そして固定背番号制がなかった時代にバルサでプレーしている彼でありながら、14番という数字と切っても切り離せないイメージがある。バルサで一度たりとも付けた番号ではないにもかかわらず、クライフといえば14という数字が頭の中をよぎる人々も多い。そしてこの固定背番号制がスタートした1995−96シーズン、14番を付けた選手、それは彼の息子であるジョルディ・クライフだった。それ以来、この14番と付けた選手が途絶えたことはない。毎シーズン必ず誰かがこの番号を背負ってプレーすることになる。だが決して“幸せな”数字ではなかった。そして今シーズンからこの背番号が消えてしまった。14番の持ち主であったエスケロは、今シーズンからクラブを去っていった彼の親友であるガブリの18番を付けることを選んだからだ。

まだ背番号固定制ではなかった“ドリームチーム”時代にも、この14番を好んだ選手がいる。クライフが「現時点での世界最高の10番選手」として獲得したオランダ人選手ビチケがその選手。控えスタートとなる試合が多かった彼だが必ず14番を付けていた。なぜ“世界最高の10番”が控えだったのか、それは彼よりも世界的に優秀な3人の外国人選手がいたからだ。クーマン、ラウドゥルップ、そしてウリスト・ストイチコフ。

固定背番号制になってからの最初の14番ジョルディ、このスタートからして“幸せな”番号とはならなかった。なぜなら父親ヨハンの解任と共に、このシーズンが終了してすぐにクラブを去っているからだ。そして半年間の14番不在期間があり、ロブソンの要求でスポルティング・リスボアからエマヌエル・アムニケが冬のメルカードでやって来て、14番継承選手となった。負傷が続いたことも理由とすることができるが、3年間で1ゴールというのはデランテロとして決して自慢できる成績ではなかった。2人目の“不幸な”14番選手の誕生。だが3番目の選手は期待できそうだった。バルサカンテラ育ちでバレンシアに移籍していたジェラール、彼を我らがガスパー会長は2400万ユーロという腰を抜かしそうな移籍料を支払って獲得し、どういうわけか皮肉にも14番という背番号をお渡しされてしまった。彼の5年間にわたるバルサでの活躍度をいまさらグタグタと書く必要もないだろう。これで3人目の“不幸な”14番選手が誕生した。好漢エスケロが14番を放棄したのはこれらの過去の事情を見る限り論理的に正しいことだ。まず最初の壁を取り除き、“幸せな”選手仲間に入れるための入り口に立ったことになる。だが、それでも、バルサの歴代の選手の中で記憶に残る18番の選手もいないことを彼は知らなかったのだろうか。

そう言えば、パリでバルセロニスタに“幸せな”瞬間を提供してくれた相手チームのデランテロも14番を付けていた。バルデスの前に見事に木っ端みじんに散った例のフランス人選手。この選手がタイトルを獲得したムンディアル1998,そしてユーロ2000でのフランスユニの背中の番号は14番ではなく12番だったというのは単なる偶然・・・か?


ライカー・ローテーション
(06/09/20)

何気なくバルサTVを見ていたらバルサ・バレンシア戦をやっていた。2004−05シーズンの試合だが、今週末にバレンシア戦があるのでこの試合を流していたのだろう。この試合のスタメン選手はバルデス、ベレッティ、プジョー、オラゲル、ジオ、マルケス、デコ、チャビ、イニエスタ、ロナルディーニョ、エトーの11人。イニエスタではなくジュリーが出場していれば、このシーズンの典型的なスタメンとなる。そう、ライカー監督2年目となるこのシーズンは“A定食スタメン”とか“B定食スタメン”とか、スタメン選手を選択して調理してみようなどというような贅沢な状況ではなく、“スタメン11人選手+イニエスタ・シルビーニョ”という超限られた素材しか抱えていなかった。もちろんローテーションなどという単語も意識もあり得ない状況だった。そしてあれからわずか2年、今のバルサには20人のスタメン候補選手がいる。時代は高速回転でグア〜ングア〜ンと変化した。

一部登録されている22人のバルサ選手の中でサビオラとエスケロをのぞいたすべての選手がライカーの選択素材となる。それも実力がかけ離れた20人の選手ではなく、ライカーシステムの駒として、90分間のゲームの中に登場するあらゆる場面に応じて、確実にすべきことを知っている20人の選手だ。攻撃の最初の駒となることを知っているデフェンサ選手たち、守備と攻撃の駒であると同時にチーム総体の駒を動かす能力を持ったセントロカンピスタたち、そして守備の最初の駒となるデランテロ選手たち。ライカーはこれらの20人の選手の中から、11人のスタメン選手と7人のベンチ控え選手を毎試合選択しなければならない。

2年前のように、選手を選択する贅沢さがないとき、選択された11人に対して誰も疑問符は付けることはできなかった。だが選択の可能性と自由がじゅうぶんすぎるほどあるいま、ある意味で選択者の能力が問われることがあっても不思議じゃない。だが、結果が出ている現在、彼の能力に疑問符を付ける人々はいない。

調子が良く効率性の高い選手を優先させること、疲労がみられたり疲労の恐れがある選手を休ませること、これがローテーションの本来の意義だとすれば、フラン・ライカーがこれまでおこなってきたローテーションシステムは、それにあてはまらない。少なくても選手を休ませるためだけのローテーションとは思えない。毎試合毎試合、5人も6人もスタメン選手の名が違うのは疲労を避けるという意味以外に何かあるはずだ。そのヒントというか、ズバリ答えとい言っていいのが次のようなライカー・コメントだろう。
「我々は多くのスタメン候補選手を抱えている。だがスタメンとして出場できる選手はわずか11人、ベンチに入れる選手は7人、その中から途中出場できる選手はたったの3人、したがってすべての選手の希望を満たすことは不可能だ。それでもモチベーションを常に保つためにも、そして自分が信頼されている選手だと自覚できるように、できる限り多くの選手に出場チャンスを与えていきたい。」

ジオが招集されると同じポジションのシルビーニョは招集さえされないというケースがこれまであった。サンブロッタが招集されれば、やはりベレッティが招集さえされないということもあった。エドゥミルソンが招集されれば、モッタは自宅休養という試合があった。だが、もし負傷さえしていなければ、あるいはカード制裁を喰らっていなければ、絶対のように招集・スタメンという選手もいる。バルデス、エトー、ロナルディーニョ、そしてデコの4人だ。バルデスはこれから長い間バルサの守護神として、デコは現場の監督として、そしてエトーとロナルディーニョは少なくともバロン・デ・オロ選手が決定するまで同じ土俵に立たせないといけない。

ライカー・ローテーションの姿が明らかになるのはこれからだろう。これまではセルタ、オサスナ、サンタンデール、そしてブルガリアのチームというように対戦相手にそれほど苦労してきていないバルサだが、厳しい試合が重なる時期にこそライカー・ローテーションの姿があらわれてくるに違いない。選手の疲労だとか、選手のご機嫌伺いだとか、そんな次元を超えて最強メンバーをそろえ、連続して戦う試合がやって来る。そういうときに、あり得ないであろうとは思いつつ、そして最強メンバーかどうかは別として、次のようなメンバーでの試合をカンプノウで見てみたいと思う。


ナイキとユニセフ
(06/09/19)

世界各地で販売されているナイキシューズの生産が、アジアの少年少女を低額の給料で雇用して行われているという、いわゆる“ナイキ問題”が発覚したのは1990年代の初めのことだった。当時の資料によれば次のようなスキャンダルな話題となっている。
“ナイキのスポーツシューズの99%はアジアの子供たちの手によって生産されている。以前はフィリピンやマレーシアの工場で生産されていたが、現在は中国、インドネシア、そして台湾などの国にある40か所の工場で生産されている。少年少女の悲惨な労働状況を調査し訴えているアメリカの市民組織の一つであるメード・イン・USA基金の調べによれば、11歳程度の少年少女が想像できないほどの安い時給で雇用され、それに対し中国政府などでは見て見ぬふりをしているのが現状のようだ。そしてインドネシアで働くすべての少年少女たちに支払われる1年間の雇用費は2000万ドル以下であり、例えばナイキの顔となっているマイケル・ジョーダンに支払われるCM年俸よりも低いものとなっている。”

アジアやアフリカなどの、経済的にも政治的にも資本主義社会で言うところの“一流国”となっていない各国で、安い賃金で成人だけではなく、本来であるならば義務教育を受けていなければならない少年少女までを雇用して生産費を低額に押さえているのは、もちろんナイキだけではない。アディダスもそうであるし、リーバイスもそうであるし、ベネトンもそうであるし、スペインのサラもそうであるし、つまるところナイキはそれらの巨大企業の一つに過ぎないし、言い換えれば氷山の一角にしか過ぎない。

そのナイキマークの下にユニセフのロゴが入った。ユニセフをネットで調べたら“ユニセフは第二次世界大戦で被災した子供たちの緊急援助を目的に、1946年の第一回国連総会で国連国際児童緊急基金として設立されました”とある。何とまあ、皮肉な・・・。

いずれにしてもバルサのユニにユニセフロゴが入ることは、ナイキにとって超イメージアップになることは間違いない。バルサのユニを正面から見れば、真ん中にユニセフロゴ、その数センチ上にナイキマークとバルサロゴが配置されている。クラブ誕生以来107年の誇りある伝統にサヨナラし、毎年150万ユーロをユニセフに支払ってロゴを“買い取った”バルサのイメージは世界的にアップされるだろうが、ナイキのイメージも例外ではない

ごくフツ〜の弁護士に過ぎなかったジョアン・ラポルタは、恐れを知らぬ当時会長ガスパーによって、ヒーヒー状態となっていたバルサを地獄の底から救出し、そしてそのバルサという“クラブ以上の存在”の恩恵を受けて、今では超有名人物の一人と変貌しつつある。何たってニューヨークタイムスのインタビューまで受ける時の人でもあるのだ。
「我々のメッセージ(注・ユニセフロゴを付けたこと)は、バルサというクラブはクラブ以上の存在であることを世界中に示すことであり、そして同時に、世界各地の貧しい子供たちを救う運動に対して明るい希望を与えることでもある。」
そして同じ日、バルサ金庫番ソリアーノがカタルーニャローカルラジオ局(ニューヨークタイムスとローカルラジオ局、ここが会長と金庫番の大きな違いだ!)のインタビューに応え次のように語っている。

「ユニセフロゴを付けることは社会的な問題に関心を示す姿勢を見せることだけではなく、経済的にもじゅうぶん将来的に見返りがあると信じている。」
つまり年間150万ユーロぐらい支払っても、将来的にはじゅうぶんお釣りがくる成算があるようだ。例えば、おむつから墓石まで各種そろえるバルサグッズだが、ユニセフと提供するクラブの商品として、さらなる価値が上がることが予想される。例えば、ユニフォーム提供企業からもユニセフロゴが入ったことにより、今まで以上のオファーが獲得できる可能性も増えたことになる。

バルサとナイキの契約は2008年をもって終了するが、近いうちにバルサはナイキとの延長契約交渉に入る。だがその交渉を前にしてクラブは、ムンド・デポルティーボという地元紙を通じて2008年からのプーマとのスポンサー合意情報を漏らしている。エトー、ジュリー、ライカーを抱えるプーマは、年間2000万ユーロを用意していると伝えたのはつい先日のことだ。そしてその翌日にはムンドのライバル紙を通じてそれを否定するラポルタだが、それはいつものプレッシャー作戦。最終的にはナイキからかなりのオファーを勝ち取り延長契約することになるのだろう。

フム、フム、やはりナンダカンダと綺麗事を言ってもユーロ計算はそれなりにしっかりしているようで、かつての土建屋世代と違い、パワーポイント世代はなかなか憎らしくも頭がさえておるのだ。


リーガ・ベベバ!
(06/09/16)

バルサオフィシャルページ、そしてサンタンデールオフィシャルページとも、今週末の試合開催日時を16日土曜日20時と、すでに1週間前に発表している。だが彼らが公式発表した翌日には何だか雲行きが怪しくなり、水曜日になるとバルサオフィシャルページは、“土曜日か日曜日”というように訂正。そして木曜日の夜、最終的に17日日曜日20時開催と公式発表された。試合放映の権利を持つ会社の都合で常に1週間前にしか試合開始日が決定しないスペインとはいえ、こんなことは初めてと言っていい。なんでこんなことになってしまったのだろうか。

アウディオビスアル・スポーツという名を持つ会社が、スペインリーグの放映権を持っている。この会社とサンタンデール・バルサの三者が土曜日20時開催と合意していたため、すでに月曜日にはそれぞれのオフィシャルページで発表されることになった。本来ならこの三者が同意すれば誰が何と言おうと問題にならないはずだった。だがLFP(リーガ・フットボール・プロフェショナル、簡単に言ってしまえばリーガの最高組織)が横やりを入れたことで、開催日時問題が生じてしまった。

実は今シーズンから、このLFPが新たなスポンサーを獲得としている。BBVA(Banco Bilbao Viscaya Argentaria、バンコ・ビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア)という、合併に合併を重ねてこんなに長い名前になってしまった銀行が新スポンサーだ。だが一部リーグのスポンサーではなく、二部リーグのスポンサー、これが物事をややっこしくする原因となっている。ちなみにスペインの一部リーグはPrimera Division(プリメラ・ディビシオン)と呼ばれ、二部リーグはSegunda Division(セグンダ・ディビシオン)という名で親しまれてきたが、今シーズンから二部リーグの名前が変わってしまった。この新スポンサーは余程の資金を提供したのか、二部リーグそのものの名前まで変えてしまったのだ。その名はLiga BBVA(リーガ・ベベバ)、何と自社の名を二部リーグの名にしてしまうほどの大大大スポンサーとなっている。それにしてもリーガ・ベベバとは・・・。

さて、この試合開催日時の問題にはいくつかの理由があるが、その一つがこのリーガ・ベベバがらみのものだ。リーガ・ベベバの試合は三分の一、あるいは半分近くまで土曜日の午後遅くにおこなわれる。19時30分、あるいは20時30分という試合開始時間だ。大大大スポンサーを得たLFPは、この時間帯にはできる限り一部リーグの試合開催を避けたいという方針をとる。観戦客が減ってしまうというのがその理由であることは明らかだ。そして日曜日の午後早く(17時30分とか18時試合開始)におこなわれるリーガ・ベベバの試合に、一部リーグの試合をダブらせない方針も追加。その結果どうなったか、それは土曜日には22時試合開始の1試合のみとし、日曜日にはカナル+局が放映する21時開始の試合以外は、すべて20時開始とすること。こうしてサンタンデール・バルサ戦は両クラブとテレビ会社の意向を無視した形で、日曜日に変更させられてしまった。そしてこの大大大スポンサーの圧力に屈したのはセニョール・テバス氏、アラベスの関係者であり、昨シーズンにはメッシーの試合出場の非合法性を訴えた例のセニョール・テバス氏だ。ろくな野郎じゃない。

木曜の夜まで試合開催日時決定が伸びてしまったのは、サンタンデール側がどうしても土曜日開催としたかったからだ。サンタンデールを囲む地方にはバルサペーニャが多くあり、会員総数2000人前後もいるらしい。すでにそのバルサファンがバスを何台もチャーターし、土曜日20時試合観戦のスケジュールを組んでいた。だが日曜日20時に変更となると、観戦に来られなくなる人も多くなる。22時に試合が終了し、4時間も5時間もバスに揺られて帰宅すると、仕事のある月曜日の早朝3時とかいう時間になってしまうからだ。この2000人前後の人々が観戦に来られなくなると、一人120ユーロというチケット代×2000人=24万ユーロの損失を受けるというサンタンデール側の計算がある。

いずれにしてもこの方針は将来性をもたないものとなるだろう、と思う。今週末はレアル・マドリの試合はカナル+局で放映されるからいいとして、将来的にはバルサとマドリの試合が日曜日20時と重なる可能性もある。そうなると両方の試合が12ユーロ支払うPPV方式で見るものとなり、アウディオビスアル・スポーツ社が黙っているわけがないからだ。バルサとレアル・マドリの試合は他の試合を大きく引き離して資金稼ぎとなる試合なのだから、テレビ局がおとなしくしているわけがない。

それではサンタンデール戦のあてにならないバルサスタメン予想。


ジュレン・ゲレロの引退
(06/09/15)

バルサソシオは歴史的に女性が多い。つい最近発表されたソシオ構成(男性と女性の比較、年齢構成、地域別構成、エトセトラ、エトセトラ)でも、女性の占める比率が25%近くあるという。たぶん10年前も20年前も同じような比率だったような記憶がある。したがってカンプノウを埋める四分の一の人々は女性ということになる。そしてここ10年、他のスタディアムでも女性観戦客が増えつつあるらしい。

だが一昔前のスタディアム風景は“フットボールは男のスポーツ”という意識が強かったからか、観戦しに来る人々もほとんどが男性だった。父親に連れられてくる男の子ももちろんいたが、女の子の観戦風景というのは見られない時代だった。そして日本の中学生ぐらいの女の子が観客席の前に陣取って、黄色い声を上げるような風景が見られるようになったのは、ビルバオの若き色男選手ジュレン・ゲレロが活躍し始めてからだ。そう、ミニエスタディ君のコメントがこのゲレロのことを思い出させてくれた。
「ジュ〜レン!ジュ〜レン!ジュ〜レン!」
「ジュ〜レン!ジュ〜レン!ジュ〜レン!」
「ジュ〜レン!ジュ〜レン!ジュ〜レン!」
今で言う“ベッカム風景”であり、まるでロックコンサート会場のような風景でもあったが、いずれにしても彼はスペイン最初の“メディアチック”と呼ばれる選手だった。

ビルバオの生粋のカンテラ育ちで、18歳ですでにビルバオAチームでデビューしている。クライフバルサがリーガを占拠している時代だ。1992−93シーズンにデビュー、ほぼすべての試合に出場し、10年以上ビルバオの顔としてクラブに君臨した英雄でもある。そんな彼にレアル・マドリなどやヨーロッパ各地のビッグクラブから多くの誘いがあったのが、正確には覚えていないが90年代の中頃だっただろう。ヨーロッパの大会に出場する可能性がほとんどないビルバオを去り、世界中の注目を浴びる大会に参加できるチャンスを得たい、そう考えるのがプロ選手であるとするなら、彼はそういう意味でプロ選手ではなかった。すべての誘いを断り、ビルバオに残ることを決意する。クラブも異例の長期契約と想像外の年俸を彼に用意したようだ。そして突然ながら、ジュレン・ゲレロは選手として下降線をたどってしまう。まだ20代半ばだというのにたどってしまう下降線。ビルバオファン以外には忘れられた存在となった。

ポジション獲得競争率の高いクラブで成長し続けていたら・・・、
常にタイトル獲得という目標のもとに頑張っていられたら・・・、
毎日のようにメディアの注目を浴びるクラブでプレーしていたら・・・、
ひょっとしたら大選手になっていたかも知れないし、あるいは同じだったかも知れない。少年の頃から育っている居心地の良いクラブで居心地良くプレーしていなかったら・・・
ひょっとしたら大選手になっていたかも知れないし、そうとはならなかったかも知れない。ここらへんが難しいところだ。いま同じ道を、ゲレロよりは遙かに過大評価されているトーレスが、そしてやはりホッペタの赤いトーレスが、徐々に歩み始めたような気がしてきた。


500分と笑顔
(06/09/13)

サンティ・エスケロはエトー、ロナルディーニョ、メッシー、ジュリー、グディの後ろ、そして最後列に並ぶサビオラの前に位置する6番目のデランテロと考えられている。彼の前に列を作っている5人の選手は毎試合招集されることはあっても、エスケロがリーグ戦や真剣勝負のチャンピオンズの試合に招集される可能性はかなり低い。したがって国王杯や消化試合となるチャンピオンズ試合以外には、ほぼ招集されないだろうし、招集されたとしても試合に出場することは本当に少ないと予想される。だが、それでも彼は監督からも仲間内からも大事な選手の一人として認識されているようだ。

ビルバオというバスク地方にあるクラブで7年間もプレーしているが、彼自身はバスク生まれではない。リオハという地方でバスク人の両親から生まれている。1995年にオサスナで一部デビューを飾り、その後At.マドリ、マジョルカ、ビルバオを経て3年契約でバルサにやって来た。
「才能的にはバルサ選手として問題ないし、多くのポジションをこなせるうえに、ゴール能力まで兼ね備えている。我々にとって貴重な選手となるだろう。」
2005年の夏、エスケロのバルサ入団記者会見でライカーはこう語っている。そして同席していたチキ・ベギリスタインも次のようにエスケロの重要性を語っている。
「ロナルディーニョ、エトー、そしてジュリー、この3人を休ませるためにもラルソンと共に貴重な存在となるだろう。」
だが、彼らが予想できなかったのはメッシーという若いカンテラ選手の台頭だった。

「昨シーズンは可能な限り彼にプレーさせるようにしてきた。真面目な練習態度を毎日見続けている監督としては、できる限り試合に出場させてやりたいと思うものさ。それでも、彼が希望するほどの出場チャンスを与えられなかったことが残念だ。」
今シーズンの初めにそう語ったライカーだが、サビオラと同じようにエスケロにも他のクラブからのオファーがあった。ただサビオラのケースと違うところは、ライカーがそれらをすべて拒否していることだ。昨シーズンよりもさらに出場時間が少なくなることはじゅうぶん予想されるにもかかわらず、クラブに残ることを希望している。それは選手仲間の間で最も人気があり、そしてグループの輪を形成するのに欠かせない選手の一人として認識されているからのようだ。
「自分の長いプロ生活において、彼のような状況におかれた選手を何十人と見てきているが、彼は決して否定的に物事を考えないし、常に前向きに生きようとするタイプの選手。この世界には少ない貴重なタイプさ。試合にでられる可能性が少なくても、毎日の練習では誰よりも明るく、そしてみんなにジョークを飛ばし、元気のない選手には励ましの声をかけ、常に笑顔を忘れない。そう、彼は我々にとっては大事な選手。」
こう語るシルビーニョ。

「こういうのはプロ選手になって初めて経験することた。これまでどこのクラブでもほぼスタメン出場という経験をしてきている。そして当然ながら試合にでられない選手も多く見てきている。そういう選手にいつも希望だけは捨ててはダメだと言ってきた自分だから、そういう状況に置かれている自分もタオルを投げることだけはしないつもり。常に試合出場の可能性を求めて毎日の練習をしているんだ。それがプロ選手としての自分の最低限の仕事であり、あとは出場選手を決める仕事をもつ監督のアイデア次第となるのがこの世界。」
バルサに入団してきた1年目、20試合に招集され12試合に出場し約500分のプレー時間と毎日の笑顔を残してくれたエスケロはこう語る。
「それでも、笑顔を振りまくためにこのクラブにきたわけじゃない。もっともっと試合にでたいし、チームのために働きたい。でもね、自分のいるクラブはバルサなんだ、世界でも最も強豪とされているバルサなんだ。試合にでられるのはたった14人、そして我々は22人の優秀な選手で構成されているバルサなんだ。」

こんど試合出場を果たしたあかつきには、ぜひ応援することを誓います。エスケロさん、頑張ってください。


カンプノウ開幕戦
(06/09/11)

シーズン途中でのカンプノウ観戦とはチョイと異なる楽しみがあるリーグ戦最初の試合観戦。例えば、約3か月ぶりにまわりの顔見知りソシオと再会し、アーダコーダと言い合う楽しみがあったり、例えば、新しく加入してきた選手を初めて見るチャンスの試合であったり、そして例えば、開幕戦は必ず勝利することになっているから間違ってもハズレがないラクチンな試合観戦となったりすること。統計的に実際はどうなっているのか知らないが、開幕戦で負けた試合を観戦した記憶がない。そして2006−07シーズン開幕戦もそのとおりになった。

この日、バルサユニを着た姿で初ご登場される可能性があったのはトゥランとサンブロッタ。グディは今週1回も練習に参加してきていないから、試合招集されてたとはいえさすがにこの試合には計算外選手。そして期待どおり、トゥランとサンブロッタがスタメン出場、だが予想外だったのは彼の代わりにベンチに下がる選手が、プジョーでありマルケスではなかったことか。

魂とか根性とか情熱とかいう“体育会系”的要素の固まりをもって現在の確固たる地位を確保しているプジョーが、まだまだ燃え上がらない状況のいま、そして例年どおりスタートが遅いマルケスが、例年どおりのスタートを切っているいま、この超ベテラン選手であるトゥランがいまのところもっとも信頼できそうなセントラル選手という感じがする。彼の入団が決まったときから、例のラルソン異常人気現象を受け継ぐのはグディではなくこの人だと思っていたが、やはりそういう雰囲気をファンから受けながらプレーしている。テレビで見たガンペル杯では、彼一人がオフサイドラインをぶち破ってバルデスの近くでウロウロしていた姿が印象的だったが、さすがインテリジェンスあふれるベテラン選手、学習能力は誰よりも高いところをこの試合で証明してくれた、と言いたいところだが、この試合のデフェンサラインはいつもより10mぐらい下がっていたので、本当のところはシロウトにはよくわからない。

そしてもう一人の初見参選手サンブロッタ。彼はどことなく閉鎖的な性格で閉じこもり気味だということをどこかのメディアで紹介していたが、いまだにカステジャーノをしゃべらないところを見るとなまじっか間違った性格描写ではないようだ。インタビュアーがカステジャーノで話しかけそれを受けてイタリア語で応えてもお互いに通じる世界であるから、会話には不自由しないとはいえ、かつてバルサに在籍した性格開放児ココはカステジャーノをマスターするのも早かった。その性格閉鎖児サンブロッタのプレーをほぼ30分間ぐらい追い続けて見たが、マークを外して攻撃にでる彼に誰もボールを渡さないのが気になった。まだ息が合わないということか。いずれにしてもイタリア人デフェンサ選手らしく非常に真面目な印象。ロナルディーニョやデコが後半は観客席向けおふざけプレーしかしていない時にも、彼とエトーだけは必死にボールを追いかけている。と言うわけで、とても好感の持てる選手というイメージ。

さて、この試合が始まるだいぶ前から、何人かの選手の不調が話題となっていた。プジョー、マルケス、ベレッティ、モッタ、エドゥミルソン、そしてチャビ。これまでモッタが起用され続けてきた理由の一つとして、故障上がりのエドゥミルソンがまだまだの状態だからとされてきたが、この試合を見る限りだいぶ良くなっている感じ。そして“負傷前チャビ”と“負傷後チャビ”の差は歴然としているのも確か。リハビリ生活がどんなに早く幕を閉じようと、かつて持っていたリズムと自信というやつはそう簡単には幕開けしてくれない。

このカンプノウ開幕戦をもってバルサ“純ユニ”が見られる最後の試合となった。火曜日におこなわれるチャンピオンズの試合をお披露目として、それからは毎試合ユニセフ軍のユニを着用するバルサとなる。

●バルデス もう少し落ち着いてみよう
●シルビーニョ 80%のでき
●マルケス 40%のでき
●トゥラン 34歳の青春
●サンブロッタ 好印象
●エドゥミルソン 80%のでき
●デコ 時として本物クラック、時としてショー的クラック
●チャビ 時間をあげましょう
●ロナルディーニョ 彼にとってはまだプレステージ中
●メッシー 年間15ゴール目標
●エトー バロン・デ・オロはぜひこの方に
●イニエスタ スペインU21代表最多得点王がんばれ!
●ジュリー 途中から出るとダメ
●オラゲール 立派な控え選手


カタルーニャ軍からユニセフ軍に
(06/09/09)

「この1年間の仕事を通じて一つだけ間違いなく理解できたこと、それはバルサというクラブはカタルーニャという国の軍隊ということだ。軍隊は決して敗北を許されない。いかなる戦争であれ敗北は許されない。そして我々兵士たちにも決して敗北は許されない。我々はリーグ戦という一つの戦いに負けただけだが、それでも許されなかった。」
国王杯、レコパという二つのタイトルを獲得しながら、わずか1シーズンで更迭されてしまったミスター・ロブソン(バルサ百年史 ハロー、ミスター・ロブソン)がクラブを去る際におこなった最後の記者会見でこう語っていた。あれから10年、時代は確実に変貌を遂げている。これまでのクラブ歴代のどの会長よりも“カタラン主義者”として自他共に認めるジョアン・ラポルタの手により、21世紀のバルサは奇しくもカタルーニャ軍からユニセフ軍へと変貌しつつある。

もし、バルサとユニセフとの協力発表会が第一次ラポルタ政権が意図したように8月11日であったとしたら、つまりフラン・ライカー監督率いるバルサチームがニューヨークに滞在し、アナン国連事務総長もユニセフ本部でラポルタの来訪を待ち受け、そして大勢のカタランメディアだけではなく世界中のメディアが集まっていた8月11日であったとしたら、昨日のセレモニーよりも10倍は派手なものとなっていただろう。だが昨日は8月11日ではなくすでに9月7日、ラポルタが協力発表記者会見の前にカタランメディアに漏らした一言が彼の無念さを的確に表している。
「フットボールと同じようにチャンスは有効に活用しないとダメだな・・・。」
サパテロ首相と会談中のアナン国連事務総長はマドリッド滞在中のためアン・ベネマン女史というユニセフディレクターがユニセフ代表としてラポルタと同席、そして予定より少ない100人程度のジャーナリストを前にしてセレモニーは約20分間という短い時間で終了してしまった。

「私はカタラン人です。」
こうして始まった記者会見。
「カタルーニャの多くの人々にとって、カタルーニャは一つの国家として認識されています。しかも、最も偉大な国家の一つとして認識されています。」
もちろんバルサのことについても触れるラポルタ。
「バルサはクラブ以上の存在として知られているフットボールクラブです。スポーツ界に閉じこもることなく、市民社会の中に存在する一つのクラブとして、あるいは一人の人間として、そして14万人以上いるソシオの代表として、民主主義と市民社会団結のために微力ながら尽くしていきたいと思っています。」
そして今回のユニセフとの協力体制について。
「これは歴史的な事実として語られることになるでしょう。多くの人々の夢が実現しただけではなく、バルサというクラブが一つのパイオニアとして新たな道を開いたことを意味すると思います。そしてもし多くのクラブが我々と同じ道を歩むことになれば、それは非常に喜ばしいことだと思います。」
パチ、パチ、パチ!

バルサとユニセフが合意した内容は前回触れているものと同じ。つまり5年契約で、バルサがこの期間にユニセフに支払う資金は750万ユーロ。ユニセフロゴを胸に付けるのは強制でも義務でもないが、バルサは今月の12日におこなわれるチャンピオンズの試合をスタートに、すべての試合でこのロゴユニを着用することになる。練習着もやはりユニセフロゴが入ったもので、これまでの“純粋バルサユニ”は在庫がなくなるまで販売することになるが、少なくても今シーズンはロゴなしユニを新たに制作することはないとのこと。

こうして我々はユニセフ軍の一員として認められることになった。まさか、そんなバルサのために働く選手が犯すファールに、黄色であれ赤色であれ、恐れ多くもカードを示す審判などいるのだろうか。そして世界の児童のために尽力する彼らに襲いかかるファールに対しては、当然ながら大いなる裁きが下ることになるのであった、ジャ、ジャーン!


ジェラール・ピケ、サラゴサへ
(06/09/07)

ラ・マシアサイト“バルサC試合結果”の中で新加入選手ジョスエに触れたときにジェラール・ピケの名が出てきた。ジェラール・ピケ、バルサカンテラ育ちで現在はマンチェスター所属のデフェンサセントラル、その彼が今シーズンはビクトル・フェルナンデス監督率いるサラゴサでプレーすることになった。キッパリと1年間だけのレンタルであり、シーズン終了後はサラゴサに買い取りオプションはない。昨シーズン、マンチェスターでは11試合出場しているが、プレー時間は少ないしスタメン出場もほとんどない。同じような状況に置かれるあろう今シーズンは、出場チャンスの多いところでより経験を積んで戻ってきなさい、そういう意味でのキッチリ1年レンタルとなったようだ。

バルサカンテラ時代、ピケは確かに期待されたセントラル選手であったが、それよりも“副会長の孫”としてバルサカンテラファンからは知られていた。ヌニェス政権で20年間、そしてガスパー政権で3年間クラブ副会長を務めたアマドール・ベルナベウ氏の孫にあたる。そしてラポルタ政権が誕生し、彼の祖父は長年在籍したクラブから去ることになる。新しくできたバルサ政権にも、彼のことをジェラールでもなくピケでもなく、“元副会長の孫”として嫌らしくも認識されてしまったところが、彼の不幸(あるいは幸い)だったかも知れない。

ラポルタ政権が誕生した年、彼はフベニルAカテゴリーでプレーしている。すでにセスクはクラブを離れていたが、メッシーやトニー・カルボ、そしてジョルディ・ゴメスやバリエンテがいるチームだった。その年の暮れにマンチェスターとアーセナルからのオファーを受けていることがクラブ理事会の知るところとなり、プレッシャーをかけるためだったのか、単に意地悪な理事会だったのか、“元副会長の孫”はほぼ2か月間にもわたって干されてしまう。試合に招集さえされない2か月が過ぎると、今度はフベニルBチーム扱い選手となるジェラール。本格的にイングランドで勝負をしてみようと決意したのはこの時期だと語っている。
「我々の必要とする選手はチームカラーを肌に染めた選手、もしバルサでプレーしたくないと思っているのであればいつでもクラブを去って良い。」
サンドロ・ルセーのこの言葉を聞いてイングランドにわたってから2年後、プレミアでの試合を少々経験し、身長もさらに伸び体重も増え一回り大きくなったジェラール・ピケがスペインに戻ってきた。

ユーロU-19の大会ではかつての仲間だったバリエンテとコンビを組んでセントラルをやっていた。彼らのフベニル時代にはなかなか見られない風景(バリエンテは右ラテラルでプレーすることが多かった)だが、二人の息はピッタシという感じだった。瞬間的なスピードはバリエンテが優っているものの、空中戦にはピケの方に才能が見られる。そして二人に共通しているのは前線へのボールの供給に優れていること。いつか、この二人のセントラルコンビがブラウグラーナのユニを身につけカンプノウで見られればよいと思う。だが、それは当分先のことになる。ドーバー海峡を渡ってイベリア半島はサラゴサに到着し、バルセロナまで200キロ強のところまで近づいてきたが、来シーズンは再びドーバー海峡を越えて離れることになる。それでも、セスクとは違い、ジェラール・ピケはいつかバルサに戻ってくるような気がする。


グラシアス、バンボメル
(06/09/05)

600万ユーロの移籍料、そしてもしバイエルンが来シーズンもチャンピオンズへの参加権を得れば更に100万ユーロ、これがバイエルンとバルサが合意した移籍料だ。まあ間違いなくバイエルンはチャンピオンズ参加権を得るだろうから実質的には700万ユーロの移籍料と言っていい。こうしてわずか1シーズンのみのバルサ在籍期間を終了し、バンボメルはミュンヘンへと冒険の旅に出た。

それにしてもこれほどすべての関係者の間で丸く収まった移籍も珍しいだろう。少なくてもバルサという選手放出作戦がヘタなクラブにとっては特別珍しいことだ。1年前に移籍料なしで入団してきた選手が翌年には700万ユーロという収入を上げてくれたわけだし、バラックの後釜にと前々からボメルを狙っていたクラブは、たったの700万ユーロでその目的を果たすことができたことになる。しかも約半分ぐらいの試合にしか出場していないことや、彼のプレースタイルがライカーバルサのそれにフィットしていたかというと、決してそういうイメージは残してくれていないわけで、バルサファンにとっても嫌な印象が残る移籍ではない。そして彼を受け入れるバイエルンファンとしては、救世主と言っては大げさながら、今シーズン抜けた大黒柱の代わりの選手となるわけだから、両手を上げてのボメル歓迎となるだろう。

移籍する当人のバンボメル個人が受けるメリットにも触れておこう。わずか1年のバルサ在籍ながら、リーグ優勝だけではなく初のチャンピオンズ優勝までも己の経歴に加えることができた。そして250万ユーロという年俸さえ変わらないものの、昨シーズンよりは試合出場のチャンスが増えるだろうし、彼個人が浴びるスポットライトの数も増えることになるだろう。もちろん彼が好まないというプレッシャーというオバケも少なくなるに違いない。
「難しい決断であったことは確か。このままバルサに残れば再びリーグ戦優勝とかチャンピオンズのタイトルを獲得することも可能だったし、何よりも多くの友人たちと別れるのが辛かった。でもプロ選手としての自分を考えたとき、やはりできる限り多くの試合に出場することを優先したかった。お金をもらっているだけでは満足できないし、一人のフットボール選手としての可能性にかけてみたかったんだ。」
先週末から今週の月曜日までバルセロナに戻ってきて、引っ越しの準備をしているバンボメル。カタルーニャカップ戦にむけて練習しているかつての同僚にサヨナラし、火曜日にはミュンヘンに旅発つ。一人のプロ選手がさらなる可能性を求めて旅たつ。

かつてのコクーやマルケスの1年目と同じように、彼もまたバルサでは難しい1年目を過ごしている。だがそれでもシーズン途中では彼らしい素晴らしい活躍を見せてくれた。。そう、1年目の選手にしては予想以上の活躍を見せてくれたと言っていい。それを突然ストップさせてしまったのはリハビリに2か月近く必要だった思わぬ負傷のせいであり、負傷から戻ってきたときには爆発後のイニエスタがグランドを走り回り、70%の出来のバンボメルの出番が少なくなってしまったからだ。もし負傷という不幸な出来事が起きなければ、あのまま好調さを持続することができれば、もし、もし、もしという答えのでない仮定をしてみてもしかたがないものの、少なくても負傷前には獲得当たり選手だった。

かつてのリトゥマネンのように、バンボメルもバルセロニスタにはたいした足跡を残さずクラブを去っていく。だが、それでもなんとなく親しみを感じる選手だった。そして彼が最後にクラブに残してくれた600万ユーロという資金の使い道は金庫番ソリアーノのアイデアの中ではすでに決まっている。リーベルへの最後の支払い、そう、サビオラの3600万ユーロという移籍料の最後の分割払いの支払い分600万ユーロがバンボメルの残してくれたものでまかなえることになった。だから、その意味でも、よくわからないけれど、グラシアス、バンボメル、そしてスエルテ!


どさくさスタート(下)
(06/09/03)

1996年、弱冠19歳という若さでロナルドがバルサに入団、その際クラブが発表した公式プロフィールによれば、彼の体重は78キロとある。そして悪徳代理人の思惑どおりにわずか1年でバルサを離れ、インテルに移籍していった彼の1年後の体重は82キロとされている。そして韓国・日本ムンディアル時期での体重は86キロ、インテルからマドリに移籍した際の公式体重は87キロ、今年のドイツムンディアルでの体重は95キロ、そして夏休みが終わるのを待ってから手術し、現在リハビリ中の彼の体重は94キロと言われている。彼の理想体重が80キロ前後と言われているから、負傷前のことでもあるしバルサでの大活躍は当然の事だったのかも知れない。そして二度にわたる膝の負傷が体重の増加原因となってしまっているようだ。もうすでに30歳、プレステージで10代のカンテラ選手のように走り回ることはできないし、厳しいフィジカル面の練習も他の選手と同じメニューではきつすぎる。ハンバーガーやポテトチップスには目がないから体重は増えるばかりだが、練習でそれを減らすこともできない。
「おかしい、ぜんぜんやせてない!」
フラストレーションがたまると更にポテトチップスに手が伸びるロナルド。

そんな選手をインテルのアドリアーノと交換しようというのがレアル・マドリのアイデアだった。いや、レアル・マドリというクラブのアイデアというよりは、カペロの希望だったと言った方がいいようだ。しかも、どうやら選手移籍市場締め切りの2日前に突如浮かんだアイデアのようだ。あくまでもマルカ紙やアス紙が伝えるところが正しいとすれば、29日の深夜からミヤトビッチとモラッティの間で交渉が始まったという。

マドリ側の条件・アドリアーノ+1千万ユーロ=ロナルド
インテルの条件・ロナルド+1千万ユーロ=アドリアーノ

交渉が始まった段階から終わりが見えているような両者の条件。更にロナルド側の条件も加わる。それは年俸1500万ユーロ頂戴というものだったらしい。そもそもロナルドがマドリを離れたいとする理由があるとすれば、カペロという馬の合わない監督のもとでプレーしなくていいということと、経済的に魅力あるオファーがあったときのみだ。そこら辺はカンプノウにウロウロする芝喰いウサギと違ってはっきりと言うところがロナルドの魅力だ。その魅力的なロナルドは最終的に、そして当然ながら、これまでどおりマドリに残ることになった。カペロはすべての選手に同じように規律と犠牲精神を要求する監督として知られていることでもあるし、芝喰いウサギと同じように、このロナルドも冬のマーケット移籍組一員となることに100ユーロ。

だが29日から始まった“48時間勝負交渉”はロナルドに関するものだけではなかった。この行き当たりばったり政権はバティスタとレジェス(アーセナル)の交換、エルゲラとアヤラ(バレンシア)の交換、そしてシシーニョとアルベス(セビージャ)の交換を同時多発的に、まるでかつてのパレスチナゲリラのように交渉を進めていく、と言っても時間は48時間しかない。その結果、レジェスとバティスタとの交換という、アーセナルにとってはとてつもなく美味しい結論を見ることになったケースだけが実現することになる。

プランというものがないから、まるで首のないにわとりのようにアチャコチャと目的なしに走り回るレアル・マドリ。20世紀最優秀クラブにシーズンプランが存在しないことがあるなんて信じられないことだが、ないものはないのだから仕方がない。

例えば、レアル・マドリはプレステージの最大の山場として18日間のオーストリア合宿を予定し、実行に移している。ここでおこなわれるフィジカル面を中心にしたトレーニングをベースにして、シーズン突入に持って行こうというのがカペロのアイデアだった。この合宿には23人の選手が参加している。バティスタ、ウッドゲー、ソルダード、ポルティージョ、バルボア、パブロ・ガルシア、ディオゴ、フラード、アルベロア、ルベン、フアンフラン、ボルハ、グラベセン、デ・ラ・レ、この合宿に参加した23人のうちこれらの14人の選手たちはすでにレアル・マドリAチームにいない。エルゲラ、パボン、メヒアという計算外の選手を含めれば17人はこのフィジカルトレーニングの効果を他のクラブで示すか、あるいはベンチに座ったまま証明できない選手たちということになる。ちなみにエルゲラはサンタンデールから来たオファー額が現在のそれより低いため、最終的にマドリに残ることにした。それを知ったカペロ軍曹はまず彼の背番号6を取り上げディアラに与え、そしてフベニル選手たちと一緒に練習をさせている。やな軍曹だ。

前回の繰り返しになるが、バルサのスポーツ・ディレクターは御存知チキ・ベギリスタイン、レアル・マドリのその職にはペジャ・ミヤトビッチ。そして彼らの最も重要な仕事はシーズンを通してのプランニングをすること。なにやら我らがチキ・ベギリスタインが偉大なディレクターに思えてきたぞ。


どさくさスタート(上)
(06/09/02)

バルサのスポーツ・ディレクターは御存知チキ・ベギリスタイン、レアル・マドリのその職にはペジャ・ミヤトビッチ、二人とも元フットボール選手であり、当然ながらマーケティングスクールなどでの教育を受けたことはない。だがフットボール世界の“現場”において、二人とも素晴らしい師匠に巡り会う幸運に恵まれている。チキにはサンドロ・ルセーという交渉術にたけた師匠がいたし、ミヤトビッチにはFIFAエージェントのゾーラン・ベキック(記憶に間違いなければFIFAエージェント第一号)がいた。そう、ミヤトビッチはすでに2年前からゾーランのもとでFIFAエージェントとして働いている。

それでもこの二人の幸運さには大事なところで決定的な違いがあった。チキの1年目には師匠サンドロ・ルセーが現役として働いてくれたことで、見習いチキはほとんど何もする必要がなかったのに比べ、一方のミヤトビッチはクラブ内に師匠がいなかったため、いきなりすべての責任を背負う羽目になってしまった。そこにペジャ・ミヤトビッチの悲劇があると思う。

「これまでの自分の人生の中で自慢できることが一つだけあるとすれば、それは約束したことを必ず実行してきたことだ。そしていま、もし私が会長に選出されたなら、セスク、ロベン、カカの三人はマドリの選手となることを約束しよう。同時に、カンテラ組織の強化と若手選手の起用を実現できるように努力していきたい。」
ラモン・カルデロンが会長選挙公約としてこのように語りながら、カカはもちろんルベン、セスクの入団も実現しないまま9月に入ってしまった。。もちろんカルデロンの公約を実現化するのはミヤトビッチの仕事だった。実はこの3人の他にもペジャ・ミヤトビッチ作成による“獲得候補リスト”というのがやはり選挙公約として発表されている。アレックス(PSV)、カルバージョ(チェルシー)、チブ(ローマ)、サンブロッタ(バルサ・・・じゃなかった、ユベントス)、アビダル(リオン)、ディアラ(リオン)、エメルソン(ユベントス)、そしてバン・ニステルロイ(マンチェスター)の8人だ。今のところ約束を果たせたのは最後の3人、つまりディアラとエメルソンとバン・ニステルロイ。奇妙なことにカンナバロもレジェスも獲得候補リストの中には入っていない。

自他共に認めるバルセロニスタであるサンドロ・ルセーは、ロナルドをレアル・マドリに入団させるために働いている。もちろん彼がナイキで働いていた時代のことだ。そしてマドリディスタと呼んでいいであろうゾーランもまた、エトーをマジョルカからバルサに移籍させるために活躍した人物として知られている。ゾーランと一緒にその交渉に入っていたのはミヤトビッチだということは、多くのバルセロニスタだって知っていることだから、当然ながらマドリディスタも知っていることになる。どうやら、そのことがマドリディスタにはひっかかるらしい。いや、ひっかかるというよりは不満と言ったほうが正しいかも知れない。したがってスタート時点から彼らの関係は良好とは言えない。

選挙中に“獲得”した3人の選手はもちろんマドリには来ない。少なくても今シーズンは来ない。来たのは相場以上のユーロを支払って獲得したマンチェスターの控えデランテロ、ムンディアルで活躍したことでいまだけ話題になっているイタリアの選手、そしてすでに疲れ切ってしまっているブラジル選手、さらに特に監督に望まれてきたわけでもない左エストレーモ選手、だがカペロの第一希望候補だった元ユベントスの左右どちらでもラテラル選手は、なぜかバルサに持って行かれてしまった。そのおかげで、マドリファンからもうとっくのとうに飽きられているクチカルも残ることになった。市内ライバルクラブのAt. マドリに逃亡を図ろうとしたグティも、グチャグチャした状況から最終的にクラブに残ることになった。

バン・ニステルロイの入団式がベルナベウでおこなわれた際、その観客席からは“カカはどこだ?”という垂れ幕と共に、“エトーはどこだ?”という素晴らしい垂れ幕も出現している。ディアラの入団式の際にもまったく同じ風景が繰り返されている。そしてメレンゲ期待のカンテラ出身選手フラードのAt.マドリ移籍交渉をすすめたミヤトビッチに対し、それまでの“不満”から“大不満”へと発展してしまった。約束した選手の獲得はできない、マドリディスタ期待の何人かのカンテラ選手は放出、これまでのプレステージの試合では結果もでないばかりか、内容も自慢できるものではない。当然ながら、ベルナベウでのシーズン開幕戦における試合内容はプレステージでのそれの延長線だった。

多くのマドリディスタが選手移籍市場が閉鎖される8月31日24時までに何かが起こることを期待したとしても不思議ではない。事実、この日のマルカ紙とアス紙はそれぞれ3ページも割いて大アドバルンを上げている。アーセナルのレジェス獲得、インテルのアドリアーノ、もしくはバレンシアのアヤラの獲得、そしてセビージャのダニ・アルベスの獲得、これがライバル紙である両紙が奇しくも同じようにあげたアドバルンだ。
  ----続く---


ユニセフ
(06/09/01)

8月29日に最初の理事会が開かれたことにより、第二次ラポルタ政権が公式にスタートした。対立候補なしということで、会長選挙さえおこなわれず再び会長に任命されたことは当然のことと言っていい。かつての選挙で正式な会長候補となったミンゲージャやマジョーは選挙戦にうってでることより、マジョルカ島でのバケーションを楽しむ方を選んだし、今回の唯一のそれらしき会長候補になろうと自殺行為にも等しいと思われる出馬を思いついたメディーナは、前回の選挙では規定数のソシオ信任投票さえ集められず正式な会長候補になれなかった人物だ。したがって、当然のことながら99.9%のバルサソシオが予想したように、ラポルタ第二次政権が誕生することになった。そしてそれはこれまで“待ち状態”であったユニセフの登場を意味することになる。

2003年にラポルタが会長に就任し、ラポルタ理事会最初のソシオ審議会が開かれたのはその年の8月23日。このソシオ審議会において歴史的な提案がなされ、可決されることになる。百年以上の輝かしいクラブの歴史において一度たりともスポンサーロゴを付けたことのないバルサユニフォーム、そのユニフォームにスポンサーロゴを付ける許可が下りた。
「ユニフォームにスポンサー広告を付けることで年間1000万ユーロから1500万ユーロの広告収入が見込める。クラブ財政を立て直すためにもどうしても必要なことだと理解して欲しい。」
このラポルタ理事会の提案に対し、ソシオ審議会に出席したソシオのうち450人が賛成、32人が反対という投票結果となり、承認可決ということになった。

そしてそれから3年たった。これまで怪しげで不透明な中国関係のスポンサーとの交渉があったり、ベタウインというネット系博打関係のスポンサー話も登場した。だが最終的に、スポンサー料を支払ってくれる企業ロゴではなく、1ユーロも収入が見込めないユニセフという組織のロゴを付けることになった。バルサとユニセフの間で交わされた契約は次のような内容となっている。期間は5年間、ユニフォームにユニセフのロゴを入れるのは義務的なものではなく、バルサが将来契約するかも知れない一般企業のロゴを入れることは自由。ユニセフがバルサ側に義務づける唯一のこと、それは恵まれない世界の子供たちを救うために年間150万ユーロの寄付をユニセフに納めること。

非常に美しい話であることは誰も否定できない。バルサというクラブが“クラブ以上の存在’として自他共に認めるように、それを証明するようないかにもバルサらしい話ではある。だが同時に、突っ込みどころの多い話でもある。

何人かの知り合いオヤジソシオがイチャモンをつける。
「俺たちがソシオ審議会で許可したユニ広告問題は、あくまでもクラブ財政を立て直すという意味合いでのものだった。したがって1ユーロも収入が見込めないユニセフ広告というのは違法行為ではないか。」
ルセー好きの友人が語る。
「ラポルタが将来は政治家になりたがっているというのは、カタルーニャの人間なら誰でもが知っていること。平和のためだとか困っている人々を救うためとか聞こえは良いが、つまるところは彼個人の名声を勝ち取りたいということに過ぎない。それもバルサというフットボールクラブを土台にしちゃうんだから調子の良い野郎だ。」
そして一番若く最も論理的にしゃべる若者ソシオが語る。
「困った人々を救おうというのなら救済資金は多ければ多いほどいいに決まっている。もしバルサが本腰を入れてそういう運動をするつもりなら、2千万ユーロぐらいのスポンサーロゴ資金を提供してくれる企業を見つけて、その半分ぐらいをユニセフに寄付すればいいじゃないか。どっちにしたってユニは汚れてしまうんだから。そして残った金で40%以上も値上げしたソシオアボノ料金を前のものに戻せばいい。」

企業ロゴであれユニセフロゴであれ、そんなものはいっさい付けない方がスッキリしていて良い、と個人的には思う。何かというと“バルサはクラブ以上の存在”と強調する人を見ると、あ〜ん、胡散臭い野郎だなと最近感じるようになったし、“ラポルタはクラブ会長以上の存在”とまで言い出すメディアやラポルティスタが出始めると、これは、もう、プンプンと政治的な香りが臭っちゃうのであります。

アナン国連事務総長と満面に笑みを浮かべた我らが会長ラポルタが肩を並べ、その二人を世界各国から集まったジャーナリストやカメラマンが取り囲んでいる。世界で初めてと言っていいUNICEFロゴの入ったユニフォームの発表会。ラポルタにとって人生最高の日と言っていいこの発表会の日はもうすぐやって来るようだ。チャンピオンズの試合を利用するか、あるいは日本でのムンディアリートを利用するか、いずれにしても今シーズンのクラシコはシエメンス対ユニセフという戦いになることに決定したようだ。


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