2006年
2007年
6月

8月にお会いしましょう
(07/06/19)

「勝利したときよりも敗北した後の方が、明日に向けての準備がやりやすくなる。」

フットボール界に生き続けたクライフの言葉は単純明快だ。勝利という結果を得たとき、クラブ関係者が、ファンの人々が、そしてメディアが、すべての人々が勝利という喜びの中にあって、あくまでも“プラス面”しか見えなくなるのは不思議なことでもなんでもない。勝利という最高の結果を得たにもかかわらず、根底からの変革など誰も口に出すわけがない。そして今シーズンのスペインリーグは、その大改革を必要とするチームが優勝してしまった。

つまり、なんだ、優勝できなかった悔しさもあるものの、言ってみれば、来シーズンのバルサはすでにマドリを一歩リードしてスタートする、こういう風に理解してみよう。

そう、シーズンが終了した翌日から、休む暇もなく、新たなシーズンに向けての準備がおこなわれる。それは二位のチームに優勝をプレゼントしてもらったマドリにしても、プレゼントなどしたくなかったにもかかわらず結果的にそうなってしまったバルサにしても、まったく同じように来シーズンに向けての準備に入らなければならない。

まだまだ輝かしいサイクルが続くであろうバルサを追っかけて、再び8月の最初に復帰約束。それでは、少し早めながら、“楽しい夏休みを!”

カピタン


あれから15年
(07/06/17)

15年前のちょうど今頃、首位を走るレアル・マドリはカナリア諸島に飛びテネリフェと勝負。2位のバルサは地元にビルバオを迎えての最終戦。ほぼ間違いなく勝利すると思われたレアル・マドリが敗れ、そしてバルサが勝利したことにより奇跡的なリーグ逆転優勝となった。この1992年、ウエンブリーを舞台としてバルサ初のチャンピオンズカップを達成し、7月にはバルセロナオリンピックが開催された年でもあった。そこらへんを思い出しながら書こうとしたら、たまに見に行くブログで面白いコラムを発見。

あれは1992年6月のとある日曜日の午後。2日後には大学受験が控えていて、ここ何か月かの週末と同じようにほぼ徹夜状態で受験勉強をしていた。本当に最後のラストスパートとなる貴重な日曜日の午後。そんなおり、幼なじみのラウルが電話してきた。

「ハビ、今日は最終戦だし、一緒にカンプノウに行かないか?」
「俺が行くわけないだろう、ラウル!今日は一日勉強しなくっちゃ。」
「でも今日の試合は優勝をかけた大事な試合だぞ。」
「なに言ってるんだよ、マドリがテネリフェに負けるわけないだろ。例え奇跡が起こってもそれはあり得ないさ、ラウル。」
「そりゃあそうだけどさ。二部落ちをどうにかこうにか免れたチームだし、何と言ってもポルテロは元マドリの選手だし、確かにテネリフェに勝ち目はないさ。でも、万が一ということもあるし、受験勉強の缶詰状態から一時的に開放されて気分転換するのも良いと思って誘っているんだ。だからさ、行ってみようよ。」
「う〜ん、途中で家に帰るかも知れないけれど、それでも良かったら行ってみるか。じゃあ、いつものところで!」

いつもの南ゴール裏席。もちろんバルサ優勝なんてことは少しも期待していなかったし、そんなことが起きるわけがないと思いながらカンプノウにやって来た。ほんの少しの間だけ受験のことを忘れ、良い気分転換になればそれでじゅうぶんだった。

隣に座っているラウルはラジオを聴きながらの観戦。試合開始間もなく、マドリがゴールを決めるニュースが入ってくる。あの元マドリポルテロのミスらしい。そしてハジのゴラッソによる追加点のニュース。テネリフェ0点,マドリ2点。正直言ってそれほど驚かなかったのを覚えている。テネリフェが勝つわけがないのだ。だが、そのテネリフェがゴールを決め1−2というスコアーになり、我々が見ている試合でもストイチコフが2ゴールを決めて2−0で勝利し前半終了。試合開始前の気分より何となく、まだ何となくという雰囲気だったが、何かが起きるかも知れない、そんな予感がしてきた。

後半開始30分が過ぎても何の変化もなかった。2−0でバルサが勝利しているカンプノウの試合でありながら、シーンと静まりかえっているスタジアム。そして突然ラウルが何か叫びながら立ち上がる。他の人々も大声で叫びながら立ち上がった。
”ゴール!ゴール!ゴール!”
”ゴール!ゴール!ゴール!”
”ゴール!ゴール!ゴール!”
そう、テネリフェのゴールが決まり同点となったのだ。ラウルが何か叫んでいる。周りの人々も何か叫んでいる。そして自分も何か叫んでいる。だが、何を叫んでいるのかさえもうわからない状態だった。試合終了までの10分強、頭の中が真っ白となり、これまで受験用に暗記してきた内容の三分の一がどこかへ飛んで行ってしまった。

気がついたらランブラス通りにいた。イムノを歌い、大声で叫び、ワインやビールを飲みまくり、想像だにしなかった逆転優勝を朝まで祝い続けた。ここでもこれまで暗記してきた三分の一の内容がまたどこかへと消えていってしまった。でも、そんなことはどうでも良いことに思われた。バルサにとって、そしてバルセロニスタにとって、歴史的な瞬間に出会えた喜びで大満足だった。

最初にして最後の受験失敗となったあの年からすでに15年が経過した。そして今週末、自分は再び15年前のような気分で試合観戦することになるだろう。今度はスタジアムではなくテレビの前での観戦となる。あの15年前の試合前と同じように、バルサ優勝の期待なんかちっとも持ち合わせていない。それでも・・・再び何かが起こるかも知れない。自分の体の中に残っている“記憶”がそう囁く。再び何かが起こるかも知れない。

最後の希望の星にして我らが秘密兵器ガジーナ・マクシ、バモス!


アンリ、噂から1年
(07/06/15)

去年の5月初旬、つまりアーセナルとバルサによるチャンピオンズの決勝戦がおこなわれる2週間ぐらい前のこと、ほぼすべてのカタランメディアがアンリバルサ入団を暗黙の了解事項としていたなか、マドリパンフレットの一つであるアス紙のジャーナリストは、「アンリのバルサ入団の可能性は決勝戦次第」として、だいたい次のように説明していた。

アンリ獲得構想はすでに半年前から進められている。もちろんバルサもアーセナルもチャンピオンズ決勝進出チームと決定する前からだ。だが思わぬことに、アンリがプレーするアーセナルと、そして彼を獲得しようとするバルサが決勝で対戦することになってしまった。この偶然の出来事が、これまで順調におこなわれていた入団交渉に微妙な形で変化を起こすことになる。

もしバルサが敗北したら、アンリ獲得というニュースはファンに大いなる希望を与えるだろう。だが、もしバルサが優勝してしまったら、大金を投じてのクラック選手獲得はそれほど必要なことではなくなってしまう。ヨーロッパチャンピオンとなったチームだから、必要最低限の選手補強作戦をおこなうだけでじゅうぶんだ。アンリにしても、もしアーセナルが敗北した場合、バルサという勝利チームのもとへと走り込むのは辛いことだ。彼にとっても、そしてバルサにとっても、その場合は少なくても1年間は冷却期間をおくのが理想的となる。

結論。
アーセナルが勝利した場合、決勝戦終了してからできる限り早くバルサ入団記者会見を招集。もしバルサが勝利した場合、アンリ移籍は事情が変わらない限り1年後となるだろう。

彼の状況分析がこのような結論を生み出したのか、はたまたラポルタ政権得意の情報流しによってつかんだネタなのか、あるいは入団しなかった理由は別の所にありながらも結果だけが当たってしまったのか、いずれにしても、アンリアーセナル残留という事実から1年たった。そして今週日曜日23時、もしバルセロナ方面で悲劇が発生した場合、ラポルタ政権に対し“不満を持ち始めたファン向け元気づけ入団”が来週早々にも発表されるかも知れない。そしてその選手がアンリであったとしても、もう不思議でも何でもない。アンリにとっても、そしてバルサにとっても、お互いを必要とする関係になりつつあるからだ。

アンリが来ること自体よりも、果たして誰がいて誰がいないバルサに来るのかということのほうに興味がある。

クラブ理事会がエトーを売りたがっているという噂はもうかなり前からある。特にビラフランカでおこなった“何でもかんでも誰でも批判”という爆弾発言以来、その噂は途絶えることがなくなっている。そしてその手のニュースは、90%の確率でクラブ理事会が流した情報だと言って良い。国内国外を問わず、エトーの将来に関する話題は、ほぼ間違いなくクラブ内部から流したものと思って良いだろう。それはサンドロ・ルセーだけではなく、これまで辞任した多くのクラブ関係者が、意図的な情報流し事実を認めていることからもうかがえる。話題となる当人にプレッシャーをかけると共に、ファンからの反応をうかがう。パワー・ポイント世代のラポルタ理事会は、情報の大切さと影響力の大きさを誰よりも認識している。

根拠のない思いながら、最終的にエトーは残るだろう。サビオラ、エスケロ、ジュリー、グジョンセン、モッタ、エドゥミルソン、ジオ、シルビーニョ、ベレッティ、トゥランなどがいなくなることはあっても、サムエル・エトーは残ることになるだろうという気がする。

でもまだ来シーズンの話より、今シーズンの話。
最後の希望の星にして我らが秘密兵器ガジーナ・マクシ、バモス!


違いを見せる国
(07/06/13)

スペイン・イズ・ディフェレント、それは険しいピレネー山脈を越えたところのイベリア半島に位置することを指すわけではなく、多くの会社の勤務時間が09時〜13時、16時〜20時となり昼休みが3時間もあるノンビリとした慣習を指すわけでもない。ましてやオレンジや生ハム、オリーブなどが特別美味しいことを指すわけでもない。スペイン・イズ・ディフェレント、それは他の国では考えられないスペイン独自のフットボール的な問題が生じることを指す、と断言した友人がいたが、なまじっか外れたアイデアでもない気がしてきた。

例えば代表問題。

代表の試合でチャビとプジョーが、スペイン国旗がデザインされているストッキングの部分を折り曲げていた、とマドリメディアは騒ぎ立てる。そう言えば、かつてグアルディオラが、国歌が流れている際にガムをクチャクチャとかんでいたとマドリメディアから批判されて問題となった。カタルーニャ出身の選手が代表選手となると、何らかの話題がマドリあたりから伝わってくるのはいつものことだ。そしてスペイン国歌に歌詞をつけようじゃないか、そういう動きがでてきたいま、カタランメディアは“踏み絵”行為としてこの動きを伝えている。つまり、カタルーニャ出身の代表選手がスペイン国歌を歌うか歌わないかそれを見てやろうじゃないか、という中央の意向を“踏み絵”として表現している。

例えばフットボールカレンダー。

他のヨーロッパ諸国のリーグ戦はもうとっくに終わっているというのに、スペインリーグではまだ続いている。リーグ戦だけではなく、国王杯優勝チームを決める決勝戦は6月23日となっており、この試合をもってようやくすべての大会が終了することになる。カルッチオの世界を見てみると、リーグ戦がスタートしたのは9月10日。8月には始まっているスペインリーグより3週間も遅れてのスタートであるにもかかわらず、もうとっくのとうにカルッチオは終了している。スペインリーグより4週間も早く終わっているのだ。カタニアでの事件が発生し、すべての試合が中止となった週があったにもかかわらず、そして一発勝負のスペイン国王杯決勝戦と異なり、ホーム&アウエー方式をとっている国王杯システムであるにもかかわらずもうとっくの昔に終了している。

例えば優勝チーム決定規約。

ピレネー山脈を越えたポルトガルとスペインのあるイベリア半島以外の国にあって、複数のチームが同ポイントで首位と並んだ場合、シーズンをとおしての得失点数の大きさで1位を決める。ただ、イタリアだけは例外となっており、同ポイント首位の場合はリーグ戦終了後に独自の直接対決をおこなって優勝チームを決めている。ピレネー山脈を越えた国ではどうか。ポルトガルもスペインも、同ポイント同士チームの直接対決でのポイント数の多いチームが1位。直接対決でのポイントも同じ場合は直接対決での得失点数の多いチームが1位。さらに、それも同じ場合には他の国と同じようにシーズンをとおしての得失点数差で決まることになる。

イングランドをはじめ多くの国では、すでに来シーズンに向けた構想作りが実行に移されており、放出選手や加入選手、あるいは新監督などが毎日のように決まり発表されている。もちろん各国の選手たちはすでに夏休みに突入し、フィジカル面での疲労回復はもちろん、一番大事なメンタル面での休養期間に入っている。

スペイン・イズ・ディフェレント。そう、スペインリーグでプレーする選手たちはまだまだバケーションには入れない。リラックス期間に入っている他の国の選手たちを横目に見ながら、今週末のリーグ最終戦を戦うためにこのクソ暑い6月に練習にいそしんでいる。そしてリーグ戦が終われば、国王杯決勝戦を準備しなければならない二つのチーム。その決勝戦が終われば・・・すぐに来シーズンの準備をするためのプレステージがやって来る。

最後の希望の星にして我らが秘密兵器ガジーナ・マクシ、バモス!

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カンプノウ最終戦
(07/06/11)

カンプノウ最終戦、そしてリーグ優勝をかけた最後の決勝戦と言えるエスパニョール戦。まわりの多くの人々と同じように、この試合は久しぶりにラジオを聴きながらの観戦。リーグ最終戦での逆転優勝はこれまで3回経験してきているし、経験上この手の試合では試合観戦を楽しむと言うよりは、審判の笛が吹かれるまで苦しみ抜いての90分観戦となることを知っている。そして目で観戦中の試合と、耳から入ってくる試合が両方終了して初めて狂喜の瞬間がやって来る・・・はずだった。

まるでベティス戦のコピーのような最終分の出来事。もし、という仮定が許されるとするなら、もし、前半40分後半40分のというルールであったなら、バルサはとっくのとうにリーグ優勝を決めていただろうという、帰宅のバス中での思い。

そのバスの中に十代と思われる若い兄弟が、茫然自失という雰囲気で並んで座っていた。弟と見られる若者の方は下を向いたまま頭を抱えているかと思えば、アァ〜という感じで天井を見つめ苦しそうな表情を作っている。目はほとんどイッてしまっている。兄と思われる方は下を向いたままラジオに聴き入っている。そして時たま両手で顔を包み、他人には聞き取れない独り言をブツブツとつぶやく。
「なぜ、こんなことになってしまったのだろう?」
答えのでない、いくつかの疑問が彼らの頭の中を行ったり来たりしているのだろう。

例えば、

選手交代は3人まで許されているというルールがあることを、いつになったらライカーは気づくのだろうか。バセリーナというシュートテクニックがあることをいつになったらエトーは気づくのだろうか。オフサイドラインというのは横に一直線になって初めて効果があることをいつになったらオラゲールは気づくのだろうか、エトセトラ、エトセトラ・・・。

バルセロニスタとは苦しむものなり。そしてそういう苦しみを何回も経験し、一丁前のバルセロニスタになっていく・・・というのは嘘だ。十代であろうが、二十代、三十代、四十代、五十代、六十代であろうが、悔しさには変わりがない。ただ、彼ら若い兄弟と違って周りの年寄り共が平然としているように見えるのは、それは自分も含めて、悔しさを外に出さないようにすることを学んでしまっているからに過ぎない。ただ、それだけの違い。

バルセロニスタとは苦しむものなり。だが、苦しんでいるだけではない。約15年前のリーグ最終戦逆転優勝の時でさえ、その瞬間まで苦しみながらも常に希望だけは捨てていなかった。希望は、もし捨てなければならないものがあるとするなら、順番としては最後の最後の最後となるものだ。

ここにきて、カタランパンフレットメディアからの問いかけもあってか、果たしてこんなバルサがリーグ優勝するのに相応しいかどうか、というようなことがバルセロニスタの間で論議されている。まったくもって不毛な論議。リーグ優勝に相応しいチームは、ひとシーズン38試合を戦って最高数のポイントを稼いだチームだ。優勝を遂げたチームはどこであろうと相応しいチームとなる。したがって、“こんな”バルサであろうと、もし最高ポイントを稼いだとしたら、優勝に相応しいチームとなるのは自明の理ではないか。

最後の希望の星にして我らが秘密兵器ガジーナ・マクシ、バモス!


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