[ 1 ] 全てを飲み込む資本の論理 投稿者:十六 投稿日:2007/02/11(Sun) 12:40

クラシコ前であろうが学校のテストの前日であろうが、人が訪れるであろう未来に対し、
良いイメージを想起し次に備える事は、その結果に対し大変重要だと
思っている十六です。
わけて幼いカンテラ戦士等にとって、憧れのピッチであるカンプノウをわき目に
日々己を磨く事は、どれだけ彼らの成長を助けてきたか分かりません。

自らのゴラッソにより、クラシコを勝利する絵を思い描く子。
ピボーテの位置からチームの舵を取り、クレ等の「オーレ!」を引き出す
事を想起し、ほくそ笑む子。
日々の練習、怠る事の無い努力こそが最大の近道ではあるのでしょうが、
あのミニエスタディという"環境"が、いかに幼い彼らを助けてきたか、それは
大変大きなものであったろうと思います。

クラブのかけがえのない財産、まさに"priceless"なミニエスタディを売ってまで
確保しなければならない資金というのは、一体なんなのでしょうね。
団地妻ばりのケチケチフロントに対し、今一層不信感と嫌悪感を抱く十六でした。
そしてカピタン、またまた貴重な情報、見解を楽しく読ませて貰いました。
有難うございます!


[ 2 ] 無題 投稿者:barsan 投稿日:2007/02/11(Sun) 19:51

自分は資金云々のところは単なる言い訳でどうも裏にはヌニェスのにおい漂うミニ・エスタディを壊したいというラポルタの思惑を感じ取りました。

カンプ・ノウ改築、ミニ・エスタディ売却、パラウ再建築のような大胆な改革もそうですし、会長就任当初に行ったカンテラ以外の選手の一斉粛清等、このラポルタという会長は自分以外の会長の臭いをとことん嫌い人物のようですね。全部自分色に染めてしまいたい、そんなエゴイスティックなオーラを感じ取ってしまいます。そんな自分勝手な思惑のためにミニ・エスタディが壊されてしまうなら自分もちょっと拒否感を抱きます。

でもラポルタのスゴイところはたとえ発端は自分のそういう自分勝手な考えであっても、それを見事論理で塗り固め正論のように見せかけ、さらにはそれを成功させてしまう力強さにあると思います。選手の一斉粛清も見事はまりましたし、その穴も積極的な補強で埋めるどころかチームを何倍にも強力にしました。今回のミニ・エスタディ売却も現実だけを客観的に見ればクラブにとって有益なものとなるのでしょう。日本円で約四百億ですか?あまりにも魅力的です。

見方次第では非情なやり口のラポルタですが、結果はこれでもか!というぐらい残しているんでグゥの音も出ない。結果を出すためにはマイノリティはないがしろにされなくてはならないのでしょうかね。複雑です。


[ 3 ] サリアスタジアム跡みたくなる? 投稿者:とおる 投稿日:2007/02/11(Sun) 23:24

バルセロナに行って、カピタンさんに直接この話を聞いたときは悲しかったです。ラポルタはミニエスタディをぶっ壊した会長ということで僕の心に深く刻まれることでしょう。
なので、ミニエスタディがなくなる前にまた行きたいと思っています。その時はまたよろしくお願いします。

いつまでに行けばいいのだ?


[ 4 ] どうも、ミニエスタディです。 投稿者:ミニエスタディ 投稿日:2007/02/13(Tue) 01:16

ミニエスタディで、イニエスタを見ました。ミニエスタディでメッシーを見ました。特に後者は自陣からの素晴らしいドリブルでのゴールで私の脳裏にバルサの幸せな未来を描かせてくれました。
ミニエスタディの裏コートでガイを見ました。ガイだけではなく彼らの世代を見たというべきでしょう。彼らがカンプ・ノウに立つころにはバルセロナに住んでいたいなぁ。とバルサと自分の幸せな未来まで想像してしまいました。

ミニエスタディの話はもう少し状況を見る必要があるようです。とにかくミニエスタディでは未来を見させてくれる瞬間が溢れていたと言いたいわけです。

ここのコメントとは一致しないので恐縮ですが、オラゲールの政治的発言について、グラミーでディクシー・チックスが栄誉を受けました。言いたいことは唯一つ、自分の発言には正面から責任を取るしかないと言うことです。もちろん彼はわかって発言しているのでしょうが。。。


[ 5 ] ミニ・ノウは? 投稿者:永田店長 投稿日:2007/02/14(Wed) 01:18

ミニエスタディでは、カンテラっ子はカンプノウを意識しながら切磋琢磨し、ファンは未来を想像しつつパラウやカンプノウへと梯子してバルサというクラブを感じる。
ミニエスタディはカンプノウの隣にあるからこそ、その存在に意義があるように思います。
仮に、現在のミニエスタディを売却するとしても、ミニ・ノウはカンプノウの側に建てて欲しいものです。じゃないと、クラブの一体感みたいなものが薄らいでいくような気がしてなりません。