2007年
9月
2008年

70年遅れのカップ
(07/09/29)

土曜日22時(3試合連続22時!)にバルサが対戦する相手はバレンシアにあるレバンテ。わずか5シーズンしか一部リーグでの経験がないとはいえ、1909年クラブ創立というから、98年間もの歴史を持つ伝統あるクラブ。だが、ソシオ数1万人、クラブ年間予算1200万ユーロというつつましいクラブである。もちろんその長い歴史において、リーグ優勝はもちろん国王杯にも勝利したことがない。少なくてもスペインフットボール史に記録されているタイトルは一つも獲得したことがない。したがってクラブ博物館(が、あればの話だが)には、公式戦によって得られたカップは一つも飾られていない。それでも、つい先日まで幻のカップを持っていたクラブである。

今からちょうど70年前、1937年のこと。つまりフランコ・ファシスト反乱軍がモロッコで武装蜂起し、スペイン内でスペイン人同士が銃を持って戦うという内乱が起きてから1年後のことになる。共和国軍を擁する地中海側の地域では、戦火の中でありながら、それでも8つのチームからなる地中海リーグというのを戦っていた。このリーグ戦に優勝したのは我らがバルサ、そして上位4チームによって争われる共和国カップというのがその後おこなわれている。内乱以前にはコパ・デ・レイ・アルフォンソと呼ばれ、現在では単にコパ・デ・レイ(国王杯)と呼ばれている大会だ。リーグ戦1位となったバルサは当然ながら出場権利を持っていたものの、クラブ資金と共和国軍資金確保のため、戦火を離れメキシコツアーへと旅立つ。そのおかげでリーグ戦5位に入ったレバンテがバルサの代わりにこの大会に参加することになり、1937年7月18日バルセロナで開催されたバレンシア相手の決勝戦に勝利し、クラブ創立以来初のタイトルを手にする。だが、1939年、フランコ・ファシスト軍の勝利に終わった内戦終了後、このカップは幻のものとなり、公式記録から消えてしまった。

40以上あるレバンテ・ペーニャの中にペーニャ・トティルというファン組織がある。彼らは地元での試合のハーフタイムに、赤・青・黄色というトリコロールの中にカップを描いた共和国軍の旗をここ何シーズンか降り続けている。
「幻のカップを返せ!」
それが彼らの訴えだ。そして、その動きに注目した一人の政治家があわられた。左翼連盟の一人でありバレンシア出身の政治家であるイサウラ・ナバーロ女史。彼女はこれまで幻であったカップを公式に求めるべきだと国会に持ち込んだのだ。う〜ん、すげえ話だ。

社会党をはじめとして多くの党が関心を示すものの、保守党である大衆党(PP)は当初その訴えに反対の意思表示をしている。だが、世の中良くできたもので、PPには保守色の強いバレンシア出身の政治家が多くいる。その政治家の中に元レバンテ副会長がいたり、父親がその決勝戦にレバンテ選手として出場した政治家がいた。愛するレバンテのために彼らは党内を走り回り、猛烈なネゴ活動に入る。もちろん党の意見を変えるためだ。そして、彼らの強烈なエネルギーが岩をも砕いてしまったのかのように、PPも賛成の立場に鞍替えすることになる。つまり、反対する人々は一人もいなくなったことになる。国会での質疑もなく、このカップをスペインフットボール協会は認めるべきだという賛成案が国会を通過したのは、つい先日のことだ。う〜ん、すげえ国だ。

「右ラテラル選手だった父は、当時のレバンテは偉大なチームだといつも語っていた。バレンシアやバルサにも負けなかったと口癖のように繰り返していた父だった。」
9年前にすでに亡くなってしまった父親を偲びながら、だが、誇らしげに語るのはエルネスト・カルペというPPの政治家。レバンテペーニャや、政治家というか単なるレバンテインチャというか、いずれにしても彼らのおかげで、幻のカップが、ついに“実物のカップ”となって70年ぶりにレバンテに戻ってくる日は近い。

レバンテがクラブ史上初のカップを獲得できたのは、我らバルサ遠征組がメキシコに行ったからだというような、心の狭いことを言ってはいけない。だが、それでも、バルサに対して70年前の感謝の気持ちをあらわすために、3ポイントのプレゼントをあげましょうという美しい行動にでたとしたら、それはそれで喜んで頂戴いたしましょう。アウエー2戦2分けのライカーバルサにとって、これほど美味しいプレゼントはないのだよん。

まるで象の歩みのようにトロトロとしたライカー監督の選手交代のせいで、メッシーやアンリを早めにベンチに下げることができなかったサラゴサ戦。このトロトロシステムはいつの日かメッシーやアンリの負傷を招くことになりかねない。大事なチャンピオンズの試合にも影響が出てくるトロトロだが、そこを修正するためにも彼らを休ませるべきだろう。というわけで、レバンテ戦おすすめスタメン11人。


守護神バルデス
(07/09/27)

ラ・マシアでおこなわれる毎日の練習で、最後にグランドを後にするのは決まってビクトル・バルデスだ。バルセロナ・メルセ祭の月曜日、この日の午後におこなわれた練習でも、バルデスはいつものように“残業’している。ボージャン・ケルキックのシュート練習に最後までつきあった彼は、この日の2日前におこなわれたセビージャ戦で今シーズン2度目のバルサカピタンマークを付けている。

カピタンとなった印象は?

カピタンはプジョー、ロナルディーニョ、そしてチャビの三人。彼らが自分のカピタンであり、同時にチームの代表者となっている。自分があの試合でカピタンマークを付けたのは状況が生んだ単なる偶然に過ぎない。それでも、まったくの偶然とはいえ、カンテラ育ちの自分には特別な出来事であるし、非常に光栄に思えることには変わりがない。時間的にも短い間だったけれど、とてつもなく誇りに感じる瞬間だった。

“ロナルディーニョ問題”があなた方に与える影響は?

外側で騒いでるだけで、内側にいる我々には影響なんてまるでないと思っている。もちろん仲間の“悪口’を言われるのは気分の良いことではないし、仲間の私生活のことに関して、メディアがバカ騒ぎすることも不愉快なことだ。バルサというチームを構成する選手たちはみな大人であり、プロ精神に富んだ選手であり、己をコントロールすることができ、そして何よりもバルサでプレーするという意味をじゅうぶん認識している人々だと思っている。

昨シーズンの“不振“から来る、あらゆる意味でのプレッシャーを感じているか?

バルサというクラブに対する期待というか、要求の大きさから来るプレッシャーはいつのシーズンでも同じ。このクラブでプレーしている選手であるならば、そのことは例外なく誰もが知っている。自分もそうだけれど、小さい頃からそういうプレッシャーを受けながら成長し、そして幸運にもここまでたどり着くことが可能となった選手は特にそうだろう。新しく来た選手たちも、このクラブが特殊なものであることに気がつくのにそれほど時間はかからないだろうと思う。毎日の練習に大勢のファンが詰めかけ、そして練習が終わってもジャーナリストに追いかけられる毎日。そしてチョットしたミスが何回か続くと地元のスタジアムでありながらブーイングを受ける。そんなことは、例えばイングランドでは考えられないことだろうと思う。

昨シーズンに比べると、守備的なところではかなり強化されているのが数字となってあらわれています。それは同時に、あなたの活躍の場が少なくなっていることにもなる。

相手よりも1点でも多くとるのが我々のポリシーであることには変わりがないものの、もちろん相手の攻撃を封じ込めるのも我々の仕事であり、そのためには自分が最後の砦となることも自覚している。自分の職業はポルテロ、もし相手の決定的なゴールチャンスを食い止めることができれば、チームにとって大いなる意味を持つ存在となり得るし、もしミスを犯すようなことがあれば、それはチーム内での最低評価の対象となる選手ともなる。そこがデランテロとの違いだ。彼らはゴールを決めればヒーローになれるが、例え決定的なゴールチャンスを逃したとしても批判は大したことはない。そして自分は10歳の時から、そういうポルテロとしての運命が気に入っている。目立たない存在ながら、守備に入る選手たちの後ろには、安全を保証してくれる人物が一人いるという安心感を彼らに与えることができるように、毎日の練習に励んでいる。そして自分の出番が少なくなったという事実は、逆に自分の責任も多くなるということも知っている。それがバルサというポルテロの運命だということも知っている。このクラブでポルテロをつとめるのは限りない集中力が要求されることになる。

あなたのところにボールがやって来ない状態で、そのように集中力を保つのか?

一つ一つのプレーに自分も常に参加しているという、仮想状況を作りながら90分間プレーしている。寒さに集中力を奪われないことも大事だ。プレーに参加しているという仮想状況を頭の中で作りながら、同時に体をいつも動かすことも忘れてはいけない。攻撃的なフットボールを展開するバルサだから、自分とセントラルとの間に大きなスペースが生まれるのは仕方のないことであり、それだからこそバルサのポルテロはゴール枠の前にジッとしていることは許されない。デランテロとの一対一の勝負という危険な状況が発生することも珍しくはないし、その勝負に勝利することも義務づけられている。危険と言えば危険な職業だが、それは人生と同じように、安全性だけを心がけていたら面白くないだろう。

安全性を求めない人生観を持つビクトル・バルデスはどういうタイプの人か?

一人きりになって孤独を楽しむタイプかも知れない。友達の数は普通の人と比べれば少ないだろう。仲間と集まってガヤガヤやるより、一人で目的なしに散歩するのが好きだし、特に海を見ながら浜辺を一人歩くのが好きだ。頭の中を空っぽにして歩き回る。小さいときからポルテロという孤独なポジションをやって来たからか、あるいはバルサというプレッシャーの多い環境で育ってきたからか、それはわからないが、いずれにしてもそういう星のもとに生まれたのだろう。プレッシャーを受けるのが自分の人生にとって必要不可欠なものとなっているが、それが嫌いではない。

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ロナルディーニョ
(07/09/25)

9月19日カンプノウ、リヨン相手のチャンピオンズの試合。試合開始1時間前からラジオを拝聴。いつものように、何人かのファンからのこの試合に関するメッセージが電話をとおして送られてきている。その中の一人が次のように語っていた。
「日曜日におこなわれたオサスナ戦2日前の金曜日、ディスコでロナルディーニョとその仲間の姿を見ている。彼らは我々と同じように、ディスコが閉まる朝の6時まで踊り惚けていた。」
ファンのこういうメッセージを聞くのは初めてではない。ロナルディーニョがバルサに来てからの4年チョイの間に何回も聞いている。それでも、メディアをとおして間接的に“噂”として批判されることはあっても、具体的に面と向かって批判されたことはない。だが、今回は違う。

翌日のセビージャ戦を控えた21日金曜日。エスポーツ紙だとかエル・ムンド紙だとかいうスポーツ紙ではなく、一般紙であるラ・バンガルディア紙やエル・パイス紙がデカデカとこの問題を取りあげている。
「試合48時間前にロナルディーニョ朝帰り!」
これまで何十回とあったことであろうに、まるで初めての“事件”をスクープするように一般紙が問題提起している。それもご丁寧に“現場での事情聴取”までおこなってのコラムだ。

ヌニェス会長時代の“オフィシャルメディア”がエル・ムンド紙であったために、ラポルタ会長時のそれはエスポーツ紙となるのは自然の成り行きと言える。ルセー・ロナルディーニョ擁護のエル・ムンド紙がこの問題を冷静に扱っているのに対し、“オフィシャルメディア”のエスポーツ紙が大々的な批判キャンペーンを張っている事実は、クラブ内に反ロナルディーニョの風が吹いていることを示すのだろう。それはセビージャ戦を前にして、それまで単なる風だったものが台風と化しているのを見ると興味深い。エスポーツ紙のディレクターであるホセマリア・カサノバ氏が社説で次のようにコメントしている。
「昨シーズンのロナルディーニョのジムごもりは有名な話だが、我々の知るところでは、陽が昇る頃までディスコ通いをしていた日に限ってジム行きとなっている。彼がジムで何をしていたか、睡眠不足を補うシエスタをしていたのは明らかだろう。」
ロナルディーニョを囲む周辺に、そして彼を雇っているクラブの方針に、彼に対して何らかの変化が起きたのは間違いない事実だ。

2003年9月3日深夜のセビージャ戦。カンプノウデビューとなったこの試合でのロナルディーニョのゴラッソにより、多くのバルセロニスタにとって彼はクラブの救世主として認識されることになる。個人的にはプレーしているところを見たことのないクバーラやクライフと同じように、バルサにとって“伝説の人物リスト”にロナルディーニョの名が書き足されることになるのを予言させる試合だった。そしてその予言に間違いはなかった。それ以降の試合での活躍が、そして彼の消えることのない笑顔から作り出される雰囲気が、暗い時代を迎えていたバルサをすっかり変えてしまったのだから。

2007年9月22日土曜日22時開始セビージャ戦、かつて救世主とされた人物の姿はグランドにはない。観客席にも姿は見られない。オフィシャル発表によれば、右足筋肉負傷箇所にマッサージをするために選手控え室にいたという。どう考えても怪しげな負傷の上に、夜の22時過ぎのマッサージ。ファンはさらに疑惑の目をロナルディーニョに向けることになる。

クラブの救世主だった彼を“救世”するのはクラブの義務であり、間違っても悪い雰囲気を作り出すことではない。背広組と現場組が一体となって内部で“救世”することが他のクラブでは自然のことでありながら、メディアを使ってややっこしくするのはバルサというクラブの伝統と言える。シュステルしかり、ペップしかり、リバルドしかり、クルービーしかり、そしていま本当の“救世主”であるロナルディーニョしかり。もっとも、クラブ側が“救世”する努力をしたとしても、当人の姿勢の変化がなければどうにもならない話ではあるけれど。いずれにしても、07年型新モデルロナルディーニョの誕生は、ベンチスタートだというのは一つの正しい発想だったと思う。だが、3試合続けての途中交代、カンプノウでの大いなるブーイング、試合48時間前のディスコフィーバー、怪しげな負傷、そしてクラブ内からの情報操作、これらがロナルディーニョ問題をより深刻にしてしまった。

ここ何日かの一連の状況が、クラブ背広組の中で彼をチェルシーなりミランなりに売り払おうとしているアイデアからくるものなら、それは明らかにやり方が間違っている。メディアを使って世論作りする必要などはまるでない。ビジネスとして彼を移籍させたいのであれば、素直に自然な形でおこなえば良い。今の作り出された状況は、彼をカンプノウ裏口から追い出すようなものだが、この選手だけは、どんなことがあっても、カンプノウ表口から、それもどでかいアーチを作っての表玄関から別れを告げなければならない。


ノウカンプノウ
(07/09/22)

カンプノウ50周年を迎える2007年9月24日、その日を前にして、将来おこなわれるであろう?スタジアムの改装を担当することになる建築家名が発表されている。これまで70人以上の世界的に名のある建築家のアイデアをコンペにかけ、最終的に残った10人の中から選ばれた建築家は、イングランド人ノーマン・フォスターという人。フットボールの世界では、新しいウエンブリー・スタジアムを設計した人として知られているらしい。

観客席を1万増やし、収容人員が10万4千人となること。これまで正面スタンドにしかなかった屋根をすべての観客席を覆うようにつけること。簡潔に言ってしまうとこの二つが大きな変化となる。もちろん外観の様子がモダンになったり、エレベーターの数が増えたり、通路壁のむき出しコンクリートがタイル仕上げになったり、女性用トイレの数が増えたり、バールがかっこよくなったりと色々な変化はあるだろうが、基本的な大変化は上記の二つだ。そしてその完成予定模型が初めて公開されるのがセビージャ戦の前だという。予想される建築最低見積額が2億5千万ユーロ。新ウエンブリー建設にかかった工事費用が当初の見積額の倍近くなったというから、ノウカンプノウ建設にも実際のところはいくらかかるかまだわからないらしい。

ところが、はっきりしないのは工事費用だけではなく、工事開始日や完成日にかんしても同じ。そもそもこのカンプノウ改造案が実現を見るには、ミニエスタディとその周りのクラブ所有土地を売らなければならないからだ。

ミニエスタディをぶっ壊してその空き地を売れば良いという、そういう単純な話ではない。“スポーツ施設専用”というこの土地の用途カテゴリーを、“住居施設可”となるカテゴリーに変更し、そこに何棟もの億ションが建てられるようになって初めて、工事資金が誕生するからだ。その土地用途変更はカタルーニャ州だかバルセロナ市だか知らないが、いずれにしても州議会か市議会によって検討され、“シー”か“ノー”かが決まることになる。その際、政治家たちにとって重要となる一つの“声”がある。ミニエスタディ周辺の住民たちの“声”だ。もし彼らがマンション建設反対運動でもしようものなら、政治家たちは次の選挙での票数をソロバンを弾いてパチパチと計算し、「やっぱり、マンション建設なんてダメだ!」ということにもなりかねない。事実、2000年に実行に移されようとしていた、当時会長ヌニェス案による“カンプノウ周辺改造計画”は周辺住民の大反対にあって沈没している。奇しくも、その周辺住民の反対運動の先頭に立ってデモ行進していたのが、現在バルサ会長となっているラポルタと現カンテラ責任者のペリンだった。わずか7年前とは言え、時代は変わり、権力者も代わり、権力を得た人間の行為も変わる。

いずれにしても、セビージャ戦前にはどのようなデザインとなるかがわかるが、その計画にゴーサインが出されるのはまだ先の話となる。ちなみに、観客席に屋根がつくのは個人的には大賛成。これまでブルジョア共しか屋根下観戦が可能とならなかったが、これが実現すれば我ら労働者階級に属する人々も雨に濡れなくてすむことになる。だが、席数を増やすのはどうだろう。毎シーズン25回前後の試合がカンプノウでおこなわれているが、満席となるのはせいぜい1回あるかないかであり、つまりここでおこなわれるほとんどの試合では、空席が見られていることになる。なにゆえ、席数を増やす必要があるのか。もっとも、1万席の半分近くが企業用のVIP席となると聞いて少々納得。ラポルタ内閣らしい発想ではないか。

クラブ生誕100周年式典のあとにおこなわれた試合でも敗北を味わったバルサだけに、このカンプノウ50周年誕生記念式典終了後におこなわれる試合も不吉な予感。相手は初のチャンピオンズの試合に参加していきなり敗北し傷ついたセビージャ。リヨンよりも3倍イヤな相手だ。


リヨン戦
(07/09/21)

リヨン戦を翌日に控えた火曜日、バルサTVは3時間の特別番組。まずリヨン関係者の記者会見に続き、カンプノウでの彼らの練習風景をまったりと実況。そしてその後はバルサ関係者の記者会見が放映される。アビダルに続いて出てきたのはライカー監督。
「昨シーズンのバルサと少しも変わっていないという批判をどう思うか?」
という質問に、普段ならノンベンダラリとかわす彼が怒濤のような反撃に出た。怒りの表情をあらわしながら約6分間もしゃべり続けるライカー。目はピカリと光り、表情は生き生きとしている。まるで今まで眠りについていたライカーが、突如として目覚めたようなシーンだった。今シーズン一番のヒット記者会見。

そしてバルサの練習が始まる。二つのグループに分かれてロンドをしている最中に、突然あらわれた革ジャン着用のエトーをカメラが追いかける。一人一人と抱擁の挨拶。そしてロナルディーニョが彼に近づき、それに気がついたエトーも彼とバシッという感じの抱擁挨拶。いつだったか、カメラマンが大勢集まったところで、モッタがピエロ役となり、ロナルディーニョ縫いぐるみ人形とエトー人形が不自然な抱擁挨拶をして“問題発言見せかけ解決”したことがあったが、それとは明らかに違う空気を放つ自然な風景。これまた今シーズン一番の美しき風景かな。

3月6日リバプール戦以来のカンプノウ・チャンピオンズの試合。今のバルサは“メッシー+イニエスタ+9人”という表現が正しいと思うが、それを確認する試合となったと同時に、アビダル、ミリート、マルケス、ヤヤの偉大さを確認。そしてビルバオ戦で感じたように、エトーの不在がとてつもなく大きい。

メッシーは死にもの狂いという感じで相手デフェンサにプレッシャーをかけるタイプではないが、それでもこれまですべてのカテゴリーでプレーしていた時と同じように、ボールをとられたときの追いかけには迫力がある。だが、残念ながらロナルディーニョとアンリには、プレッシャーをかける体力もなければ気力もないし、そもそもそういうタイプではない。エトーの存在の大きさは、ゴール能力だけではなく、これでもかこれでもかという感じで走り回っての相手デフェンサに対するプレッシャーだ。今シーズンのすべての試合と同じように、この試合でもそういうプレッシャーシーンにはお目にかかることができなかった。

そして、ロナルディーニョやデコには辛い季節がやって来ている。今さらながらの感はあるものの、ロナルディーニョに対する2回のブーイング、そしてデコに対する1回のブーイング。2、3年前には想像もできないことだ。特にロナルディーニョに対するブーイングは強烈だった。それでも、ベンチ行きが07年型ニュー・ロナルディーニョのパワーアップにつながれば良いように、このブーイングも肯定的な意味で彼に役立つと良い。ライカーチームの顔として偉大な貢献をしてくれたことを考えれば、どんなにひどいロナルディーニョを見せられても、あり余るおつりが来るというもの。もう03年型には戻れないことは試合ごとにはっきりしているが、それでも墓場に送り込む選手ではない。

翌日のメディアはそろって“チャンピオンズは別のバルサ”と楽観視しているが、それは同時にリーガの戦いでは何も変化を約束していないことになる。ライカーのクビをかけた3連戦、つまりリヨン、セビージャ、サラゴサと続くカンプノウ3連戦の最初は堂々とクリヤー。次の相手は傷ついたセビージャだ。

チキ!
その重い腰をグイッと上げ翼を広げてロンドンへ羽ばたけ!
モウを逃がしてはならぬ!
モウを捕まえ、来年の6月までライカー監督のサブとしてしまえ!
バモス、チキ!


さて、チャンピオンズ!
(07/09/19)

最高級の素材を高い金を支払って手にいれがら、料理人によって作られた料理が味も素っ気もなく、とても楽しんで喰うものではないとしたら、そりゃあ、金を出した方も喰う方も文句の一つは言いたくなるというものだ。これだけの選手を擁しているのだから、スペクタクルがないなんて文句は言わないものの、少しはワクワクするような試合展開を見せてくれてもバチは当たらないだろう。

もうかつてのバランスのとれたライカー料理人に戻ることはできないのか、あるいは一時的な、というよりはかなり長い間の、単なるスランプ状態なのか。いずれにしてもここ最近の彼の記者会見を見ていると、かつての生き生きした表情がすっかり失せ、覇気のない表情の中にトロ〜ンとした目が印象的だ。いったい、どうしちまったのか、フラン・ライカー。

そのライカー料理人の得意とする9番ロナルディーニョというメニューは、とても美味しくいただけるものではない。ロマリオが入団してくるまで、今のロナルディーニョの位置と同じように“ラウドゥルップ見せかけ9番”としたのは、クライフシステムの特徴の一つだった。だが、機能性という点から言えば共通するものはまったくない。9番ラウドゥルップが相手セントラルを引き連れてセントロカンポまで下がることにより、ゴール前にできたスペースに、エストレーモなりセントロカンピスタなどが入り込みゴールを狙う、それがクライフシステムの一つの機能だった。だが、9番ロナルディーニョの場合は、そういうシーンはなかなか見られない。かしこくも相手セントラル選手たちは、歩き続ける9番などをピッタリとマークし、彼と同じようにトボトボと歩いて追い続けることなどしないのだ。

もともと、一対一の勝負に挑むことを放棄し、走ることより歩くことを選んだ選手はサイドには使えない。07年型ロナルディーニョはもう2年前くらいから03年型マシーンではなくなっている。07年型マシーンの特徴は、理想的な場所でファールをもらうこと、それがこのマシーンの最初の仕事であり、二番目にして最後となる仕事は、フリーキックなりPKを決めることだ。07年型マシーンはフリーキックの制度に関しては、03年型のそれより圧倒的に優れている。プレステージの段階で毎日練習に参加し、かつての03年型マシーンに復帰かと思われたのは単なる幻想にしか過ぎなかった。もう彼は以前の彼には戻らないと断言してしまおう。だが、戻らないとはいえ、依然としてロナルディーニョなのだ。大事な試合には必要となるロナルディーニョ、その彼に今まで持ったことのない危機感を与えてやるのがよい。新型07年ロナルディーニョは何試合かのベンチ生活から誕生する。

文頭に“最高級の素材”としたが、そうではないとおっしゃる人々もいる。かつては最高級であったかも知れないが、もうすでに賞味期限が切れているのではないかと考える人々だ。その素材とは、もちろんアンリ、デコ、ロナルディーニョ、トゥラン、サンブロッタを指す。だが、彼らにももう少しだけ時間をあげよう。さらに賞味期限が切れてしまうかも知れないが、それでも時間をあげよう。そして、チャンピオンズの試合が再開。また、つまらねえ試合を見に行くのかと思うと気が重いが、何となくチャンピオンズという名が食欲を誘う。ひょっとしたら、第二次バンガール政権時のように、リーグ戦はまずくともチャンピオンズはやたららと美味しいかったりするかもしれない。

それにしてもと思うのは、自陣での限りなく退屈な横パスの連続から、相手陣内での鋭い縦パスや、足下へのパスではなく空いたスペースへのパスが戻ってくるのを見られるのはいつになるのだろうか?

リヨン戦理想的11人スタメン


ボージャンデビュー
(07/09/16)

今からほぼ4年前、フベニルカテゴリ以下のチームが使用していた、いまは無き第四スタディアムでインファンティルAの試合を観戦に行ったとき、噂に聞いていたボージャンという坊やがプレーしているのを初めて見る幸運に恵まれた。インファンティルAチームを構成する選手たちはだいたい13歳程度の少年たち。したがって、みな小さい。当然ながら、このようなカテゴリーにあって特に目立つことになるのは、運動量の多い選手とかフィジカル的に恵まれた選手となる。だが、このチームはなかなか個性あふれる選手が何人かいることに気づく。

8番の背番号をつけた、背は高くないもののやたらと頑丈な感じがするフラン・メリダという選手や、運動量も多くなくフィジカル面でもごく普通ながら、やたらと目立つ動きをする11番ヤゴ・ファルケ、そして誰よりも小さいながら非常に運動量が多いだけではなく、ゴールをバシバシという感じで決めまくる9番ボージャン・ケルキック、この3人がとてつもなく印象に残るチームだった。

この年から2年ぐらい前にはメッシーという少年が、そして1年前にはジョバニという少年がこのカテゴリーでプレーしている。たまに彼らのプレーする試合を観戦に行くと、とても人の良さそうな印象を受ける40歳前後の男性が、いつも同じ場所に座っていた。ある時には奥さんと思われる女性と一緒だったり、ある時は友人と思われる人々に囲まれて座っており、そしてある時は一人で試合観戦している。その熱心なカンテラファンだと思われた人が、ボージャンの父親だとわかったのはこの試合が終了したあと、すぐにボージャン少年がやって来て彼の隣に座り、次のカデッテAチームの試合を見始めた時だ。こういうシーンはボージャンがフベニルカテゴリーに上がってくるまで見られることになる。

父ボージャンは息子ボージャンに、時間が許す限りバルサインフェリオールカテゴリーの試合を観戦するように教育している。その教えを守っていたからこそ、どんなカテゴリーの試合を観戦に行っても必ず彼の姿が見られた。もちろん、父ボージャンの姿も同じように観客席に見られることになる。もっとも、彼の場合は息子の試合観戦という父親としての楽しみと、バルサカンテラ組織職員としての仕事観戦でもあっただろう。

それから時がたち、父ボージャンはミニエスタディへと観戦場所を変えていく。今年の初め頃から、彼はバルサBの試合を観戦する父ボージャンと変貌している。さらに今シーズンからは、彼の試合観戦場所はカンプノウへと移り行くことになるだろう。

「ママ、できるだけ早く学校に行って、僕の授業プログラムの申し込みをしてきて!」
ムンディアルU17の大会に参加してたボージャンが、母親のマリア・ルイサにこう電話しているという。今週の月曜日の深夜に韓国からバルセロナに戻ってきたボージャンは、水曜日から始まる高校の授業に出席しなければならない。だが、普通の高校生ではない彼は、朝から夕方までの普通のプログラムに出席するのは時間的に不可能だ。午前中はライカチームの練習に参加し、学校に駆けつけることができるのはかろうじて午後だけとなる。つまり彼の授業プログラムは一年間かけて他の生徒の半分だけ消化するもであり、2年かけて1年分の単位をとるものとなる。

午後の授業もない週末の土曜日、17歳となったボージャン・ケルキックは多くの大人どもと一緒にパンプローナに向かう。もちろん父ボージャンも母マリア・ルイサも一緒だ。8歳でバルサインフェリオールカテゴリーに入団してきた彼が、長いあいだ見続けてきた夢、バルサAチームデビューが実現する・・・はずだ。それは同時に、第四スタディアムで彼のプレーを見続けてきた多くのカンテラファンの夢が実現することでもある。

この試合での理想的な11人スタメン選手。


ウリスト危うし!
(07/09/14)

味方も多ければ敵も多いことはじゅうぶん想像できる人物だ。彼の持つ強烈なキャラクターからして、敵となるかあるいはか味方となるか、つまり中途半端な存在は許さない。そう、敵か味方の二つに一つ、そしてその敵がクラブ内部にいるとなると、これはもう、とんでもないことになる。そして、ベベバリーグ3試合が消化された段階で2敗1分け1ポイントのみ獲得という悲惨な状況を迎えた今、少々ヤバかった状況から、とんでもなく悪い状況へと深く静かに落ちていっている。

昨シーズンの途中、沈みきっていたセルタの二部落ちを救うためにウリスト・ストイチコフは監督に就任している。一部リーグ在籍セルタを率いて9試合、そして今シーズンはベベバリーグでこれまで3試合、合計12試合を指揮し3試合しか勝利の味を知らない。

彼をセルタに連れてきたのは、スポーツ・ディレクターをしていたフェリックス・カルネロという人物。セルタ会長の“ささやか”な反対を押し切って、ウリストはセルタ・デ・ビゴにやって来た。その彼の状況が少々ヤバイものとなったのは、彼を唯一信頼していた人物であるフェリックス・カルネロがクラブを退団し、カディスへと移籍してしまったことから始まる。そして今シーズンからは、ラモン・マルティネスという人物がスポーツ・ディレクターに就任。この人はクライフ監督時代にバルサで働いていたものの、最終的にクライフに追い出されるような形でクラブを去り、嫌みったらしくレアル・マドリへと就職先を変えていっている。フロレンティーノ時代の途中だったか、あるいはラモン・カルデロンが会長に就任してからだか、そこら辺は記憶が怪しいものの、いずれにしても何年か前にレアル・マドリを去っている。そしてその彼が、今シーズンからセルタにやって来てしまった。クライフ派の臭いがプンプンするウリストとは合うわけもないスポーツ・ディレクターがやって来たことで、少々ヤバかったことが、ここに来てだいぶヤバイことになってしまった。

ラモン・マルティネスが最初におこなったことは、ウリストの仕事を手伝うコーチを自ら任命し、彼の独断で入団契約をしてしまったことだ。アントニオ・ロペス、かつてボリビアの代表監督を務め、スペインでも一部リーグ在籍の弱小チームやベベバリーグ在籍のチームを指揮した経験を持つ彼が、ウリストのコーチ役として就任してきた。そしてラモン・マルティネスが二番目におこなったことは、かつてのコネを頼りに何人かのマドリカンテラ出身選手を入団させたことだ。

ボージャンやジョバニのレンタルを希望しバルサ関係者にあたってみたものの、軽くいなされてしまったウリストに与えられた選手がマドリカンテラ選手。
「本当かよ、冗談じゃないぜまったく!」
とは当然ながら言わなかっただろうが、腹の虫が治まらないことは確かな我らがウリスト。今シーズンの選手プランニングはすべてスポーツ・ディレクターのラモン・マルティネスがおこなうことになったが、一つだけ条件を付けている。彼の故国であるブルガリアの選手を二人だけ入団させることだ。ザネフとマンチェフという選手を入団させるウリスト。だが、残念ながら彼の意図とは反対に、これまでのところ活躍しているとは言えない状態だ。

セルタがあるビゴのメディアをのぞくと、もうウリスト監督はすべての人々を敵に回してしまった感がある。
「選手としては素晴らしい活躍をした人かも知れないが、監督としては・・・三流だ。」
こんなセルタ選手のコメントまで載せられてしまっている。ハビ・ゲレロとかペレラ、あるいはプラセンテという地元の人々に人気があった選手を放出したことも、ウリストに対する風当たりを強くする原因となっているようだ。そして2敗1分けという好結果のでない試合が続くことにより、状況はだいぶとんでもないものとなっている。

次期監督はラモン・マルティネスが個人的に連れてきたウリスト側近コーチのアントニオ・ロペス。そしてウリストはラモン・マルティネスに対する山ほどの悪口を土産に自宅のあるバルセロナに戻ってくる日も近い。それは来週か?再来週か?

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コパ・デ・カタルーニャ
(07/09/12)

どう考えてもマジな大会ではない。カタルーニャという地方のカップ戦だからではなく、公式に認められた大会ではないからでもなく、エスパニョールとバルサというカタルーニャの二大クラブが準決勝から参加してくるなどというその方式自体がマジではない。さらにマジではない証拠に、ここ何年かは代表戦がある時期に準決勝や決勝が戦われている。代表に呼ばれてしまうような選手抜きにして戦う決勝戦など明らかにマジではない。意味があるカップ戦かどうかは別として、権威があるカップ戦かと問われればもちろん即答で、声を大にしてノー!ノー!ノー!だ。

それでも、カタルーニャフットボール連盟の思惑どおりバルサとエスパニョールによって決勝戦が戦われることになれば、それはそれなりに格好がつく大会となる。だが、今回はその格好もつかない決勝戦となってしまった。エスパニョールは初戦の“準決勝”でナスティックに敗れてしまったので決勝進出ならず。あやうくジローナに敗れるところだったバルサは、度重なる審判の“ミス”によってどうにかこうにか決勝戦に進出。もし、審判の不可思議と思われるほどの“ミス”がなければ、ナスティック対ジローナという、テレビ中継があるかどうかもあやしくなるような決勝戦となっていた。

リーガのスケジュールに余裕があり、チャンピオンズやUEFAや代表がらみの試合数が少ない時代なら、それこそバルサとかエスパニョールも主力級を投入して戦うことができた。だが、今の時代にはそれは不可能だ。したがって準決勝であれ決勝であれ、両チームは控え選手+B選手+フベニル選手をごちゃ混ぜにして戦うことになる。それならいっそのこと、それぞれ二部チーム以下の選手のみ参加できる大会としたほうがスッキリする。

歴史書をひもとけば、この大会がいかに権威あるもの“だった”かということがわかる。コパ・マカヤ→コパ・バルセロナ→カンペオナート・デ・カタルーニャ→コパ・ジェネラリタと時代背景と共に名称が変更し、現在の正式名称はコパ・デ・カタルーニャとなっている。そして、その誕生は1900年のことだからというから、現在のリーガ・エスパニョーラなんぞよりも古いものだ。だが、この百年以上の歴史を持つ大会も、ここ何年かはハァ〜ハァ〜と呼吸困難な状況を迎えている。かつては権威あった大会そのものを中止し楽にしてあげるか、あるいは名医を連れてきてシステムそのものを変更し魅力あるものとするか、二つに一つだ。

さて、ナスティック相手のカタルーニャカップ決勝戦に、バルサ少年フットボールクラブはおじさん選手も混ぜて次のような招集をしている。

●ポルテロ
バルデス、ジョルケラ
●デフェンサ
シルビーニョ、オラゲール、ボティア、コルコレス、ファリ
●セントロカンピスタ
クロッサス、ディマス、チャビ・トーレス、ビクトル・サンチェス、ルエダ、アブラン、ティアゴ
●デランテロ
エスケロ、ビクトル・バスケス、ジェフレン、ガイ、ペドロ、ゲーラ


ラポルタの警告
(07/09/09)

まだシーズンがスタートしてから3週間ほどしかたっていないにもかかわらず、昨シーズンはおとなしくしていたラポルタがブオ〜ンブオ〜ンと警告を発している。カンプノウ内の記者会見場、テレビ局でのインタビュー、ラジオ局でのインタビュー、バルサパンフレット紙の一つであるエスポーツ紙でのインタビューと、このところ所かまわず顔を出しまくっているラポルタだが、共通しているテーマは三つと言える。一つはAt.マドリに移籍してからのモッタ発言に関するカウンターアタックであり、二つめはカタルーニャ代表に関するもの。そして三つ目はライカーバルサの現状分析。モッタのことに関してはこのコーナーでは触れる気はないし、カタルーニャ代表を正式に認めろという要求はいつか独立した項目で扱うかも知れないので今回は触れない。ここでは三つ目めのテーマ、ライカーバルサに対する警告発言のみとしよう。

「現在のチームの戦いぶりには決して満足していない。昨シーズンの終盤と同じような感じがしているし、かつてのレベルに戻るためには、これまで以上の厳しい練習が必要だと感じている。昨シーズンの悪夢のような出来事を決して繰り返さないためにも、すべての選手、すべてのコーチ陣が一つとなって練習に打ち込まなければならないだろう。もちろん今シーズンは、内部規律をしっかりと守ってもらうことになる。」

4、5年前の会長になったばかりのラポルタならいざ知らず、ここ最近の彼にしては珍しい発言と言える。サンタンデール戦、ビルバオ戦での“昨シーズンの悪いイメージ”がそのまま残っている試合内容と、レアル・マドリの思わぬ快進撃がこの発言を生んだ一つの動機となっているのだろう。だが、考えようによっては、そしてこれこそこの警告発言をさせた理由として、ライカー監督に対する間接的なプレッシャーといえる。そして、来シーズンからのバンバステン新監督誕生という、クラブ内からでた情報に違いない噂も同時にプレッシャー武器として使われている。

試合の流れを読み切る目を持つ監督ではない。選手交代の内容も決して褒められることはない。ライカー監督の最大の特徴は、わがままな多くの選手たちをヒョロリヒョロリと統制し、ベンチ内を一つにまとめる才能にある。だが、それも昨シーズンたびたび勃発した何人かの選手のわがまま行動やわがまま発言に見られるように、その統制能力に限界にきているのではないか、そう背広組が考えているのかも知れない。

ドス黒い雲がライカーの背中に押し寄せようとしている否定的な状況に、その悪状況をさらに複雑にするニュースが伝えられる。スコットランドでのプレステージでもそうであったように、アジアツアーにもライカーは恋人を同行していたという。ホテルの廊下を手をつなぎながら歩いている姿や、帰国の際の飛行機内でイチャイチャしているシーンも同行記者や選手たちに目撃されている。シーズン終了後の集金ツアーではなく、長いシーズンに備えてのプレステージ中にとる行動ではないと言われても否定できない。まして“内部規律”問題が注目を浴びるシーズンに、見本とならなければならない監督のとる行動ではない。と、中央メディアが伝える、プレステージ同行記者によるゴシップ記事。

世界の中でも五本指に入るサンブロッタ、アビダルというラテラル選手と、経験豊かな控え選手シルビーニョ。ミリート、プジョー、マルケスという最も優秀なセントラル選手と、経験豊かな控え選手トゥラン。世界屈指のセントロカンピスタであるデコとイニエスタに加え、スタメンで出場してもおかしくない控え選手チャビと、ここ何年かのバルサに欠けていたロングシュートの能力を持つトゥレ・ヤヤ。そしてメッシー、エトー、ロナルディーニョ、アンリという世界最高のデランテロ選手に加え、バルサの将来を背負って行くであろう若干17歳のボージャン。選手はこれ以上ないというぐらいそろっている。これだけの優れた人材を有したバルサを今まで見たためしがない。昨シーズンもそうであったように、もしこのメンバーでタイトルがとれなかったとしたら・・・それはライカーを頭としたコーチ陣の責任だ。

さて、1にバンバステン、2にフアンデ・ラモス、3にクーマンがよろしいとおっしゃるクライフ御大だが、個人的には違う希望を持っている。新監督には、敵にすれば天敵にして味方にすれば鉄壁の要塞ともなるバルセロニスタ・モウリーニョ、そして彼のサブには我らがガッツ・エンリケという、これ以上は望めない理想のカップルはいかがなものか。


アニモ!ボージャン!
(07/09/07)

ゲーリー・リネッカーはその長いプロ生活をとおして、一度たりともタルヘッタをもらったことがない選手だったと言う。彼がプレーしていた時代と今とでは、フットボールの性格そのものが大きく変化しているから、単純に比較できないものの、21世紀に入ってからプロ生活を始めた選手で、一度もタルヘッタをもらったことがない選手などたぶんいないだろう。

果たして、本当に一枚もタルヘッタをもらったことがないのが事実かどうかは別として、少なくともカンプノウの試合で、彼がタルヘッタをもらったところは見たことがなかった。もともとファールそのものをしない選手だったから、タルヘッタをもらうシーンにお目にかかれるわけがない。汚いプレーを嫌いあくまでもクリーンな選手だったと形容すればカッコいいが、要するに接触プレーを好まず、審判の判定に抗議することもなかった選手と言える。リネッカーとはまったくタイプの異なるボージャンもまたタルヘッタをほとんどもらわない選手だ。必要とあらばデフェンサに強烈なあたりをすることも珍しくないし、試合をとめるためのファールもするインテリジェンスを持っている。そこらへんがリネッカーとは異なるが、それでも審判に抗議することはほとんど見たことがない。

そのボージャンが、U17準決勝ガーナ相手の試合で2枚のタルヘッタをもらい退場処分をくらっている。彼にしてはタルヘッタをもらうこと自体が珍しいし、まして退場となるのは始めて見る光景だ。バルサBで半年、残りは少年カテゴリーしか経験していない選手だから、そんなことは不思議でも何でもないと思う人がいるかも知れないが、それは違う。スペインの少年たちの試合を一度でも見に行けば、試合中に何枚もタルヘッタが示される、まったく一部リーグのそれと同じ風景に出会うだろう。子供たちは憧れの大人選手たちのプレーを見て育ち成長する。プレミアリーグとは違い、判定ごとに審判に文句をつけ、汚らしい言葉を吐くのがスペインリーグの特徴の一つだとすれば、それは子供たちの試合にも共通することになる。インファンティルカテゴリーの試合で両チーム合計6人の退場者が出た試合を見たことがあるぐらいだ。

彼が退場となり20秒後に試合終了の笛が吹かれた。審判に向かって、まるでゴール前に向かうかのように一直線に走り抜けるボージャン。もう涙顔だ。審判に向かい猛烈な抗議をする彼を同僚が止める。決勝戦には出場不可能となった悔しさをいっぱいにしながら、地獄の三丁目行きを初経験するボージャン。夕食にも手をつけられず、一睡もできない夜を過ごすことになるのだろう。

アジア遠征参加とガンペル杯に出場することが今年の夢だったと語る。だが、バルサクラブ理事会の主張を退け、スペインフットボール協会の頭の固い背広組は彼をU17の合宿に強制招集。最初の1週間は抜け殻状態だったと語る彼だが、それでも大会が始まれば100%のモチベーションでプレーしていた。そして当然ながら目標は決勝戦でゴールを決めてスペイン代表に優勝をプレゼントすること。だが、それも不可能となってしまった。

そんな彼を見て、イニエスタを突然思い出した。

2001年の4月最後の週、イニエスタはイギリスにいた。ここでおこなわれているアンダー16のヨーロッパ大会に参加するためだ。ところがドイツ選抜相手の試合で、途中負傷退場という思いもかけない事態に見舞われる。最初の印象では、かなりの重傷という可能性も考えられた。試合後、スペインナショナルチームのドクターの勧めと、バルサ側ドクターの意向もあり直ちにバルセロナへ戻ることになる。エル・プラット・バルセロナ空港には彼の両親と、バルサのドクターが待ち受け、そのまま病院へ直行した。だが幸いなことに、彼のケガは予想されたものより遙かに軽いものだった。

だがイニエスタは沈んでいる。涙は枯れていたが、笑顔は戻ってきていない。ケガの具合がどうであれ、決勝戦には出られるわけがない。5月6日のスペイン対フランスの決勝戦は、テレビ観戦というイライラするものだった。イニエスタは言う。
「僕の夢は、この決勝戦に勝つことだったんだ。アンダー16というカテゴリーでプレーできる最初で最後のチャンスだったし、まして決勝戦だからね。この試合に勝ち、UEFAの偉い人たちから優勝メダルをもらい、カップを頭上に掲げる。この大会が始まるずーと前から夢に見ていたシーンなんだ。」イニエスタが30歳になり、グアルディオーラと同じようにバルサの道を歩んだとしよう。「あなたにとってラ・マシア時代、何が一番悲しかったですか?」と聞かれたら、多分こう答えるだろう。「それはあの日曜日に、テレビの前に座って決勝戦を見なければならなかったことです」
(La Masia 物語より抜粋)

その後何年かして、イニエスタはあの悔しさが成長の一つのバネとなっているとどこかで語っていた。これからの10年、メッシーと共にバルサを、そしてイニエスタと共にスペイン代表を背負っていくことになるだろうボージャンにも、この悔しさが成長のための一つの素材となると良い。アニモ!ボージャン!


ヨハン・クライフご意見番
(07/09/05)

88年だったか、89年だったか、あるいは90年だったか、クライフはシーズン開幕戦にルセンドという誰も知らない選手をいきなりスタメンで起用している。バルサB在籍選手だったかバルサC在籍だったか、それさえも覚えていない、が、このアッと驚く出来事は覚えている。そして試合途中で交代されたルセンドは、この出場が最初で最後のものとなり、2、3年後にクラブを離れている。ベンチに入ることもそれ以来1回もなかった。この選手のケースは特殊なものではあるが、クライフの若手選手起用法は疑問符が付くことが多かったのも事実だ。だが、それでも、彼の若手選手起用に対する“姿勢”そのものは高く評価できると思う。そのクライフが「勇気を持ってカンテラ選手を起用しよう!」と題してコメント書いている。

チームの調子がイマイチというときに、まるで調子を取り戻すための手助けをしてくれるかのように登場してくるチームがある。後ろを固めながらも固めきれないチーム、相手選手に考える時間を与えてくれるチーム、試合の流れを止めるようなファールをしてこないチーム、こういうチームと戦うときは、チームの調子がイマイチであれ、それほどミスが目立たないものとなる。ビルバオはまさにそういう手助けチームの一つであり、まるでバルサが素晴らしいチームであるかのように勘違いさせてくれた試合となった。もちろんバルサにとって悪いことではない。3ポイント獲得した上に、上昇カーブを描くために必要な時間稼ぎをしたことになるし、ファンにとっても興味深いシーンの一つや二つ見られた試合ともなった。そして何よりも、サンタンデールでの不愉快なイメージをほんの少し忘れさせてくれることにも成功している。

それでも、問題が解決したわけではないことは誰にでもわかることだ。この試合でも、バルセロニスタが思わず席から腰を上げるようなシーンは、散発的に見られた個人技でしかなかった。ロナルディーニョのフリーキック、メッシーやアンリ、そしてデコなどによって何回か見られた個人技や連係プレー、それぐらいなものと言える。

歴史的にカンプノウでのビルバオ戦は、試合前からすでに勝利が約束されているタイプのものだ。前半の30分ぐらいは予想どおりの試合展開が続いた。だが、後半に入り2−0と勝利していながらも、観客席からブーイングが起こっている。多くのバルセロニスタが試合内容に満足していない証拠だ。前半の試合内容を見て、こんな相手であるなら、5−0で勝利するのがごく自然とバルセロニスタには思えたのだろう。確かにゴールチャンスだけを見れば、そのスコアが可能となった試合だ。だが、期待に反して2−1とバルサに接近してくるビルバオ。もしヤヤの幻のゴールが決まっていなければ、観客席はさらにナーバスになりブーイングの音が増していたかも知れない。

サンタンデール戦の試合内容と結果が多くのバルセロニスタをナーバスな状態にしてしまった。果たして、11人のスタメンに選ばれた選手たちは適切なものだったのか。果たして、途中交代させられた選手と彼らの代わりにグランドに登場してきた選手たちは理にかなったものだったか。その議論はいまだに続いている。誰がプレーしなければならないか?名前で選ぶのか、調子で選ぶのか?

名がどうであれ、そして年齢がどうであれ、個人的には調子の良い選手を優先すべきだと思っている。その意味で言えば、ジョバニにもスタメンで出場する資格は当然ながらあるだろう。18歳なんて年齢はまったく無視していい。年齢がどうであれ、私の記憶に間違いがなければ、彼は一部登録されている選手だ。したがって他の選手と同じように、例え年齢の差があっても、プレステージ以来好調を保っている彼に出場チャンスをあげてもいいだろう。それでは誰が犠牲者となるか、それは調子がイマイチの選手、名がどうであれ不調が続いている選手を下げればいいだけの話だ。多くのフットボールファンは誰がスタメン選手11人となり、誰がベンチスタートとなったか、そのことを必要以上に重要視してしまう傾向がある。だが、一試合に14人の選手が起用可能となることを忘れてはいけない。この3人の選手交代は試合そのものを決める可能性も秘めた重要なものだ。

サムエル・エトーの負傷は人々が想像する以上に否定的なものだ。負傷箇所は違うとはいえ、二度にわたる同じ足での負傷。リハビリ期間も予想以上に長引く可能性もあるだろう。それでも昨シーズンとの違い、それは3人の新たなデランテロが加入してきていることだ。アンリに加え、ジョバニにボージャンという3人のデランテロ。最年少のボージャンには、ジョバニより保護が必要と言う意見も聞く。ロナルディーニョ、アンリ、メッシー、ジョバニ、グジョンセンに次ぐ第6番目のデランテロだとする人もいるようだが、私はそう思わない。バルサBでの昨シーズンの活躍や、U17の大会での成長ぶりを見る限り、これらの5人の選手たちの隙間にいつでも入っていく資質を持っている気がする。

2007年9月3日 ヨハン・クライフ


カンプノウ開幕戦
(07/09/02)

まったく止まることなく、ここ3、4年のシーズンを過ごしてきたという。一度たりともじゅうぶんな夏休みがとれたためしがなかったとも言う。それにもかかわらず、リーグ戦とチャンピオンズという2大タイトルを獲得することに貢献してくれた。この2大タイトル獲得という偉業もさることながら、何よりも、暗く沈んでいたバルセロニスタの心を明るくしてくれた彼のキャラクターとプレースタイルそのものが貴重なものだった。だが、彼はもちろんスーパーマンではない。いつか止まらなければならなかったし、プレッシャーの大きいフットボール界から一時的に離れて、体も頭の中もリラックスできる夏休みが必要だった。そしてこの夏、セレソンを辞退し、何年ぶりかの夏休みをとることができたロナルディーニョ。

プレステージが開始される。昨シーズンとは違い、他の選手と足並みをそろえて最初から参加することが可能となった。良い傾向だ。プレステージが始まってから10日間たった。バルサのフィジカルトレーナーのパコ・セイルロの言葉を待つまでもなく、多くの選手がロナルディーニョの変化を口にする。
「目の色が違う」
という典型的な表現で、ロナルディーニョの今シーズンにかける意欲がメディア間で伝えられる。さらに良い傾向だ。

相手が相手だけに、プレステージでの練習試合では各選手の様子をさぐることは難しい。ロナルディーニョに関して言えば、昨シーズンとたいした変化も見られない感じだった。それでも、例えプレー内容がどうであれ、本番の第一戦となるサンタンデール戦が始まるまでに、一度たりとも練習をさぼっていないという事実が彼の変化を物語っているようだった。ジムの鍵はすでにジム管理人の手元に戻され、今シーズンはまだ一度もジムごもりをしていない。これは、とてつもなく良い傾向だ。

どんな選手であろうと、それが例えクラックと呼ばれる選手であろうと、ひとシーズンを不振なものとする権利がある。生身の人間である以上、それは仕方のないことであり、選手としての権利と言って良い。だから、振るわないシーズンをおくった彼らに、ライカーバルサは再びチャンスを与えようとしているのは自然なことだろう。“4人のファンタスティックナイト選手”の一人だったモッタがいなくなり、残りの3人であるデコ、マルケス、そしてロナルディーニョに復活のチャンスが与えられた。

デコは、昨シーズンのような“60%のデコ”ではなく、90%あるいは80%のできであろうと、ライカーバルサにあって絶対スタメンの選手となる。それはマルケスにしても同じだ。彼らの復活に向けたプランは、背広組とライカーによるプレッシャーによって構成されているようだ。バルセロナに新居を建築中のデコに対し、実際あるかどうかわからない他クラブからのオファー噂をメディアに流し、プレッシャーをかけている背広組。そしてライカーといえば、ガンペル杯をのぞいてすべての試合で彼らをベンチ要員としプレッシャーをかけている。オファーの噂とスタメン外し、これはまさに、クライフバルサがおこなった不振な選手に対するプレッシャー作戦だった。

そしてリーグ第一戦。確かにロナルディーニョは昨シーズンの彼ではなかった。正確に言えば、昨シーズンよりひどい出来だった。昨シーズンのように“不調”であることと、この試合のように“意欲”が見られないこととは別のことだ。一対一の勝負をまったく放棄し、失ったボールを追いかけずにすませるために、審判に対する抗議のジェスチャーをし、5mのダッシュも不可能な選手でありながら、それでもライカー監督は彼を起用し続ける。ロナルディーニョという名前と、過去の栄光が頭の中から離れぬライカーは、そんな選手を起用し続ける。まるでメディアの攻撃を恐れるかのように“元フットボール選手”を起用し続ける。プレステージでの試合で笑顔が見られなかった彼だが、この試合でもかつての笑顔は戻ってきていなかった。これは、どう考えても悪い傾向だ。

ロナルディーニョにもデコやマルケスと同じように復活のチャンスをあげよう。冬のマーケットで売り飛ばす前に、そして第二の故郷だというバルセロナに住み続けられるように、復活のチャンスをあげよう。スタートはベンチに座ることだ。絶対のスタメン選手ではないことを宣告し、一対一の勝負に挑めなければ出番はないという危機感をプレゼントしよう。だが、残念ながら、ライカーにそのような優しさはない。

カンプノウでのビルバオ戦は、歴史的に問題なくバルサが勝利するようにできている。引き分けに終わったサンタンデール戦後の練習風景で、選手間に笑顔まで見られたとバカな批判をしていたエスポーツ紙も、ビルバオ戦での勝利を持って“バルサ復活”という単純脳細胞的な内容となると予想。そしてPKか、フリーキックなどでロナルディーニョがゴールを決めれば、これまた“ロナルディーニョ復活”ともなる。だが、ビルバオ戦がどうであれ、沈みかけているロナルディーニョ船を救う鍵はベンチにある。

こうはならないでろうビルバオ戦スタメン。