2007年
10月
2008年

契約見直し交渉
(07/10/30)

有望な外国企業をスペイン国内に誘致しやすくすることと、スペイン企業内に超エリート外国人社員を雇用しやすくする目的で、スペイン政府が外国人労働者のみ恩恵が得られる新たな個人所得税法を定めたのが2004年。毎年どのくらいの各種税金を自分が払っているのかも知らない税金オンチなれど、個人所得税の支払額は年収の差によって異なることぐらいは想像できる。そしてこの新法によれば、収入が超のつくほどの超高額所得者の場合は、年収の24%の所得税(スペイン人の場合は43%)ですむことになっている。ただしそのサービス期間は最初の5年間のみで、6年目からはスペイン人と同じ数字となる。

2004年に発足した法律ながら、フットボール界においては2003年にスペイン国内労働者となった人にもさかのぼって適用されている。その恩恵を諸に受けたのがロナルディーニョやマルケスだが、より正確に言うならば、フットボール・クルブ・バルセロナそのものが恩恵を受けたと言える。いや、さらに正確に言うならば、スペインのすべてのクラブが恩恵を受けたことになる。一人の外国人選手に、イタリアとスペインのクラブから同じ金額の税込み年収額オファーが来たとしたら、手取額は当然ながらスペインの方のクラブが上回ることになる。

ロナルディーニョ・バルサ間によって更新された最新の契約では、税込み額約1050万ユーロ、手取額が約800万ユーロとメディアは伝えている。

さて、あと2か月たつと2008年。ロナルディーニョがスペイン国内労働者となってから6年目をむかえる。したがって、彼が支払わなければならない所得税はこれまでの24%から一気に43%と上昇する。と言うことは、来シーズンも同じ税込み年俸であったなら、手取額が200万ユーロほど下がってしまう。彼の母も、兄も、妹も、そして当人のロナルディーニョも、そんなことは・・・嫌だ。最低でもこれまでどおり手取り800万ユーロというのは確保したい。できるなら、さらに年収を増やしたい。もっともっと金が欲しい。

手取り800万ユーロを保つためには、税込み額年俸を400万ユーロほどクラブが値上げてしてくれないといけない。ここのところ、試合ごとにやたらとロナルディーニョ家の人々の顔が観客席に見られるのは、クラブに対するプレッシャーと勘ぐられても不思議ではない。そこに来て、ミランが移籍料として6千万ユーロを準備しているとの季節外れの噂。オファーがあるのは良いことだが、毎回数字が少なくなってきているのが気になる。一昨シーズン前には1億ユーロ、今シーズン前には7千万ユーロ、そして今回が6千万ユーロ、今シーズン終了後にはいったいいくらになってしまうのだろうか。

いずれにしても、クラブ金庫番ソリアーノとロナルディーニョ側との間で、新たな契約見直し交渉がおこなわれるのは時間の問題だろう。バルサに来シーズンいるいないにかかわらず、契約見直し交渉はしておかなければならない。クラブ側と揉めている選手と円満にいっている選手とでは、当然ながら移籍料が違ってきてしまう。売らなければいけないものはできる限り高く売る、それがソシオの最高責任者としてクラブ運営を任されている背広組の大事な仕事の一つだ。

「チェルシーとかマンチェスターからオファーが来ている。」
そう語るメキシコ産メディアクラック卵のジョバニに対しても、契約見直し交渉がおこなわれそうだ。これまでの契約がどういう内容なのかまったく知識がないものの、バルサBからライカーバルサチームに上がってきたのだから当然と言えば当然。ちなみに彼の代理人は11月1日から悪名高きピニ・サハビという人になる。昨シーズンまでバルサカンテラ選手だったアレックス・サハビのお父さんであり、イスラエル人である彼は、ポルトガルとイングランドに居をかまえ、息子をはじめ多くの選手の代理人を務めているらしい。チェルシーの会長とはツーカーの仲だとも言われているが、そういうこととは別に、胡散臭い噂ばかりが伝わってくる代理人だ。それにしてもプレステージでの活躍だけで、3千万ユーロという違約金を払おうというクラブがあらわれたという噂もあったジョバニなので、金庫番ソリアーノにとってはこれほど魅力的な素材はないだろう。ジョバニが来シーズンもバルサ構成メンバーとなれるかどうか、それは今シーズンの活躍度と夏のメルカード状況次第という気がする。

だが、彼らと違って、なにが何でも手放さないという意味での契約見直し交渉を進めなければならない選手がいる。それは、ドン・アンドレス・イニエスタ。

マドリ会長選挙の際に、イニエスタ側とクラブ側が入団交渉をしたという噂が立った。最終的にその会長立候補者は落選したものの、噂そのものは消えるどころか断固たるものとして残ってしまう。そしてチキとソリアーノは、それまで続いていたイニエスタとの契約見直し交渉を突如として棚上げにしてしまった。あれからもう2年、いまだにイニエスタの年俸は、ライカーバルサ構成員選手の中で最低のクラスに入っている。これほど理不尽なことはないが、典型的なカンテラ育ちの選手であり、クラブ側にプレッシャーをかけることもしないし、不満をぶつけることをするわけでもなく、メディアを利用して騒ぎ立てることもない選手にありがちな“ほっとけ状態’が続いている。専門部署以外での仕事もさせられている彼には、超特大ボーナスさえ受け取る権利がある。恵まれぬイニエスタに愛の手を!


カンプノウ初ゴールおめでとう、ボージャン!
(07/10/28)

バルサの選手として、超クラック度を大いに発揮してくれた4人のブラジル選手、つまりロマリオ、ロナルド、リバルド、そしてロナルディーニョ。クラブ歴史にゴシック文字で残るであろうこの4人の選手が、そろってカンプノウを舞台とした試合で忘れることのできないゴラッソを決めている。レアル・マドリ相手の試合でコーラ・デ・バカを決めたロマリオ、バレンシア戦での何が何だかわからなかったロナルドのゴラッソ、やはりバレンシア戦でのリバルドのチレーナ・ゴラッソ、そして“深夜のセビージャ戦”でのロナルディーニョのゴラッソ。

ロマリオ、リバルド、ロナルディーニョのゴールはすべて南ゴールに突き刺さるものだったから、ラッキーにも目前で見ることができた。だが、ロナルドのゴラッソは北ゴール裏に向けてのものであり、遠くから眺めている者にとっては、いったい何が起きたのかよくわからないゴールだった。センターラインあたりから疾風のようにドリブルして相手ゴールに向かうロナルドに、白いユニフォームの選手たちが3人、あるいは4人ぐらい囲むように追いかけていた記憶があるが、何日か後にテレビ画面で見るまで、何が何だかわからないゴールだった。両足でドリブルしながら驚異的なスピードで走り抜け、そして強靱なフィジカルで相手選手を吹っ飛ばしていく、これまで見たことのないゴールシーン。歴史書をひもとけば、あのバレンシア戦は1996年10月26日土曜日とある。今からちょうど11年前の出来事。監督はボビー・ロブソン、11人のスタメン選手はバイア、ガッツ、コウト、ブラン、ナダール、セルジ、ポペスク、ペップ、フィーゴ、ジオバンニ、そしてロナルド。いまはなきレコパの大会と、まだある国王杯を制した偉大なチーム、そして立派な選手構成。相手のポルテロがスビサレッタだったということなどすっかり忘れていた。

そのロナルドはどうしているのか。ミランに行った彼はどうしているのか。ミランラボという超ハイレベルな施設があるクラブに行ったのだから、負傷などせず元気に頑張っているのかと思ったら、どうやら地獄の毎日をおくっているようだ。7月31日に左足を負傷して以来、2回の手術をうけている。それでも、約1か月前から“もう少しでOK”の状態が続いていたとラ・カゼッタ・デロ・スポーツ紙は伝えているが、ここに来て再び復帰日は謎となってしまった。

ミランラボは負傷を防ぐ施設であり、負傷を治してくれるものではないようだし、健康な人をさらに健康にすることはできても、不健康な人を健康にしてくれるものでもないようだし、不振と呼ぶには長すぎる季節を過ごしている選手を元のように戻してくれる施設でもないようだ。ということは、ライカーバルサでプレーする、元クラック10番選手を、超現役フットボール選手に戻すことはミランラボでも不可能なのかも知れない。そうであるならば、彼の獲得に大金をはたいてくれたうえに両手を広げて暖かく歓迎してくれるであろうクラブに対し、前回のコラムで提案したように、我らが10番には長期にわたる“プレステージ”期間をあげて再生を図るのが、バルサクラブ首脳陣の最低の礼儀となるだろう。

ミランラボにしてこうなのだから、バルサラボなどないバルサでは、慎重な上にも慎重を期して各選手を守っていくべきであり、特に週1回出場が理想的となっているメッシーには決して無理をさせてはいけない。疲れ気味のアビダルにも休みをあげよう。

そこで、アルメリア戦。土曜日の深夜03時1秒となった瞬間に02時1秒に戻り、1日25時間の日曜日をスタートとして冬時間に入ってからの初の試合。アビダルの代わりはいてもメッシーの代わりになる選手はいないから、ここは4−4−2というシステムで行くべし、と言っても喰わず嫌いでA定食のみに固執するライカースタッフがするわきゃないだろうが・・・。

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コンドームパーティー
(07/10/26)

セレソンがエクアドル相手に5−0で勝利した夜、ロビーニョとロナルディーニョが中心となって深夜の祝賀会を開いている。多くの選手たちと友人たち、そしてその何倍もの女性たちと売春婦たちを含め、総勢300名という壮大なパーティー。その会場から走り出てきたロビーニョが、会場となっていたディスコの警備員に40個のコンドームを早急に用意してくれと頼んだことから、コンドームパーティーという名がブラジルメディアによってつけられた。

このパーティーを問題とするのは、試合がすでに終わっているセレソン関係者ではなく、そのパーティーに参加した選手たちに高額な年俸を支払っているヨーロッパのクラブ関係者だ。なにしろ、週末には彼らの出場を必要とする試合が待っているのだから。ブラジルメディアによれば、翌日の昼前まで続いたと言われるこのパーティーのおかげで、ロビーニョもロナルディーニョも、週末の試合に出場できる状態ではなく、練習にも駆けつけられなかったことが問題となった。

プロ精神の欠如。だが、選手たちの私生活がどのように楽しく乱れたものであれ、グランドの中で年俸分の仕事をすれば、プロ精神の欠場という批判は消えることになる。いや、消えるどころか、プロ精神に富んだ素晴らしい選手という表現にさえなる。そのお褒めにあずかる名誉に浴した選手がロビーニョだった。10人相手の試合で情けない試合内容を展開したレアル・マドリでありながら、勝利に貢献する主人公となったロビーニョには、プロ精神に富んだ選手として中央メディアは褒め称える。
“ベルナベウパーティー”
私生活のことで批判を受けながらも、しっかりとグランドの中で結果を出したロビーニョに贈られる賞賛のタイトル。だが、残念ながら、我らがロナルディーニョにはお褒めの言葉は贈られない。私生活もダメなら、グランドの中でもダメ。これでは賞賛の言葉は得られない。

妻と離婚したあとに、クラブ職員の女性をアジアツアーに同伴しようが何しようが、そしてツアーから戻ってきてその職員がクビとなり、今では関係が終わってしまったという“私生活”があっても、監督として立派な仕事をすれば何の問題もない。ニースケンスにしろエウセビオにしろ、そろって離婚するはめになった“私生活”があろうが、監督を助ける仕事を立派にこなせば何の問題ともならない。マルケスがアレハンドロ・サンスの元奥さんと付き合おうが、エトーがロナルドの元彼女と連れだって歩こうが、チャビが元彼女とよりを戻そうが、バルデスが彼女と完全に切れようが、そんなことにファンはまったく興味がない。唯一関心のあること、それは彼らがグランドの中で汗を流してくれるか、情熱を注いでくれるか、ファイトあふれるプレーを見せてくるれか、ケガを恐れず足を突っ込んでくれるか、そういうことだ。

そして、こういことでもある。どんなに二日酔いの状態で職場に来ようが、誰よりも真剣な仕事をする社員であるならば何の問題ともならない。が、もし“私生活”の悪影響を受けて仕事をこなせないようなら、会社にとって深刻な問題となるし、その社員を起用し続ける責任者にも問題が生じることになる。いかに多くのファンがロナルディーニョの復活を願い、どんなに不振な状態が続いていても暖かく見守ろうという切ない努力をしても、肝心の当人がその不振の打開をはかる努力をしないのであれば、そういう選手を起用し続けようとする責任者に対しても批判が飛ぶのは仕方のないことだ。

負傷という公式発表の名の下にミニキャンプを張ったロナルディーニョだが、それ以前と以後でも何の変化も感じられない。少々変化が感じられるのは、意欲のようななものが出てきたことか。だが、意欲だけでは体は動かない。
「チームが自分を必要とする時は、必ず戻ってくる。」
と語って1年半、いまだに07年型新生ロナルディーニョは誕生してこない。

3、4年前の超クラック・ロナルディーニョの復帰を願望するほど健康的な人生を歩んできてはいないから、せめて07年型新生ロナルディーニョの誕生を期待している。普通の選手程度のフィジカルさえ取り戻せば、少しは走れるようになるだろうし、誰にも真似できないスペクタクルなテクニックの冴えも戻ってくるだろう。“27歳ベテラン選手”としての試合の読みと、状況判断の正確さでチームを動かすことも可能だろう。守ることなどもちろん要求しない。ボールを奪取することなどももちろん期待しない。PKとFKを決め、想像力豊かな正確なパスを出し、そしてチームの流れの邪魔をしないこと、彼の持つ名声と才能からして、これだけでもバロン・デ・オロの候補者となれる。

そのためには、当人とクラブ側が理解し合って協力していくことが必要だ。前回おこなったミニステージでは結果がでなかったのだから、もう少し時間をかけて調節させてあげればよい。とりあえず年内いっぱいは試合出場を放棄させ、その間に本格的なキャンプを張るのが良いだろう。チームが本当に彼を必要とする春頃、ひょっとしたら07年型新生ロナルディーニョの誕生が見られるかも知れない。


セントロカンピスタ
(07/10/23)

ラ・マシアの歴史的特徴に、その25年以上の時の流れのなかで、多くのセントロカンピスタを生み出してきたことを挙げられるだろう。そして、それは奇しくも、ヨハン・クライフがバルセロナの地に監督として戻ってきた時期をスタートとしている。

ラ・マシアから最初に登場してきたセントロカンピスタは1966年生まれのルイス・ミージャだった。だが、ラ・マシア制作第1号セントロカンピスタである彼は、その後誕生してくる他の選手と比べるとそれほどバルサに足跡を残していない。チャビとデコを合わせて三で割った程度の選手であり、5m前後の短いパスをだすことはできても、奥行きのあるパスを出す能力には欠けていた。だが相手のカウンタアタックを止めるための微妙なファールに光るものを見せるストッパー選手だった。そして彼と時期を同じくして1967年生まれのギジェルモ・アモールが登場してくる。アモールは4番の選手ではない。左右インテリオール選手として、汚い仕事を平気な顔をしてするタイプであり、そして常にゴールに絡んでくる選手でもあった。いかにも活きの良い感じでデビューしてきたときの印象は忘れられない。

アモールより4歳若く、1971年生まれのペップ・グアルディオラが、カンプノウに初めて登場してきた時のイメージを多くのファンは忘れていないだろう。タッパはありながらもゴボウのように細く、そしてファーストギアでしか走らないからスピードがあるのかないのかもわからない。だが、頭の回転は誰よりも速そうだった。この世にあるすべてのインテリジェンスを集め、これまで見たことのない新しいタイプの選手が登場してきた。3m四方くらいの狭いスペースを利用してチームそのものを動かしていく、クライフバルサに待望の4番選手の誕生だ。

ペップが負傷したことにより、彼より2歳若いオスカー・ガルシアが登場してきた。ペップに欠けていたもの、つまりフィジカルの強さとスピードと、そして何よりもゴールにからむ才能を持っていた4番の選手。だが、彼の不幸は、ペップの負傷は永遠のものではなく、彼が戻ってきてからは、インテリオール、あるいはメディアプンタという、よりゴールに近いポジションに移されてからだ。不思議なことに、4番の選手として持っていたすべてのものが消え去り、なぜか特徴のない選手と化してしまった。

そして一人のモンスターが登場する。ミニエスタディで“キンタ・デ・ミニ”の一時代を築いた1976生まれのイバン・デ・ラ・ペーニャ。4番かというとそうでもなく、10番かというとそれも違う。いままでの常識を破るほどのスケールの大きい選手が登場してきた。ボールが足下に来た瞬間から、カンプノウの観客は何かが起きるのではないかと一斉に腰を浮かす、そのような雰囲気をかもし出していた。だが、時代が悪かった。クライフバルサに終焉が訪れ、ボビー・ロブソン、そしてバン・ガールがやって来る。彼らのフィロソフィーの中には入り込む余地のない選手だったと言える。イバンと同世代であるセラーデスやルジェーというセントロカンピスタもついに爆発することなく、バルサを離れることになる。

だがその当時、ミニエスタディではペップの後継者と期待される選手が、4番を付けてプレーしていた。1979年生まれのジェラール・ロペス。ボールの蹴り方や走り方、あらゆる仕草がペップそっくりの4番選手だった。魅力としてはペップのミニエスタディ時代より優っていただろう。高いボールに強く、何よりもゴールに絡む才能を持ち合わせていた。この選手がバルサに“買い戻されて”きてからなにゆえ成功しなかったのか、その理由を理解している人がいたら教えて欲しいとさえ思う。

話が長くなったので、その後登場してくる1980生まれのチャビや、1984年生まれのイニエスタには触れない。だが、アルテッタにだけは触れておきたい。

チャビとイニエスタの間にサンドイッチのようになって1982年に生まれてきたアルテッタ。彼はついにカンプノウでプレーすることなくクラブを去っている。前を見ても後ろを見ても、バルサAチームデビューが厳しい状況だった。だが、その後の彼を見ていると、ミニエスタディでプレーしていた彼をそのまま成長させたように大きくなって活躍している。ラ・マシアからはほとんど生まれてこない強烈なキャラクターを持ったバスク人選手である彼だからこそ、もし、デコの後釜をカンテラ選手で埋めようとするなら、それはアルテッタが最適だ。

そして今また、1987年世代のビクトル・バスケスが、1988年世代のマーク・クロッサスが、そしてイニエスタやメッシー、あるいはボージャンと同じように16才でバルサBデビューを飾った1991年世代のティアゴなどが注目を浴びている。ラ・マシアから誕生しようとするセントロカンピスタの歴史は尽きない。

それでも一つだけ贅沢なことを言わせてもらえば、エドゥミルソンやヤヤのようなタイプのセントロカンピスタが生まれほしい。ラ・マシアの食事に問題があるのか、カンテラ政策のフィロソフィーの問題か、いずれにしてもライカーバルサが必要とするフィジカルの強いセントロカンピスタは生まれてこない。唯一の例外となりそうだったかつての期待の星も、体と頭のバランスが超メチャクチャ(現在負傷中の彼だが、アンヘラという彼女との間にソフィアという女の子が誕生。フェリシダーデス!)だったため、今シーズンはクラブを離れて行ってしまった。世の中、理想的に物事は運ばない。

どんなに頼んでもアビダルピボッテの要望は受け入れてもらえないので、レンジャース戦は以下のようにいってみよう!

●控え選手
エスパルディーニャ
エラスティカ
ソンブレロ
ビシクレッタ
カーニョ
カラコーレス
チレーナ

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2+7=9のスタメン
(07/10/20)

各国代表の試合が各地で開催されるため、バルサの試合がなくなる週が訪れると、バルセロナの街からはフットボールの話題がまったくと言っていいほど消えてしまう。キオスコのお兄ちゃんからも、バールのおじさんからも、パン屋のおばさんからも、スーパーのお姉ちゃんからも、普段の週なら間違いなく交わされるフットボール的話題が消え失せ、天気の話とか、物価高の話だとか、サグラダ・ファミリアに接する通りに掘られるスペイン新幹線のトンネルの話とか、夏休みをどう過ごしたとか、まあ、何というか、普段の会話とは異なる“非日常的”な話題につきあわされることになる。自分や知り合いのバルセロニスタがそうだからというわけではなく、たぶん、この街に住む多くの人々は代表の試合など見ていないのだろう。そもそも、イニエスタだとかチャビだとかいうバルサの選手が活躍するかどうかという興味よりは、負傷しないで戻ってくることだけに関心を持っている人々が、わざわざ試合を見る必要などあるわけがないのだ。

一方スペイン首都の方では、もちろん代表戦はいつも重要なものとなる。何と言っても“スペイン代表”なのだ。だが、この2週間の首都メディアを眺めて見ると、大事な試合そのものに関することより、“ラウルを招集せよ!”というキャンペーン一色となっていた。レアル・マドリの顔であるカピタン・ラウルが代表カピタンとして出場することで、よりスペイン代表としての価値観が高まるからこそのキャンペーン。だが、ルイス・アラゴネスは何人かのデランテロが負傷で起用できなくなっても、ラウルをついに招集しない。不満が高まる首都メディア。そして、デンマーク戦では、マドリディスタのラモスがゴールを決めたとはいえ、チャビやイニエスタが活躍し、そしてエスパニョールの3人デランテロが大活躍してしまったらしい。さらに不満が高まる首都メディア。しかもそのラウルに至っては、フィンランド戦をテレビ観戦することなく、テニス選手のナダールの試合を応援観戦に行ってしまったという。スペイン代表に対する無関心さと、興味ある人々の中で生まれる大いなる不協和音、スペイン代表が大事な国際試合の本番で勝てるわけがないのだよ。

そしてここ2、3日、ようやく我が街にも日常的な話題が戻ってきた。主要なテーマは二つ。ロナルディーニョを出場させるべきかどうか、というのが一つ。ボージャンを先発させるべきかどうか、これが二つめ。ETAのテロ問題や地球温暖化問題と同じような、重要なテーマが日常生活内に戻ってきた。

そして、ビジャレアル戦。

10日間以上の合宿生活をおくりながら2つの試合を戦い、試合後には朝の5時まで続いたフィエスタ・イン・ディスコに参加し、そして10時間以上の空の旅を終えてバルセロナに戻ってきたロナルディーニョは、一度足りとしてライカーバルサの練習に参加することができなかった。もしビジャレアルとの試合が、チャンピオンズの準決勝であったり、あるいは決勝であったりしたなら、それでも彼は出場することになるだろう。だが、幸いにも、ビジャレアル戦はまだリーグ戦第8節の試合であり、いかにロナルディーニョという名が付く選手であれ、疲労困憊の選手を無理してまで起用する必要はどこにもない。それは、長旅を終えて戻ってきたジョバニにも言えることだ。

結論。
3日後に控えた重要なチャンピオンズの試合に備え(という名目で)、少なくともロナルディーニョは試合出場はおろか、招集さえする必要はない。長い移動時間に加え週2回という、負傷という危険がチラホラしてきたメッシーには後半だけでも休養を与えるべきだろう。そこでライカーさん、ボージャンの出番ですよ。オサスナ戦11分、セビージャ戦3分、サラゴサ戦9分、At.マドリ戦7分、こんな子供だましのプレー時間しかもらっていないボージャンが、ついに試合開始スタートから出場するチャンスじゃないですか。彼がゴールを決めた30秒後、バルセロナの夜空にドカ〜ンと一発ドデカイ花火が上がるのでありました。

これでいってみようスタメン11人


外から見たバルサ
(07/10/19)

レアル・マドリが他のどのクラブよりポイントを稼いでいて、リーグ順位1位を保っている。バルサは彼らより2ポイント少なく2位。常識的には、首位を走っているレアル・マドリの話題に花が咲きそうなものだが、少なくともメディアの間ではそうなっていない。これまでの試合内容の圧倒的な違いもさることながら、光り輝く選手が多くいるバルサに話題が向けられることになる。自らマドリディスタと認めるアルフレッド・レラーニョ(アス紙編集長)にして、次のようなコメントを書いているのが微笑ましい。

昨シーズンのロナルディーニョとエトーの“シット抗争”ほど、マドリディスタを楽しませてくれたものはなかった。バルサに多くの内部問題が生じたことが、マドリの優勝を可能にしたと言っても大げさではない。そしてさらにマドリディスタに楽しみが増えた。アンリの加入だ。また一人“お山の大将’が加わり、内部抗争はさらに激しくなるだろうという密かな楽しみが増えた。だが、我々にとって残念なことに、今シーズンのバルサはエトーの負傷、ロナルディーニョの大不振により、彼ら不在のバルサとして戦っていることだ。ロナルディーニョの代わりにイニエスタがポジションにつき、悔しいながらマドリとは比べものにならないほどの試合内容で戦ってきている。

願わくば、エトーが早く負傷から戻ってきて、ロナルディーニョと再びシット抗争を起こし、アンリが仮面を取り除き、お山の大将役に徹しはじめ、チーム内を大いに騒がせて欲しいものだ。だが、それでも正直なところ、メッシー、イニエスタ、チャビ、デコ、プジョー、そしてなにゆえ代表に招集されないのか不可解な存在のバルデス、あるいはボージャン、ジョバニたちの素晴らしいプレーぶりを見たいがゆえに、ソファーに座ってテレビに釘付けになってしまう自分がいることも知っている。マドリディスタでありながら、それでも一人のフットボール愛好家として、そして一人のジャーナリストとして、楽しいフットボール観戦をするためにこのチームの試合は見逃せない。

そして、イタリアのラ・ガゼッタ・デロ・スポーツ紙のパオロ・コンドという記者が、次のようなコメントを発表している。

今シーズンのバルサは、これまでのフットボール史において一度として可能とならなかったことを試そうとしている。それは“昨日”の世界最優秀選手と“今日”の世界最優秀選手を共存させようとしていることだ。

クライフは一度たりともベッケンバウアーと一緒にプレーしたことがない。プラティニにしても決してマラドーナを同僚としたことはない。何年か前のレアル・、マドリでは、ロナルドとジダーンが一緒にプレーしているではないかと言う人もいるかも知れない。だが、二人とも全盛期をとおり過ごし、すでに下降線をたどっている時期だった。

“昨日”の世界最優秀選手ロナルディーニョ、2002年のムンディアルから2006年のムンディアルまで、他の選手を足下にも届かせない圧倒的な差を持って世界最優秀選手だったと言える。だが2007年の前半、同国人にしてミランでプレーするカカがしっかりとその位置を確保してまった。そして2007年の後半に入り、これまでのところロナルディーニョの同僚であるレオ・メッシーが、カカ以上に光り輝いたプレーを見せ続けている。まるで限界などないように、一試合ごとにクラックぶりを発揮するメッシーは、公平に見て現在の段階では世界ナンバーワンと言えるだろう。

今日から2010年のムンディアルまで、メッシーは他を圧倒して、フットボール世界の主役の座を勝ち取ることは間違いないだろう。ロナルディーニョも1年以上の不振が続いているとはいえ、まだ27歳の脂ののりきった選手だ。再び“今日”の星に返り咲こうとするのも間違いないところだろう。だが、今までのビッグクラブの歴史を見る限り、1つのチームに二人の“大将”が共存できたためしがない。過去の例において一つとしてない。

その歴史を破る可能性の一つに、彼らは本当の友人関係であることがあげられる。メディア向けの友情ではなく、私生活においてもグランドの中においても、お互いに尊敬し合っている友人同士だ。シットは生まれない。一人はパサドールとして再生しようとし、一人はゴレアドールとして最高峰を目指そうとする若者。彼らの友情と、フットボール選手としてのそれぞれの生き方を全うすることができるなら、バルサがしようとしているこれまでできなかった試みが成功する可能性もありそうだ。

だが、バルサはこの2人だけではないことが、逆に問題となってくる可能性もあるだろう。現在のバルサには世界最優秀選手15人の中に入る5人の選手が同居している。デコ、アンリ、エトー、プジョー、そしてイニエスタ。このうちの誰であれ、他のクラブ、それが例えビッグクラブと呼ばれるものであろうと、間違いなく絶対スタメン選手となり、チームのリーダーとなれる選手たちだ。一つの檻の中に何人もの自己主張をするクラック選手がいることの危険性。バルサは他のどこのクラブも味わえない贅沢な悩みを抱えている。

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フラン・メリダ問題
(07/10/17)

“フラン・メリダ逃走事件”がいまだに裁判沙汰となっていたとは知らなんだ。もう2年以上前のドタバタ事件だが、過去ログを探してもらえばどういう事件だったかわかると思う。でも探すのが面倒くさい人のために簡単にまとめてみよう。

2004−05シーズン、バルサカデッテBチームでプレーしていたフラン・メリダがシーズン終了後、9歳の時から6年間在籍したバルサを離れる。もう2年以上たっている“事件”なので、当時よりはその理由がだいぶ明らかになっている。フランはクラブ側にボージャンやヤゴと同じような待遇、つまり簡単に言えば、同じような年俸を要求したという。このカテゴリーでは“絶対”の選手であったボージャンとヤゴであるから、彼らには他の選手とは比べようもならない待遇がされていたらしい。同じようなものを望んだフラン・メリダだが、クラブ側はなかなか首をたてに振らない。そうこうしているうちに、彼はクラブはもとより、バルセロナの街からも消えてしまう。両親の住むバルセロナの自宅から離れ、まるで行方不明のように消えてしまった。それから4か月たち、セスクの代理人にしてフランの代理人でもあるホセバ・ディアスが、彼の居所を明らかにする。彼の親戚の家だかフランの親戚の家だか忘れたが、ビトリアというバスク地方の町にいることが判明。その町にあるアリスナバーラという小さいクラブで、毎日のように練習しているとも伝えられた。そして、16歳の誕生日を迎えたフラン・メリダはロンドンに向かう。アーセナルからのオファーを受け、入団契約をするためだ。とりあえず二部カテゴリーの一員となった彼だが、しばらくしてアーセナルとのプロ契約を結んだ。契約期間は4年間だった。

あまりにもやり方がまずかった。クラブ会長選挙の際の空白期間を利用してドーバー海峡をわたってしまったセスクのやり方も褒められたものではないが、フランのケースはそれよりも薄汚い印象を受けるものだった。彼らに共通する代理人ホセバ・ディアスのやり方だと言ってしまえばそれまでだが、代理人を決めるのは彼ら選手であり、彼らの両親だ。したがって、代理人だけの責任とはならない。いつものように、両親の引っ越しという伝家の宝刀のもとに、アーセナルは1ユーロもバルサに支払うことなくフランを手に入れた。そしてこの忘れかけられた事件が、再びメディアの前に登場する。

バルサはアーセナルというクラブをUEFAに訴え、同時にフラン・メリダという選手の行為をバルセロナ民事裁判所に訴えていたようだ。そして今月、フラン・メリダ家はバルサに対して320万ユーロの支払いをすべしという、バルセロナ民事裁判所の判決が下りた。この民事裁判所の判決はあくまでもメリダ家に対してのものだが、もちろん現実的にはアーセナルが支払うことになる。

だが、フラン代理人ホセバ・ディアスは黙ってはいない。この判決が下りてからすぐに反撃に出ている。
「この納得しかねる判決に対して、我々は最後の最後まであらゆる手段を通じて戦う覚悟だ。バルセロナ民事裁判所が下した判決は、あくまでもこの戦いのスタートにしか過ぎない。この判決に対して控訴をするのはもちろん、次の裁判でも納得がいかない判決が下されたなら、再び控訴するつもりだ。最終的に最高裁判所まで行き着かなければならないのなら、それも良いだろう。」

この先どう転ぶかわからないものの、イングランドのロリコンクラブにはいい脅しとなっただろう。アーセナルだけではなく、アブナイおじさんベニテスがいるリバプールにも脅しが効いて欲しいものだ。スパニッシュ・リバプールと化したこのクラブには、彼らが言うところのカンテラ組織に、16歳から19歳までの“引っ越し手続き”によってタダでドーバー海峡をわたった選手が6人もいる。セビージャからダニエル・アヤラ、ビルバオからミケル・サン・ホセ、マドリからヘラルド・ブルーナ、マラガからフランシスコ・ドゥラン、レイダからミキ・ルーケ、そして我らがバルサから恐れ多くもパチェコ。

それにしても、メッシーではなくセスクを、ボージャンではなくフランを持って行かれたのは、不幸中の大大大幸いとしておこう。


ドン・アンドレス
(07/10/15)

ロナルディーニョの存在をファンの心から忘れさせることは、とてつもなく難しい作業だ。まして、トゥレ・ヤヤの代わりになってプレーすることはもっと難しい。それを一人の選手が必要に応じてやり遂げてしまうとなると、これはまさに神業と言って良い。エリート世界に生きる、超エリートのみが可能となる作業、それを彼は彼の方法でやり遂げることに成功している。ロナルディーニョの代わりではなく、ヤヤの代わりでもなく、イニエスタという選手の方法でやり遂げた。

カード制裁や負傷などでそれまで絶対のスタメン選手が出場できなくなった時、ライカーを筆頭とするコーチ陣たちは、まずイニエスタの存在を頭の中に描く。そのことをライカーはもちろんどのコーチも否定しない。
「彼の応用力の素晴らしさは誰とも比較できないものがある。あらゆるポジションで彼の持ち味を生かしながら見事に要求に応えてしまう。もちろん、ポルテロというポジションは別にしての話だが・・・。」
チャンピオンズのドイツチーム相手の試合でトゥレ・ヤヤの代わりとなり、ピボッテのポジションについたイニエスタを、ライカー監督はこう評価している。

オールド・トラフォードで、イングランド代表相手にスペイン代表の勝利を呼ぶゴールを決めて以来、イングランドはイニエスタのことを“スイート”という愛称で呼んでいるらしい。スペインでは、これまでは“アンドレス坊ちゃん”だったものが、今では“ドン・アンドレス”という尊敬を込めた愛称に変わってきた。バルサに入団してきて11年、Aチームでプレーするようになってから6年、すでに23歳となったイニエスタが、ほんの少しだけこれまでのことに関して触れている。

バルサに入団してから数か月、毎日のように泣いていたのを覚えている。辛い時期だった。とてつもなく辛い時期だった。いままで常に一緒だった家族はアルバセテに残り、自分一人で遠く離れたバルセロナで生活する。12歳の自分には厳しすぎる環境だった。毎朝ラ・マシアの自室で目覚めると、窓から見えるカンプノウを眺めるんだ。そしていつもため息をつきながら思う。
「あそこでプレーするのは無理だな・・・。」
近くて遠いカンプノウ。自分には遠すぎる存在に思えた。それでも夢見ることはカンプノウでプレーしている自分の姿。でも現実にもどると、それは不可能に近いと感じられることだったし、多くの同僚も同じような夢を見ながらいつの間にか寮を去っている。だから、たぶん自分にも現実的には不可能なこと。そう思うと、いつも泣いている自分がいた。

それでも順調にカテゴリーを上がっていくことができた。シーズンごとに、カンプノウが近くなるような気がしてくる。
「去年よりカンプノウが近くなってきた。」
不安を紛らわすためにも、そう信じようとするようになった。

自分にとって幸運だったのは、小さいときからのアイドルたちが、目の前で練習していたり試合に出ていたりしたことだと思う。そういう風景に連日接しながら成長することほど、一人のカンテラ選手として幸運なことはない。ペップとラウドゥルップ、今でも自分の部屋には彼らの写真が貼ってある。ペップのようなボールタッチができるようになったかって?それは無理なことさ。とてもあの域までは達することなんかできない。ラウドゥルップのようなエレガンスなプレースタイルができるようになったかって?彼にはかなわないけれど、いつかそれに近いものを獲得したいと思う。

それにしてもペップは偉大だった。彼のすべてに憧れていた。グランドに登場してくるだけで、リーダーとしての雰囲気をかもし出していた。そして試合が始まると、彼だけに可能なシンプルなプレーが展開される。シンプル、それはもちろん見ている人が感じるイメージであって、実際にやってみるとインテリジェンスとテクニックを必要とする非常に複雑なプレーだ。それをあたかも誰でもできるかのように、シンプルにやってしまうところに彼の偉大さがあった。ラウドゥルップの魅了は何と言ってもあのドリブルにある。時々、彼がやっていたような“クロケッタ”を真似して成功でもしようものなら、もう個人的には大満足となり、幸福感のあまり心の中でニヤッとしてしまうんだ。でも彼らの魅力的なプレーは、頭から生まれると言うより、体の中から自然発生的に出てくるものだと思っている。他人が彼らから学ぶことはできても、体の中から自然にでてくるところまで達するのは大変なことだと思う。

もし可能なら、今のラ・マシアに入寮している子供たちが、自分がかつてアイドルたちを見て育ったように、彼らもまた、一人でも良いから、自分をアイドルとして成長してくれれば良い。近い将来、イニエスタという選手をアイドルとして身近に接して成長した選手がでてくれば、自分にとってこれほど幸せに感じることはないだろう。

スエルテ、ドン・アンドレス!


左足利き右サイド選手
(07/10/13)

右足利き選手は右サイドで、左足利き選手は左サイドでプレーするというのが、フットボール界での一般的な常識。だが、この常識を覆すかのように、左足利き選手でありながら右サイドでプレーしていた選手がいた。ガスコインなどと一緒にプレーしていたクリス・ワドル、デカイわりにはとてつもなく魅力的なテクニックとスピードを持っていたエストレーモ選手で、たぶん個人的に見た初の常識破りの選手だと、あやふげながらそういう記憶がある。

あれから20年。常識破りの選手はクリス以前にもいたのだろうし、この20年間にも何人かいたかも知れない。そうだとしても、印象に残っている選手は具体的に思いつかないので、いたとしてもたいした選手ではなかったのかも知れない。となると、クリス以降の常識破り選手はメッシーが最初となる。少なくとも個人的には彼が最初だ。明らかに右利きながら左も同じように起用に使いこなせたラウドゥルップや、利き足がどちらだかわからないオーベルはこのさい話をスッキリとするために無視しよう。

メッシーがデビューしてから何試合か左で試してみたライカー監督だが、いつの間にかジュリーの交代役として右エストレーモで起用するようになる。左にはロナルディーニョという絶対の選手がいたから、状況が生んだたまものかも知れない。いずれにしても、カデッテカテゴリー、フベニルカテゴリー、そしてバルサBでもメッシーの右ポジションはほとんど見たことがない。試合の流れで必要に応じて右に移ることはあっても、最初から右に配置されたのを見た記憶はない。アルゼンチンユースでどのような起用のされ方をしたのか知らないが、クラブ単位では彼にとって初めてのことと言っていい。

左足利きだから、当然ながら左に流れ込むような動きをする。ベニテス監督がこの特徴を読み切ったかのように、彼のマークとして右足利きのラテラルを起用したのは記憶に新しい。ボールを左足ではらって左斜めに突っ込もうとするメッシーを、右足利きラテラル選手は何の問題もなく得意の右足で阻止している。

だが、それでもメッシーはメッシーだった。オラゲールの持つ学習能力と、オラゲールにはまったくないテクニックを駆使し、いつの間にかその壁を破ることに成功している。ある時はボールを後ろの選手に戻し、ある時は壁パスを利用し、ある時は不器用な右足の手助けを借り、そしてある時は左斜めに突っ込む、そういうバリエーションを獲得した。

そしていま、ジョバニが、やはり左足利きのジョバニが、同じポジションで何回か起用され続けている。メッシーとの違いは、このポジションは彼にとって初めてではないことだ。フベニルAとバルサBでそれぞれ1年間ずつこのポジションでプレーした経験を持つ。結果は・・・まったく結果のでない結果となった。モチベーションの不足という事実もあったことながら、相手ラテラル選手にしっかりと動きを研究されてしまった。10回のうち9回は左斜めに入っていく、その動きの傾向を読まれてしまった。残念ながら、その壁をぶち破る学習能力と、メッシーほどのテクニックは持ち合わせていなかった。

18歳という年齢のジョバニに一番光る素材は、フィジカル面の強さだ。それは、これまでたどってきたすべてのカテゴリーで証明されている。この夏、メキシコアンダーカテゴリーで試合をこなした彼は、そのまま夏休みもとらずライカーバルサのプレステージに参加してきている。若さがなせるワザだ。プレステージでの試合での活躍は、まだまだ体ができてきない仲間を味方とし、やはり同じようにプレステージ用フィジカルを持つ選手たちを相手にしたからこそ可能となった。周りの21人の選手たちがまだ50%前後であるのに、彼は100%の状態でプレステージの試合をこなしている。彼にとってこれからハンディとなるのは、周りの選手が100%の状態になってくるに従い、昨シーズンから一度もストップせずに今日まで走ってきたことことから、いつの日か疲労が襲ってくることだ。いかに若いとはいえ、それは避けられない。

これから少なくても10年間、バルサやスペイン代表の顔となるであろうと予想されるボージャンに比べると、ジョバニの将来は未知数だ。もちろん、バルサカンテラ組織が生んだ偉大な18歳選手であることには変わりがない。興味深いテクニックを持ち合わせていると同時に、スピードもあるしインテリジェンスもある。総合的に、才能あふれる選手であることは間違いない。だが、それでも右エストレーモとして、メッシーのようなプレーやゴールを期待するのは間違いだ。そもそも彼はゴレアドールではないから、シーズンをとおして10ゴール前後決めれば良しとする選手だ。バルサインフェリオールカテゴリーでもゴレアドールであったためしはない。

まだスタート台に立ったばかり。子供だましのようなプレー時間しか与えられていないボージャンよりはマシとはいえ、ジョバニにも多くの時間はまだ与えられていない。経験を積むためにいくつかのポジションを試すのも良いだろう。だが、彼にとって最高のシーズンとなったカデッテA時代のように、左エストレーモとして、パサドールあるいはアシスト役としてプレーすれば、非常に面白い選手となるような気がする。この左足利き選手は、左サイドという“常識的”なポジションでプレーさせるべし。


グランカピタン、ホセマリ・バケロ(下)
(07/10/11)

監督とコーチの関係について。ここ最近、試合中にエウセビオがライカーの耳元で囁くと、何かよからぬことが起きるのではないか、そうバルセロニスタはいぶかっているようだが、実際のところ監督に与えるコーチの影響力というのはどんなものか?

コーチは重要な役割を持っている。それは監督に対するというよりは、選手に関するものと言った方がいいだろう。どんなカテゴリーのチームであれ、そしてどんな国のチームであれ、監督に対する選手の尊敬度というのは絶対のものがある。したがって、各選手がチャラチャラと監督に近づいて話し込むということはあり得ない。監督の方にしても、一人一人の選手がどんな状態であるか、それを直接知る方法は限られてしまうことになる。ここにコーチの重要な役割が誕生することになる。ある時は親しい友人のように、ある時は厳しい父親のようになって、選手の心理状態を読みながら、厳密に管理していくのが彼らの重要な仕事の一つだ。人間関係の問題で悩んでいたり、家庭内の問題を抱えていたり、選手もそういう意味ではふつうの人間なんだから、そのような状態の時は必ずある。コーチ陣は監督にそれを伝えるスパイではなく、悩みを聞いたり問題を解決したりすることも仕事の一つとなる。

テン・カテの後釜としてのエウセビオに、コーチとしての能力はあるのだろうか?

テン・カテが厳しい表情でコーチ業をおこなっていたとすれば、エスセビオは笑顔でそれを果たしているのだと思う。いいかい、彼はこの世界で17年間もメシを食っている人間なんだ。クライフバルサの時代にはクライフが何をし、レシャックが何をしてきたか、それを知っている数少ない選手であるし、他のクラブでも同様に多くのことを経験し学んでいるエリートコーチと言って良い。テン・カテの重要性にかんする話をよく聞くが、それは昨シーズンには結果がでなかったからだろう。ムンディアルがあり、練習に励むことができなかったプレステージがあり、そしてタイトルを獲得して腹一杯の選手たちがいた。それでも、もし昨シーズンに何らかの好結果を得ていれば、テン・カテの話なんかどこからもでてこなかっただろう。

今シーズンのバルサは交代して入ってきた選手が、それまでプレーしていた選手と同じようなスタイルのプレーをする選手ばかりだという批判があるか?

確かにそれは言えると思う。すべて足下へのボールを要求する選手ばかりだ。デコしかり、チャビしかり、イニエスタしかり、ロナルディーニョしかり、すべて足下へのボールを要求するタイプの選手。そういう意味で言えば、ジュリーのような空いたスペースへのボールを要求する50m疾走タイプの選手がいなくなってしまった。ただ、今の段階でそういうタイプの選手を獲得することは、当然ながら不可能だ。チキやエウセビオ、そしてライカーを個人的に知っている自分としては、彼らは彼らなりの“Bプラン”のようなものをもっているのだろうとおもう。例えば、トゥレ・ヤヤをインテリオールとして起用するとか、あるいはマルケスをピボッテとして起用するとか。いずれにしても現在のバルサを構成する選手の顔ぶれを見てみれば、歴史的に最も優れたメンバーが集まっているわけだから、色々な起用法を試すことができると思う。

最後に、クライフに関して話を聞かないとこのインタビューは終わらない。

彼の指揮の下で働くには、頑強なメンタリティーが必要だ。なぜなら、彼の下ではメンタル面で弱い選手は、絶対と言っていいほど生き残れないからだ。勝利すること、ひたすら勝利すること、それがどのような試合であれ要求される。“スペクタクルに勝利する”とか“美しく勝利する”とかいう逸話は、あくまでも逸話に過ぎない。どんなことがあっても勝利すること、それが彼のフィロソフィーであり、それについていけない選手たちは取り残されることになる。バルサを取り巻く環境、つまりクラブ背広組やメディア、そしてファンたちまでもコントロールし、独裁者としてすべての責任を引き受け、そしてその責任を全うするために、毎日のように選手に対してプレッシャーをかけ続ける。そのプレッシャーに耐えられなくなったものは、クラブを去ることを義務づけられ、それに耐えたものだけが残ることになる。そしていつの日か気がついてみると、勝利者のもとでプレーする自分が、いつの間にか同じメンタリティーを持つようになっている。と同時に、あれほど厳しかった監督に対して、尊敬と憧れの気持ちを持っている自分にも気がつく。クライフ監督というのは、そういう感じなんだ。

確かに、まだ現役生命が残っていると思われた選手も何人か放出されている。

クラブを離れていった選手をすべて同じ理由では語れない。例えば、スビサレッタの放出に触れてみよう。カピタンであった自分に、クライフは次のように説明していた。
「スビをベンチに置くよりは、活躍する場のある他のチームでプレーしてくれることを望んでいる。」
つまり、そういうことなんだ。もし若手選手に彼と同じような実力を持った選手が出てきたら、あるいは少しぐらい劣るかも知れないが将来が楽しみな選手が登場してきたとしたら、彼は後者の方を優先して起用していきたいというアイデアなんだ。それはチームの若返りを狙う意味もある。だが同時に、まだ現役選手として第一線でやれる選手をベンチに置くよりは、外でスタメンでプレーして欲しいという希望もある。それは、バンガールにしても同じようなアイデアだった。したがって、バルサで現役生活を終えるということは、選手にとっても多くのファンにとっても望みとなることだろうけれど、それは限りなく難しいこととなる。個人的には、彼らのアイデアは正しいと思う。勝利を義務づけられたチームに、安っぽいセンチメンタルなど入り込む余地はない。それがバルサの宿命だ。


グランカピタン、ホセマリ・バケロ(上)
(07/10/10)

8年間続いたクライフバルサの歴史の中で、何人かのカピタンが登場してきている。アレサンコ、スビサレッタ、クーマン、バケロ、ペップ、エトセトラ、エトセトラ。だが、当時を生きた多くのバルセロニスタにとって、心のカピタンとなるのは常にバケロだった。現在のライカーバルサにあって、選手たちの柱となるのがカピタンプジョーであり、グランドの中での監督と化すのが(カピタン)デコであるとするなら、バケロはその両方を兼ね備えていたグランカピタンだったと言える。デコと同じように必ず必要な場面でファールをして、試合を止めるのも彼の仕事だったが、それでもカードをもらう数の少ない選手だった。(今シーズンのデコは第7節にして4枚ももらってしまっているが・・・。)

クライフバルサを構成した何人かの選手たちが、何らかの形でクラブに戻って来ているが、バケロは生まれ故郷であるサン・セバスティアンに住んでいる。だが、それでも現在のバルサとは無関係な立場にあるわけではないようだ。ラポルタの影となるのがクライフであるように、チキの影となっているのがバケロと言われている。

クライフバルサとライカーバルサの比較は可能か?

それはもちろん不可能だ。時代が異なるということは、フットボールのスタイルも異なることになるし、例えば、昔の選手と今の選手を比べることの愚かさに等しいことだと思う。ただ、フットボール的なことを離れた時点で、一つだけ共通することがあるとすれば、クライフが監督に就任したときもそうであったように、ライカーが監督就任したときにも、バルセロニスタの歴史的傾向と言っても良い悲観主義が蔓延していたことだ。そして両チームとも、その悲観主義から楽観主義へとバルセロニスタの気持ちを変えることに成功している。

比較することができないとしても、例えば、一つだけ違いをあげるとすれば?

空いているスペースにパスを要求するのが我々のフットボールだとすれば、現在のバルサは足下へのパスを要求するスタイル。確実なボール支配を試みようとする発想から来ているのかも知れないし、ロナルディーニョとかメッシーとかいう選手のスタイルがそうだからかも知れない。だが、そのパス傾向だけの違いから見ても、明らかなフットボールスタイルの違いが生まれる。我々は常に奥行きのあるフットボールを目指していたし、より直線的であり、ボールそのものにスピードが要求された。いずれにしても、違いをあげたらきりがないように思う。

当時もそうであったように、今シーズンのバルサにも“内部規律”が問題となっているが?

バルサだけではなく、勝ち続けることが要求されるクラブでは、いつの時代でもそういうことが問題となる。選手たちには常に多くのプレッシャーがかかっているし、特に外から来た選手たちにはファンから多くのことが要求される。そして常に、フットボール以外のことで問題となる時は、ベンチ内にベテラン選手たちが何人もいるシーズンとなるのも例外ではない。例えば、現在のバルサで言えば、デコとかロナルディーニョとかマルケスなどがベテラン選手と呼んでいいだろう。今から4年前にラポルタ政権が誕生してきてから、チームの核となる選手たちにそれほど変化は生まれていない。もしチーム内に問題があるとすれば、それを解決する方法は一つしかない。それは勝ち続けることだ。

勝ち続けること。それでもここ25年間、勝ち続けることはあってもヨーロッパの最大のカップ、つまりチャンピオンズの戦いには勝ち続けることができない。それはなぜだろうか?

バルサの持つ特殊なフィロソフィーに触れることなくしてそれは語れないだろう。そして例え、バルサがチャンピオンズを制覇した回数が少ないとしても、多くのフットボールファンが、バルサのフィロソフィーに親近感を持っていることも評価しなければならないことだと思う。バルサの永遠の課題、それはスペクタクルと、効率よい試合運び、そのバランスをいかにとることができるかということだと言える。試合では、ロナルディーニョか、イニエスタか、エトーか、あるいはデコかメッシーか、誰が、どのように、効率良い仕事をするかわからない。だが、スペクタクルだけは約束されている。スペクタクルと、勝負を勝ち取る効率の良さのバランス、それがバルサが常に抱えている贅沢な課題だ。

元エリート選手として、そして一人の人間として、現役プロ選手の人生はどのようなものか?

とてつもなく恵まれた存在であると同時に、非常に厳しい生活を送ることを余儀なくされるとでも言えばよいのか。我々の時代より試合数も多く、メディアの関心も高まっている時代に生きている今の選手には、特に厳しいものとなっているだろう。バルサとかマドリとかいうビッグクラブでプレーする選手には特にそれが言えると思う。どの選手でも同じような境遇に生きていると思うが、例えば、ロナルディーニョを例にとってみよう。何週間か前、彼はセレソンの一人として片道1万キロ以上の旅をし、2試合の親善試合を戦うために8日間の合宿生活を送っている。そしてジェットラッグを抱えたままバルセロナに戻ってきた翌日、オサスナ戦に出場するためにパンプローナ行きの飛行機に乗ることを義務づけられる。1日半のホテル缶詰状態のあと試合に出場し、夜中の1時にバルセロナに戻ってくる。そして翌日はチャンピオンズ戦に備えて再びホテルに缶詰となることを強いられ、そしてその週の土曜日にはセビージャ戦に備えることになる。人々がそういうことを理解していようがしていまいが、それでも多くの人々は3、4年前の若き頃のロナルディーニョの活躍を期待してしまう。もちろん、それは理解できないことでもないが・・・。

試合後には興奮状態がなかなかとれず眠れないと多くの選手が告白している。ベッドの中で眠れないまま寝返りをうちつつ朝のくるのを待つのがいいのか、あるいは気分を変えるために深夜の街にでるのが良いのか?

それは人によって違うだろうから一概には言えない。確かに個人的にも、試合後の夜はキッチリとした睡眠なんぞとったことはない。例えば、試合開始が22時だったとしよう。試合が終わるのは24時。シャワーを浴びてメディアの質問に答えて、自由になるのは早くて夜中の1時だ。仲間や友人、あるいは女房とか恋人と一緒にレストランに行き、夕食を済ませるのは3時ぐらいとなってしまう。試合後だからビールやワインを飲む連中もいるだろう。一人の人間として普通のことだ。そして試合スケジュールが詰まっていれば、翌日の朝にはラ・マシアで回復練習が待っている。話題となっているロナルディーニョの夜遊び問題にかんしては、個人的にはまったく知らないし興味もないが、あれだけプレッシャーを毎日のように受けている選手だから、仲間とワイワイやれる“夜遊び”の時間しか自由に感じる瞬間がないのかも知れない。

それでも、もちろんやりすぎは問題となると思うが?

それはプロのエリート選手としては当然のことだろう。越えてはいけない境界線がどこにあるのか、それはすべての選手が知っていなければならないことだ。例えば、試合を目前に控えていれば常識的に夜の外出を控えなければならないことぐらい誰でも自覚している。そのことを踏まえた上で、一人のプロ選手であると同時に、一人の若者であることも理解してあげなければならない。

−−− 続く −−−


話題のバルサカンテラ
(07/10/07)

レアル・マドリのカンテラ組織からAチームに上がってきた“最新”の選手はイケル・カシージャス、1999年に二部チームから上がってきている。彼の次に“最新”なのはグティ・エルナンデス君もうじき31歳、1995年に下のチームから上がってきた永遠のキラキラ星だ。

プレステージでの試合では、シュステル監督によって多くのカンテラ育ち選手が起用されていた。だが、そのほとんどの選手は移籍あるいはレンタルというスタイルで、他のクラブに引っ越していってしまった。わずかに残ったトーレスというラテラル選手もベンチ入りすることさえまれであり、レンタル先から呼び戻されたソルダードも同じような扱いを受けている。そう、今シーズンもこのクラブには下の組織から上がってくる選手は見あたらない。

そういう事情もあってか、カンテラ組織から多くの選手が上がってきているバルサの、その秘密を探るために取材にきている外国人ジャーナリストたちがいる。と、バルサTVの“プロメッサス”という番組が紹介していた。
「我々はバルサの一部チームで、多くのカンテラ選手たちがプレーしているのを見ている。それでも、アンリだとかロナルディーニョのようなクラック選手たちの情報はありあまるほど伝わってくるものの、彼らカンテラ選手たちのニュースは非常に手に入りにくい状況となっている。どんな組織体制で、どんな練習をし、そしてなにゆえこれほど多くの優秀な選手たちが育ってきているのか、その秘密を探るためにバルセロナに取材に来た。」
そう語るスエーデンテレビ局のジャーナリスト。

何日間かの取材を終えて、多くの情報と映像と資料を抱えて帰国するであろう外国人ジャーナリスト。だが、残念なことに、いくつかの重要な情報が抜けたまま帰国することになるだろう。なぜなら現在のクラブ関係者が決して語りたがらないいくつかの情報があるからだ。

それはどのようなことか。

バルサのカンテラ組織の充実化を成功させた最大の功労者は、元クラブ会長のヌニェスを筆頭としたクラブ理事会にあること。彼らはカンテラ専門のクラブ理事会員を形成し、カンテラ組織充実のためだけに働く多くの背広組を組織した。現在のラポルタ内閣がカンテラ組織に無関心とは言えないものの、その充実化を図るエネルギーは、ヌニェス政権に遙かに劣ると言えるだろう。そして残念なことに、現在のカンテラ組織責任者であるペリンとアレサンコは多くの誤りを犯してきている。それは、例えば、2シーズン前から見られる“カタルーニャ出身選手優先獲得”という恐れも知らぬ方針に見られることになる。

バルサB・バルサC・フベニルA・フベニルB・カデッテA・カデッテBというそれぞれのカテゴリーに、昨シーズンは30人前後の新しい選手を加入させている。多くの選手がカタルーニャ出身の選手と言っていい。ところが、バルサBのカテゴリー落ちが理由で、バルサCカテゴリーを消滅させたことも原因となっているものの、この30人前後の選手のうち9割方は昨シーズン限りでクラブを離れている。これほど悲惨な補強作戦にはお目にかかったことがない。それでも、コロメルが責任者であるまでは、それなりに正しい路線を走ってきたように思える。パチェコやテロン、ガイやティアゴがカンテラ組織に加入してきたのは彼の時代だ。ペリン・アレサンコ時代となってから、一人としてこれといった選手が加入してきていない。

ヌニェス政権の残してくれた遺産は大きい。現政権が売り払おうとしているクラブ所有のいくつかの土地だけではなく、カンテラ組織の充実化を図った遺産は偉大だ。彼らの残してくれたものが、現在のライカーバルサを構成するカンテラ選手たちであり、コロメルが残してくれたものが、現在のバルサインフェリオールカテゴリーで活躍する選手たち。そしてその遺産を食いつぶそうとしているかのような現政権。このままのいい加減さでカンテラ政策を続けていくとするなら、ラポルタ政権が解散する2010年以降には、現在のレアル・マドリのようになる可能性もじゅうぶんある。そして10月5日、遅かりしとはいえ、アルベルト・ペリンがカンテラ責任者の座から降ろさたのは明るいニュースだ。

さて、At.マドリ戦。ラポルタ政権によって獲得されたクラック選手たちと、前政権によるカンテラ遺産を混ぜ合わせて構成される“お奨め”スタメン11人。


ラ・サエタ
(07/10/06)

レアル・マドリを決して侮ってはいけない。ズッコケバルサのおかげでリーグ優勝を懐に入れる幸運を持ったチームだからして、このチームを侮ってはいけない。しかも“20世紀最優秀”と認定されたクラブであり、おまけにスペインのクラブとしては唯一のオフィシャル飛行機を所有する高級クラブでもある。移動の際には定期便はもちろん、チャーター便さえ必要なしとする贅沢なクラブとなった・・・はずだった。

レアル・マドリ・オフィシャル飛行機の名はラ・サエタという。クラブ名誉会長ディ・ステファノの愛称である“ラ・サエタ”にちなんで名付けられた名称だ。機種はダグラスMD-83、スペインのイベリアを通して、無料・期限なしでレアル・マドリに貸し出しされている。機内に170席あった座席を139席に減らし、その分座席列間のスペースを73cmから93cmに広げ、より快適な空の旅を楽しむことができる贅沢な作りとしてある。選手、コーチ陣、クラブ関係者は1ユーロも支払うことなく、アウエーの試合に駆けつけるために自由に利用できる契約となっている。

もちろん、この資本主義の世の中にあって、誰しもが無料で利用できるわけはない。ソシオやクラブシンパ、あるいはペーニャの人々にも開放しているが、年間使用料は一人に付き6万5000ユーロ(約1千万円チョイ!)であり、単発利用料金は1回に付き、例えば今回のラッチオ戦を例にとれば1900ユーロ(約30万円チョイ!)となる。この料金には飛行機代、試合チケット代、ホテル代が含まれるという。そしてチームを応援するために同行するファンからだけではなく、同行記者やスポンサー企業からも同じ金額を頂戴するらしい。

「世界最高の練習場と世界最高のスタジアムを擁している我がレアル・マドリは、今また世界最高クラスのクラブ専用飛行機を所有することに成功した。来年の5月20日に、我々はモスクワからこの飛行機にチャンピオンズカップを乗せて帰国することになるだろう。アラッ・マドリ!」
10月1日にバラッハス飛行場でおこなわれたオフィシャル飛行機発表会で、コメディアン・カルデロンがこうほざいている。

スペクタクルなフットボールを求めて監督を交代し、だが、現実的にはカペロフットボールを繰り広げることになっているお茶目なチームだから、このクラブ専用飛行機にまつわる話もオチなくしては終わらない。

オチが始まった。

日がたつに従い、この飛行機の経歴がじょじょに明らかになっていく。どうやらポンコツ飛行機らしい。1987年3月に誕生というから今年でちょうど20歳を迎える。しかも、エリートコースを走り続けてきたわけではなく、この世界での二部リーグや三部リーグをさまよい続けてきた運命を持つ。トランスター・エアーラインとかコンチネンタル・エアーラインとかいう航空会社で酷使されたあと、2001年から2006年までヒューストン飛行場の倉庫で長いシエスタをとっている。5年間にわたる長いシエスタから目覚めた彼は、錆びきった箇所に油をぶっかけられ、色々な会社の格安チャーター便として利用されていく。機体の横っ腹にどでかくレアル・マドリの文字が描かれるまでに最後となった仕事は、カナリア諸島から多くの不法移民を乗せてマドリッドまで飛んだことだという。そして不法移民を首都に降ろした後、晴れてレアル・マドリのオフィシャル飛行機となったのでありました。

オチはまだ続く。

機体から発する騒音がすごいらしい。古い機体だから仕方がないといえば仕方がない。ラテン系人種の国、例えば、イタリアだとかフランスだとか、スペイン、ポルトガルという国では発着が許されるようだが、騒音問題に敏感な近代国家では、ある程度のレベルを超える騒音を発する飛行機に対し発着を禁止している。ドイツなどその典型的な国だ。したがって騒音レベルを超えているラ・サエタは、基本的にブレーメン戦には利用できないことが判明した。“基本的”にと言うのは、前もって罰金を支払えば許可が下りる場合があるらしい。

そしてまだオチは続く。

そもそも短距離用としての性格をもって誕生した飛行機ということ加え、年老いたこの“ラ・サエタ”選手に4時間以上走り続けさせることは危険が伴うらしい。心臓発作のリスクが大きくなるからだ。すると、なんだ、世界中の幸運の女神が大挙してやって来て、もしチャンピオンズ決勝戦に進出することができたとしても、この“ラ・サエタ”選手はモスクワまで飛ぶことは不可能ということになる。コメディアン・カルデロンの夢は、早くも単なる夢と終わることになった。

グワ〜ン。グワ〜ンとドデカイ騒音を巻きしながら、ラ・サエタの最初の旅はイタリアの古都ローマ。まるでインディアナ・ジョーンズのように、隠された宝物を探し求めて危険な冒険の旅にでているようなラ・サエタ御一行は、とりあえず1ポイント獲得というおみやげを手に戻ってきた。


チャンピオンズ2連勝
(07/10/04)

“軽い負傷”が原因と言うよりは、明らかにミニキャンプを“強制“されていたが故の、セビージャ戦以降のロナルディーニョ不在。そして彼にとってまずいことに、彼が抜けてからまるで嘘のように、スイスイと好調の波に乗ってしまうバルサでありました。その“ミニキャンプ”も終了し、チャンピオンズはドイツチーム相手の試合に招集されることになったロナルディーニョ。良いことか悪いことかは別として、試合前の話題は彼がスタメン選手として出場するのかどうか、出場した場合はいったい誰が犠牲者となるのか、試合前の議論はその一点となっていた。

開幕戦出場からリヨン戦で途中交代されるまでの“ロナルディーニョ”であれば、スタメンで出場させることはどう考えてもナンセンスだ。彼が不在となってから、偶然だろうが何だろうが、好調となったチームに冷たい水を注ぐ可能性すらあるかも知れない。しかも、公式発表では負傷していた選手であり、プジョーの復帰戦と同じように、途中から起用するのが常識というものだ。さらに、もし、イニエスタかチャビをベンチに下げてまでも彼を出場させたとしたら、それはライカーの根性なしさを露呈するようなものとなる。

だが、ヤヤの負傷とプジョーの不完全な復帰状態が、ライカーの抱えていた問題を解決してくれる。スタメンに起用するにはあまりにも大きなリスクが感じられたのか、プジョーはベンチスタート。したがって、マルケスの守備的ピボッテの位置での起用は不可能となったようだ。そこで誕生した3人のチビセントロカンピスタの復活。ロナルディーニョ復帰に伴ってわき上がった“誰がベンチ入り?”という議論が空振りに終わることになった。昨シーズンの悪夢を思い出させてくれるこの3人同時起用は、負傷者続出というバルサのマイナス状況が生んだ仕方のないことだったのかも知れない。もちろんイニエスタはこれまでの何試合かの彼ではなく、ドイツセントロカンピスタにとってはまるで“ハエ”のような存在でしかない。こうるさい“ハエ”ではあったものの、イニエスタの良さが半分もでないポジションだ。

トゥレ・ヤヤの偉大さやミリートの偉大さが確認された試合であり、そして何よりもアビダルの偉大さが再認識された試合となった。リーグ戦2連覇、チャンピオンズ制覇をしたシーズンのライカーバルサのベースは、マルケスとプジョーのセントラルの前にエドゥミルソンを配置した鉄壁のトリアングルであったことを思い返せば、ヤヤの不在と彼のかわりとなったでろうマルケスの負傷はとてつもなく大きい。ロナルディーニョの復帰と彼らの不在という状況は、これからしばらくの間この3人チビセントラルという非常事態が続くことが予想されるが、それは困ったことだ。

20分間、あるいは25分間のモチベーションあふれるプレーをのぞき、それほど大した変化を感じられなかったロナルディーニョ。だが、チームそのものには大きな変化が生まれる。相手デフェンサへのプレッシャーがめっきりと減少し、奥行きのある攻撃が姿を消し、そしてボールのスピードが明らかに弱まってしまう。不思議なことに、デコはフットサル選手としてのデコに戻り、相手にダメージを与えることのない場所でのロンドが展開される。だが、それでも、一対一の勝負を放棄した07年型新モデルロナルディーニョから生まれるゴールを保証するラストパスや、時折見せるスペクタクルな個人技が、彼の復帰によるプラス面として評価しておこう。いずれにしても“ロナルディーニョ論議”は終わることなく、試合ごとに続くことになりそうだ。

“なにゆえ”いくつか。

・これだけの活躍を見せながら、バルデスはなにゆえ高い評価を得られないのか?
・これだけ負傷者が続出するというのに、なにゆえオラゲールは負傷しないのか?
・トゥランは果たして良い選手なのか、あるいは悪い選手なのか?
・マルケスは本当にリハビリを終了していたのか?
・アビダルはなにゆえこれほどスーパーなのか?
・チャビはなにゆえ透明人間となってしまうのか?
・ロナルディーニョはなにゆえフィジカル的に20分程度しかもたないのか?
・なにゆえボージャンの登場がいつも遅いのか?
・ライカーの娘がなにゆえ3回も4回もアップされて映されていたのか?


カピタン復帰!
(07/10/02)

1にプジョー、2にデコ、3、4、5、6、7がなくて8も9もない。それがバルサのカピタン。

クラブが語る公式カピタンは、プジョーを筆頭としてロナルディーニョ、チャビの3人となっている。だが、ロナルディーニョは“行為”そのものからして、カピタンには相応しくないのは明らかだ。例えば、昨シーズンのすべてをかけたエスパニョール相手のカンプノウ最終戦。彼がカンプノウに姿をあらわさなかったという“行為”を見るだけで、カピタンとしては失格としていいだろう。自宅でテレビ観戦していたというが、カピタンとして失格というだけではなく、チームを構成する一人の選手としてもいただけない。もう一人の公式カピタン・チャビは、キャラクター的にカピタンには向いないと昔から思っている。カピタンとしての原則の一つは、体に熱い血が流れていること。冷めたミルクティーが体に流れているようなイメージを受けるチャビには、その意味で不似合いとなる。

ビルバオ戦、リヨン戦、セビージャ戦、そしてサラゴサ戦という地元での試合。プジョー不在のこれらの試合で、文字通りリーダーとなったのはデコだった。試合開始5分ぐらい前におこなわれる円陣でも、叱咤激励していたのは常にデコであり、審判の笛が鳴り試合終了を告げられた瞬間、ベンチに帰ろうとする選手たちに大声をだして呼び戻し、ファンに対して挨拶のセレモニーをさせていたのもデコだった。トコトコとベンチに戻ろうとしていたチャビが何と小さく見えたことか。やはり、プジョーの次のカピタンはデコしかいない。

そしていま、第一カピタンが戻ってきた。4か月のリハビリが必要と医師に診断された彼は、予想どおり期間を短縮して3か月で戻ってきた。1週間の夏休みをとっただけで、多いときで一日7時間のリハビリ運動をしていたという彼は、レバンテ戦後半から出場。それまでカピタンマークを付けていたチャビが自らそれをプジョーに渡しているが、これこそミルクティー・チャビならではのほんのりとした彼らしいシーンと言える。45分間、可もなく不可もなくプレーし、復帰第一戦を無事クリアー。これまでの“非公式”カピタンであるデコに代わって、公式カピタンが戻ってきたことになる。

「久しぶりに戻ってきたロッカールームはどうだった?」
復帰してきた翌日の記者会見で、一人のジャーナリストがプジョーに質問する。
「久しぶり?この3か月、ロッカールームから、つまり仲間から離れたことは一度足りとしてない。」
そう、負傷していようが何かの理由でベンチに下げられようが、カピタンは常に仲間と一緒だ。そして多くの人々が関心を示しているであろう、ラテラルというポジションでのプレーの可能性についても語っている。
「ラテラルのポジションに戻ることは、これまで考えたこともない。だが、状況がそれを必要とするのであれば、もちろん何の問題もない。試合に出られるのであれば、例えそれがポルテロであろうとどこであろうと、自分にとってポジション問題など二の次だ。」

サンブロッタの負傷で、ライカーの頭の中に誕生したプジョーラテラル起用プランだが、トゥレ・ヤヤの負傷でとりあえず闇の中へと消えていってしまった。少なくともシュトゥッツガルド戦ではあり得ないだろう。それでもいつか、彼がラテラルとしてプレーする日もやって来る。スペイン代表右セントラル・プジョー、メキシコ代表右セントラル・皇帝マルケス、アルゼンチン代表左セントラル・ミリート、そしてフランス代表左セントラル・アビダル、世界を代表するこのデフェンサ4人が、それぞれセントラルと左右ラテラルに別れて、いつの日かバルサの最強デフェンサを構成する日があるかも知れない。