2008年
2009年
3月

スペイン代表
(09/03/29)

スペインフットボール代表関係者のほとんどが、レアル・マドリと関係があった人物と言って良い。まず、スペインフットボール連盟代表ディレクターが肘鉄イエロであり、代表監督は御存知オトボケ・ボスケ。下のカテゴリーの監督をのぞいてみても、ロペス・カロ(U21)にルイス・ミージャ(U19)にアイトール・カランカ(U16)ときている。そもそもフットボール連盟の本部はマドリッドにあるし、代表の監督たちもその街に住んでいる人々だし、とにかくマドリ一色と言える代表関係。

だぁ〜が、不思議なことに、最近の代表のプレースタイルは何かとバルサ偽物色をだしているし、しかもバルサカンテラ出身の選手が多い。

「現在の代表のプレースタイルはバルサのそれと言って良いだろう。そもそもプレースタイルというのは、出場する選手のタイプによって決まるもの。少なくともバルサはここ20年間にわたって、カンテラ組織から具体的なアイデアを持って選手を育ててきている。特にセントロカンピスタ。フィジカルの強さに頼るのではなく、テクニック的に優れた選手によって試合のリズムそのものを作り出す優秀なセントロカンピスタが、多く誕生してきている。そして現在のスペイン代表には多くのバルサ出身の選手がいるのだから、当然ながらバルサ的なプレースタイルとなってしまう。」
ラ・マシア出身であり元バルサ選手・元マドリ選手であるルイス・ミージャは、現在スペインU19代表の監督をしている。彼がこう語るように、確かにバルサ出身の選手が多いスペイン代表。そしてその中で4人がセントロカンピスタだ。チャビ、イニエスタ、セスク、そして最新の宝石ブスケ。

20世紀最高のクラブであるレアル・マドリの監督に、いつなっていつ辞めたのか、誰1人として覚えていないであろうロペス・カロU21代表監督も我がバルサのことに触れている。
「ヨーロッパに数多くのクラブがあるとはいえ、バルサのカンテラ組織ほどしっかりとしたアイデアを持って選手を育てているクラブはないと思う。バルサ一部チームが長いあいだ維持している一種独特のプレースタイルに合うように、そしてそのチーム構成の一員になれるように、カンテラスタッフたちがしっかりと教育している効果があらわれているのだろう。そして、そうやって育った選手たちをスペイン代表の核となる選手として起用していこうというのが、肘鉄イエロのアイデアなんだ。ボールテクニックに優れた選手たちによってチームが構成され、ボール支配を可能な限り追求できるようにするには、どうしてもバルサ出身の選手が必要となる。そしてそのような戦い方を代表のカラーにしたい、それが我々のアイデアでもある。残念ながら、我がレアル・マドリからはそういう選手が育っていないんだなぁ〜。」
それは残念無念。

イニエスタの負傷がバレンシア選手のマタの招集を可能としたが、彼はディエゴ・ロペスと共に、マドリカンテラ組織育ちの数少ない代表選手だ。
「マドリカンテラ組織の特徴は、時代によってキャラクターの違う選手を生み出すことだと思う。それは一つのチームの中にあっても同じようなことが言える。例えば、今のカスティージャ(マドリB)のセントロカンピスタの選手を見てみると、1人1人キャラクターが違う。だが、バルサは常にフットボールスタイルが同じということもあり、カンテラから出てくる選手もキャラクター的には似ていることが多い。セスクやチャビ、あるいはイニエスタやブスケ、彼らのプレースタイルは基本的にすべて同じだ。同じような軽いボールタッチのテクニックを持ち、ワンタッチでボールを回すことができ、そしてゴールに絡むプレーを同じようにおこなうことができる。もし、代表のプレースタイルがバルサのそれに似ているという人がいるとすれば、それは同じ選手が同じようなプレーをしているからさ。」

そのイニエスタの欠場をいちばん嘆いているのがビージャだという。
「トルコ戦では、どのような試合内容となるのか少し心配だ。イニエスタは自分にとって超大事な選手。なぜなら、自分のゴールはイニエスタのパスからのものが多いからね。とにかくチャビと彼はとてつもなく素晴らしい選手。例えば、マラドーナとメッシー、あるいはロナルドとロマリオはそれぞれ比較できるかも知れないが、この二入は誰とも比較できない唯一の選手と言っていい。個人的にはこれまで見てきた中で最高の選手たちだ。その1人がいないのは実に痛い。」

そうかそうか、そんな歯の浮くようなお世辞ばっかり言ていないで、バルサに来たいなら来たいと、はっきり言いなさい!


ウエルカム!フロレンティーノ!
(09/03/28)

昨年12月7日に開催されたレアル・マドリ・ソシオ審議会の内容については、このコーナー(ライバルを知る08/12/10)で触れている。そしてそのソシオ審議会における怪しげな風景と、その後のマルカ紙によるスペクタクルな暴露攻勢(カルデロン危うし!09/01/15、名誉に誓って09/01/17)もすでに触れている。バルサHPながら、なんたってマドリのことに触れるのが大好きなのだ。そして最終的に、カルデロン会長は退陣に追い込まれ、ソシオ審議会における陰謀に関しては現在のところ裁判沙汰となっている。当然のことながら前回のソシオ審議会は無効となったため、今月の29日日曜日、クラブ史上前代未聞と言えるシーズン2回目のソシオ審議会が開かれることになった。

最も注目される重要なテーマは2つ。前年度収支決算と今年度予算の承認が一つ。そしてもう一つは、前会長カルデロンに代わって臨時会長となっているビセンテ・ボルーダの会長職承認だ。もし、収支決算や予算が否決されるような面白い展開となれば、ビセンテ・ボルーダは新会長として承認されようがされまいが、理事会解散→会長選挙ということになる可能性が大だというし、例えそれらが承認されたとしても、ボルーダ臨時会長が提案する6月14日会長選挙案はケンケンガクガクと議論の対象となるのではないか、そう中央メディアは伝えている。つまらねえ試合展開を続けているマドリとはいえ、グラウンド外ではどこにも負けないスペクタクルを展開しているのでありました。

新会長選挙が4月になるのか、あるいは5月になるのか、はたまたボルーダの希望するように6月となるのか、いずれにしても会長選挙がおこなわれることだけは確かなこと。そして、その会長選挙にフロレンティーノ・ペレスが再び登場するということも確かなことのようだ。

フロレンティーノ復帰説が何やら暗黙の了解事項となって、それを中央メディアが垂れ流し状態となってから早や2か月。だが不思議なことに、これまでまだ一度足りとしてフロレンティーノはメディアの前に登場してきていないから、彼の口から会長立候補案が発表されたわけではない。それでも中央メディアはドンドンと先に進んでいく。フロレンティーノ理事会のメンバーから、補強選手の具体的な名前まで、ドンドンドンドンと中央メディアが先走りしていく。ラポルタのお抱え新聞エスポーツ紙にも負けないぐらいのハレンチさを前面に出して、中央メディアは明日に向かって突っ走っていく。

バルダーノ、ジダン、モンチという背広組三人衆。クラブ・ジェネラルマネジャーとしてのバルダーノ復帰と、スポーツ・ディレクターとしてセビージャのモンチの獲得。そしてジダンは何するのか知らないが、とにかく来ればいいのだろう。そして監督にはアンチェロッティ。すでに3年契約を結んだというニュースまで流れている。獲得候補選手に至っては、それこそ噂が噂を呼び、大勢のガラクシコさんたちが派手に名を連ねている。毎度お馴染みカカにロナルドは“マドリ選手になるために生まれた”選手だから、もちろん彼らは外せない。フロレンティーノのパンフレット紙マルカによれば、彼らに加えイニエスタ、ビージャ、チャビ・アロンソ、そしてこれまた毎度お馴染みのセスクの名があげられている。ベンゼマも外せない。補強総予算は3億ユーロと、不況に苦しむフットボールクラブとしてはとてつもなく豪華なものだ。

第一次フロレンティーノ・ペレス政権が誕生して以来、実に7人の監督が取っ替え引っ替えベンチに寝っ転がっているクラブだ。カマッチョ、レモンちゃん、ルクセンブルゴ、ロペス・カロ、カペーロ、シュステル、フアンデ、そして第二次政権の誕生と共に8人目の監督としてアンチェロッティ。まるでガスパー時代を彷彿とさせてくれるような、おっそろしい監督交代劇が展開されている、まことにもって実に良い傾向ではある。

かつてのバルサがそうであったように、この春を迎える時期に、やれ次の新会長は誰だ、次の監督は誰だ、来シーズンの補強選手は誰だというニュースが関心の的になることほど、現在のクラブ・チーム状況の悪化を示すものはない。もっとも、チーム状況にかかわらず、エスポーツ紙だとかエル・ムンド・デポルティーボ紙のように、飽きもせずに連日にわたって補強選手候補リストを掲載しているのも確かなこと。いずれにしてもバルセロニスタが歴史から学んだことは、出戻り作戦に希望はないということだ。ウリストが、イバンが、そしてバンガールが出戻り作戦を展開してくれたとき、それは新しい服を着るというよりは、今まで着ている服にできてしまった穴にパッチを当てるようなものとなっただけだった。そこら中に穴のあいたマドリにドンドンとパッチが貼られていく、ああ、なんと美しい光景。

ソシオ審議会を2日後に控えた金曜日、マルカ紙がボルーダのビックリ発言を掲載。
「もし私が新会長として承認されなかった場合、その場でソシオ審議会を終了させてやる!」
そしてアス紙の見出しもハンパじゃない。
“カルデロンが新会長選挙に出馬!”
バモ〜、バモ〜、バモ〜ス、もっとやれ!もっとやれ!

いつか続く。

※アイルランドのグループU2(スペインではウー・ドスと呼ぶ)が7月2日にカンプノウでコンサートするが、9万枚のチケットが18日から売り出された。値段は30ユーロから150ユーロまで各種。そしてそのチケットはわずか54分で売り切れとなってしまっている。バルセロナでは、ブルース・スプリングスティーンとU2は絶対の人気商品と言われているが、今回もそれを証明してくれた。


若き34歳シルビーニョ
(09/03/26)

2月21日エスパニョール戦でアビダルが負傷。それ以来、アトレティク戦、ビルバオ戦、リヨン戦、アルメリア戦、マラガ戦と、5試合続けてシルビーニョが元気にプレーしている。かつてコリンチャンスでプレーしていた時のように、あるいはベンゲル・アーセナルの初期の頃のように、そしてチャンピオンズにまで参加した栄光のセルタ時代のように、絶対の左スタメン選手となりつつあるシルビオ・メンデス・カンポ“シルビーニョ”。
「例え控え選手としての試合が多かろうが、いつか自分を必要とする時が必ず来る。肝心なのは、その瞬間に果たして自分に準備ができているかどうかだ。」
バルサにやって来て早や5年、常にそう語ってきたシルビーニョだが、これまでの試合を見ている限り、彼にはしっかりと準備がなされていたようだ。前回で触れたマドリのお坊ちゃんとは違い、ひたすらプロ精神を貫いている若き34歳のシルビーニョ。先日のマラガ戦で我が南ゴール裏3Fから、バルデス、カセレスと共に最も拍手喝采を浴びた選手の1人だ。

バルサというチームでラテラルを務めるのは大変なことか?

一般的に簡単なことではないだろう。ただ自分はブラジルフットボールスクールで育った典型的なラテラル選手。つまりサイド攻撃に走ることを好むラテラル選手だから、そういう意味ではバルサスタイルに馴染むことが早かった。何と言っても、例えラテラル選手であろうと、このクラブでは攻撃参加が要求されることになるからね。世界中に数え切れないほどのフットボールクラブがあるだろうが、そういうことを要求されるのはバルサとセレソンぐらいのものだろう。もちろん、そういうフットボールを要求されるところでも、ラテラル選手としての基本である守備にも気を使わなければならない。それは一言で言って、簡単なことじゃない。

プレーする機会は非常に少ないのが現状だが、それでも腐ったりはしなかったか?

すべてのフットボール選手がそうであるように、長い間プレーするチャンスがやって来なければ当然のことながら自分の頭の中に色々な疑問が沸いてくる。
「何で自分を起用しないのか?」
そういう疑問は自分だけではなく、自分を信頼してくれている家族や友人たちにも沸き上がる疑問となる。特に経験が少ない若い選手たちにとっては、間違いなく持つ疑問となるだろう。だが、自分はすでにこういう世界に生きて15年近くなる選手。これまで多くのプレッシャーを経験してきたし、フットボール的な意味での修羅場も経験してきた。そこから得た答えは簡単なことさ。いつか自分を必要とする時が必ず来るだろう。その瞬間が来るまではしっかりと準備しておくこと。それは言葉にすれば簡単なことだが、実際には非常に難しいことでもある。なぜなら1か月、あるいは2か月にもわたってプレーしていない選手に、レギュラーにプレーしている選手と同じリズムをいきなり要求するからだ。いや、場合によっては彼ら以上のプレーを要求されると言っても良い。こういう難しい作業を成功させる唯一の方法、それは毎日の練習を人一倍激しくこなすこと以外にないんだ。自分に対する信頼感を失わないためにも、そして自分自信を納得させるためにも、それ以外の方法はないと思っている。

シーズン開始当初、ペップ監督と話し合いと持ったのだろうか?

30歳を越えるようになった時あたりから、監督という職業を理解できるようになった。若い頃は監督が抱えている多くの仕事や悩みなどには無関心だったが、ベテラン選手と呼ばれる頃になるに従い、彼には多くのしなければならないことがあるということを理解するようになった。ロッカールームをどうやってまとめていかなければならないか、メディアからのプレッシャーにどう戦っていかなければならないか、ファンの人々の要求にどう応えていかなければならないか、etc.etc....。そんな仕事を持つ人の部屋に行ってドアをノックする気にはなれない。自分の起用法について聞こうとも思わない。それは彼の仕事であって、選手の仕事ではない。自分はすでに34歳の選手。
「監督、自分はどのくらいの可能性でプレーできるのでしょうか?」
バカ言っちゃあいけない。そんなことで、ただでさえ多い監督の仕事を増やす気にはなれないさ。

ベテラン選手となるとエゴが少なくなるということか?

まさか!若かろうがベテランだろうがフットボール選手は常にエゴの固まりさ。だが、もしインテリジェンスの欠片でもいいから、それを持っている選手であるならば、ベテランになるに連れてバカなことはしなくなるものだ。練習中にボールを高く蹴って、
「あぁ〜、こうも試合に出れねえなら、もう練習なんかしたくねえ!」
それはエゴではなく、バカというものだ。

そういう選手をこれまで多く見てきた?

ああ、そういう選手を多く見てきたさ。たった2試合続けて試合出場のチャンスが回ってこなかっただけで、不満を言い始める多くの選手を見てきた。
「こういう状況が続くなら、自分は他のクラブを探さなければならない。」
メディアを前にしてそう語る多くの選手を見てきた。そういう選手に言ってやりたいね。なんでもっと練習に精を出さないんだと。いや、そういう自分でも試合に出られなかったり招集さえされなかったりしたら、はっきり言って気分が悪くなる。だが、そういう時は女房が犠牲になるんだ。そして次の日からは、これまで以上に練習に精を出すことにしている。まあ、女房にしてみたら迷惑なことだと思うが・・・。

希望を捨てないその精神的な強さは、どこから来ているのだろうか?

これまでのフットボール生活で大きな負傷に見舞われず、フィジカル的にもまだ問題が生じていないというのはありがたいことだ。これまで多くの才能ある選手とプレーしてきたが、長い期間の負傷という不運が、輝く将来を暗くしてしまった選手も同時に見てきた。その点、自分は恵まれていると思う。それだからこそ、自分はもっとやらなければならないとも思うんだ。激しい練習を続けていくのは、ひたすら試合に出場できるようになるため。そして試合に出場することで希望は更に大きくなる。ここ何試合か連続して出場するチャンスに恵まれているけれど、そのことが自分のエネルギー源ともなってくる。続けて出ているということは、別な言い方をすれば、チームにとって、つまり同僚や監督にとって、自分が必要な選手として認識されていることを示していると思う。
「シルビーニョ、すごく良かったよ!」
先日の試合が終わって、監督を始め多くの同僚がこう語りかけてきてくれた。自分はチームにとって特別大事な選手だとは思っていない。だが、バルサにとって1人の重要なプロ選手であるとは思っている。自分を必要とする時が来たときに、それに応えることができる1人の重要な選手だと思っている。
「シルビーニョは人一倍練習する選手さ。若手にとって鏡となるようなベテラン選手だ。」
人はそう言うだろう。だが、いかに練習に精を出す選手であろうが、いかに若手にとって鏡となる選手と呼ばれようが、試合に出場して役に立たないようなら、それじゃあダメなんだ。現役のプロ選手は試合で活躍して初めてその価値が問われる。そして俺はもう34歳だけれど、まだ現役のバリバリのプロ選手なんだ。

エル・パイス紙(どういうわけが、ウエブページには載っておらず印刷紙だけに掲載)より抜粋。


ピリー白書
(09/03/25)

アトレティコ戦で途中交代させられたグティがベンチに下がるなり、監督のフアンデ・ラモスに“No me jodas”と、侮辱的な発言をしたことがメディアの間で問題となった。そしてアンフィールドでのリバプール戦では、大差をつけられた場面で、しかも試合終了間際になってから監督の命令でグラウンドに登場、彼にとっては屈辱的なことと言っていい。この屈辱感が“負傷”を誘ったのか、週末のビルバオ戦では“負傷中”という看板を自らぶら下げ、首都マドリッドに残っている。そしてそれから1週間後のアルメリア戦。“負傷”の看板を外し練習に参加してきたグティを、今度はフアンデ監督が試合招集さえしないという、野次馬にとっては、何ともはや面白い展開を見せてくれた。プロ精神に欠けた選手は、我がバルサでも多く見られたが、これほど長い期間クラブに在籍しながら、相変わらずワガママグティを続けている選手は少ない。そしてそのような彼を、今から約10年前に“良いオファーが来たら放出すべし”とした人物がいる。

1964年から1980年まで、なんと16年間にもわたってマドリ選手として活躍したホセ・マルティネス・サンチェス、通称ピリーと呼ばれた人がいる。現役生活を終えて医学を勉強し、マドリドクターを経てスポーツ・ディレクターとなって長年働き、フロレンティーノの登場と共にクラブを去っている。2000年の夏、スポーツ・ディレクターのピリーが選手分析白書をクラブに提出している。そしてどういう経過をたどったのか不明ながら、そのピリー白書がスキャンダラスにも中央メディアにすっぱ抜かれてしまった。2000年8月に公表されたピリー白書、今から9年前のものながら、グティにかんする分析だけではなく、他の選手のそれも、現在でも読んでみてなかなか面白い。

“現在のチームを構成している選手を1人1人分析していくと、これから始まる2000−01シーズンを戦い抜くに当たって、チームそのもののバランスが非常にとれていないことがわかる。したがって、現在抱えている選手の何人かはクラブを去る運命としなければならないだろう”
として始まるピリー白書の一部を紹介。カッコの中の選手年齢は2000年当時のもの。

●カシージャス(18歳)
カンテラ選手。一対一の勝負に強いし、勇敢なプレースタイルを持ちながらも、性格的には非常に落ち着いている。弱点としては前に出るタイミングが悪いことと、ポルテロとしては身長が足らないこと。だが、彼はまだ非常に若く、将来性を持った選手であることを忘れてはいけない。来シーズンは、セサーの控えてとしてでも一部チームに定着させるべきだろう。

●サルガド(24歳)
右ラテラルとしてしか起用できないデフェンサ選手。フィジカル的には非常に強く、90分間にわたって闘志あふれるプレーをする。逆の言い方をすれば、フィジカル的に100%でないと、彼の持ち味が発揮できないことになる。テクニック的には並であり、ボールを持ったときのプレーに問題が生じる場面が見られる。まだ若い選手であるから、これからそういう弱点を矯正していけば良いだろう。性格的にも強いものを持っているし、勝利者の精神も持っているから、大事に育てていかなければならない。

●カレンベウ(29歳)
右ラテラル、あるいは守備的なピボッテ選手。フィジカル的には非常に強い選手だが、テクニック的にはややお粗末と言える。仲間の選手ともうまくやっていける人間性を持っているものの、フットボール的に見た場合、マドリの選手ではない。来シーズンには放出すべし。

●イエロ(32歳)
完璧と言って良い選手。チームにとっては重要な選手だ。ただ、フィジカル面に問題を抱えているので、スタッフテクニコはじゅうぶんにその点を考えなければならない。もし、フィジカルの問題が改善されるとすれば、あと2シーズンはマドリでプレーできるだろう。いずれにしても彼はすでに32歳、1年後、あるいは2年後のことを考えて彼の後釜を探す必要がある。

●イバン・カンポ(26歳)
セントラルのポジションのみ起用できる選手。テクニック的には問題ないし、ボールコントロールも決して悪くない。ショートパスであろうがロングパスであろうが、器用にパスをだすことができる。高いボールにも強い選手だし、フィジカル的にも非常に強いものを持っている。ただ集中力に欠けること、そしてプレッシャーに弱い部分も見られる。シンプルなプレーに徹底させれば非常に役に立つ選手であり、彼を放出することは避けた方がよい。

●レドンド(30歳)
偉大なプロ精神を持った選手。テクニック的には非常に優れており、左足から出されるパスの成功度は高い。ただ。あまりにも縦より横へのプレーが多いという弱点も見られる。運動量も多いし、フィジカル面の強さも兼ね備えている。彼の専門は守備的なピボッテ。チームの核となるそのポジションからだけではなく、人間的な意味においても多くの同僚が彼に信頼感を抱いている。決して攻撃的な選手ではないので、彼の隣には創造的で攻撃的な選手が必要となる。

●グティ(23歳)
攻撃的なピボッテとしても良いし、メディアプンタとして起用しても良い。テクニック的に非常に優れている上に、ゴールに絡むプレーも見せるし、ラストパスのセンスも非常に高い。フィジカル的にもまったく問題なし。ただ、問題となるのは彼のキャラクターだろう。グラウンドの中だけではなくそこから離れたところでも、マドリの選手として相応しくない行為が見られる。フットボール選手としての素質には非常に恵まれているにもかかわらず、マドリで成功するかどうかは非常に疑問。良いオファーが見つかれば放出という手もあるだろう。

●エトー(19歳)
右サイドデランテロとしても良いし、メディアプンタとしても良い。非常に若い選手ながら、テクニック的にもフィジカル的にも優れている。フットボール選手としての将来性という意味で言えば、非常に面白い選手だ。だが、彼が成功するためには、選手仲間や監督との問題をできる限り少なくすることが条件となる。そのためには周りの人間が可能な限り、彼を助けていかなければならないだろう。来シーズンはレンタル移籍させることが好ましい。

●ラウル(22歳)
すべての意味において完璧な選手と言える。性格的にも非常に強く、将来のマドリには欠かせない選手となるだろう。

●アネルカ(21歳)
デランテロセントロ。この選手の最大の武器は何と言っても彼の持つスピード。リズムの変化をつけることも知っているし、フィジカル的に非常に強い。カウンタアタックにはうってつけのデランテロと言える。ただ、彼には性格的な問題が見られ、チーム内の重要な選手とうまくやっていけない状態だ。将来的に考えた場合、彼がマドリで成功する可能性は限りなく少ないように思える。かつてのシードルフと同じように、ロッカールーム内での問題児となる可能性が大だ。できるだけ早く移籍させるのが良いだろう。


マリオ・ロサス
(09/03/22)

今週末に対戦するマラガには、何人かのバルサカンテラ組織から育った選手がいる。ポルテロのフランセスク・アルナウ、セントロカンピスタのミゲランヘル、そしてデランテロのアルベルト・ルケなどがそうだ。そして彼らとほぼ同世代であり、マラガではプレーしていないもののマラガ出身の選手であり、“マラガが生んだ天才選手”としてラ・マシアに入寮してきた選手がいる。1980年生まれのマリオ・ロサス、一昨日触れたイニエスタ、そしてデ・ラ・ペーニャやメッシーと共に、これまで見てきたバルサカンテラ選手の中で少なくとも五本指に入る才能豊かな選手の1人だった。

あなたと一緒にミニエスタディでプレーしていたチャビは、あのチームでのクラックはあなた以外いなかっといつも語っていますが。

いま自分がプレーしているカステジョンのチーム内では、そのことに触れるたびに、からかいの対象となってしまうのさ。自分をクラックだと褒めてくれたチャビは、バルサで大活躍して凄い年俸をとっているのに比べ、自分は一部リーグにも所属していないクラブでプレーしている。そう、もし彼が言うように、自分がクラックだったら、すでに一部リーグでプレーして大金持ちになっているかも知れない。それが実現していないのは自分のおこないのせいだと考えると、少し落ち込んでしまうけれどね。

チャビと似ていた部分、そして違っていた部分はどこか?

チャビは4番で自分は10番。つまり自分は彼より前の方でプレーしていて、ラストパスを出したりゴールに絡んだりするプレーが多かった。彼は自分の後ろの方でピボッテとしてプレーしていたから、ポジション的には自分の方が目立ったのだろう。彼は決してボールをとられるということがなかったし、それは今も変わっていないが、当時よりゴールに絡むシーンが多くなっていると思う。

ラ・マシアに入るきっかけは?

マラガの小さいクラブでプレーしているとき、自分の名をどこからか聞きつけたバルサのスカウトマンが試合風景を見に来た。そのスカウトマンは現在ヘレスで監督しているエステバン・ビゴ。彼は当時、アンダルシア方面のスカウトマンとしてバルサで働いていたんだ。試合後にバルサでテストを受けてみないかということになり、バルセロナに行ったのが13歳の時。そしてテストに合格してラ・マシアに入寮したんだ。

13歳で両親と離れて生活するのは辛いことだと思うが?

新しい環境にすぐとけ込める少年や、なかなかうまくやっていけない少年、それぞれの性格によって違うよね。でも一般的に言えば、いつまでたっても家族のことを思って、寂しさを感じてしまう選手が多かった。ベッドに横になるたびに泣いてしまう選手を多く見てきたし、特にイニエスタは毎日のように泣いていたのが印象的だった。

それでも後悔はしなかったか?

最後まで慣れることのできなかった少ない例をのぞけば、すべての選手が希望を抱いて生きていたと思う。いつの日かバルサの選手としてプレーするという希望。その希望は、ラ・マシアに入って生活し、日々の練習や環境に親しんでいくうちに更に大きくなる。今までプレーしていたクラブとはスケールが違うことを認識し始めるし、自分に大いなるチャンスが与えられているのを知ることになるからさ。個人的にはとてつもなく幸せな毎日だった。でも、20歳になったときに、クラブを離れることになってしまった。

なぜクラブを離れなければならなかったのか?

自分の前にはフィーゴ、リバルド、パトリックという偉大な選手がプレーしていた。自分のアイデアとしては、一度クラブをでて他の一部チームでプレーし、経験を積んでから再び戻ってくるのが一番良いのではないか、そういう判断だった。そしてアラベスが出してくれたオファーを受けることにした。アラベスというチームにとっては、最高の時期を迎えていた頃だと思う。UEFAの決勝戦に進出し、リバプールに負けはしたものの、クラブとしての歴史に残るシーズンを過ごすことができた。ただ。個人的には決して満足できるシーズンとはならなかったのが残念だ。あまりプレーする時間も得られなかったし、当然ながら活躍することもできなかった。

なぜ活躍できなかったのだろう?

それは自分をあまり信頼しなかった監督やコーチの責任でないことは明らかだ。すべて自分の責任だといまだに思っている。それはこういうことなんだ。バルサのカンテラ組織から離れたすべての選手が抱える問題を自分も持ってしまった。バルサの特殊と言ってもいいプレースタイルで育った選手は、他の普通のクラブでプレーするときに、まったくと言っていいほどそれまで持っていたプレースタイルを変える必要に迫られる。ボールタッチを可能な限り柔らかくし、ワンタッチでパスを出し、ボール支配することを心がけ、走るのはボールであって選手ではないと教わってきた自分が、ボールを支配しているチーム相手に走り回らなければならない状況が生まれ、そして攻めることより守ることに重点をおかなければならない試合が続く。そいう状況から生まれるのは、とめどもない迷いと自信の喪失。それがアラベス時代の自分だった。

24歳になったときに、二部Bに所属していたジローナでプレーし、その後いろいろなクラブを転々として現在はカステジョンでプレーしている。

バルサで将来のキラキラの星とチヤホヤされた自分が二部Bカテゴリーでプレーするのは、正直言ってチョット辛かった。甘ちゃんだったんだよね。でも、そういう逆境が人間を鍛えていってくれる。ジローナを離れていくつかのクラブでプレーしたけれど、どこでもそれなりのことを学ぶことができるようになった。そして今いるカステジョンでは、かつてのバルサ時代のようにフットボールそのものを楽しむことができるようなった。いつか一部リーグでプレーするという希望もわいてくるようになった。

バルサ時代の最高の思い出は?

たぶん、バンガールがチャビと一緒に自分も一部チームで練習するように言ってきた時だと思う。チャビも自分もまだ17歳だった。そしてリーグ最終戦でバルサデビューすることができたこと。相手はカテゴリー維持をかけた試合となったサラマンカであり、我々はすでにリーグ優勝が決まっている時点での試合だった。我々は負けてしまったけれど、忘れられない思いでさ。

エル・パイス紙より抜粋

※メッシーが練習中に不愉快な表情をしていようが、ジョルケラとピケの間に少々の衝突があろうが、選手間の関係がギスギスしていることにはならない。木曜日、ミニゲームの練習がおこなわれ、メッシーの属していたグループが1点差で負けた。相手のゴールはメッシーからボールを奪って決めたもの。あれはファールだと審判に詰め寄るものの相手にされず、ふてくされてしまっているメッシー。そして彼をからかうピケ。さらに金曜日のロンド練習ではジェルケラが強烈なタックルをピケにかませ、あわやという雰囲気になったものの、練習後は二人でメシを喰いに行ったというから、ギスギスしているどころか、緊張感のある練習が良い雰囲気でおこなわれているということだろう。


ローマへの道
(09/03/21)

「チャンピオンズというような大会を制覇するためには、常に強豪チームと対戦していって勝ち抜くことが義務づけられる。なぜなら、この大会が煮詰まってきた段階で、弱小チームなんて存在しないからだ。したがって、どこと対戦しようと難しさという点にかんしては変わりがない。」
こういう“常識的”で“心構えとしては正しい”発言をよく聞く。特に、準々決勝や準決勝が近づいてきた段階ではよく聞かれることだ。こういう内容のコメントをラポルタがしたとしても、ペップがしたとしても、チャビがしたとしても、メッシーがしたとしても、あるいはジャーナリストがしたとしても、つまるところ誰がしたとても、おかしくない。

おかしくはないが、やはり罠のあるコメントでもある。例えば、世界で五本指に入る優秀企業の中にも超優秀な企業と普通に優秀な企業があるように、例えば、その企業に働く社員の中にも超優秀な社員と普通に優秀な社員がいるように、そして例えば、バルサやマドリやチェルシーやリバプールの中にも、超優秀な選手がいれば普通に優秀な選手もいて、中にはツーリストをやっている選手がいたりする。すべてが同じではないことぐらい、誰でも知っている。

思うに、当たり前のことながら、チャンピオンズの大会を征する最も単純なコースは、比較的“勝ちやすい”チームと対戦し続けることだ。強いチームと対戦し続けていくよりは、弱いと言わないまでも“勝ちやすい”チームと対戦していく方が良いに決まっている。どんな強豪を退けてチャンピオンズを制覇しようが、どんな“勝ちやすい”チームと対戦してタイトルを獲得しようが、何年か後にはどこと対戦してカップを手にしたかなんて誰も覚えてはしない。記憶にあるのは、タイトルを獲得したことだけだ。レアル・マドリがカップを最後に手にした2002年。クラブ史上9回目のヨーロッパチャンピオンとしてフットボールファンの記憶に残っても、決勝の相手がレバクーセンだったなんて、よほどの人じゃない限り覚えていない。まして決勝戦に到達する課程で、オポルトやパナティナイコスをやっつてけてたどり着いたのか、あるいはマンチェスターやリバプールを倒してこぎ着けたのか、そんなことは誰も覚えていない。

ローマへの道は、とりあえずバルセロナ→ミュンヘンというコースになった。ミュンヘン→バルセロナという道順であれば最高だったが、残念ながらそうはならなかった。まあ、これは仕方ないとしよう。バイエルンと当たったことを感謝しなければ。だが問題は次の道順だ。バイエルンには当然ながら勝利するとして、次のコースが再びバルセロナ→リバプールあるいはロンドン(チェルシー)となってしまったことだ。対戦相手がリバプールだろうがチェルシーだろうが、それはどうでも良い。だが、順番が困る。試合観戦者として前半90分を見るのと、試合そのものが決まる後半90分を観戦するのでは、ワクワク感がまるで違う。そんなこと以上に、セカンドラウンドを地元で戦うのが良いに決まっている。この順番は困ったなぁ。

困らない方法、それはカンプノウで勝負をつけてしまうこと。これだ。カンプノウでの2−0、あるいは3−0というスコアでの勝利。ローマへの道が見えるか見えないか、それはカンプノウでの勝負次第。そしてペップバルサはその勝負に勝てるのでありました、と期待するっきゃないか。


ドン・アンドレス
(09/03/20)

「イニエスタはカンテラ組織でプレーしている少年たちにとって見本となる存在。ピアスをつけるわけでもなく、ネックレスをするでもなく、髪の毛を染めることもせず、そしてタトゥを入れているわけでもない。それでも、なお、彼が最高の選手だということを多くの人々が認めることになる。しかも、どこのポジションに置かれても不満をもらすことはないし、例え20分程度しかプレーするチャンスがないときでも不平は言わない。あらゆる意味で、彼はカンテラ選手として最高の見本さ。」
先日ペップ・グアルディオラがイニエスタについてこう語っていたが、個人的に付け加えさせてもらえば、残念ながらカリスマ性もないし、リーダーとしての資質にも欠ける。それは彼のキャラクターからくるものだから致し方のないことだ。いっそのこと、髪の毛を真っ赤に染め、ピアスを10個ほどつけ、ボハルデのようなネックレスをぶら下げ、見る者を恐怖に落とし入れるようなタトゥをおでこにでもしてみたら、更に偉大な選手へと変貌するかも知れない。だが、イニエスタはイニエスタだからそういうことはしない。

チャンピオンズ・リヨン戦。フランス人選手アンリが大活躍した試合ながら、フランススポーツ紙“L' Equipe”はイニエスタに焦点をあてて、彼をこの試合のナンバーワン選手として褒め称えている。
“リヨン・バルサ戦には出場しなかったバルサ選手アンドレ・イニエスタは、カンプノウでおこなわれた試合で何と10回ものファールを受けている。リヨンが犯したこの試合でのファール数は合計26回、その中でも多くのファールがイニエスタに対しておこなわれていた。それは明らかに、バルサのスペクタクルなリズムを作り出すのは、イニエスタが中心となることをリヨン側が認識していたからだろう。90分間に10回のファール、それもかなり厳しいファールが幾度となく犯されたにも関わらず、イニエスタの動きを止めるところまでは至らなかった。そしてフランスのチームが恐れていたように、彼の素晴らしい働きによってこの試合は決定づけられてしまった。偉大なりイニエスタ。”

テレビで見ると、確かに痛々しいファールを受けていたことがわかる。つま先を踏んづけられ、足には強烈な蹴りを入れられ、ケツをブチかまされ、背中にはパンチが飛んできた。どんな試合でも多くのファールを受けることが多い彼だが、それでもこの試合でのダメージは相当なものだったようで、試合後は車の運転ができず、仲間の車に同乗させてもらって帰宅している。そしてその翌日、練習に参加してきたイニエスタの両足の指は腫れ上がり、動かすと強烈な痛みが走る右腕は三角巾で吊られていた。それでも“ラ・マシア物語”を読むとわかるように、外見からは想像できないほどの根性の持ち主でもある。リヨン戦から4日後におこなわれたアルメリア戦で、彼はいつものように退屈そうな顔をして、普通にプレーしている。

エスパニョール戦、アトレティック戦とどことなく沈みかけていたバルサが、イニエスタの復帰と共に再び上昇気流に乗り始めた。偶然かも知れないし、偶然ではないかも知れない。そしてメッシーやチャビと同じように契約切れとなるのが2014年となっている。これも偶然かも知れないし、偶然ではないかも知れない。ただ、偶然であってはいけないことは、彼の年俸の低さだ。彼の隣でルンルン気分でプレーしているチャビの半分にしか満たない年俸というのは、どうも納得いかない。人ごとながら、どうにも納得いかない。あんな顔であんな性格だから、注目を浴びるために声を大にして要求することはしないだろう。余程のことがない限り、カンテラ組織から上がってきた選手の年俸は、外部から来た選手のそれより低いことが多い。イニエスタはこんなことにまでカンテラ選手の見本となる必要はない。どうでもいい自分の契約延長交渉などより、チキにはしなければならないことがあるのだ。

※月曜日だったか火曜日だったか、深夜のラジオ番組を聞いていたら、ラポルタへのインタビューがおこなわれていた。質問の内容と言えばまったくもってゴマスリインタビューだったが、その中で今シーズン終了をもって契約が切れるチキにかんする契約交渉について、ラポルタが質問に答えていた。いわく、ラポルタ政権が終わりをみる2010年までではなく、もっと長い延長契約を結ぶ用意があると言う。だが、待てよ、彼はメッシーでもチャビでもイニエスタでもないのだ。新しい会長が誕生すれば、会長好みのディレクターが任命されるのがこの世のしきたり。すると契約が残っているチキはどうするか。もちろん契約解除金を要求することになる。その資金はどこから出るのか、それはソシオが支払うことになるのだ。背広組に無駄金を使う必要はまったくない。ただでさえ経済危機という状況を迎えている今日この頃、貴重なユーロは選手にのみ使うべし。


アルメリア戦
(09/03/18)

ここ何年かのバルサのように、マドリカンテラ育ちの選手が続々とAチームに登場してきたのが1980年代の中頃。ミッチェル、サンチス、マルティン・バスケス、そしてブートラゲーニョに代表される、“キンタ・デ・ブイトレ”と呼ばれることになる優秀なカンテラ選手たちにスポットライトが当てられた時代だ。いま考えてみれば、この25年前の時代がマドリカンテラ選手たちにとって最後の“旬の時期”となっている。なぜならこれ以降、カンテラ組織からはピノチオ・ラウル、パジャッソ・カシージャス、そして“永遠の明日のキラキラ星”グティしかでてきていないからだ。まあ、それは他人事だからどうでもいいこととして、この“キンタ・デ・ブイトレ”時代に主役となった選手は、何と言ってもウゴ・サンチェスだった。アトレティから移籍してきたゴレアドールであり、マドリでは何シーズンも続けてピチッチ賞をとったメキシコ人選手でもある。

メレンゲにとってウリスト・ストイチコフがいまだに“憎たらしい野郎”となっているように、このウゴ・サンチェスもまた、バルセロニスタにはそのような存在となっている。とにかく嫌な野郎だった。あのにやけた顔も、ネチャネチャするしゃべり方も、何かにつけての仕草も、前転ゴールパフォーマンスも、“敵”にしてみるとすべてが憎たらしくなる選手だった。だが同時に、ウリストがそうであったように、味方にすればこれほど素晴らしい選手もいなかっただろう。

アルメリア戦2日前にガスパーがラジオ番組でくっちゃべっている。
ウゴ・サンチェスの移籍に関しては、アトレティとも当人とも了承がとれていた。あとはメディアを前にしての契約書サインという、儀式的なことをのぞいてすべてOKがとれていた。だが、新たに監督に就任してきたテリー・ベナブレスが強硬に反対し、我々は新監督の要請のもと、スティーブ・アーチバルを獲得することになった。残念ながら今回の話はお流れとなった旨を、私がウゴ・サンチェスに伝える役目となった。」
これまでは“逸話”となっていたことが、当時の歴史を生きた関係者から生の声で聞かされると、やはり、エピソードそのものの重みが違ってくる。もしアーチバルではなくウゴ・サンチェスを獲得していれば、80年代中盤から90年代初頭のバルサの歴史はもちろん、マドリのそれも大きく変わっていたはずだ。う〜ん、あの嫌な野郎をとれなかったのは、いまだに残念だなあ。

かつてのにやけ顔に更に磨きがかかり、しゃべり方も相変わらずネチャネチャと嫌らしい野郎が、アルメリアの監督となった。そして、彼にとって“宿敵”バルサとの初対戦。
「私の最終的な目標はレアル・マドリの監督になること。そしていまバルサに勝利し、我が心のクラブのためになることを望んでいる。」
試合前にそう語っていたウゴ・サンチェス監督。早いところマドリの監督になってくれれば、それはバルサにとってももうけもんっちゅうもんだい。

試合に出場しようがしまいが、あるいはゴールを決めようが決めまいが、今シーズンの“ボージャン論議”は終わりを見ない。それは、アルメリア戦勝利につながるゴールを2つ決めようが、論議がおとなしくなるどころか、逆に賑やかになったりする。レンタルに出すべき組と、レンタルに出しちゃダメ組との間で展開される“ボージャン論議”は終わりを見ない。

個人的には、こんな議論はまったくもって存在しない。彼はバルサに残るべきであり、バルサのデランテロとして相応しい選手かどうかを証明していくしかない。戦いのフィロソフィーもシステムも違う他のクラブで経験を積んだことによって得られる“成長”が、バルサに戻ってきての成功を保証するものではない。フィジカルが弱ければ、努力次第で強くすることはできる。スピードのなさはポジショニングを勉強することでカバーしていけばよい。それらのことはバルサにいてもできることだ。ただ、忘れてならないことは、彼が目標としていることは限りなく難しいことであること。つまり、バルサの9番としてプレーすることほど、難しいことはないのだ。これまで見てきただけでも、リネッカーやロマリオやロナルドや、そしてクルービーやエトーといった、世界最高級の選手が務めるポジションだからだ。コドロやダニが9番を付けている時代ならともかく、これから再び全盛期を迎えようとしているペップバルサにあっては、とてつもなく難しい作業であることは間違いない。

※元バルサでプレーした選手が集まって“バルサベテランチーム”が結成されたのは、今から50年前のこと。そして50周年を迎えるにあたり、ヨーロッパのベテランチームを相手にして記念試合がおこなわれることになった。試合会場はミニエスタディ、開催日は3月27日20時。まだ先のことでもあるし、各人のスケジュールが空くかどうかもわからない状態ながら、いちおうバルサが予定している選手は、バケロ、サリーナス、アモール、ナダール、ストイチコフ、クルービーなどで監督はレシャック。一方のヨーロッパチームの監督にはアリゴ・サキで、選手と言えばブートラゲーニョ、ボバン、カルピン、カレンベウ、ジダンなどが予定されているとのこと。


リヨン戦
(09/03/14)

2006年ライカーバルサ。サンドニでチャンピンズ優勝を飾ったこのシーズン、決勝戦に進むまでの1/8、準々決勝、準決勝では、すべてフエラ→カサ(ちなみに、地元を意味するcasaという単語は決してカーサというような不抜けた発音はしない)という順番で試合をおこなっている。フエラの試合でチェルシーに1−2で勝利、ベンフィカ相手の試合では0−0と引き分け、そしてミラン戦では0−1というスコアで勝利した。フエラの試合で勝利あるいは引き分けという結果の違いこそあれ、ライカーバルサのカサでの戦い方は三戦とも同じだった。現在のペップバルサと同じように、攻撃的な戦い方に冴えを見せていた時期でありながら、ライカーバルサのとった戦い方は、普段の試合とは違い、かなり保守的なイメージがするものだった。ベンフィカ戦をのそき、チェルシー、ミラン相手の試合では、それこそ引き分けでOKという姿勢が伝わってくる戦い方だった。90分の試合ではなく180分の勝ち抜き戦である以上、それは正しい姿勢であったとも言える。そして結果的に、その戦いの姿勢がサンドニまでの道を可能にしてくれた。したがって、例え保守的な試合展開を試みたとしても、ナンダカンダと文句をつける筋合いのことではない。

2009年ペップバルサ。リヨンで1−1という、フエラの試合としてはゴールを決めての引き分けという好結果をだすことができた。もし3年前のライカーバルサであったなら、戦いの姿勢は0−0でも良し、チャンスがあればゴールを狙うというものになっていただろうと思う。だが、ペップバルサは違う方法をとった。攻撃、攻撃、そして攻撃、攻撃こそが最大の防御なりという姿勢を貫いた戦い方をしてくれた。そして、この試合を何らかの形で観戦することができたバルセロニスタは、ひたすらペップバルサに感謝することになる。

それまで“試合巧者”というイメージからはほど遠かったバルサというクラブに、勝ち抜き戦での正しい生き残り方を示してくれたライカーバルサだが、ペップバルサのそれは、決勝戦ウエンブリーまでの道のりのクライフバルサに似ている。どちらが正しいとか誤りとかという問題ではなく、あくまでもスタイルの違い。肝心なのは決勝戦まで進めるかどうかということであり、さらに言えば、決勝戦での結果がウエンブリーやサンドニのそれとなるのか、あるいはアテネとなってしまうか、そういうことでしかない。だが、そうは言うものの、つまり生き残ることが最大の目的とはいえ、見ている方にとって試合は面白い方が良いに決まっている。だから、リオン戦でのペップバルサの戦いの姿勢に、バルセロニスタはひたすら感謝することになる。

決してチェルシー戦やミラン戦が面白くなかったというわけではないものの、90分間ヒヤヒヤするだけではなく、お尻までムズムズし続けの試合観戦は体に良くない。リーグ戦でつまらない試合をしているだけではなく、19年間もリーグ優勝をしたことのないリバプールなどというクラブのファンになったわけではないのだ。バルサのファンであるのだから試合観戦は楽しいことが一番と決めている。どうせハラハラドキドキしなければならないのであれば、無得点でのハラハラドキドキではなく、入れられたら入れ返せのハラハラドキドキを好む。個人的に、これまで見てきたカンプノウの試合で最もスペクタクルだったのは、1993年暮れのディナモデ・キエフ相手の試合だと思うが、ひょっとしたらこのリヨン戦前半の試合展開はそれに並ぶものかも知れない。ハラハラドキドキよりワクワクワクワクの方がより良い。

3月20日12時、準々決勝の対戦相手だけではなく、準決勝での対戦可能相手まで決めてしまう抽選会。ベストエイトに残ったのは、ここのところお決まり組となったチェルシー、マンチェスター、リバプール、アーセナルに加え、オポルト、バイエルン、そしてビジャレアルのどれかが、バルサとの対戦相手となる不運をつかむことになる。多くのメディアが、多くのバルセロニスタが、そして多くのバルサ選手が、イングランドのチームを避けたいと語る。そして同じようにイングランドのメディアもファンも選手たちも、バルサとの対戦を避けたいと語る。いやいや、みなさんそんなことは言わないで、是非ともバルサ・イングランドチームとの対戦を実現しましょう。できるならリバプールがヨロシイ。せっかくのチャンピオンズの試合なんだから、ビジャレアルなんてのは絶対御免だ。

※5年連続ベストエイトに残れなかったレアル・マドリだが、UEFAランキングでは13位まで落ち込んでしまったため、来シーズンのチャンピオンズ抽選会ではシードチームとはならず、そこらへんに転がっているタダのクラブとなってしまった。ちなみに、栄光に輝くランキングベストエイトチームは以下の通り。1位リバプール、2位バルサ、3位チェルシー、4位ミラン、5位マンチェスターとアーセナル、7位セビージャ、そして8位がバイエルン。


ティビダボ対モンジュイク
(09/03/12)

リヨンの選手たちは、月曜日の夜にすでにバルセロナにやって来ている。彼らの宿泊先はモンジュイクに位置しているホテル。通常であるならば、街中のホテルに宿泊することが多いので、これは少々異常なことと言って良い。ホテル・ミラマル、モンジュイクの中腹あたりまで上がると、右に曲がればペリーコ・スタジアムに行き着き、左に曲がるとミロ美術館が見えることになるが、ミロ美術館を通り過ぎてそのまま真っ直ぐ歩いていくと、5分もしないうちにこのホテルにぶち当たる。元スペインTVE局の本部だった建物をホテルに改造したらしい。丘の中腹ということもあり、周りに住んでいる人々もいないしお店もない閑散とした場所。ミロ美術館を楽しんだあと、この辺をウロウロしている日本人ツーリストがよく盗難にあう場所でもある。

リヨン御一行様が変わったところに宿をとったかと思ったら、ペップバルサもアッと驚くような所に宿泊先を用意していた。地元の試合であるにもかかわらず、試合前日にホテル缶詰作戦というのは、ペップバルサになってからたぶん初めてのことだろう。試合当日昼頃に練習をしたあと解散し、カンプノウ集合は試合開始2時間半ぐらい前というのがこれまでペップ監督がとってきた作戦。だが、この試合は普通の試合ではないということを選手に示したかったのか、まんず普段と違うペップバルサ。そして彼らが用意した宿泊先は、何とティビダボの中腹にあるホテルだった。ちなみにバルセロナには二つの丘があり、一つが海側に面するモンジュイク、そしてもう一つが内陸側に面するティビダボ。高さ的にはティビダボの方がかなり高い。このホテルの名前はラ・フロリダ、モンジュイクのホテル・ミラマルの場所はよく知っているが、ここには行ったことがないから、勝手に想像して中腹としてしまったが、かなり上の方に位置するようだ。ホテルのベランダ(上の写真)から眺めると真ん中の上の方に少々黒くなって写っているのがモンジュイクであり、バルサの選手たちはリヨンの選手たちを見下ろす形となる。気分的に、少しだけ勝利に近づいた感じだ。せっかくチャンピオンズの大事な試合を観戦するためにバルセロナを訪れるのなら、チョロい1つ星や2つ星がついたホテルじゃなく、ましてケチなユースや安っぽいペンションなどではなく、やはりこういうホテルに宿泊して、リッチな気分で試合観戦に望みたいものだ。ちなみにバルサの選手たちが宿泊するスイートルームは、たったの2千ユーロ。

ペップ監督のとった“異変”は、試合前日にホテル合宿することや宿泊場所だけではなく、試合前日の練習時間にも見てとられた。チャンピオンズの試合前日の練習はメディアに対して公開練習とするのが普通で、いつも17時頃からカンプノウでおこなわれる。だが、バルサが練習した時間は真っ昼間の12時。チャンピオンズの試合前日の楽しみは何と言ってもバルサTVがやってくれる練習風景公開番組。17時から始まったリヨンの練習はすべて見ることができたが、まさか昼になんかやるとは思っていなかったバルサの練習は見られなかったじゃないか!ペップ監督ケチなり。

かつてバルサに在籍し、現在はフランステレビ局の解説者となっているエマヌエル・ペティが、このバルサ・リヨン戦を前にして次のように語っている。
「メンタル的にもフィジカル的にも、リヨンの選手たちがバルサのとてつもなく早いリズムについていくことはほぼ不可能だろう。しかもリヨンはベンゼマとジュニーニョの二人によって代表されるチームながら、その片一方が100%にはほぼ遠い状態でプレーしなければならない状況だ。バルサの方といえば、ペップ監督のおかげでメッシーは今まで以上に素晴らしい選手になっているし、エトーやアンリ、そしてチャビやイニエスタがそれぞれポジションを変えながら素早いリズムで攻撃を仕掛けてくる。リヨンにとっては非常に難しい試合となるだろう。」
是非そうあって欲しいと思います。

■それでは久しぶりに希望願望これなりスタメン。


バァモ〜ス!
(09/03/11)

では、みなさんもご一緒に♪♪♪♪♪

When you walk through a storm
Hold your head up high
And don't be afraid of the dark
At the end of the storm
There's a golden star (sky)
And the sweet silver song of a lark

Walk on...
Through the rain...
Walk on...
Through the rain
Walk through the wind
And your dreams be tossed and blown...

Walk on... (walk on)
Walk on... (walk on)
With hope (with hope)
In your heart...
And you'll never walk alone
You'll never walk alone.
Alone...

Walk on... (walk on)
Walk on... (walk on)
With hope (with hope)
In your heart...
And you'll never walk alone
You'll never walk alone.
Alone...

You'll never...
You'll never walk alone...

Walk on... (walk on)
Walk on... (walk on)
With hope (with hope)
In your heart...
And you'll never walk alone
You'll never walk alone.
Alone...

You'll never walk...
You'll never walk alone...

♪歩くしかない、もう疲れちゃったから走れない・・・ウンタラ♪
♪俺たちゃメレンゲに希望なんかない・・・カンタラ♪
♪独りにして、独りにして・・・ウンタラカンタラ♪
♪あたしグティを独りにして・・・ウンタラカンタラ♪

※元バルサカンテラ選手にしてレアル・マドリの選手でもあったアルベルト・セラーデスに、ようやく就職先が見つかったようだ。仕事先はスペインでもイタリアでもイングランドもなく、なんとアメリカ合衆国。そのクラブはニューヨークに拠点を置くNY Red Bulls。もちろんMLSに参加しているクラブで、今年33歳になるセラーデスとの契約は1年契約で3年間のオプション付き。スペイン人としては最初にMLSでプレーしたのはアイトル・カランカだというから、セラーデスは二人目のスペイン人選手となる。


ビルバオ戦
(09/03/10)

トーレス、ビージャ、イニエスタ、プジョー、シルバ、マルチェナ、セスク・・・、ユーロ2008参加選手のうち、思いつくだけでこれだけの選手が何らかの負傷に倒れている。やはり、非常識な季節に非常識なスケジュールで試合をこなすことを強いられた選手たちには、何らかの形で疲労がたまり、どこかに無理がやってきて負傷するパーセンテージが高くなってしまうのだろう。この大会で最優秀選手賞というのを頂いた我らがチャビは、負傷さえしていないものの、ここ何試合にもわたって消えてしまっている。いっそのこと、ユーロの大会やムンディアルなんぞこの世の中からなくしてしまえば良いのにと思うものの、そういうことは事実上あり得ないだろうから、ひたすら疲労しないように、そして怪我しないような予防をするしかない。

イニエスタがやっと戻ってきたと思ったら、プジョーが再び負傷に倒れてしまったビルバオ戦。このチームとの試合観戦は5月13日までオアズケとしたので、カンプノウには行かずテレビ観戦。試合開始1時間前に両チームのスタメン選手が発表されるが、それを聞きながらフト思ったのは、果たしてどちらのチームの方がカンテラ出身選手が多いのだろうかということ。だから何だと言われてしまうとそれまでながら、試合前にさっそく調べてみました。

■ビルバオ
デフェンサのイラオラ、グルペギ、アモレビエタ、セントロカンピスタのスサエタ、イエステ、そしてデランテロのジョレンテ。合計6人。
■バルサ
ポルテロのバルデス、デフェンサのプジョー、ピケ、セントロカンピスタのブスケ、チャビ、イニエスタ、そしてデランテロのメッシー。つまり合計7人。

バルサの勝利。しかもバルデスをのぞいてすべて代表選手だから、内容的にもバルサの方が圧倒的に濃いと言って良いだろう。一般的に、ビルバオはほぼすべての選手がカンテラ組織から上がってきているというイメージを抱かせているが、それは昔の話。ここ何年かは他のクラブ、例えばオサスナ、ソシエダ、エスパニョールなどのカンテラ組織で育ったバスク人選手を獲得し、チームを構成している。“世界に開かれた”バルサが誇れることは、カタラン人だけではなく、アルバセテ出身の選手もいれば、何とアルゼンチン出身の選手もいることだ。ビルバオには閉鎖的にも、バスク出身選手しかいない。

そう、ビルバオはバスク人選手だけが入団できるクラブ。純血主義だか単一民族主義だか伝統主義だか知らないが、いずれにしてもバスク人だけのクラブ。外国に出稼ぎに来ている身としては、ひたすら排他的で閉鎖的に思える発想であり、どうにも好きになれない。それならいっそのこと、監督もバスク人だけにすれば良いと、他人事ながら思うものの、どういうわけか監督は外側から来た人が多い。いずれにしても、こういう“ビルバオ主義”なるものが好きな人も多いようで、なにげに人気があるクラブだ。

さて、ビルバオ戦。ブスケ、メッシーという二人のカンテラ育ち選手が、エスパニョールのカンテラポルテロにぶちかましてのゴール2発。エトーはシュートを外しまくりながらも、観客席からゴマスリコールを受けてご満悦の様子。それにしても、試合中にやたらと笑顔が見られたが、いったいどうしちまったんでしょうこの選手。試合中の笑顔はロナルディーニョには似合っても、この人にはどうにも似合いません。“黒人のように走りまくり、白人のようにゼニを稼ぐ”選手は試合中に吠えまくりさえすれ、笑顔を見せまくってはいけない。そして、ペナルティーも蹴ってはいけない。

この試合でメッシーがペナルティーを担当したから、次のペナルティー担当者はエトーということになる。このバカバカしい順番制を許しているペップ監督は大いに反省すべし。水曜日のリヨン戦。1−1で迎えた後半43分、バルサにペナルティーの権利が回ってきたとしよう。この状況でもエトーが蹴ることになるのだろうか。いや、そんなことは間違ってもあってはいけない。ペナルティー担当者はメッシーだけでヨロシイ。彼がいない場合はチャビにするがヨロシイ。だが、エトーだけはダメだ。


カタラン対バスク
(09/03/07)

24回という国王杯制覇最多数を誇るバルサと、23回の優勝を遂げているアスレティク・ビルバオ。歴史的に見ても、文字どおり国王杯のタイトルを争うに相応しい二つのクラブによって2008−09シーズン国王杯決勝戦が戦われることになった。バルサにとっては11年ぶりの決勝戦。この決勝戦はマジョルカ相手に戦い、PK戦で勝利したやつだ。ヘスプが主役中の主役となったこの試合は何となく覚えている。だが、個人的には、この前年にベティスと対戦した決勝戦の方が強烈に印象に残っている。場所はベルナベウ、勝利が決まった瞬間にバルサイムノがベルナベウに流れ、ガスパー副会長がバルサマフラーをなびかせてベルナベウを走り回っていたあの国王杯決勝戦。ありゃあ、あの人にしかできない超スペクタクルな光景だった。

もっとも、ビルバオが最後に優勝したという、1984年ベルナベウでおこなわれたバルサ相手の決勝戦はビデオでも見たことがない。細切れの乱闘シーンは何回もテレビで見たことはあるが、試合そのものは見たことがない。その試合をベルナベウまで見に行った知り合いや、メディアが伝えるところを読むと、壮絶な“乱闘試合”だったようであり、同時にスペインフットボール史に残る最も恥知らずな試合であったとも伝えられている。そして歴史書を紐解くと、次のようなコメントが見られることになる。もっとも、このことは以前にもこのコーナーで触れたことがあるような気がするが・・・。

バルサとビルバオのいがみ合い、と言うよりは、ビルバオに対するバルセロニスタの怒りは1981年12月におこなわれたサンマメスでの試合から発生している。ビルバオのとさつ人ゴイコエチェアの度を超えたタックルにより、当時のバルサの星ベルナルド・シュステルが半年間の大怪我を負ったのがこの試合。そしてそれから2年後の1983年9月、やはりゴイコエチェアの汚らしいファールによってマラドーナが同じような負傷に倒れてしまう。この決勝戦はその試合からわずか8か月後におこなわれたものであり、バルサにとっては復讐戦のような様相を呈していたようだ。そして、この試合でもゴイコエチェアからのマラドーナに対する汚らしいファールが仕掛けられている。

「これはフットボールの試合ではないし、フットボールというゲームに対して大いなる侮辱を与えるものだ。90分間のうち実際にプレーした時間はわずか20分程度。その他の時間はすべてファールと抗議ともめ事に使われてしまった。もし、こういうことが再びおこるなら、それはフットボールの死を意味することになるだろう。フットボールを愛する人々は再びスタジアムには戻ってこなくなる。」
当時のバルサ監督ルイス・メノッティが試合後にこのように語れば、ビルバオ監督ハビエル・クレメンテはこう語る。
「フットボールは体と体がぶつかり合うスポーツ。グラウンドの中で常に激しいプレーが展開されるのがフットボールだ。その意味で、戦いの魂が彼らより我々が優っていたことが証明された試合となった。」
うん、いろいろと言い方はあるものだ。

5月13日バレンシアはメスタージャでの決勝戦。国王杯と名が付く大会だから、決勝戦ともなれば当然スペイン国王がやって来る。だが、彼にとって不本意なことは、そして中央メディアにとっては目をふさぎたくなることは、メスタージャではスペイン国旗が一枚も見られないだろうということ。観客席の半分はバルサ旗とカタルーニャ旗、そして残り半分はビルバオ旗とバスク旗。しかも試合前のスペイン国歌が流れるときの5万観衆からの大ブーイングも予想できる。

でも、それは今から2か月先のこと。明日には国王杯前哨戦とも呼べそうなビルバオ相手の試合が待っている。マジョルカ相手に今シーズン最悪の内容の試合をしたペップバルサながら、ピントが大貢献してPKを止めてくれた。得てして、こういう何でもないことがきっかけとなって、チームが復活したりすることがある。そして今回もその例にならって、ビルバオ戦でペップバルサらしさが戻ってくることを期待。

※元バルサ選手のジェラールが、鳴り物入りでジローナというクラブに入団したのが今から1か月程前。それまで、まったくと言っていいほどプレーしていなかったジェラールだから、デビューしたのは先週のこと。そして今週の練習で、またまた負傷をしてしまった。全治8週間から10週間とドクター・クガット氏。わずか12分間プレーしただけで、今シーズンは終わりとなるかも知れない。モッタには何やら異変が起こって試合に出ているらしいが、ジェラールには起こらずの巻き。そして、そのついていないジェラールのおかげかどうか、ジローナの今週末の試合に、日本期待の星(?)いぶすき・ひろし選手が初招集。


バルサポルテロ
(09/03/06)

ブスケ(カンテラ→1994−95、95−96)

●アンゴイ(カンテラ→1994−95、95−96)

●ロペテギ(1994−95、95−96、96−97)

バイア(1996−97,97−98、98−99)

ヘスプ(1997−98,98−99、99−00)

●アルナウ(カンテラ→1997−98、98−99、99−00、00−01)

●ドゥトゥエル(2000−01、01−02)

●レイナ(カンテラ→2000−01、01−02)

ボナノ(2001−02、02−03)

●エンケ(2002−03)

ルストゥ(2003−04)

ジョルケラ(カンテラ→2003−04→現在)

バルデス(カンテラ→2002−03→現在)

スビサレッタが去ってからジョルケラ、バルデスが登場するまでの10年間、何と13人のポルテロがプレーしている。バルサポルテロらしく、みなそれぞれスペクタクルにプレーしてくれたが、やはりずば抜けているのは(ビバ!ルストゥ!)バルデスだろう。彼は大物だ。そして次に登場してくるでろうミーニョもスペクタクルだぞ!


No pares Figo Figo !
(09/03/04)

カンプノウには歌がない。ロナルディーニョやメッシーの名前を連呼するコールはあっても、残念ながら歌はない。それでも過去には、歌と呼ぶには短すぎるものだったとはいえ、叫ぶ方にも聞く方にもルンルン気分にさせてくれたものがあった。その最後の“歌’がルイス・フィーゴに捧げるものだった。
" No pares Figo Figo !"
" No pares Figo Figo !"
" No pares Figo Figo !"
「止まるな、フィーゴ、フィーゴ!」
たったこれだけ。だが、フィーゴに対する愛情と期待が、この“歌”の中にすべて集約されていた。ルイス・フィーゴ、すでに現役生活18年目を迎える彼が、何年ぶりかのインタビューに応じている。何やら引退後のことを考えてか、バルセロニスタにラブコールを送っているような感じだ。個人的に興味あるところだけを掲載。

マドリの選手としては、バルサ時代の半分程度の幸せしか感じていなかったと、あなたをよく知る人が語っていましたが?

半分か、あるいは2倍か、そういうことはよくわからないが、いずれにしてもマドリ時代は幸せな選手生活がおくれたと思っている。すべてのことがほぼ完璧にうまくいった時代だった。確かにバルサ時代も完璧と言って良い快適なシーズンを過ごすことができた。マドリに移籍することは危険な行為であることは認識していたが、いま振り返ってみれば、自分の決断に間違いはなかったと思う。1人のフットボール選手として得られる最高の権威を勝ち取ることを可能としてくれたチームだったし、モチベーションに不足はなかったさ。6千万ユーロという移籍料に相応しい活躍をしなくてはいけない、新しいクラブで新たな目標のもとに精一杯やらなければならない、あらゆる意味でモチベーションに欠けることはなかった。だが、それでも、バルサでの5年間の生活をマイナスととらえることはあり得ない。それどころか、とてつもなく誇りに思っている。バルサというクラブでプレーできたことを誰よりも誇りに思っている。5年間滞在したバルセロナ、それは自分にとって貴重な財産だ。

だが、あなたはカタルーニャで最も嫌われている人物の1人だと思うが?

それは普通のことだと思っている。バルサからマドリに移った自分に対して、彼らが憎しみを感じているのは仕方のないことだとさえ思っている。すべての責任は自分にあるのだということもわかっている。だが、自分は決して間違ったことをしたわけではないという信念も同時に持っている。唯一誤りを犯したのは、インタビューで自分は決してバルサを離れないと言ってしまったことだろう。あの言葉自体に嘘はなかった。インタビューがおこなわれた時点では、バルサを出て行くなんて考えもしなかったからだ。自分はバルサに残りたかったし、そのことを当時の会長であるヌニェスも知っていた。

その結果、子豚の頭が投げられるほど憎まれることになる。

グラウンドにいるときには気がつかなかったけれど、翌日の新聞であの写真を見て初めて知った。でも、まあ、そんなことより、すべての人が両手を広げて自分を歓迎してくれたあの5年間が自分にとっては重要なこと。バルセロニスタにはコレッポチも恨みなんか抱いていない。自分にとっては外国のクラブでプレーすることを可能にしてくれた最初のクラブだし、まさに青春を謳歌するといった感じの素晴らしい5年間だった。とにかくバルサには感謝している。しかも、ヨハン・クライフその人がいるクラブだったし・・・。そもそも、バルサに入団したきっかけの一つはクライフがいたからさ。彼の指揮のもとでプレーするなんて、最高で、夢のようだった。22歳という若さで、しかもクライフと一緒に働くことができた。自分は長いプロ生活をしているが、彼はあらゆる意味で特別な監督という印象だ。

その後、ロブソンやバンガールのもとでプレーしていますね?

バンガールはクライフとは違う意味で特別だ。選手やメディア関係者への対応が下手な人だったが、決して悪い人ではなかった。もちろん監督としても優れた人だったが、何というか、とてつもなくうっとおしいというか、しつっこいというか、とにかく細かいことをグダグダと注意する監督だった。その点、ロブソンは楽しい監督だった。バルサのフィロソフィーとはあまり関係ないプレースタイルを要求する監督だったけれど、わがままな選手たちが集まっているチームをうまく調整していく能力があった。それは監督として最も大事なことの一つだと思う。マドリ時代のデル・ボスケも同じような才能を持っていた監督だ。

そして現在のバルサの監督は、あなたにとって元同僚のペップ。

いつかはバルサの監督になると思っていたから、不思議な感じはしていない。彼はもともと病気なんだ、フットボールという病気にかかっているんだ。個人的にはとても嬉しいニュースだし、彼が監督となったバルサが快調に飛ばしているということも嬉しい。しかも、非常にバルサらしい戦いをして結果を出しているというのが素晴らしいじゃないか。ペップはフィロソフィーがはっきりしている人物だし、それが明確に現在のバルサの戦い方に見られると思う。ボールをコントロールし、相手よりも圧倒的にボールを支配する。プレーする場所は常に相手陣内であり、左右に広くエストレーモが位置する。勇気のいる戦い方だが、同時に自分のフィロソフィーも同じさ。そういうスタイルのフットボールで育ってきたし、自分のスタイルにも合っている。フットボールは勇気のある人物のものだし、その勇気なくして成功はない。ペップにはそれがあるし、バルサの戦い方にもそれがでている。10人のフットボールファンにどこのチームの戦い方が好みかと聞けば、10人が10人バルサだというと思う。

チャビ、プジョーなどとは一緒にプレーしていますね?

そうさ、彼らと一緒にプレーしたんだ。チャビは自分のことを師匠と呼んでいたが、うん、良いヤツだった。そして彼は現在のペップバルサの象徴でもあるだろう。ペップが好むスタイルには必ずチャビのような選手が必要だからさ。自分にとってペップは兄弟の1人みたいなもんだから、彼らがタイトルをとってくれたらとてつもなく嬉しいな。でも、マドリも強い。特に、彼らは勝負を絶対あきらめないという確固たる歴史を持っているチーム。自分がいた時代にも、ロスタイムあたりに勝負を決めることが多くあった。バルサとマドリ、カンプノウとベルナベウ、是非ともマンチェスターをやぶったあと、それぞれのスタジアムで試合がしたいと願っている。もっとも、マンチェスターに勝つのは大変なことだが。

あなたは多くのクラック選手とプレーしてきているが、やはりジダンが最高か?

最高の選手を選ぶのは難しいことだ。フットボール選手として総合的な意味合いで言えば、ジダーンは最高のクラスの選手だったと思う。ほぼ完璧な選手だったとも言える。だが、彼はゴレアドールではなかった。そういう意味で言えば、最高のデランテロは間違いなくロナルドだった。彼の持つゴールの嗅覚と共に、恐ろしいほどのスピードは他の選手にはなかったものだ。いずれにしても、素晴らしい選手たちと一緒にプレーできたことに感謝している。

いつか、スペインに戻ってくる気はあるのか?

もちろんさ。現役を引退したらスペインに住もうかと思っている。そしてバルセロナにも必ず訪れるつもりさ、間違いなくね。街を歩いていてサインを頼まれるかどうかは別として。でも、バルセロナには必ず戻る。過去のことは過去のこととして、自分的には何のためらいもない。誰かを殺したわけではないし・・・今でもバルセロニスタには大いなる尊敬の念を持っている。今の女房はバルサ時代に知り合ったんだし、娘はカタラン人と言っていい。自分にとってバルセロナは重要な街なんだ。

エル・パイス紙より抜粋。

※ガイ・アスリン、イスラエル国籍のバルサカンテラキラキラ星選手が、ようやくスペイン国籍をとれるようになった。早ければ3月末、遅くても4月中には国籍が取得できるようだ。外国籍である彼がペップバルサで1分でもプレーすると、ルーチョバルサには戻れなくなるという決まりがあったが、これで何の問題もなくなることになる。


3月、春近し
(09/03/01)

2月。リーグ戦4試合(2勝1敗1分け)、国王杯1試合(勝利)、チャンピオンズ1試合(お得な引き分け)をこなしたバルサ。それほど悪い結果ではない。だが試合内容としては、確実に下降カーブを描いていることも否定できない事実。1月にはリーグ戦・国王杯と8試合も戦い、しかもフィジカルコーチであるパコ・セイルロ(こちらカピタン09/02/04参照)のプランによる強化練習もおこなってきているバルサだから、多くの選手に疲労がたまっていることは簡単に想像がつく。だが、同時に彼のプランによれば、3月以降の“本番”となる試合にのぞむに当たって、各選手のエネルギー補充作戦が終了したことになる。そして3月。その“本番”の季節への突入。3月、4月、そして5月、リーグ戦・国王杯、チャンピオンズ、これらのすべての重要な戦いはこの季節にやって来る。

3月。バルセロナでは、年によっては、暖かい春がやって来る入り口であったり、また年によっては、まだ寒さ厳しい冬のトンネルの中であったりする季節。今年は暖かい日が続くのではないかと予報する気象庁。国王杯決勝戦進出を決めること、チャンピオンズ準々決勝へと進むこと、そしてリーグ戦では余裕のポイント数を最低でも保つ、あるいはその差を広げていくこと。それが3月の目標。パコ・セイルロの思惑通り、各選手が去年の11月や12月のように疲れを知らぬプレーを見せてくれることを期待。そして気象庁の予報が当たることも期待。

さて、リヨンでデランテロコーチをしている、かつてのバルサ選手アンデルソンが、先日の試合後に次のように語っている。
「エスパニョール戦のビデオを見ながらしっかりと研究した成果がでた前半戦だった。できる限り、バルサには我々の陣内でのプレー時間を少なくさせること。そのためには、バルサデフェンサ選手たちにできる限りのプレッシャーをかけて、思い通りにはボールを出せないようにすること。そして、もちろん、彼らのリズムを止めるために、カードをもらわない程度のファールを執拗に犯すこと。前半は思い通りになったが、やはり後半ともなると体力的な問題がでてきてそうはいかなくなった。」

リヨンのお手本となったエスパニョールの監督ポチェティーノは、カンプノウクラシコのビデオを見てペップバルサの研究をしたと語っている。あの試合でとったフアンデ監督の“やり方’が、バルサの対戦相手の“やり方”見本となっているということだ。バルサデフェンサ陣にできる限りのプレッシャーをかけること、ファールを執拗に犯してリズムを作らせないこと、そしてメッシーとチャビがボールを持ったなら、選手交代してファールを犯すこと。例えば、クラシコの試合ではメッシーに対し、グッティ、エスナイデル、ガゴ、セルヒオ・ラモス、ドレンテなどが交代にファールを犯し、カードをもらわないようにしていた。チャビにも似たような作戦がとられた。そして、あの試合以来、じょじょにバルサの試合リズムは狂い始めてきている。

ペップバルサにはカピタンはいても、確固たるリーダーとなる選手は見つからない。ラウドゥルップやロマリオ、あるいはペップなどに厳しいファールが続き、それも審判がカードを出さないと見るや、「お前らがそのつもりなら、俺たちもやってやろうじゃないか!」と、審判に聞こえるよう大声をだしていたバケロのようなキャラクターを持った選手はいない。厳しいファールにはカードを出させるように審判を挑発し、試合そのもののリズムを作っていくようなリーダーは見つからない。それをイニエスタやチャビはもちろん、プジョーにも望むことはできない。したがって、いかにリズムを壊されようが、中心となる選手に代わる代わるファールが襲ってこようが、原点を忘れないことしかない。決して攻撃に焦ることなく、ひたすら忍耐強くプレーすること、これがリヨン戦前半の否定的な試合展開で、ペップが学んだことの一つだろう。

ペップバルサの復調を願う3月、そして猫もビックリの春近し。ワォーワォー!まずは、アトレティを粉砕だ!

※クラブが発表したソシオにかんする最新報告によれば、現在のソシオ数は163.000人で、このうち89%がカタランであるらしい。そして約4万ソシオが女性であるとも報告されている。4万人ということは総ソシオの四分の一が女性であることになるが、これはひょっとして凄い数字ではないだろうか。イングランドのフットボールなんぞをボーと見ていると、観客席には赤い顔した野郎ばっかり、という風景に遭遇することが多いが、カンプノウはチョイと違うことになる。そしてこの報告書では触れていないが、親子連れの多さも特徴の一つだろ思う。