9月16日



良くないバルサ、救いようのないマドリ

 マドリがベティスに負けコルーニャがビルバオに負けた昨日の土曜日は、バルサにとって願ってもないチャンスであった。勝てばマドリに6ポイント、コルーニャに1ポイント差をつけることが可能だった。にも関わらず、バルサは最下位のオサスナに引き分けた。
 我々エスポーツ紙はこの試合、レシャックの誤りであったことを主張しよう。スタメン選手選抜から選手交代に関して、レシャックは大きな幾つかの誰もが理解できない誤りを犯した。
 なぜ、サビオラがベンチスタートだったのか?
 なぜ、サビオラを入れたときにクライハートを引っ込めたのか?
 なぜ、ロッケンバックのポジションにコクーが入ったのか?
 なぜ、コクーの場所にデブーが入ったのか?
 なぜ、6人もでディフェンスが必要なのか?
誤りは誰にでもある。問題はそれを繰り返さないことだ。

 バルサが良くなかったとすれば、レアル・マドリは最悪であった。ベティスの3点は5点でも6点でもおかしくなかった。ジダーンの公式戦初ゴールも何の役にもたたなかった。3試合を終了して1ポイントしか獲得していないマドリ。この最悪のスタートは1984−85,1929−30のシーズンまでさかのぼらないと見つからない。百周年を迎えるレアル・マドリ、まさに歴史を作ろうとしている。



偉大なベティス、小さいバルサ

 0−0の引き分け、これがバルサの、最下位にしてまだ1点も入れていないチームとの結果だった。誰もが想像できなかったサビオラのベンチスタート。レシャックの理解できない選手交代がさらに状況を複雑にする。終わってみれば、バルサはディフェンスには6人もの選手がいた。バルサは相手に不安を与えるところを、自分たちが不安を持ってしまったといことだろうか。いずれにしても多くのバルセロニスタがレシャックの選手起用とシステムに疑問を投げかける。
 レシャック「我々はいい試合をしたと思う。だが残念なことにフィニッシュが決められなかった。マドリやコルーニャみたいに負けるよりは、引き分けの方が良いに決まっている。」
 このコメントを聞く限り、多分レシャックは他の試合をみていたのだろう。



失望・失望・失望

レアル・マドリ
ジダーンのポジションが論争となっていたマドリ。この試合で明らかになったことはジダーンだけではなく、ディフェンスとフォワードの選手とポジショニングも論争に加えなければならないということだ。攻めることもできず、かといって守ることもできないマドリ。チーム全体のバランスを再検討しなくてはならない。
バルサ
リバルドのいないバルサは勝つことを知らない。最下位に位置し、一勝はおろかゴールさえまだ一つも決めていないオサスナ相手に、ほんの一つかみのチャンスしかなかったバルサ。弱腰レシャックに批判と疑問が投げかけられた。
コルーニャ
下位から脱出したいチームが、首位を狙うチームを敗る。フットボールの試合ではよくあることとは言え、コルーニャは評判ほどのチームではないことを露呈した。守りは堅いものの、常に攻撃に苦労するイルエッタ。ツーアタッカーの試みは成功しなかった。



墜ちた神々

 レアル・マドリは3試合経過したリーグ戦で、いまだに勝利を知らない。自信も信頼感も、そして闘志のかけらさえみられないマドリ。ジダーンのポジションを探すことよりも、しなければならないことは山のようにある。
 試合前日に宣告されたデルボスケ革命。マドリの中ではもっとも安定した活躍を見せていたカシージャスの代わりにセサーをスタメンとして起用。またセラーデス、イバン・カンポも長い休憩からスタメン起用となった。それはすべてジダーンの起用の煙幕的なものであったと言ったら言い過ぎであろうか。いずれにしてもデルボスケ革命はギロチンなきものに終わった。