3月17日



FC.BARCELONA - R.MADRID

1 - 1



反撃、そして・・・1ポイント

それは両チームにとって大して意味のない引き分けであり、1ポイントの獲得だった。この結果により、バルサが完全に沈んだかというとそうでもない。そしてマドリが首位戦線にくい込んでいるかというと、それもそうではない。今日バレンシアが勝利すれば単独トップでマドリは3ポイント差とされてしまう。だが例年のように、カンプノウを埋めた10万ソシオはクラシコをクラシコらしいものにした。

■前半はマドリによるゲーム支配とコントロール
試合開始15分間、バルサはマドリの選手に対し「君たちは守る立場にあるんだよ」とばかりの攻撃姿勢を貫こうとしていた。だが現実に起こったことは、まったくその立場が逆であったその後の30分間だった。ゴールチャンスはそれほど生まれなかったものの、ゲームを支配したのはマドリだった。
グッティの投入により、ポジションがよりゴールに近くなったラウール。そして中盤でノーマークでのびのびとプレーするジダーン。だがソラーリの登場がバルサの右サイドを脅かす。負傷をおってのプジョーの動きには限界が感じられた。そこを襲うソラーリのセンターリングが何回かボナノを悩ませる。
バルサの中では何と言ってもチャビの活躍が目立つ。彼がボールを支配したときの供給先は常にライン側の選手だ。だがバルサにはウイングが存在しない、したがってサイドバック選手の上がりを要求してのパスとなる。だがサイドバック選手の遠いところからの上がりは、ロベルト・カルロスやミッチェル・サルガードを脅かすまでには至らない。そしてバルサ守備陣の間抜けなプレーにより、ジダーンへのプレゼントパスがおこなわれてしまった。

■中央突破攻撃の難しさ
クライハート、サビオラ、リバルドの才能に疑いの余地はない。だがそれぞれの持ち味を出し切るには、それぞれのポジションというものがあるのも疑えないことだ。攻撃的フットボールの最も美しい形、それは外から内側への攻撃。外はラインに近ければ近いほど理想的だ。つまりウイング選手の1対1の勝負に勝利した後のディフェンスの切り崩しに始まり、そこからゴール前へのボールの供給。
チャビはグアルディオーラと同じように、本物のウイングが存在して初めてその実力が出る選手だ。だが今シーズンのかれにとって、その贅沢は許されないシステムとなっている。だからチャビにとっては、もちろんグアルディオーラがいたとしても当然そうであろうが、自分の可能性を試すには苦しい試合展開を要求されることになる。長い距離を走らなければならないサイドバック選手へのパス。だが彼らはウイング選手が持っている本来の「切り込み」タイプではない。もしウイングを使用しないのであれば、バルサはバレンシアとかデポルティーボの戦い方に学ばなければならないだろう。

■選手のキャラクター
セサーの判断ミスと言って良いだろうチャビのゴール。ここまでの試合展開を見る限り、フットボール的な内容としてはそれほど誉められたものではなかった。だがそれはクラシコではよくあることだ。クラシコだけではなくビッグゲームではよくあることだ。したがってこのような試合を決めるのはクラックと呼ばれる選手による個人プレーか、あるいはセットプレーによるゴールとなって試合が決まることが多い。クリスタンバールの存在を無にしていたラウールのバセリーナによるシュートがボナノの頭上を通り過ぎてゴールポストに当たる。クラック・ラウールはクラック・リバルドを何倍も上まわっていた。
レシャックは遅すぎるオーベルの投入を図る。だが残されたわずかな時間になす術もないオーベル。デルボスケのアイデアに良いも悪いもないとして、レシャックの試合の読みに間違いはなかったか。確かにシステムは、選手を素晴らしいプレーヤーにすることは現実的にはない。だが選手間に納得できるものであるならば、選手に自信を与えることも間違いない。その確固たるシステムが存在しない今のバルサにとって、強烈なキャラクターを持った選手が試合を作っていかなければならない。2日後に控えたガラタサライ戦、昨日のようなキャラクターのない選手を多用してのプランニングでは通用しないだろう。


試合のキーポイント

1.ジダーン、トリデンテに勝利
ジダーンにとって昨日の試合ほどのびのびとプレーできたものはなかっただろう。彼に3mと近づいてマークする選手がいなかったのだから。したがってジダーンが目立った活躍ができたことに何の疑問もない。それに比較し、バルサのトリデンテはピッタリとマークされていた。しかもリバルドの動きは、やはり負傷中の選手のそれだった。気持ちだけがはやって体が動かない状態の選手に、いったい何が期待できようか。事実、リバルドはチャンスをものにするどころか、チャンスを作ることさえできなかった。

2.決定力にかけた7番
トリデンテの中で光った選手がいたとしたら、それはサビオラだ。90分にわたって疲れを知らず動きまわり、常にボールを要求していたサビオラ。だがゴールまでの何メートルのところでの幸運には欠けていた。一方マドリの7番であるラウールもゴールを決めなかったとはいえ決して悪かったわけではない。それどころか常にゴールチャンスの軸となった選手だ。

3.クライハートとソラーリ
クライハートにとって、昨日は決して彼の日ではなかったと言い切っていいだろう。だがそれはゴールに関してだ。前半、マドリに先制されて間もなく、クライハートに絶好のゴールチャンスが訪れた。チャビからの見事なパスが彼の前に送られる。だがクライハートはものの見事にこのボールを外す。そのクライハートの昨日の大きな仕事は中盤にあった。中盤のバルサの選手の中でも、一番ボールを奪った選手かも知れない。そして同じような仕事をしたのがソラーリ。デルボスケがフィーゴの代わりに出場させた期待を裏切らない働きをしていた。中盤を支配し、右のロベルト・カルロスと同じように左からのライン攻撃にまで参加していた。


バルセロニスタの慰め

「ここではマドリに勝たせない!」
これがカンプノウに詰めかけた多くのバルセロニスタの試合後の思いだろう。フィーゴが来ようが来まいがそんなことは関係なく声を絞り上げて応援し続けたバルセロニスタだ。試合結果が1−1となり、バルサが勝利できなかったことに落胆しているバルセロニスタ。だがマドリに負けなかったクラシコになったことに満足はしている。

何年振りの応援風景だろうか。前回のフィーゴに対するブーイング騒動は別として、バルサを90分間にわたって応援し続けたカンプノウの観衆。騒々しくもあり、お祭り騒ぎでもあった。前半のマドリの攻撃でほぼ2点目が決まりかけた時に、この試合だけは悪くても引き分けにしなければならないと思った多くのバルセロニスタ。彼らにとって引き分けという結果がリーグ優勝にどれくらい響くかということは関係ないことだった。
「ここではマドリに勝たせない!」
それだけが彼らの思いだった。だから普段の試合であったら間違いなくバルサ選手にブーイングが飛んでいただろうシーンにも静けさはあったものの、ブーイングは生まれなかった。そしてバルサがボールをとれば必死の応援を続けれカンプノウ10万の観衆。

カンプノウに垂れ幕が現れた。
「100年の歴史、100年のクズの歴史」
そしてバルセロニスタの一人は試合後に語る。
「マドリはこれから100年はカンプノウで勝てないだろう。」


●チャビ
引き分けは我々はもちろん、マドリにとっても良い結果ではない。この結果に一番喜んでいるのはデポルティーボとバレンシアだろうね。個人的に言わせてもらえば、ゴールを決められたことやスタメンで出場できたことが嬉しい。だがもちろん一番嬉しいことはチームが勝つことだ。あのゴールは自分の前に誰もいなかったんで、運試しという感じで打ったんだ。これでリーグは難しくなったけれど、一生懸命やるだけ。」

●ココ
これで終わったわけではもちろんない。我々はまだ何も失っていないんだ。確かに現実的に考えればリーグ優勝は難しい局面を迎えてしまった。だが繰り返すが、不可能なことではない。みんな少しオーバーに考えているだけだと思う。個人的に言わせてもらえば、そう、我々はまだ何も失っていないんだ。」

●ロッケンバック
リーグ優勝にサヨナラなんてとんでもない話し。まだ何試合も何ポイントもも残っている。我々が残りの試合をすべて勝利してしまうということは難しいかもしれないけれど不可能ではない。とにかく1試合1試合、勝利を目指していくしかない。さあ、次はガラタサライ戦だ。頑張るぞ!」

●ボナノ
引き分けという結果に満足するわけにはいかない。我々はこの試合を勝ちにいったんだからね。本当に残念だ。だが我々はもうこの試合のことを悔しがっている時間もないんだ。火曜日にはガラタサライ戦が待っている。この試合も重要な試合だからね。」



勝利への意欲と、厳しい現実の差

それはまるで、一人で死ぬのは嫌だから他人を道連れにするような、そんな感じの結果となった試合だった。バルサにとって昨日の結果はリーガ制覇への可能性から大きく後退したことを意味していた。だが同時に、マドリにとってもその目的からの後退を意味することになった。この結果を誰よりも喜んだのはバレンシアとデポルティーボだ。

■タイトル獲得はユートピア
90分の試合が終わってみれば、それは典型的な今シーズンのバルサの試合だった。90分を通してコンスタントに戦えないバルサの顔がそこにあった。前半の45分のバルサの試合展開はまさに「忘れるために」あるようなものだった。そして後半、選手たちの意地で試合を盛り上げていくいつものパターン。つまるところ「勝利の意欲」がありながら「現実の厳しさ」に勝てないバルサの姿だ。
この試合、どうしてもマドリに勝利しなければならないバルサだった。だが90分の試合展開を見る限り、引き分けでも良しとしなければならないバルサ。そのバルサに残された8試合でタイトル獲得の戦線に加入を期待することは、あまり現実的な話ではない。選手たちの勝利への意欲に疑いの余地は微塵もない。だが今のバルサはこれ以上でも、これ以下でもない。シーズン終了が近くなった今も、チームブロックがまったく見られないのがレシャックバルサだ。今シーズン、特に昨日の試合で見られたように、唯一勝利に値するのはカンプノウを立錐の余地なきまでに埋め尽くし、90分にわたて応援し続けたバルセロニスタであろう。昨日のカンプノウの観客席からの反応はここ何年かにわたって見られないものだった。だがそれでも彼らにご褒美は与えられなかった。

■二つの顔を持った試合
前半の45分、まるでベルナベウで試合をしているかのように、マドリはボール支配をおこなっていた。彼らの狙い通りに、ゆっくりとしたリズムでの試合が進んでいく。バルサの選手の気迫や、10万バルセロニスタの気持ちをはぐらかすようなリズムで試合は進められていく。中盤を圧倒的に支配したマドリが相手にしているチームは、それこそ消化試合を戦っているかのような雰囲気を漂わしていた。そして15分の休憩をはさんで開始された後半、バルサはかつての45分とは違うバルサとして登場する。闘争心にあふれ、マドリ選手にプレッシャーをかけ始めるバルサの選手。それに怖じ気づいたかのように後ろに下がり、ゴール前に立ちはだかるマドリ選手。だがキーパーのセサーの後ろは当然のことながら誰も守っていない。友人であるチャビのシュートをはじくセサー。バルサはマドリに追いつき、まだまだ時間は残っていた。だが「勝利の意欲」はついに「厳しい現実」に勝利することがなかった。
この引き分けの意味するところ。それはバルサにとってタイトル獲得への道のりが再び遠のいたこと。そして同じようにマドリにとっても決して良い結果ではなく、彼らもタイトルへの道のりが遠くなったということだ。マドリの「現実」もおよそスペインリーグのタイトルを獲得するようなチームでないことを明らかにした。昨日の試合、バルサの相手がバレンシアやデポルティーボであったとしたら、間違いなく大量失点で敗北に至っていたであろう。


試合のキーポイント

1.チャビの復活
ここ何試合かの重要な局面を迎えて、これまで以上にアイデアが明らかになっていないバルサ。それはチャビのスタメンからの不在現象が、一目瞭然のようにそれを語っている。昨日の試合での中盤はほとんどの時間においてマドリが支配したとはいえ、バルサではチャビ一人がそれと戦っていた印象だった。しかも彼からだされる唯一の正確なパスがバルサをどうにか生き返らせた。

2.最低のトリデンテ
このような試合には「クラック」と呼ばれる選手の活躍が必要だと説いたバッケロ。だが昨日のトリデンテは彼らの実力からはほど遠いできの試合だった。モチベーションには欠くはずのないクラシコ。クライハートは多分今シーズンの最低のできだったかも知れない。リバルドはその影さえ確認できなかった。そしてサビオラはチャンスを作る回数より、圧倒的にボールを奪われることの方が多かった。

3.不完全燃焼ラウール
ラウールの実力を疑うものはバルセロニスタの中にもいないだろう。昨日の試合でもマドリの得点のチャンスは、デブーとココの協力があったとはいえ、彼が作り出したものだ。だが完全燃焼とまではいかなかった。再三のゴールチャンス、一つはオフサイド、一つは信じられないヘッディングミス、そしてゴールポストに当たったシュート。肉体的優位さを誇るクリスタンバールをまったく無効にしたラウールだった。

4.神経質だったセサー
マドリが抱えている「キーパー論争」に終止符が打たれるであろう。ビッグゲームを前にして、セサーは神経質になりすぎていた。カンプノウでのプレッシャーに負けてしまったセサー。チャビのシュートをゴールとしてしまった以外にも、前半に緩いシュートをハンブルしていた。これからの試合はカシージャスの復帰となる可能性が強い。

5.新鮮な空気を送り込んだロッケンバック
後半開始4分での選手交代。これを理解できる人々がいるだろうか。試合が再開されてから、たったの4分での交代だ。なぜ試合再開と同時に代えなかったのか。なぜ後半20あたりの交代ではなかったのか。誰も理解できない。ただ理解できることは、それまで何の役目も果たしていなかったルイス・エンリケを引っ込め、ロッケンバックが加入してからバルサに新鮮な空気が注入されたことだ。彼の登場により、それまで弱点としてあった中盤が生き返った。


レシャック「引き分けはしょうがない」

レシャックが試合前に語ったこと。
「この段階にきての引き分けは意味がない」

そして試合後に語ったこと。
「引き分けはしょうがない」

もう誰もレシャックを信用していないのは明らかだ。ひょっとしたらバルセロニスタ中のバルセロニスタである彼自身も自分を信用していないかも知れない。
「我々は引き分けという結果に終わってしまった。試合展開から見れば、引き分けという結果が最もこの試合に相応しいものかも知れない」

彼はバルサの監督であって、評論家ではないことをまだ認識していないかのようだ。そして誰も疑わない彼のバルセロニスタの心、それが監督でも評論家でもなく、一人のバルセロニスタとしての発言もおこなう。
「今日のような結果では、夕飯は食えない」
そう、バルセロニスタの間でよく交わされる会話。チームが負けた時は多くのソシオが食事をしないという逸話。それをレシャックもバルセロニスタの一人として語る。
来シーズン、我々に必要なのはバルセロニスタの監督ではなく、チームを強くしてくれる監督ではないだろうか。