10月18日

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サビオラ、デビューから4年

ハビエル・サビオラ、まだ16歳の少年が4年前にリーベルの選手として一部デビューを飾る。そしてその日は、アルゼンチンフットボール界において新たなスターが生まれた日として記録されることになる。あれから4年、サビオラは20歳になっている。

1998年10月16日、もしサビオラがこの日にデビューを飾らなかったら歴史に残るような特別な日とはならないごく普通の日だった。いつものように午前中に学校に通い、午後にはリーベルの練習場に来ていたサビオラ。もちろん両親のマリーとカッチョと一緒に昼食をとってから、リーベルのカンテラ組織に向かういつものサビオラだった。だが普段とチョット違うことが起きたのは、選手控え室で練習着に着替えようとしている時だ。カンテラのコーチであるデレンがやって来てこう言うのだ。
「サビオラ、お前は着替えなくていい」
サビオラは思う。自分は練習に遅れてきたしまったのだろうか?

サビオラは練習時間に遅れてはいなかった。彼が着替えなくていい理由は他のところにあった。今日からはカンテラの練習ではなく、一部チームでの練習に合流するようにデレンに命令した人がいたのだ。それはもちろん、リーベルの監督であるラモン・ディアスだ。

この日の16時、サビオラにとって待ちに待った瞬間がやって来る。一部チームのスター選手たちに混じっての練習が現実となる瞬間だ。
「信じられない瞬間だった。選手控え室のベンチに座ってみんなの到着を待っていた。徐々に選手たちがやって来る。あのブルゴスだとかエルナン・ディアスだとかアストラーダとかがね。」
そして生まれて初めての一部での合同練習に参加するサビオラに、再び驚きの瞬間がやって来るのは練習が終了し両親が待つ家に向かおうとしている時だった。

着替えを終えて家に向かうサビオラ。選手控え室をでたところにある廊下には黒板がおいてある。そこにはいつも選手に対する「伝達事項」が書かれている。その黒板に何気なく目をやったサビオラはそこに自分の名前が記入されているのを発見した。それは日曜日に予定されている試合に召集される選手欄だった。
「その黒板の前にどのくらい立ちつくしていたのかも思い出せない。口をポカーンと開けていたのはよく覚えているけれど。とにかくボーと立っていたらエルナン・ディアスがやって来て自分の頭を叩きながら『これは夢じゃないぞ、坊や。現実だ。おめでとう!』と言ってくれたのをよく覚えている。」

サビオラは、この日までは決まったように午後のある時間には家に帰っていた。だがこの日は一部チームの練習に参加したため帰宅が遅くなってしまった。42番のバスを拾い、急いで帰るサビオラ。家の近くのバス停には心配顔のカッチョが待っていた。そして息子が持つリーベルのユニフォームが入っている紙袋を見て不思議そうな顔をするカッチョ。
「どうしたんだ、そのユニフォームは?」
「パピー、今度の試合に呼ばれたんだ。信じられる?」

しばらく呆然とするカッチョは、サビオラに祝福の抱擁をするにの戸惑っていた。信じられない出来事だからだ。だがその目には少しずつ涙がたまっていった。

そして日曜日がやって来る。相手はヒムナシアというチームだった。試合はリーベルが得点を許し予想外にも1点差で負けている。それも試合開始直後に入れられた得点だった。しかもリーベルはついてなかった。試合が始まり15分もするとデランテロのクリスティアン・カスティージョが負傷してしまうというハプニングに襲われていた。
「サビオリータ!身体を暖めろ!試合にでるぞ!」
監督であるラモンの声がベンチに大きく響く。いきなりのデビューがやってきた。

27番のドルサールをつけたコネッホ。一部での試合にデビューする瞬間だ。いきなりベンチ入りしたかと思ったら思わぬ出来事が味方しての一部デビューを飾ることになるサビオラ。そして彼にとって一生忘れられない瞬間が訪れるのは後半8分だった。エスクデロからのセンターリングをパブロ・アンヘルが胸で受け止め後ろから走り込んできた選手に軽いタッチでパスを出す。それを受けたひときわ小さい選手、それはサビオラだった。彼はこのボールをゴールネット深く沈めるゴラッソと言っていいゴールを決めた。初出場初ゴールを決めた瞬間だ。
「ゴールが決まった瞬間、思わずユニの前を持ち上げて何か叫んだような気がする。それにしても、何というか、凄い瞬間だった。」

今日は2002年10月18日、つまりあの試合から4年たったことを意味する日だ。そしてサビオラは20歳の若者に成長していた。昨シーズンのスペインリーグにおける中南米人最優秀選手賞も獲得した。だがこの賞は彼のスタートを飾るほんの一つに過ぎない。バルサの選手としてこれから輝けるタイトルを獲得していくであろうサビオラ。彼のスター選手としての道はまだ始まったばかりだ。


マラドーナからサビオラへ

何よりもまず、一人の人間としてのサビオラに対して偉大な評価をしているということを言っておこう。もちろんフットボール選手としての彼を見るたびに、試合ごとに成長していることを嬉しく感じていることも言っておかなければならない。

サビオラがリーベルでデビューしたときのことは昨日のことのように覚えている。彼から発する「光る」ものが、彼の存在を身近に感じさせた。もちろん彼が私にユニフォームをプレゼントしてくれた時のこともよく覚えているさ。

彼に最初に会ったのは、そう、何かの授賞式の時だった。実は娘たちが彼のファンだったんだ。だからその日に彼に会うことを娘たちに告げると是非一緒に写真を撮りたいという。だから私は娘たちを連れて行って彼に頼んだんだ。
「私や娘たちと一緒に写真を撮ってくれないか?」
その時の彼の驚いた表情は印象的だったね。

選手としてのサビオラの才能を私がどうこう言ってもしょうがないだろう。すでに多くの人々が知っていることだから。いずれにしても彼は偉大な選手だ。スピードがあり、リズムの変化にも長けているし、そして何よりもゴールの嗅覚を持っている。これ以上、何を望めばいいのかね。

それにしてもワールドカップに呼ばれなかったのは残念でしょうがない。1978年のマラドーナがそうであったように、彼もまた呼ばれるに相応しい選手だと私は常々語ってきた。そしてリケルメも呼ばれるべき選手だったんだ。韓国・日本のワールドカップで彼らの活躍が見られなかったのが本当に残念だと思っている。

アルゼンチンメディアでもカタランメディアでも語られている一つの共通することがあるだろ?そう、私と彼の比較だ。アルゼンチンリーグでのデビューの仕方、ジュニアーワールドカップでの活躍、そしてバルサへの移籍の仕方。自分と同じ道を歩んでいることは確かに間違いない事実だ。だが、他の選手と比較するのは間違っている。彼だけではなく、アイマールやリケルメ、テベス、すべて偉大な選手。彼らは彼らであって、マラドーナと比較することはないんだ。それは余計なプレッシャーをかけることにもなる。

親友のギジェルモと時間の許す限りバルサの試合は見ているよ。でも残念に思うのはリケルメとの連係プレーを見るチャンスが少ないことだね。テレビの前で怒鳴っているんだ。
「何であの監督はリケルメを出さないんだ!」
偉大な選手はどのようなシステムであろうと、どのように似たようなタイプの選手とであろうと、一緒にプレーできることは間違いないのに。

デビュー4年を迎える今日、彼に「おめでとう」と言いたい。彼にはこれから多くの賞が待っている。心の底から「ムーチャ・スエルテ」と言いたい。そう、心の底からね。