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10月25日
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!!! TE QUIERO PUYOL !!! これが初めてでもないし、決して最後でもないだろうプジョー・リサイタル。人並み外れた活躍はもうすでに特別なニュースとはならなくなった彼だが、プジョー神話ノートには数々のストーリーが埋められていく。かつて多くのバルセロニスタがウルッティやミゲリにバルサそのものを見たように、今またプジョーを通してバルサを見ることになる。テ・キエロ・プジョー、そう、いつまでも愛しているよ、プジョー。 1997年5月3日、プジョー19歳となったときにバルサBでデビュー。当時のバルサBの監督は、つい最近エスパニョールの監督を辞任させられたホアンデ・ラモス。ミニエスタディでおこなわれたビジャレアル戦でデビューを飾ったプジョーは、同点のゴールを決めている。それから5年、とうに一部デビューを果たしたプジョーはすでに124試合に出場している。そしてもちろん「バルサの顔」となったプジョーだ。 プジョーの延長契約問題。プジョー自身が何の問題もないと語り、クラブ会長のガスパーも同じようなことを語り、クラブ統合ディレクターのファルゲールも交渉に入るといい、副会長のカステールスも何の問題もないと語る。だがプジョーの代理人であるラモン・ソストレスの携帯電話は鳴らない。つまりクラブ側からは誰も動いていないということだ。だがそんな怠惰なクラブ理事会は別として、プジョーの延長契約問題は時間の問題であることも間違いない。それは多くのバルセロニスタや彼の同僚選手たちのプレッシャーにクラブ理事会の怠け者人間たちが勝てるわけがないからだ。それにしてもプジョーがこれ以上何をすれば、怠け者理事会の連中が動き出す要因となるのだろうか。 だがプジョーにとっては、そんなことは冷静にプレーをするのに何の障害にもならないようだ。 昨日、カタルーニャだけでもスペインだけでもなく、ヨーロッパ中のテレビに流されたスーパープジョーのスペクタクル・ディフェンス。観客席では多くのバルセロニスタがすでに頭を抱えながら失点を覚悟したシーン、それでもキーパー不在のゴールポストを身体を張って守ったプジョー。だがそんなプレーをした後でも、彼には特別なメダルなんか必要ないようだ。 冷静にあのシーンを振り返るプジョーだが、その後におこった出来事に関しては怒りを表情に表しながら語る。 あの瞬間をカンプノウで体験した人も、テレビ画面の前で証人となった人も、決して忘れることのできないプレーとなったのは間違いないだろう。いつもの試合のように試合開始から送られるプジョーコールが、あのプレー以降さらに大きくなった。 スーパープジョーの「恐ろしさ」をいまさら語る必要もないかも知れない。バルサドクターは多くのことを語らないが、我々は一昨日のプジョーの小さな秘密を知っている。試合前の練習でジェラールと衝突し軽い負傷をしたことはすでにメディアを通じて公表されていた。そしてそれが完治してのロコモティフ戦出場と一応公表されている。だがそれは真実ではないことを我々は知っている。負傷など治ってなかったことを我々は知っているのだ。 |
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●アンデルソン、長期離脱? ●オーベルマルス、短期離脱? ●お帰り、アベラルド! |
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