1月20日

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バルサ、果てしなき退廃

バンガールが再びバルサの指揮をとることを承認したとき、彼から発せられた“ニューバルサ”の印象、それは彼が2年連続リーグ優勝を飾った時代のチームより素晴らしいものであるということだった。リバルド、フィーゴ、グアルディオラ、アベラルド、そしてセルジを欠いた“ニューバルサ”のメンバー、それは彼にとっては第一次政権時より扱いやすい選手たちによるチーム作りができると信じたからだろう。だがバレンシア戦の敗戦が決して突出した出来事ではなく、これまでの多くの失策、ガスパー、バンガールらの多くの失策によって生じた一つの現象に過ぎないことも事実である。

■“バンガール風バルサ”によって構成される選手たち
バンガールが新たに監督となって最初にしたこと、それは過去のすべての選手の一掃だった。彼の第一次政権の最後の年におこなおうとしておこなえなかったこと、グアルディオラ、セルジ、リバルド、ルイス・エンリケの放出、それが今回の監督就任にあたって最初に始めなければならないことだった。グアルディオラはすでにローマの選手となっている、ルイス・エンリケはカピタンとしてバルセロニスタにとって貴重な選手として認識されている。したがって放出候補選手はセルジ、アベラルド、リバルドの3人だ。左ラテラルとしては唯一の代表選手級のセルジを「彼の時代は終わりを告げた」として放出し、クラブ首脳陣が獲得を図るリケルメを受け入れる条件としてリバルド放出を要求。補強選手候補としては3人のリストをあげながらもその中の最優先候補であったメンディエタの獲得でOKとしたバンガールは次のように語っている。
「今シーズン我々が抱えているバルサの選手は私バンガールが初めてバルサに来たときの1997年より素晴らしい内容をもったものだと確信している。まさに私バンガールによって希望された理想的な“バンガール風バルサ”と言えるだろう。」

だがシーズン開始と共に“バンガール風バルサ”の弱点が明らかになってくる。意外性のない単純な試合展開、相手チームに読まれる攻撃パターン、そして試合を決めるのはボールが動いている状態からのチームプレーではなくセットプレーからのもの。一人一人の選手の個性を最小限に押さえ込みチームブロックを武器としての戦いを挑むバンガールだが結果はついてこなかった。

■痛々しい比較
前半折り返し地点まであと1試合となったところでバルサの置かれている順位は10位。歴史上これまで例をみない位置にいる。カンプノウでのこれまで9試合で勝利できたのはエスパニョール、アラベス、レクレアティーボ、ビジャレアル戦のみ、つまり4試合しか勝利を飾っていない。さらに上に位置する9つのチームを見てみるとバルサが勝利したチームはマジョルカのみだ。8つの上位チームに勝てなかったバルサが典型的にその脆さを示したのが先日のバレンシア戦だと言える。アウエーでの試合として戦って敗れたベティス戦やソシエダ戦とまったく同じように、相手チームより内容的に劣っている姿を露呈した試合とも言える。

バレンシアはバンガールの言う“チームブロック”を持っているチームだった。そのチームブロックは相手がどこであれ不変のシステムによって維持されてきている。カンプノウでのバルサ戦とはいえ、まるで地元メスタージャでレクレアティーボと戦う時と同じようなシステムで、そして信頼を勝ち取っている選手たちによるチーム構成。しかもバレンシア監督のベニテスはバンガールのように試合ごとに何かを“発明”する監督ではない。もし右ラテラルのクーロ・トーレスがカード制裁で出場できないなら、下のカテゴリーで同じポジションと務める若手を起用するベニテス。もしそれが弱点の一つとなるなら周りを固めるベテラン選手、アヤラやペレグリーノがカバーすれば済む話となる。バルサに欠けている多くのものを持っているバレンシアだった。一人一人の選手のパーソナリティー、そこから作り出されるチームブロック。バンガールが敗戦のたびにコメントする「個人のエラー」を周りの選手が一丸となってカバーしていくバレンシア。
「私バンガールは決して敗戦の原因とはならない。なぜなら私はプレーしないからだ。」
先日このように語ったバンガールだが、チーム作りやシステム作りの失策には限りなく関係していることさえ認めようとしない。

■決まった11人と毎週違うシステム
確かにバンガールはグランドの中でプレーしない。それは現役選手時代も多くあったことだから監督となっている今は当然の話だ。したがって彼はグランドの中でボールを奪われたり、ゴールをミスしたり、オフサイドトラップにひっかかったりすることはない。だが彼の仕事は11人のスタメン選手を選び、勝利を得るために3人の選手を交代させる権限を持つ。これまでバルサが勝利した試合数はわずか6試合に過ぎない。18試合を消化しての6試合だ。国王杯では二部Bのノベルダに沈められている。これまでの多くの敗戦の理由をバンガールは次のように語っている。
「個人選手によるミス」
ミスをした選手を選んだのはバンガールではなかったか。2試合や3試合ではそれらの言い訳も成り立つかも知れないが、敗戦の数はそんなものではないし、いつも同じ“敗戦の弁”となっていることは誰もが納得いかないことではある。

そしてこれまでの彼の選手起用の特徴となっているのは、相手の弱いところをついての選手起用という発想がないところだ。常に相手の長所をつぶしていくシステムと選手起用が特徴といっていい。マラガ戦では3−4−1−2という3人セントラルを起用し、1週間後のバレンシア戦では4−4−2というスタイルに変化している。選手起用に関して言えば、最初の6試合は続けて同じメンバーを採用しているバンガール。だがバジャドリ戦での敗戦以降、彼は狂ったようにメンバーをいじりまくることになる。
「監督はこれまで何回も同じ11人のメンバーで戦いたいと言っていた。だが多くの負傷者がでることでそれが可能にならなかったんだと思う。」
そう語るボナノだが、彼もまたシーズン開始当初、理由もなく干されていた選手の一人だ。シーズン開始当初、常にスタメン選手だったメンディエタは途中からベンチ生活が続きマジョルカ戦でスタメンとなったものの、そして勝利した試合であったものの、再び理由もなくベンチに置かれることになる。リケルメ、サビオラはいつの間にかグランドから姿を消し、ガブリは昨日はセントロカンピスタ、今日はラテラル、そして明日はセントラルとしてすり減らされている。
「試合に精神的にのめり込むのに苦労する」
そう語るチャビ。毎週、毎週、違う任務を命じられてグランドに登場しなければならない選手の宿命だ。

■ロッケンバックとガブリ
限りない数のビデオを見て研究し、バンガールノートにすべてのチェックポイントを書き込み、多くの時間を消費して次の試合に備えるバンガールとそのスタッフたち。大事な試合となるバレンシア戦前には普段の時間以上を消費したとしても不思議ではない。その結果出された結論がロッケンバックをアイマールに、ガブリをカリューにマンマークとしてつけるというものだった。これまで常に相手に合わせて作戦を練ってきたバンガールにとっては一つの作戦に過ぎない。だがこれだけの時間を消費して練り上げた“発明”が試合開始と共に音もなく崩れていく。超保守的なプランニングが、あのバレンシアにボールを支配され試合そのものの主導権を譲ってしまうことになるのだ。それはまるでメスタージャに行ってのバルサの試合を見ているようなものではなかったか。ガブリはカリューのスピードと倍はある身長に苦しめられ、ロッケンバックは決してゴール近くでのマンマークの選手ではなかった。しかも決して4番の選手でもないことは誰の目から見ても明らかであるのにバンガールにはそうではなかった。

自殺行為と言っていいだろう。だがロッケンバックを責めるのは酷だ。彼はこのようなポジションや使命を持ってバルサに来た選手ではない。ひたすらアナーキーなキャラクターのプレーをする彼をこのポジションに起用した監督による自殺行為だ。前半37分になっていったい何しにグランドにでてきたのかわからないままロッケンバックはベンチに下がることになる。彼のエラーによって生まれた1点目に続いて2点目も“個人選手のミス”によって生まれることになる。コーナーキックの際にはカリューにはコクーがマンマークにつくことを命じられていた。なぜコクーだったのか?理由はわからないがそれがバンガールノートに書かれていることだった。カリューは難なくヘディングで2点目を、観客席に白いハンカチの花が咲く2点目を入れた。こうしてバルサの果てしない退廃は、終わりを見ることなく続くことになる。少なくてもガスパーと、そしてバンガールがバルサにしがみついている以上、終わりなき退廃が約束されている。