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3月1日
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終焉が近づくレシャック 何事にも永遠はない。それはレシャックとバルサの関係においても同じだ。これまで何十年にもわたってバルサのために働いてきたレシャックに、一時的かあるいはしばらくの期間かは神のみぞ知ることではあるが、クラブとの決別が迫っている。レシャックはガスパー政権におけるメンバーという判断のもとに、そのガスパー政権が崩壊したいま、彼もまたクラブから去らなければならない。 カルラス・レシャック、1959年12歳の時にバルサに入団。それ以来ほんのわずかな期間を除いて、バルサというクラブから離れたことがない正真正銘のバルセロニスタだ。カンテラ育ちの彼はクライフの選手時代と共に活躍し、多くのソシオから愛された伝説的な人物でもある。現役引退後もバルサ少年部の面倒を見ることに精力を費やし、一部チームに戻ってきたのが1987年、ルイス・アラゴネス監督の要望でサブとして一部チームに合流する。翌年、つまり1988年にクライフが監督に就任しても彼の役目は変わらない。バルサの歴史の中でも黄金時代と呼んでも言いクライフ監督時代の8年間、彼は多くのバルセロニスタと喜びや悲しみを共有することになる。 |
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バルサの強敵、それはインフルエンザ アンティックバルサが抱える多くの負傷選手たち、それはコクーに始まりプジョー、そしてクルイベルまでも負傷者リストに名を連ねることになる。すべてあの呪われたサン・シーロでのお土産だ。だがインテル戦を終了しバルセロナに戻ってきた彼らを待っていたのは強烈なインフルエンザの嵐だった。すでにルイス・エンリケはそのビールスをインテル戦当日に、そしてガブリ、アンデルソン、クルイベルもがビールス所有者となってしまった。危うし、アンティック! 監督を職業とするものにとって最大の敵、それは選手たちが負傷したり病気にかかったりして試合に出場できない事態となることだ。それが今まさにアンティックが抱えている問題となっている。明日のオサスナ戦にはすでにコクーとプジョーの不出場が決定されていた。軽い負傷状態のクルイベルも試合出場が危ぶまれていたが、それでもどうにか出場できるものと思われていた。だが負傷以上の強敵が現れた。インフルエンザの嵐が吹きすさぶバルセロナ。クルイベルは昨日38度以上の熱でダウン。負傷問題以上に大きな障害となって明日の試合出場を危ぶませている。 |
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