3月31日

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ユーベ・バルサ(残り9日)

ブルドッグ、それがダビッツに付けられたあだ名。見知らぬ人にはあくまでも戦闘的かつ挑戦的でありながら、慣れ親しんでる人々にはどこまでも愛想がいい、そういう意味でバンガールが付けたあだ名だと言われている。ユベントスに在籍するエドガー・ダビッツ、彼はオランダ国籍を所有しながらもスリナム生まれという原点を忘れない。個人的なことに触れる質問はいっさい無視し続け、フットボールに関係することのみの質問をインタビュアーに義務づけるエドガー・ダビッツ。彼はあくまでも己の道をひたすら走る。

スリナムは南米北東部に位置し、かつてのオランダ植民地の一つだ。現在はスリナム共和国と呼ばれるが歴史的関係から多くの“オランダ人”を生み出している。エドガー・ダビッツもその一人だし、クルイベル、レイジゲル、ボガルデも同じようにスリナム出身者であるところから、彼らの共有意識は非常に高い。特にダビッツにとってスリナム出身という事実が彼の人生の原点として常に認識されることになる。彼を“変人”と呼ぶかつての同僚選手が多いことも事実だが、彼はそのことを決して嫌がることもないようだ。だが彼自身は自分のことを“変人”とは意識していない。彼はあくまでも“スリナム原住民”として認識して欲しいだけであり、そのイメージを壊すことを嫌う。

先週と今週にわたっておこなわれているユーロ2004の代表予選試合。彼もまた一人のオランダ代表選手として合宿に参加してきている。各選手ごとにおこなわれる定例記者会見を彼は嫌うが、それは代表選手に義務づけられていることの一つだ。多くのオランダ人ジャーナリストや外国人ジャーナリストが集まっておこなわれる記者会見となるこの席で、彼は代表の試合以外のことにはいっさい触れない。プライベートに関する質問や来週に予定されているチャンピオンズのバルサ戦に関する問題には口を閉ざす。

まだ代表の合宿に参加する前にトリノでおこなわれたインタビューがあった。何人か集まったジャーナリストの中にやはり彼と同じように肌の色の黒いインタビュアーがいた。スリナムのジャーナリストだった。これまで笑顔を見せたことのない彼に珍しくその笑顔が訪れる。とめどもなくしゃべり始めるダビッツ。普段と違いいろいろとバラエティーに飛んだ内容のものとなった。短い間のインタビューではあったが、翌日のイタリアのテレビにも中継されるはずのインタビューだった。だがその夜、ダビッツはそのテレビ局に彼の部分だけを削除して欲しいと要請し、それが受理された。なぜ彼が削除を申し出たのか、それはこれまでの彼のイメージからはほど遠いことを知っていたからだ。笑いすぎているし、しゃべり過ぎてもいる。それが彼には気に入らなかったし深く反省したことのようだった。スリナム原住民はあんなに笑わない。そう思ったのかも知れない。

性格的に難しく他人が理解するにの時間がかかる。だが彼が抱える目の問題も現代医学では理解できないことの一つのようだ。奇病とは言わないまでも非常に希な病気の一つであり、まだ完治までは遠い。代表での記者会見でなぜまだまだ防護眼鏡を付けているのかと聞かれるダビッツ。
「まだまだ良くなっていない。強烈な光りを浴びるのは危険なことだし、何かが目に直接ぶつかったら失明の可能性さえある。だからグランドの中では絶対の必需品。もし誰かが指でも突っ込んできたら大変なことになるからな。それが原因でフットボール選手を引退するのは別にどうってことないさ。でもまだまだ長い人生の中ではそれはチョイと困ることだ。」

親友以上の存在としてあるのがクルイベルであることはすでに知られている。スリナムで一緒に生活し、アヤックスのカンテラとしても一緒だったクルイベル。その彼にダビッツはリケルメのユニフォームを頼んでいる。彼は“ボカ”のリケルメのファンだった。難しいことをあも簡単にやって見せる彼のプレースタイルが非常に気に入っていた。だからバルサ10番のリケルメユニではなく、ボカ10番のリケルメユニを頼んでいる。バルサのリケルメは彼にとっては笑いすぎる選手となっているようだ。


ガダフィーチームとの親善試合

4月2日、つまり今週の水曜日、バルサはミニエスタディで親善試合をおこなうことになった。相手はリビアリーグで首位を走るアル・イティハーというクラブ。クラブ会長はガダフィーの息子であるサアディ・ガダフィー。彼はこのクラブの会長であると共に、リビアフットボール連盟の会長でもあり、同時にアル・イティハーのデランテロでもある。バルサはこの親善試合で30万ユーロのギャラを受け取ることになる。

アフリカ・チャンピオンズリーグの予備選に参加するためのミニ合宿をバルセロナでおこなうアル・イティハー。彼らは3月31日から4月11日までバルサの私設を借りて合宿をおこなうことになっている。その合宿の一環としてこの親善試合が組まれバルサは一部チームとバルサBの選手を起用して試合にのぞむことになる。これまでアル・イティハーは何回かの親善試合をヨーロッパや南米のクラブとおこなってきている。今年の1月にはラッチオと親善試合をおこない1−2と敗北、だが3月にはサン・パウロまではせ参じて親善試合をおこない貴重な引き分けという結果を引き出していた。

クラブ会長でありガダフィーの息子であり選手でもあるサアディ・ガダフィーは、ユベントスのオーナーの一人でもある。2001年の投資によりクラブの5%の権利を獲得、また昨年の5月にはさらに投資額を増やしトータル2300万ユーロの投資をおこない、ユベントスの7.5%の権利を確保するまで至っている。ユベントス最大の投資者であるアグネリー・ファミリーに続いて今では2番目の最大投資家となっている。

新しいマーケティングの道を探っているバルサにとって、カンプノウやミニエスタディを含めた所有私設を使ってのイベント行事は重要な収入源になる。したがって今後もこのようなことが幅広くおこなわれることが予想される。


ヌニェスの遺産

今年の7月1日から実行されるVIA DIGITALテレビ局との放映権契約。それはもう4年前に当時の会長であるヌニェスによって結ばれたものだった。まだフットボールの世界ではバブルが盛んな時期だった4年前、多くのヌニェス反対陣営から批判を浴びた契約だった。だがそれから4年たった今、その契約は“スーパー契約”と変身した。

4年前に誰が今のような状況を予想しただろうか。多くのクラブが経営難に苦しむ今の状況を誰が予想できただろうか。4年前のバルサの会長であったヌニェスにしてもこれほどの状況を予想するのは不可能なことだったに違いない。だが彼が予想したかどうかは別として、彼がテレビ局と結んだ“スーパー契約”は来シーズンからバルサにとって貴重な財源の一つとなることは間違いない。

“スーパー契約”の内訳は今となっては常識外の内容だ。2003年7月1日から2008年6月31日までの5年契約となっているテレビ放映権は、この期間中に6億5千万ペセタ(約4億ユーロ)がバルサに支払われることを意味する。年間にして約8000万ユーロ。だがこれはあくまでも約束された最低限の収入であり、もしバルサが何らかのタイトルを獲得すれば、そのたびにボーナスが支払われることになる。したがってバルサが何らかのタイトルを獲得し続けるとすると、5年間での収入は7億1千万ペセタ(4億2千万ユーロ)以上のものとなる。