8月13日 水曜日

■1チャンネル(1.1MB)
マルケス、初ゴール

■2チャンネル(1.1MB)
ロナルディーニョ、ゴールいただき!

■3チャンネル(1.0MB)
パラドン!ビクトル・バルデス!

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PER LA PAU

長き歴史においてカトリックとプロテスタントの間で多くの悲しい事件が繰り返されてきている北アイルランド。だがバルサが対戦するデリー・シティー・クラブはその中にあって、カトリックのクラブでありながらプロテスタントをも認めるという。

デリー・シティーはU2が歌う“サンディー・ブルーディー・サンディー”の舞台でもある。1972年、ここでのデモ隊に対してイングランド兵が介入し、デモに参加していた市民の11人が死亡するという、悲しい記録に残る舞台だ。1998年に平和ノーベル賞を獲得したジョン・ヒュームはこのデリー・シティー・クラブの熱烈なインチャとしても知られている。そしてその彼がその事件以来、平和のために多くの努力を払い宗教的な対立問題の解決をはかることになる。そして今では、カトリック信者とプロテスタント信者の“国境線”であったフォイル川の橋もお互いに自由に渡ることができるようになった。つまりプロテスタントの人もデリー・シティー・クラブを自由に応援することが可能となった。

“ガスパーの遺産”の中で、唯一と言っていいであろう肯定的なものがあるとすれば、彼がこの親善試合を可能となるように働いたことだろう。バルセロナ市の元市長であり、カタルーニャ州の次期議長を狙うパスクアル・マラガールとジョン・ヒュームは昔から友好を暖めてきた仲だ。その彼がガスパーと共に2月にカンプノウでおこなわれたビルバオ戦に彼を招待することになる。そしてその場で決められたのがこの親善試合だった。お互いに“PER LA PAU”を願うクラブとして、平和のために親善試合をおこなおうという趣旨だ。

空港にバルセロナの選手とマラガールの到着を待ちかまえていたジョン・ヒュームは次のように語っている。
「バルサという一つの国家を代表するような偉大なクラブを招待できたことは我々のクラブにとっても、そして我々の国にとっても重要なことだ。平和への願いをこめての歴史的なフィエスタとしなければならない。」

この日の相手はこれまでのアメリカ遠征や、この“シティーツアー”を通じてもっとも弱小チームといっていい。フットボールで生計をたてている選手も当然ながらいるが、郵便局員とかトラックの運転手などの仕事をしながら“選手生活”をしている人々も何人かいる。この相手にバルサはカンテラを中心としてスタートメンバーを組んだ。ビクトル、オスカー・ロペス、ダビ・サンチェス、イニエスタ、ラモン・ロスなどが先発。マルケスは初の90分間の出場となった。

マルケス、アンデルソン、ジェラール、サビオラ、そしてロナルディーニョがそれぞれ得点を決め0−5という大勝。マルケスは得点したこともさることながら、本格的なセントラルという印象を与える。特に彼から飛び出すミリメトロ単位の計算された前線へのパスが魅力的だ。オーベルマルスは相変わらず冴えないが、この日は90分間走り回り、じゅうぶん汗をかいたので良しとしよう。