9月17日 水曜日

■1チャンネル(1.6MB)
グラノジェールスというところでおこなわれた“バルサファンクラブの集い”に出席するジョアン・ラポルタ会長。彼はどこに行ってもバルサ一番のメディア的クラック。子供からおじいちゃんまでサインをもらいにやってくる。

■2チャンネル(1.2MB)
昨日は暇なクラブによる親善試合がヨーロッパ各地アッチャコッチャでおこなわれていたが、そんなことにはお構いなしにバルサは練習。ロンドで楽しく練習すれば翌日の練習は休み。

■3チャンネル(1.2MB)
国王杯の相手に決まったグラマネはジェラールの実家があるところのクラブ。小さい頃はこのクラブに来てはよく遊んだという。だが勝負は別の話。ヨーロッパ各国クラブ親善試合には今シーズン出られないバルサは、可能な限りのタイトルを狙うと語るジェラールとコクー。

(映像を見るにはQuickTimeが必要です。ダウンロードはこちらから)


バルサは金のなる木

「バルサに一時的な経済的な危機が訪れたとしても将来的には何の問題もない。それは不動産をはじめ多くの財産を抱えているクラブであるからというだけではなく、多くの収入源をどこのクラブよりも持っているからだ。」
かつて何回となくガスパー元会長が公式発言してきたこの言葉。それは嘘ではない。そして皮肉にも彼を会長の座から追いやったラポルタ新理事会が早くもガスパーの発言を裏付けている。ラポルタ理事会は発足してからまだ3か月しかたっていない。だがバルサというクラブの偉大さを示すにはじゅうぶんの期間でもあったようだ。なぜなら早くも経済的問題、もちろん否定的な問題としてあった経済的問題、それを解決の方向に向かうことに成功させているからだ。

メディア的クラックとして獲得したロナルディーニョ人気がこの問題解決に大いに役立っていることは否定できない。バルサソシオにとって年間を通じて唯一の有料試合となるジョアン・ガンペル杯に9万人の人々が押し寄せたこと、そして深夜の試合となったセビージャ戦で1万2千枚のチケットが売り切れたことにより、この2試合だけですでに170万ユーロのチケット収入を得ている。そしてソシオ数の増加とソシオ年間シート席の値上げによる収入、10月に予定されているメキシコでの親善試合による収入などを加えると、当初予定していたものを遙かに越える年内の収入が見込める状態となっている。

もちろんテレビ契約の収入増加が大きな収入源の一つとなっていることは否定できない。ヌニェス時代におこなわれたこのテレビ契約によりバルサは少なくとも年間720万ユーロの増加を獲得している。今シーズンに入って新たなスポンサーとなったダムやフジからの収入、そして近々発表されることになる携帯電話会社(一つはアメナに決定)などを加えるとなると、年間予算の半分近くをすでにクリアーする数字となっている。

ユニフォームの広告も新たな収入の一環となるだろう。今日にもアジアに向かって旅立つ3人のクラブ関係者。一人はマーケティング責任者のマーク・イングラ、そして理事会員のエステベ・カルサーダ、そしてテクニカル・スタッフのチキ・ベギリスタイン。チキはアジアにはじめてできたバルサショップの開設祝いに、そして前者の二人は韓国と日本でのスポンサーとの具体的な交渉のためだ。


国王杯はグラマネ相手

グラマネの所有するグランドは人工芝でできている。スペインフットボール協会の規則によれば、もし対戦相手が人工芝でのプレーを拒否した場合、自然芝のあるグランドで試合をしなければならないという。したがってこれまでグラマネが国王杯で対戦してきたバレンシアやマジョルカなどは過去にプレーすることを拒否したため、近くの自然芝を有したスタディアムで戦ってきた。だが、グラマネの会長であるフランシスコ・オルテガの夢はクラブの所有するサンタ・コロマ・スタディアムで国王杯を戦うことだ。そして相手がバルサであれば最高のステージとなると思っている。その夢が今回実現することになる。なぜならバルサは人工芝でプレーすることを拒否しなかったからだ。

その変わりと言っては何ですが、とバルサは一つの提案をしている。10月8日に設定されているこの試合を、その前日の7日にしましょうや、そういう提案だ。実はこの週末には多くの各国代表戦が組まれている。バルサはセビージャ戦の時と同じようにほぼすべての代表選手を失う。そして今回はスペイン代表選手まで失うことになる。つまりプジョーとチャビも出場できないことになる。だが7日にすれば少なくても彼らだけでも出場できる可能性がでてくる。問題はフットボール協会が何とおっしゃるかだ。いずれにしてもグラマネにとっては7日だろうが8日だろうが、そんなことはどうでもいいことだ。代表に選ばれる選手などいるはずもないし、対戦するバルサにスター選手が多ければ多いほどチケット収入も増える。したがって、簡単に受理されたバルサ側の提案だった。