1月20日 火曜日

■1チャンネル(1.5MB)
24歳にしてバルサ一部デビューという夢を実現したジョルケラ。カンプノウのプレッシャーに負けないところがカンテラ選手の強みだ。

■2チャンネル(0.7MB)
「試合前日のホテル合宿で同室となったオラゲールと、もしかしたら二人ともスタメンで出場できるかも知れない、そんな誰も信じられないような冗談を言って笑い合っていたんだ。まさかそれが実現するなんてね。ルストゥは試合前にもいろいろと助言をしてくれた良い仲間。」

■3チャンネル(1.3MB)
風邪症状とはもうサヨナラしたビクトルは練習に復帰。第一ポルテロは彼に間違いない。問題は誰が第二のポルテロになるか、ルストゥかジョルケラか。木曜日のカップ戦には第二のポルテロがスタメンとなる可能性が強い。ジョルケラの大活躍を目の前で見せられたルストゥは、それでもバルサに最後まで残りスタメンを勝ち取りたいと語る。
「いま一番思っていること、それはクラブが自分に対して与えてくれた信頼感に対し、まったく応えていない自分に不満を感じているということだ。今すぐトルコに帰る気持ちはまったくないし、最後まで自分の力を出し切りたいと思っている。」

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消息不明となったバルサ“4番”

ここ15年、つまりヨハン・クライフの登場から15年、バルサには少なくとも一つのシンボルとしての戦いのスタイルが作られていた。それはもちろん“4番”の存在だ。決して彼の発明ではないとは言え、その存在をはっきりと明確に示したことは否定できない事実。彼が監督になる前からバルサにはあったスタイルでありながらも、この15年間ほどそのスタイルがシンボルとなった時代はない。“4番”、それはチームの臍であり、チームの核となる存在であり、したがってチームの中心に位置する“点”でもあった。

臍であり核であり点である“4番”は自家製でなくてはならない。クラブのフィロソフィーを常に一番理解するのはいつの時代でもカンテラ選手だ。最初に選ばれた選手、それはルイス・ミージャだった。“4番”になる選手にフィジカル面は問題とされない。問題はワンタッチフットボールを実践できるテクニックと誰よりも頭の回転が速く状況判断に優れてさえいればよい。ルイス・ミージャはこれらの才能をすべて持ち合わせている選手だった。だが年俸問題でクラブと問題を起こし始めた時、彼の後釜はすでに用意されていた。ミニエスタディでもそれほどプレーする機会を与えられていなかった若きカンテラ、そう、ジョセップ・グアルディオーラだ。通称ペップと呼ばれるこの若者は、体が細く当たりに弱い選手でありながら誰よりも先を読むのに優れている選手だった。

どんなに優れたコピーでもオリジナルを決して越えることができないように、“4番”オリジナルとしてのペップを越える選手は今のところバルサには誕生していない。“4番”それは守備的でありながら同時に攻撃的であり、その両方を一人でこなす才能を持ち合わせているのが理想だ。つまり守備的なピボッテと攻撃的なピボッテを組み合わせるドブレ・ピボッテは別の世界の話となる。“4番”は一人でなければならない。左右にボールを散らし、スペースが見つかればワンタッチフットボールよる縦の攻撃に移り、そして必要とあれば試合のリズムや流れを作り出したり反対に殺したりする、いわゆる試合の流れを読む能力が要求される。それを完璧に近い形で実践したのがかつてのペップだった。だが彼もまたスーパーマンではあり得ない。時の流れと共に、判断の速度も衰えてくることは致し方ないことだ。そして何よりもチームのフィロソフィー自体が変化を見せてくることにより、彼の本来の力も100%発揮できない状況を迎える。

ジェラール、セラーデス、ルジェール、デラ・ペーニャ、アルテッタ、バルサのカンテラにはこの“4番”候補があふれていた。その中で選ばれたのがチャビ・エルナンデスだった。バルサBでプレーしたこの若き“4番”の背番号を付けた選手はペップと同じようにクライフの持つ“4番”のフィロソフィーで育ち成長をしてきた選手。だが彼を一部選手に昇格させた監督は、また少々違うフィロソフィーを持っている監督だった。その監督が彼に要求した最大の義務、それはボールのキープ、つまり決してボールを奪われてはいけないということが基本となるフィロソフィーだった。ボールのキープ、スペースを見つけたら少々冒険となっても仕方のない縦へのパスはそのフィロソフィーに反するものだ。最も安全な方法、それは横へのパスだった。距離が短く安全な横へのパス、そこにはかつてあった“4番”の選手の持つダイナミックさはもちろん不在となるし、彼の行動範囲もまた狭いものとなる。ペップがそのことで最初は戸惑いを見せたようにチャビにとっても大いなる戸惑いがあっただろう。だが彼は新たなフィロソフィーのもとにこれまで学んできたこととは違う任務を遂行することに成功する。ボールを決してとられず、彼を中心としての安全なパス回し。いつからかチャビのプレースタイルがそれに染まっていくことになる。。

これまでのフラン・ライカーの戦い方を見てくる限り、彼にはこの“4番”のフィロソフィーは存在しない。ドブレ・ピボッテ、スペインリーグで最も親しまれているこのシステムにおいて“4番”は存在しない。だが、それはいい。時代によって、そして監督によって、チームのフィロソフィーに手が加えられ変化が訪れるのはよくあることだ。問題は、そう、現在のバルサの問題は、肝心のフィロソフィーがあるのかどうか、それが問題となっていることだ。どういうフィロソフィーで、それがどう問題となっているかということではなく、フィロソフィー自体があるのかどうかという問題となっている。少なくともこれまでのところ、フラン・ライカー監督はそれを我々に明らかにしてくれていない。