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9月8日 水曜日

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カピタン・プジョー

1997−98シーズンの途中でバルサBに招集され、右インテリオールのプジョーは初戦でいきなりゴールを決めている。翌シーズンの途中から右ラテラルにまわされ、そしてその翌年にはバルサ一部チームでのデビューをかざっている。

そのシーズンから、つまり1999−00シーズンに一部デビューを果たしてからすでに6シーズン目となるカルラス・プジョー。ソウル遠征中におこなわれたカピタン選挙ではバルサカピタンとして選ばれるまでに成長。アジア遠征に参加した22人の選手のうちメッシーとモラはバルサB扱い選手につき選挙権はなしということで、最終的に20人の選手によって選ばれることになった。選挙のきまりは、二人の選手名を書くこと、そして自分の名前を書いてはいけないことの二つ。この選挙方法によって集まった投票は次のようなもの。
プジョーに19票(つまり全員)
ロナルディーニョとチャビにそれぞれ8票
ガブリに3票
ジェラールに2票
投票数2番目の選手が第二カピタンとなるものの、ロナルディーニョとチャビがそれぞれ8票という同票になったことで、フラン・ライカーが最終的にロナルディーニョを第二カピタンに指名することになった。もしサビオラがこの遠征に同行していれば間違いなくチャビに1票入れていただろうから、チャビにしてみれば大きなサビオラ不在。

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