10月23日 土曜日

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マシア寮誕生25周年

マシア寮に住む多くの若者のアイドル選手は各個人によって大きく異なる。だが彼らの目指す選手はすべて一致している。彼らの目指す選手、それはプジョーでありチャビでありバルデスでありガブリでありモッタでありオラゲールでありイニエスタであり、つまりバルサカンテラから育っていった選手たちだ。

このマシア寮は何らかの施設としてこれからもバルセロニスタの前から消えることはないだろう。だが、少年たちの寮としての機能はあと2、3年のものとなっている。新たに誕生するバルサ総合スポーツ施設、通称シウダー・デポルティーバに少年たちは引っ越すことになるからだ。年々狭くなりつつあるマシア寮に変わって新しい寮の建設、それは元会長であったヌニェスの長年の夢であり、そしてそれを現実化させたのがガスパー元会長だった。だがラポルタ政権の誕生により工事の進行具合はめっきりと遅くなってしまった。経費節減、それが理由だ。予定より半年遅れ、そして1年遅れようとしているシウダー・デポルティーバの完成。それでも、ここはエスパーニャ、いつかは完成される。

シウダー・デポルティーバに予定されているヌエバ・マシア寮は108人の少年たちが入れるキャパシティーを持っている。グランドも4つ作られており、もちろんジムやプールなどのスポーツ施設も予定されている。そしてこれまで通り彼らはここからスクールバスに乗って学校に通い、寮に戻ってきたら勉強と練習をこなす毎日となる。寮が引っ越しすることで環境こそ変わるものの、かつてのマシア寮での生活パターンと、そして最も大事な“マシア寮の精神”は変わることがない。

「フットボール選手としての育成もさることながら、一人前の人間として成長させるのがマシアの精神。多くの少年がこの寮にやって来るが、残念なことにまた多くの少年が他の道を探さなければならないことになる。だから我々指導者の目標は、彼らが大人になってからどんな社会に行くことになろうと立派な一人の人間として尊敬されるようになること、そのための教育がこの寮での最も大事なことだと信じている。そういう意味でいうならば、イニエスタやレオ・メッシーは幸運にも、もちろん才能があったからということを忘れてはならないが、フットボール選手として、そして人間性においてもマシア寮から育った理想的な人物と言えるだろう。そう、彼らは人間的も素晴らしい人物なんだ。」

そう語るマシア寮最高責任者のギジェルモ・アモール。彼はこのマシア寮を誰よりも知る人物であり、そしてマシア寮が誕生してからマシア出身の最初の一部チーム選手となった人物でもある。

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