4月8日 金曜日

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バルサ優位ベルナベウクラシコまであと2日

プジョー第一弾(砂浜散歩)、プジョー第二弾(カンプノウ散歩)、そして今日のプジョー第三弾はフットボール選手カルラス・プジョー編、つまりボールを使っての練習を早くも始めたプジョーとなった。木曜日の午前中の練習風景がこうだからして異常な速度での回復度と言える。

吠える黒豹サムエル・エトーが代表戦出場などでカメルーンに帰国すると空港に首相が迎えに来るという。もちろん空港やその周りには多くの地元住民が彼の帰国を歓迎するために押し寄せてくる。
“パパ・エトー!パパ・エトー!パパ・エトー!”
“パパ・エトー!パパ・エトー!パパ・エトー!”
“パパ・エトー!パパ・エトー!パパ・エトー!”
それが彼らの合い言葉。今では国の首相はおろか国王さえしのぐ国民人気と言われる彼が、なにゆえ“パパ・エトー”と呼ばれるのか。貧しい子供たちに教育の場を提供するというような趣旨で作られた民間団体などへの多額の寄付をしていることで知られているからパパ・ノエル(サンタクロース)から来ているのか、あるいは彼らにとって神みたいな存在だからホアン・パブロ・セグンドから来ているのか、あるいは単に尊敬の念を込めてそう呼ばれるのか、そこらへんは確かではない。いずれにしても彼はカメルーンだけではなくアフリカの英雄でもある。多くの人々が9番を付けたバルサユニフォームを着込んでいる。そしてそのほとんどが高価なオフィシャルユニフォームではなく5ユーロぐらいしかしないバッタモノ商品だ。貧しい経済状況にある彼らがバルサオフィシャルユニフォームを買えるわけがない。そういう貧しい経済状況に置かれて生活している彼らにとってサムエル・エトーはパパ・エトーとして英雄となる。

15歳の時にカメルーンでの生活を捨て、スペイン首都のクラブにやって来た。レアル・マドリのインフェリオールカテゴリーでプレーするためだ。マドリカンテラ選手となったエトーの最大の夢はいつかはベルナベウで白いオフィシャルユニフォームを着込んでプレーすることだっただろう。だがいくつかの状況がその夢をかなわないものとした。そしてそのクラブの最大のライバルであるバルサに入団するという皮肉な運命をたどる。
「ベルナベウではいつも死んだ気になってプレーしている」
そう語るサムエル・エトーは確かに他のスタディアムでのプレーより気合いが違うようだ。
「いや、ベルナベウだけじゃなく、本当はどこのスタディアムであろうが死んだ気になって走っているさ。」
そう付け足すことも忘れない。それは決してレアル・マドリに復讐をしようという気などこれポッチもないという意思表示だ。アフリカの英雄、吠える黒豹サムエル・エトーにとって、彼を最後まで受け入れなかったレアル・マドリに復讐するなんて小さいことはどうでもいい。彼のベルナベウでのゴールがとてつもない痛みでフロレンティーノの胸に突き刺さろうが、そんなことは彼には関係ない。アフリカを代表する選手として、そしてもちろんバルサを代表する選手として、ゴールを決めるためにひたすら走りまくるだけだ。

バモス!パパ・エトー!

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