クリスの移籍はクラブ間同士では合意!(2000年12月30日)

カタルーニャの地方テレビ局TV-3 の30日昼のニュースによると、クリスのクルセイロからバルサへの移籍はクラブ間同士では合意に達したと発表しました。
クリスティアーノ・マルケス・ゴメス。通称クリスの移籍料は13億ペセタになる見込み。ただ、最終決断をするのはセラ・フェレールで、彼はガスパー会長に1月2日まで検討させて欲しいと返事をしているとのこと。

Cristiano Marques Gomes "Cris"
1977年3月6日生まれ 23歳
180cm 77kg


休暇明けのバルサ医院(2000年12月29日)

クリスマス休暇も終わり、昨日から始まった練習に参加しなかった選手はけが人を除き2人。一人は腹痛でお家のベッドでお休みのオーベルマース。もう一人のオクノボーはクラブから許可をもらったお休みです。バルサ医院に入院中は4人で、アベラルド、ゼンデン(今日退院予定)、アルナウ、プジョー。ダニ、ドゥトゥエル、デラペーニャ、リトマネンはすでに退院許可がでています。

イノセンテェ〜、イノセンテェ〜(2000年12月29日)

昨日12月28日は、「El Dia de los Santos Inocentes」といわれ、昨日載せたような、大ウソ記事などが新聞に載ったりする、日本でいうエイプリルフールのような日です。でも、それよりもこの日は、子供達が、紙を人型に切って(写真)、街往く人々の背中にこっそり張り付け、そのまま歩いている人をみつけては、「イノセンテェ〜、イノセンテェ〜」とはやしたてて楽しむ、というのが典型的な行事(?)です。イノセンテェ〜(Inocente)とは、辞書で見ると、純真無垢とか、無邪気という意味ですが、ここでは、「や〜い、ひっかかった!」という感じでしょうか。


El Dia de los Santos Inocentes(2000年12月28日)

CHIQUITO紙「レアルマドリ、来期の監督にファンハール!」

ジェネラル・マネージャーのホルヘ・バルダーノは12月28日、マドリでおこなわれた年末特別記者会見で、「来シーズンの監督に、ファンハールを招聘することに決定した」と語りました。交渉は約一週間前から極秘でおこなわれていたようで、両者合意に到達するのは時間の問題のようです。年俸は7億ペセタ、3年契約。また、ファンハールは契約条項の中に、フランク・デ・ブー、ゼンデン、コクー、レイジハー、リトマネンの獲得を義務づけているようです。ちなみにこの5人のオランダ人のトータル移籍料は180億ペセタにのぼる見込み。

また、ファンハールはチームカラーを白一色から、白にオレンジ色を加えたナランハ・ブランコ色に変更して欲しいと要望しているといわれ、ホルヘ・バルダーノは、来年から新しい世紀に入るにあたって、この斬新な変更は「おもしろいかも知れない」と返答したもよう。これによって、100年の間続いた「白いマドリ」の歴史が閉じられることになりそうです。


El Dia de los Santos Inocentes(2000年12月28日)

SPORT紙「クーマン、プレイヤー兼コーチとしてバルサ復帰!」

オランダのクラブチーム、ビテッセの会長は12月28日記者会見を招集し、2000年オランダ最優秀監督賞に輝いたロナルド・クーマンをバルサに移籍した、と語った。この突然の移籍は、クラブが抱えている多大な借金による悪化した経済状態が原因と見られ、これによって得られるスペインマネーにより、クラブ経営がどうにか延命できるもよう。

また同時にカンプノウでも会長のジョアン・ガスパーが記者会見を招集し、クーマンの復帰を発表した。それによると、セラ・フェレールの補助コーチとしてだけではなく、ディフェンスの強化を図るためにプレイヤーとしての登録もなされるという。

「この移籍は、まさに一石二鳥といってよく、バッケロとのドリームチームコンビによるコーチ強化と共に、問題視されていたディフェンスの強化も解決された」とガスパーは語っている。

明るい将来のバルサが戻ってきた。


El Dia de los Santos Inocentes(2000年12月28日)

MARCA紙「とうとうバルサのユニフォームに広告が」

先週、ガスパー会長はヌニェス前会長と会見。そして昨夜、ヌニェスの会社が2年契約、300億でスポンサーとなることで同意をみた。

現時点では、バルサと、アスレティックのみがユニフォームに広告が入っていないが、これにより、FC Barcelona のユニフォームには「Nun~ez i Navarro」の文字が入ることになった。この収入によりいま噂されているベッカムを契約する可能性が大きくなった。


El Dia de los Santos Inocentes(2000年12月28日)

EL MUNDO DEPORTIVO紙「セラーデスとリベーラが、ダッカに向けて出発」

昨日、「パリ-ダッカ」ラリーに参加すべくスペインチームの面々が、バルセロナからパリに向けて出発。50人にのぼるスペイン人参加者の中には、締め切りぎりぎりで登録されたR・マドリッドの選手、セラーデスとリベーラの二人の姿がみられた。

450億もの借金を抱えるマドリ。つい先日日本からのフィーゴ、ロベルトカルロスを1試合10億で譲って欲しいという申し出を断らざるおえなかったフロレンティーナ会長は、セラーデスとリベーラをラリーに参加させ、支払われる報奨金を受けると発表。

19か国、353人が参加する「パリ-ダッカ」ラリーは2001年1月1日にパリを出発し、21日のダッカ着までの3週間行われる。しかし、セラーデスとリベーラのチームが最後まで走り通せるとは誰も考えてはおらず、彼らが、走り通した日毎に報奨金が払われていく。なおカップ戦に破れたマドリは、7日のアラベス戦までは試合がない。


El Dia de los Santos Inocentes(2000年12月28日)

AS紙「スペインフットボール協会が審判を一般募集!」

度重なる審判のミスジャッジに、いくつかのクラブから抗議が寄せられているスペインフットボール協会が、何回かの協議を重ねた結果、「一般からの審判募集」という斬新な提案を打ち出した。

募集要項は、視力に問題のない男性で週一回か二回、90分に渡ってエネルギッシュに笛を吹ける能力のある人ということと、過去においてフットボールを経験したことのない人、という二つのみ。年俸は一千三百万ペセタ。

また、この募集が予想に反して成功しない場合に備えて、日本サッカー協会とも連絡をとっているもようで、何人かの日本人審判のリーガデビューもありえるようだ。ただスペインフットボール協会としては、現在リーガで笛を吹いているロペス・ニエットとかカルモーナとかいう地味な名前の人ではなく、オカダ、ヤマモト、ミフネとかの「航空母艦」を想像させるような権威ある名前の審判を希望している。


産婦人科のことならフィーゴにご相談(2000年12月28日)

有名スポーツ選手達が自分のサイトを持っているのは今ではごく当たり前。最近なにやら賞をもらったという噂の白い選手はどうかな、とフィーゴのサイトを探してみたら・・・ありました、www.figo.com が。そしてそこはなんと産科・婦人科のお話で一杯。フィーゴってこんな特技があったんですね・・・って思ってはいけません。実は、下記の団体の頭文字がFIGOなんです。フィーゴってそういう意味だったんですね・・・?

Federacion(連盟)
Internacional(国際)
Ginecologia(婦人科)
Obstetricia(産科)


レアルマドリ、来期の監督にファンハール!(2000年12月28日)

ジェネラル・マネージャーのホルヘ・バルダーノは12月28日、マドリでおこなわれた年末特別記者会見で、「来シーズンの監督に、ファンハールを招聘することに決定した」と語りました。交渉は約一週間前から極秘でおこなわれていたようで、両者合意に到達するのは時間の問題のようです。年俸は7億ペセタ、3年契約。また、ファンハールは契約条項の中に、フランク・デ・ブー、ゼンデン、コクー、レイジハー、リトマネンの獲得を義務づけているようです。ちなみにこの5人のオランダ人のトータル移籍料は180億ペセタにのぼる見込み。

また、ファンハールはチームカラーを白一色から、白にオレンジ色を加えたナランハ・ブランコ色に変更して欲しいと要望しているといわれ、ホルヘ・バルダーノは、来年から新しい世紀に入るにあたって、この斬新な変更は「おもしろいかも知れない」と返答したもよう。これによって、100年の間続いた「白いマドリ」の歴史が閉じられることになりそうです。

*Granaの部屋を参照


Ceuta へは、陸・海・空(2000年12月25日)

1月3日の Copa del Rey の試合には、アフリカ大陸にあるCeuta まで行かねばならないバルサですが、実はこのCeuta にある空港は、軍事用のもので、一般旅客機は離着陸できません。そこで、ここまでどうやっていくか検討した結果、バルセロナからマラガまで飛行機、マラガからアルヘシラスまでバス、アルヘシラスからセウタまで船で行くことになりました。なんと、陸海空すべての交通機関を駆使した行程になります。

一方、バルサを迎えるセルタは6000人収容のスタジアムを3500席増やすことを検討中。そしてチケットは6000〜15000ペセタで販売する事に決定(ソシオは半額)。チケット申し込みはすでにたくさんきていて、その多くはバルサファンの多いモロッコからということです。


クリスマスはカンプノウ見学(2000年12月24日)

12月23日から31日まで(25日を除く)の10時から14時まで、普段は入ることができないカンプノウの選手控え室や、貴賓席などをソシオとその家族に開放します。これは数年前から始まったことで、毎年大勢のファンが押しかけ、一流のスタジアム・カンプノウの施設を見学。ペップやリバルドが座ったかもしれないベンチなどで記念撮影。これはカンプノウだけでなく、そのそばにある2部のためのミニスタディオや、アイススケート場なども含まれ、1周するのに約1時間半かかります。初日の昨日は雨だったため出足は悪かったようですが、今日からの3連休、天気も回復の向かいそうなので、家族連れで一杯になるでしょう。


1年がかりの免許(2000年12月23日)

毎年クリスマス前にクラブ関係者や選手達が一緒にクリスマスディナーをとりますが、それにXaviが遅れて、でもうれしそうに到着。理由は・・・ちょうど1か月前にこのGranaの部屋でXaviの運転免許のことを話題にしたことをおぼえていますか? そう、やっととれたのです、免許が。その手続きで、ちょっと遅れてしまったわけですが、1年がかりで取れた免許、うれしいでしょうね。でも、白くなった誰かさんみたいに酔っぱらい運転(*)はダメよ。

* 先日セラーデスとリベーラが、マドリッドで自動車事故をおこしたこと。そのとき夕食で飲んだワインから、アルコール反応がでて、飲酒運転と報道された。


プジョーの負傷は3か月(2000年12月22日)

20日に膝の手術をしたプジョーですが、回復まで3か月かかると発表されました。まず2週間は歩くのに松葉杖が必要。その後は手術跡の筋肉の快復がすめば、軽い練習から始めらるということ。負傷は、シドニーオリンピックの試合で、膝を強く蹴られたこと原因ですが、カップ戦のGandia対戦で、コンディションの悪いグラウンドでプレーしたことによってひどくなったということ。


1月3日はアフリカ大陸(2000年12月21日)

今日(21日)、COPA DEL REY 1/16の組み合わせが発表されました。バルサは2部Bの第4グループ CEUTA と当たります。このチームはアフリカ大陸にあるスペインの飛び地にあります。

このほか、TENERIFE が DEPORTIVO と。前回 R. MADRID をやぶった TOLEDO はまたマドリッドのチーム RAYO VALLECANO と当たります。詳しくはDATA欄を。


二世代対決(2000年12月20日)

27年前の1973年12月23日、バルサはカンプノウでアトレティコを2-0で破る。前半43分、Rexach のセンタリングは高くあがり、そのままラインを切るかに見えた。が、Cruyff が走り込んで大きくジャンプ。まるでアクロバットのような姿勢からのシュート。アトレティコのキーパー Reina はなすすべもなくボールがゴールにはいるのを見送るだけだった。

この年入団した Cruyff はカンプノウでの5試合目。一方 Reina は、この年バルサからアトレティコに移籍したばかり。これから2か月半後、1974年2月9日に Jordi Cruyff が生まれる。そして8年後の1982年8月31日に Jose Manuel Reina の誕生。2000年12月20日、27年たった今日、それぞれの息子が立場を逆にし、再び対決。カンプノウでの二十世紀最後の公式試合。どちらに軍配が上がるか・・・。


カタルーニャ代表にバルサから6人(2000年12月20日)

12月22日に行われる Catalunya - Lituania の親善試合の最終メンバー20人を Angel 'Pichi' Alonso 監督が発表しました。負傷などで何人か予定されていた選手が抜けていますが(Puyoi、Dani など)、監督は、このチームは代表チームの中では第3カテゴリーで、ベルギーやスコットランドよりもほんの少し上に位置すると、評しています。Lituania のチームは今日の午後バルセロナに到着しています。

[FC BARCELONA]
REINA、SERGI、GERARD、GUARDIOLA、XAVI、GABRI
[ESPANYOL]
CRISTOBAL、SOLDEVILLA、ROGER、SERGIO、OSCAR、TAMUDO
[AT. MADRID] TONI [ZARAGOZA] AGUADO [VILLARREAL] QUIQUE ALVAREZ [MALLORCA] SOLER [ALAVES] GELI、JORDI CRUYFF [R. MADRID] CELADES [NUMANCIA] RUBEN NAVARRO


こちらバルサ医院(2000年12月19日)

前回の入院選手の中に、リバウドという大物を落としてしまいました。しかし、彼は今日無事退院したようで、明日の今世紀最後の試合にはでられると言うこと。ドゥトゥエルもほぼ完治したようで、本人はアラベス戦にでたいと意思表示をしていますが、まだ試合には早すぎると医師のOKはでないようです。そのほか、プティも間に合いそうもない。ダニ、デ・ラ・ペーニャも最後の調整。

そして、新たに長期入院になったのが、プジョー。結局手術をすることになりました。医師ははっきりした期間を言うのは避けていますが、回復までにだいたい2か月半から3か月かかるだろうということです。なお、プジョーはGandia戦のあとに痛みを訴えていますが、負傷の発端は、シドニーオリンピックで受けた打撲であると見られています。


今月のブラウグラナ(2001年1月28日)

ブラウグラナは、青(Blau)と赤(Grana)のバルサカラー。今月のお薦めは、ドミノ。ドミノというとドミノ倒しを思い出す人が多いでしょうが、こちらでは本来のゲームとして人気があります。そしてツウはこのバルサカラーで遊ぶ。


犬も歩けば棒に当たる、バルサが蹴ればポストに当たる
(2000年12月17日)

シュートが、ゴールポストに当たると「お、おしいぃ!」と思わず声が出ますが、こんなにいつもポールに当たると「いい加減にしろ!」と叫んでしまいそう。昨日のラーヨ戦では3回もゴールポールで跳ね返りましたが、これだけではありません。今シーズン、バルサはなんと15回もゴールポストに向かってシュートしています。あまり、楽しくないデーターですが・・・。

1回  Barcelona-Racing (Rivaldo)
1回  R.Sociedad-Barcelona (Rivaldo)
3回  Barcerona-R.Madrid (Alfonso, Simao, Cocu)
1回  Barcelona-Numancia (Xavi)
1回  Las Palmas-Barcelona (Rivaldo)
3回  Barcelona-Osasuna (Overmars, Kluivert)
1回  Celta-Barcelona (Abelardo)
2回  Barcelona-Espanyol (Simao, Kluivert)
3回  Rayo-Barcelona (Simao, Kluivert, Overmars)


i i i i i i i i i i おめでとう (2000年12月16日)

1990年12月16日バルサ-ベティス(2-0)戦、クライフの指揮のもとで、19歳のグアルディオーラが10番の背番号をつけ、カンプノウでデビューしてから、ちょうど今日で10年目。この間、353試合、16タイトルを獲得しています。おめでとう、グアルディオーラ!!(タイトルの i は、ろうそくのつもり)


COPA DEL REY 組み合わせ(2000年12月15日)

次回の COPA DEL REY 1/16 の組み合わせ抽選は21日に行われます。試合は2001年1月3日。先日の方式と同じく一発勝負で、下位グループのグラウンドで行われますが、もし、同じグループの場合は、くじ引きになります。


こちらバルサ医院(2000年12月15日)

先日の国王杯のGandia戦で、アベラルドが負傷。完治まで3週間ほどかかると言われています。ディフェンス陣が手薄になっているところ、昨日プジョーもGandia戦で負傷していることが判明。プジョーは昨日右膝の痛みを訴えながらも練習に参加しようとしていたところを、医師に止められ検査。今日はっきりした結果がでる予定ですが、最悪の場合は手術が必要になるかもしれないほどの重傷のようです。不思議なのは、いつ負傷したか分からないこと。Gandia戦で後半すぐに受けたファールが原因と思われていますが、24時間すぎてから痛みだしたそうです。

そのほかの現在入院中の選手は、ゼンデン、アルナウ、ドゥトゥエルで、オーベルマースもいまだに、完治はしていません。なおシマオは昨日ふつうに練習に参加したということ。


UEFA CUP の組み合わせ決まる(2000年12月13日)

バルサはギリシャのチーム AEK ATENES と当たることになりました。そしてこれに勝てば、次の準々決勝は、STUTTGART - CELTA の勝ったチームと当たることになります。詳しくは DATA 欄をご覧ください。


先立つものが・・・(2000年12月13日)

スペインでは入場料は試合によって違うのがふつうです。バルサやR・マドリッドなどのチーム相手の時はチケット料金は跳ね上がります。特に昨日行われたGandia とバルサの試合などは、一生に一度見られるかどうかという試合のため、高いお金を払っても見ようとする人でいっぱい。Gandia の普段のチケット収入は1試合につき3万ペセタだそうですが、昨日のバルサ戦では2500万ペセタの売り揚げがあったとか。

なお11月の News のコーナーに、Gandia はバルサ戦のため観客席を増やすことにした、と書きましたが、実際試合が始まってみると、結局増やされてないことが判明。収入が倍増したのに・・・どうして? じつはその工事の見積もりを頼んだとところ高すぎて払えないということになり中止になったんだそうです。


ダービーに圧倒的強いバルサ(2000年12月11日)

バルサ対エスパニョールのダービー、遅ればせながら、例によって統計を見てみると、バルサが圧倒的に強い。なんと、エスパニョールは81-82のシーズンに勝って以来18年間一度も勝っていません。引き分けも、85-86年に一度あったきりで、あとはすべてバルサの勝ち。この18年間でバルサは49ゴール、一試合平均2.72ゴールに対し、エスパニョールは15ゴール、一試合平均0.83ゴールです。


バルサソシオがスペイン国王になるかも(2000年12月8日)

FC Barcelona はフットボールだけでなく、バスケットやホッケー、ハンドボールなどのチームを持っていることはご存じでしょう。では、国王の次女が、ヨットの選手として参加していたアトランタオリンピックで知り合い結婚したハンドボールの選手が、バルサの選手 In~aki Urdangarin (シドニーオリンピックを最後に選手を引退)だということはご存じでしょうか。そのお二人に3日前、2人目の男の子が誕生。長男に続き、次男の彼にもバルサの会員証が発行されました。王様にとって4人目の孫で、王位継承権は第7番目になります。生まれながらのバルサソシオが王室に2人も。


UEFA CUP、ほっと一息(2000年12月8日)

Brujas 戦後半はブーイングがでるなど、勝ち進みはしましたが、未だファンを納得させるプレーが見られないバルサ。よいニュースといえば、グアルディオーラがスタメンで出場したことと、これで UEFA CUP のことは来年の2月まで考える必要がなくなったこと。レイナのカンプノウでのデビューはペティとの意志の疎通がうまくいかず、ゴールを決められてしまいましたが、無事に終わったとといえるでしょう。もっとも、ほとんど活躍する機会はありませんでした。

なお、来週の水曜日(13日)に UEFA CUP 1/8と1/4の両方の組み合わせの抽選が行われます。1/8の試合は2月15日と22日です。


0-2に負けなし(2000年12月6日)

明日(7日)、UEFA CUPの試合は、Brujasとカンプノウで第2戦目。Brujasの監督は、前回は事前にスターティングメンバーを発表したため、セラ・フェレール監督に対策をじっくり練られてしまったと、今回は、ぎりぎりまで発表しないということ。フエラで0-2と勝ってるバルサはかなり有利ですが、Brujasはその油断をつこうと狙っています。

しかしご心配なく。ヨーロッパの試合において、第1戦目をフエラで0-2の時は、必ず勝ち残っています。しかもホームでの第2戦も勝っています。では、例によって統計を。

1959-60 Copa de Europa 1/8 Milan-Barcelona (0-2/5-1)
1961-62 Copa de Freias 準決勝 Estrella Roja- Barceona (0-2/4-1)
1963-64 Recopa 1/16    Shelbourne-Barcelona (0-2/3-1)
1980-81 Copa de UEFA 1/32 Sllema-Barcelona (0-2/1-0)
1986-87 Copa de UEFA 1/8 B.Uerdingen-Barcelona (0-2/2-0)
1988-89 Recopa 1/16 Fram-Barcelona(0-2/5-0)
1991-92 Champions League D.Kiev-Barcelona(0-2/3-0)


エウセビオ、500試合達成!(2000年12月4日)

元バルサのドリームチームの一員で、現在バリャドリ所属のエウセビオが、12月2日に行われたバレンシア戦で一部リーグでの500試合という記録を達成しました。スペインリーグの10番のポジションを持つ選手でこの記録に達している選手はいません。近いところでは、BAKERO(483)、JOAQUIN(479)、あるいはアタッカーの SANTILLANA(461) などです。もっともキーパーなら、ZUBIZARRETA(622)、BUYO(542) といますし、ディフェンダーでは SANCHIS(522) が未だ記録を更新中です。

「プレーヤーは、近年ますます肉体的に強靱になり、スピードも増してきている。しかしテクニックに関して変わりはない。プレーの流れが停滞したときが、僕の出番なんだ」と、自分の役目を語るエウセビオという選手をクライフはかつてこう書いています。「彼は、4つの違うポジションで、それぞれにあったすばらしいプレーをできる選手だ。ボールをまるで仲間の一人のように扱う。彼にとってボールは彼の目的、ゴールのためのバスを出すという目的を遂げるのを手助けしてくれる友達なんだ」

また、エウセビオはバルサ時代をこう語っています。「ドリームチーム時代については特にプレーに関して懐かく思い出す。他にクライフのバルサのようなプレーをするチームを見たことがない。たぶんファン・ハールのアジャックスがボールのキープ、パス回しの美しいプレーがかなり近いと思う。でも、90年代のバルサのスピードはどこを探してもない。あのころは、プレーをするのが楽しかった。選手達はそれぞれ個性的だったが、一つによくまとまっていた。年齢も同じくらいだったし、プレーも知的で、グラウンド上でみんな生き生きしていた」

EUSEBIO SACRISTAN 経歴
1964 年 生まれ
1984 年1月1日 Valladolid 第1試合目
1987 年 Atletico
1988 年 FC Barcelona
1995 年 Celta
1997 年 Valladolid


ドゥトゥエルの続報(2000年12月3日)

今日の午後の発表によると、ドゥトゥエルのケガは思ったより軽いかもしれません。月曜日に検査の結果がでるということで、それを待たなければはっきりとは言えませんが、ただの打撲という可能性が十分あるということです。


ドゥトゥエル、負傷(2000年12月3日)

昨日のセルタ戦で、前半終了寸前にカターニャのファールから膝を負傷し、交替したドゥトゥエル。今日の検査の結果を見ないことにははっきりしたことは分かりませんが、完治までに1か月はかかるだろうといわれています。アルナウに続くドゥトゥエルの負傷と、バルサにとってキーパー受難が続きます。しかし、これで、レイナがデビューとなり、バルサのカシージャとなるのではと、思っている人もいるはず。キーパーについては、ベティスのプラッツとの契約の噂もでてはいますが、クラブ側は、レイナとビクトール(バルサCの17歳のキーパー)で十分だと思っている、とコメントしています。


エスパニョールにまた日本人選手!(2000年12月2日)

エスパニョールに、来年の1月から西澤以外にもう2人日本人選手が加わりそうです。 名前はタカノとシノダ。先日契約のためにバルセロナに訪れている2人は1部の練習にも参加。来週の月曜日には細かい取り決めがなされる模様です。

・・・・実はこの2人、ただいま13歳。来年の1月からエスパニョールの少年の部に入るための手続きで、現在両親とバルセロナを訪れています。西澤に続くハポン(日本)ラッシュのエスパニョールですね。


カタルーニャ代表試合(2000年12月2日)

12月に予定されているカタルーニャ代表の親善試合の相手がリトアニアに決まりました。ここNews(10月26日)でも取りあげたように、当初予定していたポルトガルにフィーゴがらみのことから断られ、その後オーストラリアとの交渉も失敗していました。しかし、打診していたリトアニアから昨日承諾の返事をもらい、予定通り12月22日に試合が行われることになりました。リトアニアの選手には、現在レアル・ソシエダ所属の Edgaras Jankauskas などがいます。


フィーゴ御一行様 歓迎(2000年12月1日)

オサスナ戦のためにパンプローナについたフィーゴを待っていたのは、盛大な紙吹雪と歓声。もう少し詳しく言うと、「コピーしたお札の」紙吹雪と「ペセテーロ!」「湯田!」の大歓声。

歴史的にオサスナはアンチマドリの多いところ。しかし今回のはいつもより激しく、趣向も違う。飛行場からホテルに向かう道にはバルサのイムノが流れ、アンチフィーゴの垂れ幕がマドリの選手達を乗せたバスを迎えていました。

湯田はどこへ行っても湯田?!


Brujasの連勝ストップ(2000年12月2日)

Brujasは先週、地元での試合に勝ち、ベルギーリーグ初の14連勝という記録を作っていました。そして昨日は Anderlecht との対戦。実はこの Anderlecht も今まで負け知らずのチームで、6ポイント差で2位につけていました。結果は2-0で Anderlecht の勝利。Brujasの連勝は終わりを告げたようです。やっぱりUEFAよりはCLの方が上ということでしょうか。でも、イタリアは Roma が1位だけど。


「新たなるスタートの12月」(2000年12月1日)

さて「魔の11月」が終わりました。11月2日のこのNewsの欄の記事を読み返し、以下のデーターと比較してみましょう。

[00-01] (全7試合 勝ち-4 引き分け-1 負け-2)
リーグ
 FC BARCELONA 1 - 1 NUMANCIA
 LAS PALMAS 0 - 1 FC BARCELONA
 FC BARCELONA 1 - 2 VILLARREAL
 ZARAGOZA 3 - 1 FC BARCELONA
 FC BARCELONA 2 - 0 OSASUNA
チャンピオンズリーグ
 FC BARCELONA 5 - 0 BESIKTAS
UEFA CUP
 BRUJAS - 0 - 2 FC BARCELONA

数字だけ見れば、過去3年間よりはましですが、なんといってもチャンピオンズリーグ敗退という結果は「魔」に値するでしょう。試合内容もいまいちでした。しかし「魔の11月」はとにかく終わったということで、次は「新たなるスタートの12月」です。

「新たなるスタートの12月」の試合予定
リーグ
 CELTA ---- FC BARCELONA
 FC BARCELONA ---- ESPAN~OL
 RAYO ---- FC BARCELONA
 FC BARCELONA ---- ALAVES
UEFA CUP
 FC BARCELONA ---- BRUJAS
COPA DEL RAY
 GANDIA ---- FC BARCELONA