一番はダ〜レ?(2001年1月30日)

現在、フットボール選手の年収をはどのくらいなんでしょう。誰が一番高給取りなのか・・・。まず、初めて10億の壁を破ったのは、マドリの RAUL で、一昨年終わり年収11億としました。それから半年たった今シーズンはじめには、リバルドが同じく年収11億とし、並んでトップに。その他、ローマの BATISTUTA も10億5千万と10億を超えています。しかし、それで止まったわけではありません。今度はインテルのRECOBA が13億5千万と更新。なお、噂のFIGOは年収8億5千万と、もはや後れをとった形。しかし、RECOBA のトップの座も風前の灯火。というのは、マンチェスターUの BECKHAM が現在の3億8千万から、一気に14億の年収を要求しているからです。

しかし、ことはこれでは済みそうもありません。同じチームの GIGGS や COLE も契約切れを切り札に BECKHAM と同じくらい要求をしてきそうですし、イタリアでも RONALDO や VIERE など黙っていない選手は名を連ねています。

現時点でのプレミアリーグでのトップはミドルズバーグの BOKSIC の9億。それにFOWLER(8億)、KEANE(7億8千万)、SHEARE(6億)と続きます。イタリアでは前述の RECOBA 、BATISTUTA に続き、ローマの TOTTI とラッツィオの CRESPO の9億5千万。一方、ヨーロッパを離れると一気に額は下がります。南米で一番の高級取りはROMARIOですが、たったの5億8千万しかないそうです。


国王杯・カタルーニャダービー(2001年1月29日)

今回のカップ戦では、バルサ、エスパニョール共に、ここにきて初めて1部のチームと当たることになり、それがダービーというおまけ付き。30日(火曜日)の第1戦はエスパニョール地元、モンジュイックのオリンピック競技場。過去にカタルーニャダービーのカップ戦が1度だけここで行われています。それは、1957年の決勝戦で、1-0でバルサが優勝しています。それ以外では13回当たっていますが、結果はバルサの8勝5敗。詳細は以下に。

なお、95-96の最後に戦われた試合を経験している選手が現チームに合計10人います。バルサは、Guardiola、Sergi、Abelardo。エスパニョールには、Cristobal、Artega、Lardin、Nando、Benitez、Roger、Oscar がいます。最後の2人はそのときはバルサのユニフォームを着ていました。なお、つい先日移籍した Pochettino もいました。

TEMPORADA
FASE
IDA - VUELTA
IDA
VUELTA
CLASIFICADO
1928-29
準決勝
Espanyol-Barcelona
2-0
1-1
Espanyol
1935-36
準々決勝
Espanyol-Barcelona
2-1
0-3
Barcelona
1939-40
準々決勝
Barcelona-Espanyol
0-2
1-1
Espanyol
1940-41
1/8
Barcelona-Espanyol
1-2
3-4
Espanyol
1941-42
準々決勝
Espanyol-Barcelona
2-3
2-3
Barcelona
1955-56
準々決勝
Espanyol-Barcelona
3-1
4-4
Espanyol
1956-57
決勝
Barcelona-Espanyol
1-0 Barcelona 優勝
1960-61
1/8
Barcelona-Espanyol
2-3
1-2
Espanyol
1963-64
準々決勝
Barcelona-Espanyol
3-1
4-2
Barcelona
1969-70
1/16
Espanyol-Barcelona
2-1
1-3
Barcelona
1973-74
準々決勝
Espanyol-Barcelona
1-1
0-2
Barcelona
1984-85
準々決勝
Espanyol-Barcelona
0-2
0-3
Barcelona
1987-88
1/8
Espanyol-Barcelona
1-3
0-1
Barcelona
1995-96
準決勝
Barcelona-Espanyol
1-0
3-2
Barcelona


今月のブラウグラナ(2001年1月28日)

ブラウグラナは、青(Blau)と赤(Grana)のバルサカラー。今月のお薦めは、ドミノ。ドミノというとドミノ倒しを思い出す人が多いでしょうが、こちらでは本来のゲームとして人気があります。そしてツウはこのバルサカラーで遊ぶ。


00〜01 リーグ前半結果 - 全チーム編(2001年1月27日)

バルサ編に続いて、リーグ全体の前半のいろいろなデータを出してみました。DATA欄「00〜01 リーグ前半結果-全チーム編」に載せましたのでご覧ください。


半年分の給料で買えるマンション(2001年1月26日)

日本で、マンションといえば、中高層ビルの集合住宅の一戸を指しますが、元々の意味は、一戸建ての大邸宅のこと。

ではマドリッドの高級住宅地にある600平米のマンションをご紹介しましょう。なんと、8つの風呂、プール2つ、サウナ、遊技場、ジムなどがついてたった8億ペセタ。欲しいですか? 申し訳ございませんが、すでに買い手は決まっておりまして、ただいま内装工事中。ふつうは最低でも20年ローンをお組みになりますが、このお客様の場合はなんと、半年の給料でお支払いができ、内装工事費などは、ちょっとした臨時収入でまかなえるそうです。もちろんこのお客様、これが初めての持ち家ではないそうで、すでにいくつか所有されているとのこと。お客様のお名前ですか? ちょっとお待ちください・・・どこかに書き留めておいたはず・・・・あっ、ありました。お名前は「ルイス・ユーダ・フィーゴ」様。


こちらバルサ医院(2001年1月25日)

昨日の練習中に右膝後ろに痛みを訴え練習を最後までできなかったグアルディオーラの土曜日のマラガ戦出場が危ぶまれています。医師の発表では、今後48時間回復の様子を見て、マラガ戦にいけるかどうか決めると言うことです。


00〜01 リーグ前半結果 - バルサ編(2001年1月23日)

リーグ戦半が終わったところで、36ポイントのバルサ。これはファンハールの過去2シーズンの34ポイントより良い成績。ただし、ファンハール最初の年は40ポイントで前半を終えています。前半の色々なデータをDATA欄「00〜01 リーグ前半結果-バルサ編」に載せましたのでご覧ください。


Campion de Invierno(2001年1月22日)

リーグは19試合終わり、次から折り返しに入ります。この段階でのトップのチームを Campion de Invierno(冬季チャンピオン)とよびます。今シーズンは、レアル・マドリッドがその地位を獲得。バルサは追い上げ、3ポイント差で3位につけています。

では、リーグ終了時のCampion de Liga と、この Campion de Invierno の関係はどうなっているか、過去10シーズンのデータをみてみましょう。

 シーズン
Campion de Invierno
Pt
Campion de Liga
 Pt
1990-91 FC. BARCELONA 31
冬季と同じ
57
1991-92 R. MADRID 31
FC. BARCELONA
R. MADRIDは2位
1992-93 DEPORTIVO 30
FC. BARCELONA
DEPORTIVOは3位
1993-94 DEPORTIVO 29
FC. BARCELONA
DEPORTIVOは2位
1994-95 R. MADRID 29
冬季と同じ
55
1995-96 AT. MADRID 49
冬季と同じ
87
1996-97 R. MADRID 49
冬季と同じ
92
1997-98 FC. BARCELONA 40
冬季と同じ
74
1998-99 FC. BARCELONA 34
冬季と同じ
79
1999-00 DEPORTIVO 37
冬季と同じ
69

ご覧のように7シーズンは Campion de Invierno のチームがそのまま優勝していますが、3シーズンは優勝できませんでした。そしてそのとき優勝しているのは、3シーズンともバルサ。今シーズンのバルサはこれを狙います。


記録は作られ、破られる(2001年1月21日)

バルサは更新、バレンシアはストップ 昨日のバレンシア戦で、バルサの無敗記録が14に更新。一方バレンシアは昨日で、地元メスタジャでの無敗記録がストップ。なんとバレンシアは昨年の1月23日の試合(99-00 23節)から、地元で18試合負け知らずだったのです。しかし、1年目にしてこの記録はバルサによってストップされました。

初記録 昨日イエローカードを2枚もらって退場になったルイス・エンリケ。1部でプレーして4回目の退場ですが、バルサのユニフォームを着てからはこれが初めて。前のチームではヒホン時代に1回、マドリ時代に2回あります。


闘牛じゃなくって狂牛・・・病(2001年1月20日)

狂牛病のニュースが一時収まっていたかと思われましたが、このところまたぶり返しています。スペインの牛は大丈夫といわれていたのが、数か月前にガリシア地方で感染していると見られる牛が発見されてから一気に牛肉の売り上げが落ちているということです。それはバルサの選手達の食卓も例外ではありません。

集中キャンプや、遠征に行ったときの選手の食事に責任のあるバルサの専任医師は、2か月前からすでに、牛肉はあまり食卓には出さないように指示しています。以前は1週間に1回は牛肉が食卓にでていましたが、最近は滅多に見られません。もともと、体のためには牛肉よりも鳥肉や魚の方がよいとされていますので、栄養に関しては問題ありません。ただ、どうしても牛肉を食べたいという人のために、数人分は牛肉のメニューも用意してあるということですが、その牛肉も厳しいチェックを通過したものだけが使われています。医師の話によれば、2か月ほど前から牛肉を食べたがらない選手がでてきたということ。そしてこの措置は、牛肉が本当に体に悪い影響を与えるのを心配してというよりも、選手の狂牛病に関する不安感を沈めるためという精神的な理由の方が大きいということです。


コクーが契約更新(2001年1月19日)

以前から話し合われていたコクーの契約更新について、ようやく同意にたっし、昨日コクーがサインしました。これで、コクーの契約は2年間更新し、2003年6月30日までとなりました。また違約金はいままでの50億ペセタから倍の100億ペセタ。「多少問題があったのでここまで長引いたが、すべて解決して非常にうれしい。これが最後の契約更新にならなければいいと思う。僕はまだ30歳だし、あと4〜5年はやれると思う。できることなら、バルサの選手で引退したい」とコクー。


Copa del REY 抽選速報(2001年1月19日)

ESPANYOL - FC BARCELONA

2部Bのチームに3回当たったあとは、いきなりダービー戦になりました。西澤がらみで日本でも盛り上がりが予想。他の組み合わせはDATA欄をご覧ください。


バレンシア戦は派手な試合をお約束(2001年1月18日)

16日のカップ戦では0-0とゴールが見られませんでしたが、過去のデータをみると、バレンシア戦はゴールラッシュが期待できそう。ただし、バルサ側だけではありません。過去3シーズンでバレンシアで行われたバルサ戦は7回。合計28ゴールで、両チーム仲良く14ゴールずつと半分。ただし、結果は地元バレンシアの4勝、バルサ3勝とバレンシアの勝ち。しかも最近4試合をバレンシアは勝っています。この3シーズンでなく、今まで65試合あったこのカードは、バレンシア116ゴール、バルサ106ゴールと、いつも派手な試合が期待できそう。

1197-98 Valencia 0 - 3 Barcelona(リーグ)
      Valencia 1 - 3 Barcelona(国王杯)
1198-99 Valencia 1 - 3 Barcelona(リーグ)
      Valencia 4 - 3 Barcelona(国王杯)
1199-00 Valencia 1 - 0 Barcelona(スーパーカップ)
      Valencia 3 - 1 Barcelona(リーグ)
      Valencia 4 - 1 Barcelona(チャンピオンズリーグ)


ピカソよりバルサ!(2001年1月17日)

カタルーニャの美術館・博物館で一番入場者の多いところは、ピカソやダリではなく、バルサ博物館。1999年に続き、連続2年トップの座に輝きました。

1位のバルサ博物館は、1,156,090人、2位はピカソ美術館の1,026,546人。そして3位に804,647人のダリ美術館が続きます。ちなみにミロ美術館は5位の501,925人。

一番入場者の多い月は7月で236,476人、次いで8月とやはり観光客の多い夏に集中。これは、1992年バルセロナオリンピックのため閉鎖した年を除いて、毎年同じ傾向。反対に一番少なかったのは11月の23,675人。それでも創設された1984年の年間19,432人より多いですね(下記のデータ参照)。

訪れる人たちの内訳は、団体が一番多く36%を占めます。次に個人の大人のファン(25%)、ソシオ(会員 16%)やペーニャ(ファンクラブ 9%)の人たちと続きます。

バルサ博物館入場者数
1984年
19,432人
  1993年
359,395人
1985年
133.052人
1994年
538,077人
1986年
155,733人
1995年
609,805人
1987年
232,877人
1996年
729,221人
1988年
243,930人
1997年
841,838人
1989年
241,919人
1998年
927,024人
1990年
282,568人
1999年
1,154,604人
1991年
428,728人
2000年
1,156,090人
1992年
325,127人
  (92年はオリンピックのため7〜8月閉鎖)

試合も観客席も寒々(2001年1月17日)

GIMNASTICA 戦は、とにかく準々決勝に進めたのでよしにしよう、というのもはばかられるような試合内容。選手達もそれは認めているようで、アルフォンソは、次のバレンシア戦では、違うバルサを見せるから心配するな、といっていますが・・・。

今日(17日)の午後、残りの7試合が行われ、1/4 Copa del Rey に進むチームが決まります。組み合わせ抽選は19日(金曜日)正午に行われます。今回はシードはありません。試合は、1月31日と2月7日です。


GIMNASTICA 戦こぼれ話し - カンプノウ編(2001年1月17日)

2泊(バス泊)1日 GIMNASTICA の選手達は、月曜日の夜中1時頃に14時間かけてバスでバルセロナに着き、月曜日はバルセロナで1泊。しかし、同じくバスでTorrelavega の町から応援に駆けつけた500人のファンは、火曜日の朝にバルセロナにつき、試合後すぐにバスで帰途に。

Tu siempre negativo GIMNASTICA の選手達は月曜の練習後、カンプノウを見学し、グラウンドで記念撮影などすっかり観光気分。選手の一人は、試合後に監督が記者会見をするところに座り、ファンハールがいやな質問をする記者に対してどなった有名な言葉「Tu siempre negativo(君はいつも否定的だ)」の真似を。

ユニフォームは欲しいけどあげない GIMNASTICA の選手達は試合後のユニフォーム交換にちょっとドキドキ。バルサの選手のユニフォームはもちろん欲しいけど、自分たちのユニフォームは次のリーグ戦に着るものがなくなってしまうのであげられない。もっともバルサの選手が欲しがるとは思えないので大丈夫、と思っていたとか。

観客5人につき1人の従業員 昨日の試合、カンプノウはガラガラの15000人。しかし、相手が2部のBでも、観客が少なくても普段の試合と同じように3000人の従業員が働いていました。


ペアなら一番(2001年1月15日)

18節終わっての得点王は、アラベスのハビ・モレーノの15ゴールですが、ではチームの得点の多い2人を足したらどうなるでしょう。ここで書くからには、もちろんバルサのリバルド&クライハートが一番。

バルサ(22)   RIVALDO(12) + KLUIVERT(10)
アラベス(19)   JAVI MORENO(15) + IVAN ALONSO(4)
マドリッド(16)  RAUL(9) + GUTI(7)
バレンシア(15)  CAREW(8) + JUAN SANCHEZ(7)
マラガ(15)    DELY VALDES(9) + DARIO SILVA(6)

リバルドの多いゴールについては前の100ゴールの記事で触れていますが、それはクライハートも同じ。98-99(15ゴール)、99-00(15ゴール)で、両シーズンとも18節では5ゴールのみでした。それに比べ、今シーズン負傷で休んでいたにもかかわらず、すでに10ゴール。このままいけば彼のシーズン記録の18ゴールは軽く更新できそう。


一回休み(2001年1月14日)

昨日のバジャドリ戦でもらったカードのため、次の試合に出られない選手が2人でています。一人はペティ。Pachon へのファールでもらったアマリーリョ(黄)で5枚目となり、次のリーグ・バレンシア戦にはでられません。またロハ(赤)をもらったアベラル審査の決定を待たねば何とも言えませんが、次のカップ・Gimnastica 戦にでられないのは確実と思われます。


Megia Davila という審判 (2001年1月14日)

昨日のバジャドリ戦を吹いたのは、Megia Davila というマドリッド出身の審判。この審判は昨日だけでなく、以前にも話題にのぼった審判。例えば、4年前のエスパニョール-バルサ戦でFIGOを退場させ、バルサにペナルティを2つ科しています。一つはコウトのハンドですが、一方エスパニョール側のハンドは見逃しているなど、今回の試合も含め、両チームに同じ規定で吹いていない。もっとも、彼はバルサだけにひどいということではなく、他にも彼のジャッジのためにつらい思いをしたチームは多いのです。まだ1部にいたころのテネリフェもその一例ですが、そのときの相手はバルサでした。なお昨シーズン、一番カードを多く出した審判が、Megia Davila です。


こちらバルサ医院(2001年1月12日)

先日のGIMNASTICA 戦でのコンディションの悪いグラウンドのため、セルジがダウン。負傷とまではいきませんが、筋肉疲労のため、明日のバリャドリ戦出場は危ぶまれています。一方以前のカップ戦で負傷したアベラルドとガブリに退院許可がおりており、明日の試合に出るかどうかは監督次第。


続・リバルド100ゴール(2001年1月12日)

100ゴールをバルサ公式試合で到達するのはかなり大変。ここ25年間で、達成した選手は、REXACH(122)、STOICHKOV(117)、ASENSI(100)の3人だけ。惜しかったのは、BAKERO(94)、KOEMAN(88)。

リバルドの100ゴール(親善試合も含めれば107)のうち、19はペナルティ、12はフリーキック。1試合0.58ゴールの割合です。しかし、今シーズンは0.87(23試合で19ゴール)とかなり高い確率。また、大多数の78ゴールは左足から、残りは右足(12)、頭(9)、その他(1)。

なおこれらのゴールのうち、リバルド自身が忘れられないものとして下記のゴールをあげています。

・1997/8/31 BARCELONA 3 - 0 REAL SOCIEDA
  フリーキックからのゴール(1-0)
・1998/5/10 AT. MADRID 5 - 2 BARCELONA
  53メートルの位置からのゴール(0-1)
・1998/10/31 BARCELONA 4 - 1 REAL SOCIEDA
  ボールをうかしてからゴール(3-1)
・1999/1/9 BARCELONA 4 - 2 BILBAO
  かかとでのゴール(3-1)
・1999/8/29 RACING 1 - 2 BARCELONA
  ディフェンス2人を抜いてのゴール(0-1)
・2000/2/20 BARCELONA 4 - 0 VALLADOLID
  オーバーヘッドキックでのゴール(3-0)


バルサにも日本人選手が!(2001年1月12日)

エスパニョールの西澤選手を始め、その他のチームからも日本人選手の名前が聞かれるようになっているスペインリーグ。その日本人ラッシュがとうとうバルサにも? というわけではなく、留学生というか自費テスト生として、日本人選手がバルセロナにやってきています。名前は「LIO KAZUNORI」、リバプールのOWEN が好きという18歳の東京ベルディの選手。LA MSIAに滞在して、昨日からテスト生として来ているブラジル人2人と一緒に練習をしています。

「うまくなりたいし、いいチームをこの目で見てみたいと思って、ここに来た。できれば、バルサに残りたいが、所属チームは僕を必要としているのでできない。でも、もしバルサが僕と契約したいというならNO とはいわないよ」ということですが、残念ながらバルサ側にその意志はまったくないようです。しかし「まわりのみんなは、親切にしてくれるし、色々学んでいる」と、その名前の「IIO」の字柄から「110」とあだ名を付けられたLIO 君は満足しているようです。


国王杯・GIMNASTICA 戦こぼれ話し(2001年1月11日)

ご近所住まい バジェステロス(プロゴルファー)は、Torrelavega の町のちかくに住んでいるため、この試合を見に来ていました。そして、記者のインタビューには「グアルディオーラと一緒にゴルフをしてみたい」

泥ペースト仕立て しばらく前に降り続けた雨の影響でグラウンドのコンディションは最悪。フラン・デブーは、グラウンドを「泥のペースト仕立て」と表し、「砂浜でプレーするのと同じくらいつかれる。もしここで50メートル走でもやろうものなら死んじゃうね」ということ。

給料くれ〜! 1億2千万の借金を抱え、選手の給料は3か月前から支払われていない、というクラブにとって、バルサとの組み合わせはまさに、年末ジャンボ宝くじにあったたようなもの。入場料、TV放映権あわせて、8300万もの収入が。まず、給料払って、次はグラウンドの整備もお願いね!


リバルド100ゴール(2001年1月11日)

昨日のGimnastica 戦でゴールを決めたリバルド。それは、リバルドがバルサの選手として決めた100番目のゴールでした。以下が内訳です。

 
LIGA
CHAMPIONS.L
UEFA
COPA DEL REY
SUPERUCOPA
97-98
19
0
-
8
1
98-99
24
3
-
2
-
99-00
12
10
-
1
-
00-01
11
6
2
1
-
合計
66
19
2
12
1

こちらバルサ医院(2001年1月10日)

昨年12月12日の Gandia 戦で負傷したアベラルドの退院のお知らせ。昨日から、練習にはふつうに参加。その様子でOKがでれば、土曜日のオビエド戦にでられるということです。セラフェレール監督の1月のディフェンスの補強は、ブラジルからでなく、バルサ医院からされるようです。


Gimnastica Torrelavega というチーム(2001年1月8日)

COPA DEL REY でバルサが次に当たる Gimnastica Torrelavega は2部Bのチームで現在グループ8位。今回のカップ戦では、アラベス(2-2 PK)、ラス・パルマス(2-1)と1部のチームと戦い、勝ちあがって来ました。

Torrelavega は、カンタブリア(サンタンデールのある地方)にある人口57,000人のまちで、クラブの歴史はカンタブリアでは一番古く、1907年創立。スタジアムは8000人収容ですが、この試合の時は5000席増やす案がでています。チーム予算は年間1億で、バルサとの試合で6000万の収入を見込んでいるそうです。なお、1967-68年のカップ戦(1/16)で、マドリッドとあたり、地元で2-2、ベルナベウで1-0で勝ち進んだ実績を持っています。

Jose Carrete 監督は、オビエド(1972-76)、バレンシア(1976-83)での選手時代に、バルサとは対戦したことがありますし、バレンシア選手時代にカップ戦優勝の経験を持ちます。


また若手にチャンス(2001年1月7日)

本日のオビエド戦にカンテラからクアドラドが呼ばれました。彼のポジションはセントラルで、現在この位置にはバルサが新たな選手と契約しようとしており、Kuffour、Cris、Chivuなどの名前が挙がっいてます。そしてディフェンスのアベラルド、プジョー、ガブリが負傷している今、彼にチャンスが回ってきたわけです。

クアドラドがベンチにはいるのは今シーズンこれで3度目。98-99では、数分だけですが、ブロンディ(チャンピオンズリーグ)相手にプレーした実績があります。

IBAN CUADRADO
  1979年2月21日生
  188cm 80kg


こちらバルサ医院(2001年1月5日)

セウタ戦で負傷したガブリは、首にコルセットをしたまま、他の選手と一緒に、船・バス・飛行機の旅を続けバルセロナ空港に4日の朝5時半に到着。そのまま病院で検査を受けました。検査の結果は、頸椎の負傷も落下したとき打った胸なども、心配したほどひどくはないということです。しかし、少なくとも次のオビエド戦は欠場、その次のカップ戦もむりと思われます。

その他、デ・ラ・ペーニャが、2日の練習中に右足を負傷。回復には10日間かかると見られ、次のリーグ戦、カップ戦2つはでられそうもありません。セラフェレール監督のプランに入らず、なかなか試合に出るチャンスのない彼は、負傷という不運にもつきまとわれているようです。

退院のお知らせはゼンデン。すでに1週間前に退院予定と書きました。1日から他の選手と一緒に練習をしていましたが、今日完全にOKがでたということで、次のオビエド戦にベンチ入りする可能戦もあります。


最近お寒い観客席(2001年1月5日)

今シーズン16節まで終わった段階での1部リーグの観客動員数は 3,806,800人で、昨シーズンの 4,377,620人より50万人以上少ない、という結果がでています。この16節までには159試合行われていて一試合平均23,943人。ちなみに昨シーズンは27,360人。

理由は色々考えられますが、まずは、観客を多く集めていた3チームが2部に落ちてしまったということ(*)。次に、すべての試合が家にいたままTVで見られるようになったということ(**)。最後に最近1部にあがったチームのスタジアムが狭く収容人員が少ないこと(***)などです。その他にも、年間席の会費が高い、ということもあげられます。デポルティーボなどは、この会費を値下げし、会員を増やそうと計画しています。

なお、159試合中満席になった試合は6試合のみ。このうち2試合はVillarreal のAthletic 戦とR.Madrid 戦です。最高はバルサ-マドリのダービー戦で、雨模様だったにもかかわらず、カンプノウ満員の98,600人。また、リーグ第1試合のバルサ-マラガ戦は 90,000人と、セラフェレールの新生バルサへの期待がうかがわれました。ベルナベウではデポルティーボ戦にチケット完売の札が窓口にかかり、75,000人入りました。ここは少なくとも3月にあるバルサ戦でもう一度満員になるでしょう。

(*)アトレティコ 2部では最高の収容人員56,200人のスタジアムを数回満員にしています。しかし来シーズン1部に戻れないとこの動員力も弱まりそう。
セビリア 45,000人収容のスタジアムに、2部に落ちた今でも必ず毎試合25,000〜30,000人詰めかけます。
ベティス 2部ではアトレティコに次ぐ52,500人収容の近代的なスタジアムに、シーズン通じて多くにファンが足を運んでいます。特にアトレティコやセビリア相手の時はほぼ満員になりました。

(**)数年前から始まった「Pay per view」で、契約してお金さえ払えば、好きなチームのすべての試合が見られるようになりました。今シーズンはいくつかの2部の試合も見ることができます。

(***)1部のなかで4チームのスタジアムは2万人以下の収容能力しかありません。一番少ないのは9,750人のヌマンシア。次いで15,000人のラーヨ、17,000人のビジャレアル、そして19,200人のアラベス。

以下は16節までのチーム別観客動員数

チーム
総動員数
一試合平均
BARCELONA
558,000
69,825
REAL MADRID
462,000
66,000
VALENCIA
341,000
42,625
ATHLETIC
248,000
31,000
DEPORTIVO
217,000
27,125
REAL SOCIEDAD
193,690
24,211
ZARAGOZA
175,000
21,875
OVIEDO
173,000
21,625
ESPANYOL
161,400
20,175
CELTA
160,000
20,000
LAS PALMAS
139,150
17,394
OSASUNA
132,840
16,605
MALAGA
131,000
16,375
VILLARREAL
126,800
15,850
MALLORCA
126,470
15,809
ALAVES
112,780
14,098
RACING
110,000
13,750
VALLADOLID
88,800
11,100
RAYO VALLECANO
81,500
10,188
NUMANCIA
67,850
8,481

Copa del REY 抽選速報(2001年1月5日)

GIM. TORRELAVEGA - FC BARCELONA

その他、ATLETICO - RAYO とダービー戦に。1部リーグ同士は、RACING - ATHLETIC の組み合わせができています。詳細はDATA欄をご覧ください。


国王杯・セウタ戦こぼれ話(2001年1月4日)

フィーゴ集団に襲われる 試合前夜セルタの港にフェリーで着いたバルサの選手を迎えたのは、1500人のセウタファンの罵声。そしてホテルへと向かう選手達が乗ったバスに、レアルマドリッドのユニフォーム(大多数がフィーゴの名前入り)を着たグループが石や卵を投げつけシマオの座っていたところの窓ガラスを割るという事件がありました。

クラブもダフ屋も大もうけ セウタは、この試合で入場料、TV放映権など5000万もの収入がありました。セウタの年間予算は2億7千万ですから、5分の1稼いだわけです。また、ダフ屋から、メインスタンドの席を17万5千ペセタで買った人がいるということです。

ボールはどこだ スタジアムの収容人員が6500人のセウタ。当然2階席なんてありません。そこで一応一番高い位置にカメラを設置したのですが、どんなに引いてもグラウンドは半分も入りません。ボールが蹴られると、カメラがボールを追ってパンしていくわけですが、グラウンドに近いため大きく振らねばならず、降り終わったときにはもうボールが次にパスされていて・・・と、ボールが映っていないシーンがヤマと見られたTV中継でした。


リトマネンは、リバプールと同意(2001年1月4日)

セラフェレール監督のプランに入らず、未だ公式試合を一試合もプレーしていないリトマネンは、リバプールと2年半(2003年)の契約に同意した模様です。残すは、クラブ同士の合意ですが、問題は彼の高い給料(6億2500万)。2年契約のオプション付きで、今シーズン一杯を譲渡の形にし、給料を両クラブが半々で払う、というような案がでているようです。


バルサ医院急患情報(2001年1月4日)

昨日3日、セウタで行われたカップ戦で先発したガブリですが、試合開始8分で負傷のため交替。ガブリはセウタの選手アルフォンソと空中で衝突、背中から地面にたたきつけられる形で落下。そのまま担架で運ばれました。頸椎の負傷のようで、大事をとり、首にコルセットをしてバルセロナまで帰ってきました。今日、詳しい検査が行われているようですが、次のオビエド戦は危ぶまれています。


チャンピオンズ&カップは両立せず(2001年1月4日)

Copa del Rey はR・マドリッドに次いで、デポルティーボ、バレンシアが昨日負けたため、チャンピオンズリーグに出場チームは全滅となりました。1部リーグ20チーム中、残ったのは8チーム。その他、2部Aから5チーム、2部Bから3チームで計16チーム。

1/8 Copa del Rey 組み合わせの抽選は明日5日正午の行われます。バルサは、セルタ、エスパニョール、ラーヨの今シーズンヨーロッパの大会に出場している(た)チームとは当たりません。ここからは IDA Y VUELTA 方式で、試合は10日・17日。


HOEK氏、年末の悲劇に巻き込まれる(2001年1月2日)

年末のカウントダウンを祝う人々で一杯だったオランダのディスコで火事があり、8人が死亡、100人以上がケガをしたというニュースは日本でながれたでしょうか。実はその現場に、バルサのキーパーコーチ、Hoekの娘 Anne Marie(16歳)もいました。ただ、彼女は幸運なことに、入り口近くにいたため、逃げるこができましたが、腕と、背中に軽いやけどを負ったようです。Hoek 氏は、年末オランダに帰っていて、年明けすぐにバルセロナに戻る予定でしたが、娘さんの状態が落ち着くまで、オランダに残ることになりました。


Ceuta へ向けて大冒険の旅(2001年1月2日)

明日のカップ戦に向けてアフリカ大陸のセウタに向けて出発したバルサの選手の中にはリバルドとオーベルマースの顔が見られませんでした。そのかわり、久々にダニとドゥトゥエルの顔が見られました。以前にもこのNewsで書いたように、空(バルセロナ17:00発-マラガ)、陸(マラガ18:30発-アルヘシラス、海(アルヘシラス20:30発-セウタ)の旅になります。そして明日は21:00から試合で、終わってすぐに、このコースを逆にたどり、明け方の4:20にバルセロナ空港に戻ってくる予定です。


「新世紀、熱い1月」(2001年1月2日)

20世紀最後の月「新たなるスタートの12月」の結果は以下の通り。

リーグ
 CELTA 3-3 FC BARCELONA
 FC BARCELONA 4-2 ESPAN~OL
 RAYO 2-2 FC BARCELONA
 FC BARCELONA 3-2 ALAVES
UEFA CUP
 FC BARCELONA 1-1 BRUJAS
COPA DEL RAY
 GANDIA 0-3 FC BARCELONA

3勝3引き分けで負け知らず。勝てた試合じゃないか・・・と思うような引き分けが多かったですが、そこは「スタート」ですから、よしとして、勢いのついた今月に期待しましょう。今月はリーグ4試合中3試合がフエラになります。しかもそのうち1試合が現在トップのバレンシアで、それがリーグの折り返し地点です。カップ戦は明日のセウタ戦を勝ち抜けば、IDA Y VUELTA(HOME AND AWAY)方式になります。

「新世紀、熱い1月」の試合予定
リーグ

 OVIEDO --- FC BARCELONA
 FC BARCELONA --- VALLADOLID
 VALENCIA --- FC BARCELONA
 MALAGA --- FC BARCELONA
COPA DEL RAY
 CEUTA --- FC BARCELONA
 1/8 (IDA)
 1/8 (VUELTA)
 1/4 (IDA)