|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コクー、100試合達成!(2001年4月30日)
1988年8月30日のラーシング-バルサ戦(0-0)で、バルサの選手としてデビューして3シーズン目のコクーが、昨日のセルタ戦で100試合を達成しました。 12ゴールを決めた初年度に比べ、ポジションがディフェンスよりになったため、次年度6ゴール、今年はまだ3ゴールと減っています。それでも、ファン・ハール、セラ・フェレール両監督をとおし、ほとんどフル出場で、3シーズン途中で100試合達成を遂げたわけです。今年の1月に契約を2003年までに更新しており、来シーズンも活躍を期待。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
監督の次は、目指せホテル王!(2001年4月29日)
監督を首になって、現在は休暇中のスポーツディレクターというセラ・フェレール氏。のんびりしているかと思ったら、なんのなんの、商売に大忙し。彼は元々、マヨルカに駐車場とレストランを持っていますが、今度はホテルの所有者に。ひろい土地付きの32部屋あるホテルで6億で手に入れたということ。ホテル業といえば、現バルサの会長、ガスパー氏は大きなホテルチェーンの会長でもあります。二人は同業者になるんですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
セラとクラブの憂鬱・・・ 一方ファン・ハールは(2001年4月28日) 木曜日、記者会見のあと、ガスパー会長と選手控え室に降りて選手達に辞任の挨拶をしたセラ・フェレール。彼の来シーズン以降の動向は? 彼は監督としての契約の前にクラブとスポーツディレクターとして契約おり、それが、2005年まで。クラブとしては監督だけでなくこの契約についても破棄したいという意向のようです。しかし、そうすると、なんと18億4千万の違約金を払わなければいけないのです(2005年までつとめたとしての全収入よりずっと多い)。また、セラ・フェレールとしても、スポーツディレクターとしてあと4年間もバルサに残るつもりがあるとは思えません。そのうち彼のもとにも監督の依頼が来るでしょう。事実、99-00のシーズンにはマヨルカから打診を受けていましたが、ヌニェスが手放さなかったという経緯もあります。これなら、クラブとセラ双方に意見の一致を見そうと思われますが、問題は、どちらか一方がこの契約を破棄する場合に前記の違約金を払わなければならないということ。セラがやめるというとセラが上記の金額を払わなければならないので、お互いにつらいところ。現時点では、来シーズン以降のことについては、7月に話し合われるということです。 この契約は前ヌニェス会長の時に結ばれたもので、契約破棄の場合は残りの全収入に残りの年数をかけたものを破棄する側が違約金として払う、という内容。それで、思い出すのが、ファン・ハールが辞めたときのこと。彼は契約をあと2年残して辞任したわけですが、その時、「残り2年の給料(8億)は勘弁してやる。一銭もいらん」といって、立つ鳥跡を濁さず、かとちょっと見直されたという経緯があります。しかし、彼もヌニェスと同じ契約を交わしており、実は16億を勘弁してもらったのはファン・ハールの方だった、ということに・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こちらバルサ医院(2001年4月26日)
・デ・ラ・ペーニャ、また負傷 一昨日の練習中に左足首の痛みを訴えたデ・ラ・ペーニャ。医師の診断では最低1週間は安静に。というわけで、今日のカタルーニャ杯のGramenet戦は出場できません。また、今週末ののセルタ戦に関しては、どちらにしろ前回のレッドカードで少なくとも1試合はでられないため、これも出場なし。彼は約2か月の負傷からつい最近復帰したばかりです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
欠かせない選手たち(2001年4月26日)
必ずしもエリート選手とはいえなくても、チームにとっては絶対に必要な選手たち。今シーズン31節までに1試合も欠くことなく出場している選手は11人。常識的に考えるとキーパーがこの候補に挙がりますが、キーパーは11人中5人だけ。しかし、キーパー5人のうち4人までは、31試合90分すべてプレーしています。唯一の例外はマドリのカシージャで、マドリ・コルーニャ戦での途中交代。また31試合出場のラーシングのアマビスカは、監督が3人も代わっているにもかかわらず、すべての監督の信頼を獲得しているようです。 この11人に続いて、1試合だけ欠場の選手は20人。その中にはアラベスの選手がなんと5人も顔を出します。 リーグに限らず見てみると、今シーズン一番多く試合に出ているのはセルタのフェルナンド・カセレスの52試合。内訳は、リーグ(30)、国王杯(6)、UEFA(10)、インテルトット(6)。彼に続くのは、レアル・マドリのラウルとメンディエタの50試合です。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新監督チャーリーの一日(2001年4月25日)
レシャックの、監督としての初日(24日)を追ってみました。 08:30 クラブの事務所に (注1)ロンド クライフ監督時代に有名だった練習方法で、選手は輪を作り、中に1人から数人の選手が入る。外の選手は必ずワンタッチで素早くボールをまわし、中の選手がそれをカットするというもの。 (注2)ミニゲーム 1つ目が選手はボールはツータッチまででパスしなけらばならない、というもので、2つ目は制限なしのものでした。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レシャック新監督の経験とこれから(2001年4月25日)
前にも書きましたが、レシャックは、何試合か監督としてバルサの試合を指揮した経験があります。以下がその試合と結果 <ルイス・アラゴネス監督病気のため> <クライフ病気のため> <クライフ解任のため> そして今シーズン、これから彼が指揮する試合は以下の10試合 <セラ・フェレール解任のため> |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
セラ・フェレール監督、最後の24時間(2001年4月24日) [ 22日 ] 19:50 オサスナ戦終了後、負け試合にもかかわらず、セラ・フェレールは、控え室に戻っていく選手一人一人と握手をする 20:30 セラ・フェレール、試合終了後の記者会見で、監督を辞任するつもりはない、と発言 20:50 ガスパーは「これからのことについては今はなにもいえない。言えることは、バルサに5位という位置は許されないということだけ」と、初めて、セラフェレールを擁護する発言をしない 21:30 バルセロナへの帰りの飛行機で、ガスパーは、セラ・フェレールの隣に座り、この結果ではやめてもらうしかないと告げる [ 23日 ] |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ペップの本ないのぉ?(2001年4月24日)
カタルーニャのキオスクでは21日から店頭に置かれていたグアルディオーラの本「la meva gente, el meu futbol(私の人、私のフットボール)」。3万5千部発行されましたが、23日のサンジョルディの日には一番人気で、完売となったということです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
セラ・フェレール解任(2001年4月23日)
本日20時5分、ガスパー会長が記者会見を開き、セラ・フェレールの解任を発表しました。後任にはレシャック、サブにアレサンコが任命されました。この二人の任期は今シーズン末まで。二人の略歴の以下に。 レシャック(Carles (Charly) Rexach ) 1947年生まれ 1965年-1980年までバルサでプレー。ポジションはエストレーモ(ウイング)で、クライフの選手時代と重なります。この間、国王杯(3)、リーグ(1)、レコパ(1)を獲得。引退後バルサに残り、少年部などの監督をつとめました。1988年、ルイスアラゴネス監督が病気の時、当時助監督であった彼が初めて監督として指揮をとりました。しかしそれもクライフが監督として就任するまでの短い間で、クライフ就任後はまた助監督としてベンチに入りました。また、1991年2月にクライフが心臓発作で入院しているあいだ、彼が指揮を執り、リーグ優勝へ貢献しています。1996年のクライフ更迭劇のあとも短い間ですが指揮を執っています。偶然の一致ですが、このときも最初の試合はバルサ-セルタ戦でした。 ロブソン監督時代もバルサに残ってはいましたが、ベンチには座っていません。その後、日本のJリーグの横浜フリューゲルスで監督を務めますが、98-99シーズンのはじめには辞任しています。そして今シーズン、バルサの一員に戻っています。 アレサンコ(Jose Ramon Alexanco ) 1956年生まれ ポジションはディフェンス。アラベス、アスレティック・ビルバオをへて、バルサに(1980年-1993年)。ヨーロッパカップ(1)、レコパ(2)、リーグ(4)、国王杯(2)。 1988年、ヌニェス退陣要求に破れ多くの選手達が移籍していったなか、生き残った数少ない選手の一人。その後、クライフ監督時代も長期負傷のクーマンの代わりをつとめるなど、ベテラン選手として活躍。1992年のウェンブリーのヨーロッパチャンピオンの時は、キャプテンマークをつけ優勝カップを受けました。選手引退後もバルサにのこりましたが、数年前にはルーマニアのチームの監督もつとめています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カード蒐集家(2001年4月22日)
・危険なプレーをする君、 神妙にイエローカードを頂戴しろ! というわけで、今回はカードについてのお話。 では、今シーズン一番多く集めているのは、ビジャレアルのアモール(14枚)。彼は特に審判に文句を付けたり、ラフなプレーをするタイプではないのでちょっと意外。続いてはバルサ時代からカード蒐集家としてで有名だったフィーゴを筆頭に12枚の選手が8人。レッドカードは10人の選手が2枚ずつもらっています。ではこの選手たちファールが多いかというと、ファールの数とは必ずしも一致しません。83ファールと一番多いカターニャ、デ・ロス・サントス、ウルサイはカード獲得10位以内には顔を見せません。 このファールの多い選手やカード集めの選手の中にバルサの選手は一人も入っていませんが、その逆のカードがでるようなファールを受ける選手には3人います。まず21と一番多いのがリバルド。9位と10位にシマオ、オーベルマースの名前が見られます。 では、一番たくさんのカードがでた試合はというと、前シーズンのオビエド-ラーシング戦(1-2)で、17枚のイエローと2枚のレッド。審判はメヒア・ダビラで2つのペナルティーも吹いています。それ以前ではロペス・ニエトが16枚のイエローという記録を持っていました。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ご冥福をお祈りします(2001年4月22日)
昨日予定されていたビジャレアル-マヨルカ戦は、マヨルカの元会長 Antonio Asensio(53歳)の葬儀のため1日延期になっています。同じく土曜日に予定されていたバルサB-マヨルカBの試合も延期になりました。この Antonio Asensio 氏は、Zeta グループの会長で、1978年にカタルーニャの新聞、EL PERIODICO を作り、1992年にはここでもよく話題にのぼる SPORT 紙を買収しています。また、民放のAntena 3 の株主でもあります。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
借りはない?(2001年4月21日)
昨日の記者会見でガスパーは「アンフィールドでの敗北について、選手や監督に責任はないが、この結果にはみんながっかりしている。今はファンの人たちの信用を回復することが大切。そのためにはこれからの試合に、よりいっそう集中し、勝ち続けること。選手たちはファンに借りがある、頑張ってこの意気喪失している時を乗り越えたい」とコメントしました。また、練習後、選手控え室に行き選手達と20分ほど話をしたということです。 一方クライハートは記者会見で、「昨夜(木曜の夜)はペナルティのことが頭を離れず眠れなかった。敗北については、あの行為で僕には少しだけ多く責任があると思う。しかし、勝利も敗北も全員が背負うべきものだ。我々は最後まで全力を尽くした。この敗北で誰が一番つらいかって、それは僕たちだということを分かって欲しい。正直言って、ファンに借りがあるとは思わない」と語りました。ファンへの借りについてはコクーも「謝るって、どうして? 僕らは最後の最後まで戦った。いつだって勝とうと思って試合に臨み、全力を尽くしているんだから」と、そんなものはないという意見。このへんはオランダ人とスペイン人の違いでしょうか。 ちなみにスポーツ紙がWeb上で行ったアンケートでは、今シーズンのバルサの不調の責任は、45%が理事会にあるとし、セラ・フェレールと答えたのは35%、選手にあるは20%でした。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一夜明けて(2001年4月20日)
昨夜、リバプールに1-0と負け、UEFA決勝戦進出できなかったバルサ。今日の新聞のタイトルをひろってみました。 スポーツ ムンドデポルティーボ マルカ アス ラバンガアルディア |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
いよいよ明日(2001年4月18日)
負傷しているアベラルド、ジェラール以外の21人の選手が昨日すでにリバプール入りをしています。今日の午前中はリバプールの町を散歩。そして午後はアンフィールドで練習。サラゴサ戦にはお休みしていたルイス・エンリケとプティも全快。ただし、セルジとダニの調子がよくないようで、当日まで出られるかどうかは疑問です。 明日のアンフィールドにはバルサファンも1000人応援に駆けつけます。また、リバプール地元からもエバートンのファンの応援が期待できそう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「アディオス、ペップ!」シリーズ(5)(2001年4月17日)
データ編(2001年4月17日現在) ・バルサでの試合 ・バルサでのタイトル ・ナショナルチームでの試合 ・ナショナルチームでのタイトル |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こちらバルサ医院(2001年4月17日)
・アルナウ退院おめでとう! 昨日、アルナウはバルサ医院を退院しました。去年の11月23日に入院してから実に5か月の長い治療期間を経ての復帰です。これで、バルサ医院入院選手はアベラルドとジェラール2人になりました。彼ら二人の退院は今シーズンには間に合ません。シーズン終わりまで新たな入院選手がでないといいですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
半日でいいんですけど(2001年4月16日)
22日(日曜日)、午後6時からオサスナ戦にのぞむバルサですが、オランダ人5人、クライハート、ゼンデン、オーベルマース、フラン・デブーは、その日のお昼にナショナルチームに合流するようにとのファン・ハールからの呼び出しがかかっています。オランダは水曜日にキプロスと試合があり、相手としては大したことはありませんが、ワールドカップ出場権獲得のためには絶対落とせない1戦。 唯一呼ばれていないレイジンハーは、カードがたまって出られないため。一方バルサ側からいえば、フラン・デブーが同じ立場で、もともとオサスナ戦にはでられません。このままなら、負傷者などを抜かし、13人でオサスナ戦にのぞむことになります。 選手招集を22日お昼から夜11時まで遅らせて欲しいと、これからバルサはファン・ハールと交渉です。さて11時間譲ってもらえるでしょうか。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
どれにしようかな・・・(2001年4月16日)
通算100ゴールを突破したバルサですが、入れられたゴールも63と40年ぶりの多さ。今シーズン49試合消化して、セラ・フェレールの取ったディフェンスの組み合わせは23種類。木曜日のリバプール戦はどれかな?
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
100ゴール目を決めたのは・・・(2001年4月15日)
昨日のサラゴサ戦での1点目、オーベルマースのゴールが、今シーズンのバルサの100ゴール目となりました。これでバルサのゴールは103になります。ちなみに今までキッチリの番号を当てたのは、 1(リバルド)、10(オーベルマース)、20(ルイス・エンリケ)、30(コクー)、40(リバルド)、50(リバルド)、60(グアルディオーラ)、70(コクー)、80(ジェラール)、90(クライハート)、100(オーベルマース) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「アディオス、ペップ!」シリーズ(4)(2001年4月15日)
セラ・フェレール「グアルディオーラの決断については前夜にガスパー会長から連絡を受けていた。だから、彼の口から聞いたときは驚きはなかった。彼自身よく考えて決めたことだろうし、17年間もバルサに尽くした彼が、自分で進退を決めるのは当然だと思う。技術的にも人間的にもすばらしいレベルのフットボール選手と一緒に過ごせたことを誇りに思っている。彼のバルサでの最後は悲しいものではなく、楽しく勝利に飾られたものであるべきだ。ぜひ彼のリストにもう2つタイトルを加えてあげたい。 チャビ「できれば彼と同じくらい長い間バルサでプレーしたい。(グアルディオーラが、4番をつぐのはチャビといったことについて)彼のような選手にそういってもらえて本当に誇らしくおもう。彼はすばらしい友人で、その友人が去っていくのはさみしいことだ。選手としては、この新しい状況が僕にとって良いことかどうかは、時がたてばはっきりするだろう。そして今はペップをはじめ全員がタイトル獲得に燃えている。UEFAをとることができれば最高だね。だって、唯一彼に欠けているタイトルだから」 グアルディオーラ(本人の言葉)「みんなとのお別れは、仰々しくなく自然なものでありたい。最後に両手をあげて、さようならというだけ。会長と抱き合うくらいはするかもしれないが、それだけだ。特別なことはして欲しくない。来たときと同じように静かに去っていきたいんだ。(アモールについて)いつも僕にとって道しるべだった。(チャビについて)チャビが僕の跡を継ぐのが自然だと思う。才能は十分あるし、僕よりもいいところがたくさんある。(キャプテンについて)責任や、クラブに在籍した年数などからセルジが適任だと思う」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
100ゴール目はダ〜レだ?(2001年4月14日)
現在、今シーズン公式試合すべて合わせて、バルサのゴールは99。さて、100ゴール目はいつ、誰が? リーグ(63) UEFA(13) チャンピオンズ(13) 国王杯(10)
以上が99ゴールの内訳。そして、ゴールを決めた選手は15人いますが、半分以上の53ゴールをリバルドとクライハートが占めます。そして、この2人にルイス・エンリケを加えたたった3人で全ゴールの70%を決めています。 100ゴール以上入れた過去ののシーズンは以下に。さて今シーズンいったい何ゴールまでのびるでしょうか。 CRUYFF時代 88-89(114)、89-90(111)、90-91(110)、91-92(119)、92-93(123)、95-96(111) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こちらバルサ医院(2001年4月14日)
・サラゴサ戦、OK&KO サラゴサ戦に呼ばれなかったのは、38度の熱を出して寝込んでいるルイス・エンリケと、練習中に打った肋骨の痛みが取れないプティの2人。グアルディオーラは呼ばれてはいますが、右足の軽い痛みから、昨日も他の選手とは一緒に練習はしていません。スタメンででることはなさそうです。ただし、この3人とも来週のリバプール戦までには回復するとのこと。グアルディオーラにはチャビが、ルイス・エンリケにはシマオが代わりにでるもよう。その他、ビジャレアル戦では呼ばれなかったアルフォンソとゼンデンが呼ばれています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
会員へのアンケート(2001年4月13日)
1 会長の再選について 以上の4つの質問事項が書かれた用紙が、4月末に会員へ送られます。返答の締め切りは5月22日で、集計結果は公表されますが、この結果については理事会が参考にするもので、決定ではありません。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こちらバルサ医院(2001年4月13日)
・アルナウ退院近し! 「すでに1週間ほど前から、キーパーのふつうの練習をなんなくこなしているので、もう少しで退院許可が出て、プレーできるようになると思う。」というアルナウ。しかし、まだいつから、とははっきり言わない。「重要なことは、完全に回復すること。きょう調子がいいからといって有頂天にはなれない。こういうのはちょっと油断するとまた悪くなったりするから」と慎重。昨年の11月23日に負傷してからの日々は「時がたつのが本当に遅かった。トレーニングは退屈だし、特に一人でそれをこなしていかねばらない。他の人にとっては短い期間でも、僕にとっては永遠に思えた」しかし、今彼は、今シーズン中には必ずプレーできると確信している、という。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「アディオス、ペップ!」シリーズ(3)(2001年4月12日)
周囲の反響 その2 クレメンテ「自分の魂ともいえるバルサをやめるなんて、何か特別なことがあったに違いない。彼ほどクラブと一体になっている選手はいなかった。でも他のリーグを知りたいという気持ちは理解できる。ペップは、本人が望むなら50歳までもプレーできる選手だ」 チキ・ペギリスタイン「彼の決断は尊重するし、何か裏を探るようなことはしたくない。わがままを言わせてもらえば、ここでの彼のプレーを見ていたかった。でも、新しいものを探しに出るのはすばらしいことだと思う」 ラウル「決断は個人的なものだし、尊重すべきことだ。僕も、もしマドリをでることになったら、行き先は外国しかないと思う。でも彼の抜けた穴は大きいだろうし、埋めるのは大変だと思う。だって、ずっとバルサのプレーの象徴だったんだから」 カニサーレス「たとえどんなに長くバルサのいたとしても、契約が切れれば、違うところへ行くのはふつうのこと。グアルディオーラが、選手として人間としてどんなに優れていたかなんて、今さら俺なんかが言うことでもないね」 デュキック「こういうことは、今のフットボールの世界では日常茶飯事。選手が移籍して来るように、移籍していく選手がいる。別にそんなに騒ぎ立てることではないと思う」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「アディオス、ペップ!」シリーズ(2)(2001年4月12日)
周囲の反響 その1 フラン・デブー「バルサの伝説、フットボールの伝説が去っていく。しかし、よその文化、よその国を知りたいという彼の気持ちは十分理解できる。多くの人が今日悲しい思いをしているのは分かるけど、ペップは自分の希望を成し遂げるだろうし、それはとてもいいことだ。それに、僕たちにはチャビがいる」 セルジ「彼の決断には感嘆した。だって、いまの快適な生活、長いバルサでの生活を、自分の思うフットボールをし続けるために犠牲にする決断なんだから」 ガブリ「彼の穴を埋めるのはたいへんだろうと思う。僕たちすべてが、彼を手本にしてきたんだ」 オスカー「彼はまるでバルサのエンブレムの一部のようだったのに・・・」 クライフ「予感はあった。昨年更新しなかったということは、いろいろ問題があったということだからね。外国でプレーしたいという思いは理屈にあっているし、もっともなことだと思う。」「イングランドのフットボールにはあっていると思う。ただし、ディフェンスからロングパスというプレースタイルでは出番がないだろうが、バスをつないで攻めていくチームなら有効だろう。それはイタリアのチームも同じことだ」 クーマン「彼の退団はバルセロニスムにとって大きな痛手だ。ペップがどうしてやめるのか分からない。もしバルサに満足していたなら、やめるはずはないと思うけど」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アディオス! カピタン・ペップ!(1)(2001年4月11日)
今日、4月11日の昼、グアルディオーラが初めて自分から記者会見を招集した。記者会見場には100人あまりの記者達がおしかけた。 予定より15分遅れてグアルディオーラ登場。 「これは私が自分から招集した初めての記者会見です。昨夜11時30分から2時間にわたって、会長のガスパーと会談をもちました。彼は今日のこの会見に同席したかったのですが、時間の都合で今日は私一人になりました。」 「私はバルサにほぼ無名の若者として入団し、そして今は一児の父となりました。私はここで育ち、成長してきたことを本当に誇りに思っています。30歳になった今、残された道は二つ。ここに残るか、あるいは新しい文化、環境、世界を知るかです。そして、結論は、新しい世界を知りたいということです。」 「最終的には外国で引退しようと思います。どこかは分かりません。イングランドかドイツかイタリアか、あるいはフランスか。そして昨夜の会談で、最後に会長が言ってくれました。もし、どこからの申し出にも興味がわかない場合は、バルサの門はいつでも開かれていると。」 「この結論はよく考えた上でのものです。それも、ずいぶん前から。これからどこに行くにせよ、そこでバルサで習ったすべてのことを披露したいと思います。そして外国で今まで知らなかった多くのことを学びたい。」 「バルサ以外のスペインのクラブでプレーする気はまったくありません。そうするくらいだったら引退するでしょう。私は、今、自分の出した結論に非常に満足しています。」 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シューズにこだわる(2001年4月11日)
シューズはフットボール選手にとってはプレーの要。各メーカーはスピードがでるように、シュートがしやすいようにと日夜研究をかさねています。初めて取り外しのできるスパイクが発明されたのが1954年、その後、エアーの発明、90年始めには多様な色のシューズがでてきました。 ユニフォームはクラブがメーカーと契約しますが、どこのメーカーのどんなシューズを履くかは、選手個人の自由。そして、あるメーカーのシューズを履くことによってお金をもらえる選手もいます。これは選手にとってはいい収入、メーカーにとってはいい宣伝と持ちつ持たれつ。例えば、ラウルはアディダスのシューズを10年間使用するという事で15億以上の契約金をもらっています。グアルディオーラにもナイキからお金が支払われています。 下記にすっとボール選手のお気に入りメーカー一覧を載せましたが、下に載っていない、ちょっと変わったものには「JOHAN CRUYFF」ブランド。クライフがバルサの監督をしていたときに履いていましたが、息子のジョルディはバルサからマンチェスター、アラベスとチームは変わってもいまだにお父さんの名前のシューズをご愛用。 [ NIKE ] セルジ、ルイス・エンリケ、グアルディオーラ、ジェラール、メンディテタ、ロベルト・カルロス、エルゲラ、フィーゴ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
29節終わって・・・(2001年4月10日)
前回のビジャレアル戦の4-4の引き分けで、バルサは63得点とR・マドリッドを抜いてリーガ最多得点となりました。その一方、失点も多く、29試合目にして43失点。これは40年前の61-62シーズンの46失点以来の記録です。 また、チャンスをものにできない、というのも相変わらずで、ビジャレアル戦では18本シュートを打って、4ゴールの他、枠内に入ったのが7本、ポストに1本、6本は外にという結果。リーグ初のハットトリックを決めたクライハート本人も、決めなければいけない明らかなチャンスを2回逃したと認めています。また、リバルドがペナルティを失敗したのは1998年2月のコンポステーラ戦以来初めてのこと。 さて、リバルドの失敗したペナルティはポストにはじかれましたが、今シーズンのバルサはこのポストと仲良しが特徴。なんと20回もポストにゴツン。一方相手チームは仲が悪いようで、ポストに当たってバルサが救われるシーンは2回しか見られませんでした。なお、R・マドリッドも14回ポストに当てていますが、相手も11回当ててくれていますし、バレンシアにいたっては、6回のポスト当てに対し、9回もポストに助けられています。 また今シーズン、先制点を取られて逆転勝利した試合はラスパルマス戦1回だけ。得点経過についてみると、63得点中、前半に入れたのは34、後半は29。43失点中、前半は15、後半28となっています。 シーズン折り返しからの成績は、10試合(30ポイント)消化して、14ポイントの10位。1位は24ポイントのセルタで、セルタはこの快進撃でとうとうUEFA参加位置の6位にあがりました。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
救急車を呼ぶなら携帯で(2001年4月10日)
昨日、UEFAカップのリバプール-バルサ戦のチケットがイングランドで発売になりました。前夜からチケット獲得のためクラブ事務所前に8000人ものファンが並び、一時は警察も出動する混乱ぶりでした。 また、同時に電話によるチケット販売もあり、電話が殺到して、回戦がダウン。その中には緊急番号の999も含まれていたため、救急車を呼びたくても通じないという事態が発生。警察は、救急車、消防車、警察に連絡したい方は、直接部署に電話するか、携帯電話を使用するようにと呼びかける顛末もありました。 なおチケットの正規の値段は24〜29ポンド。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イバン・ジュニア誕生!(2001年4月10日)
ビジャレアル戦で5か月ぶりにプレーしたデ・ラ・ペーニャに、次の日は男の子誕生といううれしいニュースがもう一つ訪れました。4000グラムと大きな赤ちゃんで、名前はイバン・デ・ラ・ペーニャ・アセンシ。お父さんは現バルサの選手、おじいちゃん(お母さんロレーナ・アセンシのお父さん)も元バルサの選手という生粋のバルサっ子誕生! |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バルサが新車発表(2001年4月9日)
本日バルサの名前をもつ新車発表がマシアで行われました。「バルサ ビンテージ」と呼ばれるこのモデルはアメリカ人によってデザインされたクラシックカースタイルの2人乗りスポーツカー。モーターは1600ccと1800ccの2種で最高速度は時速150キロ。もちろんボディーカラーは、アスール(青)とグラーナ(赤)の2色だけ。車数限定生産で、気になるお値段は、約500万ペセタ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
縁起がわるい(2001年4月8日)
前にも何回か取りあげましたが、スポーツ選手2人を使ったヨーグルトのTVコマーシャルの話題。最新のCMにでているジェラールが先日3か月の負傷ということから、どうもこのCMは疫病神じゃないか、と最近ちまたの噂。 まず、初代のセルジ・ブルゲーラ(テニス)とカミネロは負傷続きでした。そして2代目の一人、ストイチコフはファン・ハールによってバルサを追い出されました。3代目の一人はクリビジェ(バイク)で負傷、もう一人はフィーゴで移籍問題のゴタゴタからCM放映を中止せざる終えなくなりました(これはフィーゴの方が疫病神?)。そして4代目のジェラールの負傷となるわけ。こうなると次の出演者交渉は難航しそうですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
終わってみれば(2001年4月6日)
一足早い決勝戦、スペクタクルなフットボール、と前評判だったバルサ-リバプール戦。カンプノウで勝つのはもちろんだが、相手チームを0点に押さえることが重要、と新聞には書かれていました。しかし、カンプノウに足を運んだバルサファンの多くは、4-1とか5-2の壮絶なゴール前の戦いを描いて、リバプールを0点に押さえることなど期待していなかったのではないでしょうか。でも、終わってみれば、リバプールのゴール枠内へのシュートは1本もなし。バルサは、ボールをキープしていたにもかかわらず攻めあぐね、結局枠内へはチャビのシュート1本だけというお粗末な結果。 リバプールのゴールは0でもファンの逮捕者は7人。試合前夜ランブラス通りで2人をケガさせたことで逮捕されています。ランブラス通り付近のバルではビールが1時間で売り切れたところもあるとか。 また、バルサの無得点の試合はこのUEFAカップでは初めて。今シーズン46試合中では7試合目。0-0の試合は1月に行われた国王杯で Torrelavega 戦の第2試合目以来です。 なお、試合時間が予定よりも15分遅れたのは、イングランドのTV局から、大人気の連続ドラマ「イーストエンダーズ」の最終回の放映と重ならないように15分ずらして欲しいという依頼があったため。最終回では主人公の一人、リサが前の恋人を殺したと告白するシーンがありました。カンプノウに詰めかけた4000人のリバプールファンのために、その結末がアナウンスされる予定もあったということですが、結局アナウンスも掲示もありませんでした。彼らは0-0の試合の後で、少なくともお楽しみを一つ持っていたわけですね。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こちらバルサ医院(2001年4月5日)
・ジェラール回復に3か月 昨日行われたジェラールの手術は1時間10分もかかりましたが、無事終了。医師の発表によれば、回復には3か月かかるだろうとのこと。ジェラールの負傷は以前から分かっていたことですが、最近特に痛みがひどくなっており、手術は遅かれ早かれ避けられないものでした。そして今なら来シーズンの最初から復帰できるので最適な時期である判断、手術に踏みきったわけです。なおこの手の負傷は回復に6か月もかかることもあり、3か月は軽い方ということです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
CAN~ONAZO(カニョナッソ)(2001年4月5日)
ペナルティエリア外からの強い、スピードのあるシュートを「CAN~ONAZO」(CAN~ON-大砲の意から強烈なシュートのこと)と呼びます。その多くは、時速100キロ以上のスピードでゴールに向かって飛んでいきます。それを聞いてバルサファンなら、すぐクーマンの名前を思いつくでしょう。ヨーロッパチャンピオンに導いてくれたウエンブリーでのフリーキックだけでなく、たくさんのゴールが彼の右足から生まれています。 現在リーガで一番この「大砲」シュートをしているのはサラゴサのアクーニャで88本、続いてリバルドの72本。そしてフィーゴの59本。ただし、ゴールした数は、ビジャレアルのビクトールの5本が最高で、アクーニャはロベルト・カルロスとともに4本の2位。3本はリバルド、ハビ・モレーノ、ジャルミーニャ、ミッチェル、エトー、ウナイがいます。 Acun~a(サラゴサ)88 / Rivaldo(バルサ) 72 / Figo(R・マドリッド) 59 / Mendieta(バレンシア) 57 / R. Carlos(R・マドリッド) 56 / Djalminha(デポルティーボ) 48 / Sergio(エスパニョール) 41 / Victor(ビジャレアル) 41 / Luque(マヨルカ) 40 / Montenegro(サラゴサ)39 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
借りはキッチリ返しましょう(2001年4月4日)
バルサとイングランドのチームのヨーロッパでの対決は過去46回あり、バルサの21勝13敗12分。イングランドの地元では、1960年のチャンピオンズカップ準々決勝で Wolverhampton - Barcelona (2-5)、2000年のチャンピオンズリーグで Arsenal - Barcelona (2-4)と今までに2勝しています。一方カンプノウで負けたのは1回だけ。なんとそれが、1976年のUEFAカップ準決勝の Barcelona - Liberpool (0-1)。というわけで明日のバルサ-リバプール戦は雪辱戦。リバプーさん、借りはキッチリ返えさしてもらいます。 なお、ここ10年間での対決は7回。試合数にして13試合で、結果は5勝3敗5分となっています(詳細下記)。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こちらバルサ医院(2001年4月3日)
・リバプール戦、OK&KO ジェラールの手術は明日4日(水曜日)の朝8時半から行われます。回復には1か月半から3か月といわれています。はっきりしたことは手術後の発表待ち。 ラス・パルマス戦で痛みを訴え前半で交替したレイジハーの左足の負傷については、一時は今シーズン絶望という噂が流れましたが、昨日の検査の結果、大したことはないということ。ただ、リバプール戦には間に合わないだろうと思われます。 ナショナルチームから軽い痛みを引きずって帰ってきたグアルディオーラはラスパルマス戦を後半20分しかプレーしませんでしたが、お休みだったプティとともにリバプール戦には問題ないということです。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
初めてのこと(2001年4月2日)
昨日のラスパルマ戦では初めてのことが3つ。 一つは、今シーズン初めての逆転試合。なんと、今シーズンのバルサは、リーグ、ヨーローパ、カップすべてを通して相手チームに先に得点された試合に勝ったのは昨日のラスパルマ戦が初めて。二つ目はダニが今シーズン公式試合での初ゴール。最後は、リバルドの30ゴール。97-98は28ゴール、98-99は29ゴール、99-00は23ゴール。バルサでプレーして初めて30ゴールを記録。しかしこの記録はまだまだのびそうです。 |