アスールグラーナ色の監督たち(2002年11月30日) フットボール選手としての活躍できる期間は長いようでいて短いもの。そして選手を引退してからもフットボール界に残れる人たちというのは数えるほど。まして監督として活躍できる人はごくごく選ばれた人たち。しかし、リーグは1部だけではなく2部3部とたくさんのカテゴリーにわかれ、それぞれで多くの監督が活躍しています。そして、2部Bと3部では9人もの元バルサ選手が、監督としてチームを率いています。 2部Bで活躍するのは3人。バルサB監督のキケ・コスタ(1971-80 309試合 4ゴール)は選手引退後もバルサにとどまり、Bの監督として今シーズンで2年目となります。同じく引退後もバルサに所属していたジョアン・ビラ(1977-79 15試合 4ゴール)は、2年前にクラブを離れ、現在はマタロの監督。今日はバルサBとの試合で2人は対戦します。もう一人ペレ・グラタコス(1980-81 5試合)はバルサの選手としては1シーズンのみでほとんどプレーもせず、成功したたとはいえませんが、現在フィゲーラスの監督として昨シーズンはカップ戦で大活躍しました。 3部では、バルサCを率いるエステバン・ビーゴ(1977-87 344試合 46ゴール)、バダロナ監督のラモン・カルデレ(1984-88 200試合 39ゴール)、ジローナ監督のジョセップ・モラタージャ(1982-88 219試合 4ゴール)の3人は、80年代に一緒にプレーしていた仲で、3人ともバルサの選手として200試合を越える経歴を持っています。ペピート・ラモン(1976-82 162試合)は先週からプラットの監督に就任。エウロッパ監督として2年目を迎えるのはミケール・コロミナス(1975-77 36試合)。今年からカステルデフェルスの監督に就任したのは、ルイス・プジョー(1966-68、69-73 156試合 46ゴール)。彼は1971年のコパ・デ・ファリアでサラゴサを破り優勝したメンバーの一人。 このほか、モーラとアセンシも2部Bの監督だった元バルサ選手ですが、残念ながら今シーズン途中で監督を降ろされてしまいました。サバデルの監督をしていたモーラのバルサ選手としてのデビューは、あのベルナベウでの0-5の試合。 |
試合終わって、落ち穂拾い(2002年11月28日)
●レバクーセン-バルサ戦●(CL) ・試合前夜、ドイツのタブロイド新聞には、カンプノウに投げ入れられた子豚の頭の写真と、その下にドイツの警官達の写真。「我々は子豚一匹逃さんぞ!」という皮肉付き。 ・この試合、今シーズン初めての逆転勝利試合。 ・この試合、バン・ガール監督のヨーロッパ100試合目(64勝15敗21分け)。バルサの監督としては41試合目(26勝7敗8分け)。 ・バルサにとってドイツチーム地元試合での勝利は、1987年のUEFAカップでのBayer Urdingen(0-2)以来、なんと15年ぶり。この15年間6試合行って3敗3分けだった。 ・チャンピオンズ、予備戦を含めると9連勝のバルサ。92-93シーズンのミランの10連勝の最高記録にあと一歩。 ・1年前の2001年11月27日は、オランダで、バンガールの代表監督辞任ニュースが流れた日。あのとき誰がバンガールのバルサ復帰を予想しただろうか。 ・TV画像で何度も映し出されたバンガールノートはいつもの有名なバンガールノートではなかった。それは宿泊先のホテルに備え付けの紙。新たな戦術は新たなノートから生まれた? |
「週刊三面」(2002年11月27日) ●事件簿「強盗事件」 ●練習の後はカタラン語学習 ●ケイタイチェック ●サー・ロブソン ●稼げども、稼げども・・・やっぱり稼ごう |
試合終わって、落ち穂拾い(2002年11月25日)
●バルサ-マドリ戦●(リーグ クラシコ) ・ペセテーロ・フィーゴが白い服でカンプノウに現れると、嘆かわしいと雨が降るバルセロナ。その雨にもめげず、バルサの応援に10万バルセロニスタはカンプノウに駆けつけた。しかし椅子の上に置かれていた98,280枚のアスールグラーナの紙のほとんどは雨でモザイク作成のため掲げることができなくなった。 ・クラシコを取材にカンプノウに詰めかけたジャーナリストは、706人、30か国にわたる。 ・マドリの選手がホテルからカンプノウにむかう途中、バルセロニスタの過激な歓迎のため、バスの窓ガラスが破損する事件発生。選手達はバスの通路に立ったまま到着。 ・試合開始前に優勝カップをもって現れたのは、その少し前に、コパ・コンチネンタル(フットボールでいえばトヨタカップ)に勝利を決めたローラー・ホッケーのチーム。バルサ今シーズン初のカップ。そしてその決勝戦を観戦していたガスパー会長は相手チームをクラシコ観戦にご招待。 ・バルサ-マドリのクラシコで0-0の試合は、39-40、73-74、74-75、88-89に次ぐ5試合目。 ・物の投げ入れで試合中断する事件が発生したこの試合での逮捕者は1人。といっても物を投げ入れたためではなく、警備員が興奮して騒いでいる男性を外に連れ出そうとした時従わなかったため、警察に連行されるはめになった。そしてこの唯一の逮捕者はなんとクルイベルの弟だった。お兄ちゃんのゴールを返せ!と叫んでいたのかな? ・ペットボトルやライターなどがよくグラウンドに投げ込まれるが、コインもその一つ。そして昨年までは投げ込まれるコインといえば、25ペセタコイン(約20円)だった。それが今回投げ込まれたのは1ユーロ(120円)か2ユーロコインと物価上昇傾向。 ・投げ込まれた物の中で、フィーゴが持ち上げ世界中のTVに写ったのは、空のコカコーラのペットボトル。もちろん、彼がコカコーラのCMに出ているというのは偶然です・・・よね。 ・貴賓席は、マドリの会長とスポーツディレクターは当然ながら、カタルーニャの政治家などが勢揃いで満員状態。そして、水曜日のCL対戦相手、レバクーセンの監督も観戦。 |
「週刊三面」(2002年11月20日) ●選手の副収入(1部編) もう一人最近マンレッサというバルセロナから1時間くらいの町でお店をオープンしたのはガブリ。彼の選んだサイドビジネスはエステのお店で、お姉さんと共同ではじめた。 ●3部の副収入(3部編) ●殺人事件 ●離婚騒動 ●交通事故 ●募金の日 |
入場者1000万人突破!(2002年11月18日)
1984年9月に創立されたバルサ博物館。そのときの会長ヌニェス氏の名前をとって「MUSEU FC BARCELONA PRESIDENT NUN~EZ」が正式名称。現在は1日平均3200人が訪ずれ、ここ何年もカタルーニャではピカソ美術館やダリ美術館をしのぐ入場者数をほこっています。そして、2002年11月14日、創立18年にして、入場者数1000万人を突破しました。 すでに14日には1000万を記録するという事が予想されていたため、カメラマンや記者達が大勢詰めかけていたカンプノウ。その瞬間は午後の1時過ぎにやってきました。フランス人とイギリス人のツアー客が博物館のチケット売り場に並び、その中の一人、ステラさんというイギリスのご婦人がチケットを買った瞬間、カメラマン達がまわりを取り囲みます。驚くステラさんにクラブ関係者から事情が説明され、花束と、選手一同のサイン入りユニフォーム、そして「GENT DEL BARCA」のカードが贈られました。ステラさんは、マンチェスター・ユナイテッドのファンということですが、「もう何十年マンチェスターのファンだけど、クラブからは未だにアイスクリーム一つもらったことないわ。これじゃぁ、これからは、バルサのファンにきまりね。」と笑顔でインタビューにこたえていました。 ●年度別入場者数 1984年 19,432人 |
試合終わって、落ち穂拾い(2002年11月17日)
●デポルティーボ-バルサ戦●(リーグ) ・この試合で、マウロ・シルバはリーガ300試合出場達成。そして対バルサ戦はなんと17試合目。 ・後半サビオラと交替してグラウンドに入ったダニ、これが今シーズンリーグ初プレー。 ・そしてリーグ全10試合に連続出場しているサビオラ。しかし、90分フル出場はバジャドリとアラベス戦の2試合だけ。 ・最初のファールでイエローカードをもらってしまったナバーロ、これが5枚目となり、クラシコ出場ができなくなった。 ・観客席には、負傷のため直前にベンチ入りしないことになったリケルメの姿。そしてCL2次リーグへ向けての偵察組み。まずインテルから、バルサ・デポールの両元選手でもあるルイス・スアレス、その他、レバクーゼン、ユベントスからの人もみられた。 ・リアソールでの試合、これで6年連続敗北の記録。 (・雨がぱらつく寒いコルーニャ、落ち穂も湿ったものばかり。) |
特別号「週刊三面」(2002年11月16日) ●クルービーと4人のシークレットサービス (↑ QuickTime Movie 1.9MB) |
試合終わって、落ち穂拾い(2002年11月14日)
●バルサ-ガラタサライ戦●(CL) ・ゴール後にユニの下のアンデルソンを励ますメッセージ表示をしたのはダニ。そしてジェオバンニのゴール後は新種・バク転のお披露目。ちょっと斜めになったのはご愛敬。もっともっと実地訓練して、うまくなるんだよ。 ・前回のブルッハス戦にもベンチには入ったもののプレーできなかったオレゲール、この試合でようやく1部デビューを果たした。今シーズンのガンペル杯でもプレーしているが、公式戦ではこれが初めて。 ・この試合、3回目のスタメン出場となったエンケ。今まで2試合は、ノベルダ(国王杯)とブルッハスのフエラ試合。これでようやくカンプノウデビューも果たした。 ・ジェラールの鋭いヘッディング。これで今シーズン4つ目のコーナーからのゴールとなる。 ・第一カピタンのルイス・エンリケは負傷中、第二のコクーはベンチでお休み。ということで、ブルッハス戦に次いでプジョーが腕にまいたカピタンマーク、トルトレーロと途中交替したときは、デボエルの渡された。さて、そのデボエルが交替した後は誰の腕に? バルサ在籍期間で言えばレイジンゲルだが、それはクルイベルの腕に収まった。 ・観客席には、サラマンチ元オリンピック会長の姿。その他にもいろいろなチームから偵察が紛れ込んでいた。スペインでは、デポルティーボとバレンシア。その他、イタリアやイングランドクラブの関係者の姿も見られた。 |
「週刊三面」(2002年11月12日) ●写真撮影 ●別件・写真撮影 ●私がキリツ・バンガール ●ジェラールの引っ越し ●今年の流行 ●バルサカンテラでもいい? ●どこの国へ行ってもOK |
タダだよ、いらっしゃい!(2002年11月11日)
水曜日に行われるCL1次リーグ最終戦のガラタサライ戦。すでに1位突破を決めているバルサにとっては消化試合。観客動員数はかなり低くなりそう。そして開始時間が19時15分というのが、この低さに拍車をかけます。最初は18時開始とのUEFAの決定を、1時間15分遅らせるまでこぎつけたバルサ。これにより後半には、仕事が終わってから駆けつけられるソシオも期待できるようになった。それにしても最低の動員数が予想されるこの試合にクラブはあの手この手を考えています。 まず一つは「ソシオは14歳以下の子供を一人無料で連れて観戦できますので、お子さん連れでいかかが?」。そしてもう一つは「この秋からはじまったGENT DEL BARCAの会員も入場無料」。そしてこれは元々ある1試合入場無料の特典には数えられないませんよ、というもの。これによりどのくらい観客が増えるかな? |
試合終わって、落ち穂拾い(2002年11月10日)
●バルサ-ビジャレアル戦●(リーグ) ・バンガールが招集したのは19人の選手。しかしベンチには18人しか入れない。ということで、試合直前にはずされたのは、ジェオバンニ。彼は客席からの観戦となった。 ・この試合ベンチスターとなったサビオラ。リーグ戦、CL共に、ベンチ入りしてスタメンでなかったのはこれが初めて。 ・今シーズン、ペナルティは4つ目。メンディエタとリケルメが仲良く2つずつ蹴っている。 ・バジャドリで負けてからこの試合で5試合目、そして4勝1分けと負け知らず。快進撃を続けるバルサ!・・・という雰囲気がないのはどうして? ・この試合に負けたビジャレアルは、カンプノウでの最多勝率ビジターチームの座を滑り落ちた。加えて、4試合目にして初めてノーゴールで帰ることに。 ・ガブリには1週間の休暇、といっても試合に出ないだけ。先日のブルッハス戦に2枚目のカードをもらって、CL第6戦のガラタサライ戦お休み。そしてこの試合でもらったカードがリーグ戦5枚目で、週末のデポルティーボ戦も出場できない。 ・一方ガブリと違って、週末のデポルティーボ戦はでられるが、気をつけなければならないのは、カードが4枚たまっているナバーロ。クラシコにでるためには、ご用心、ご用心。 |
20年リーガ現役(2002年11月7日) 1983年9月3日、17歳のミケール・ソレールはエスパニョールの選手としてAT.マドリ相手にソリアで1部デビューを果たす。それから20年、2002年11月2日、37歳になったソレールはマヨルカの選手としてバジャドリ戦で今シーズン初めてプレー。そしてそれは前人未踏の地だった1部プレー20年に足を踏み入れた初の選手となった瞬間でした。 昨シーズンまでスペインリーグには19年間1部でプレーしていた選手がソレール以外に4人いました。イグナシオ・エイザギーレ(1941-60 バレンシア、ソシエダ、オサスナ)、ガインサ(1940-59 ビルバオ)、ヘント(1952-71 ラーシング、マドリ)、エウセビオ(1983-02 バジャドリ、AT.マドリ、バルサ)、そしてエウセビオが昨シーズンをもって引退。ソレール一人が残っていたわけですが、彼も今シーズンなかなかプレーのチャンスをもらえず、記録更新は第8節まで待たねばなりませんでした。 この他に特筆すべきことは、彼の所属クラブの数。20シーズンで7クラブに所属、そのなかにはバルサとマドリも含まれます。他の5つは、エスパニョール、AT.マドリ、セビリア、サラゴサ、マヨルカ。 彼の希望はもっともっとこの記録を伸ばすこと。そしてもう一つは1部500試合の仲間入りする事。現在までの500試合以上の選手はスビサレッタ、エウセビオ、ブーヨ、サンチスの4人。現在ソレールは491試合と後9試合でこの仲間入りを果たします。 |
「週刊三面」(2002年11月5日) ●ハッピーバースデー! ●エスパニョール・ピープル ●ピッツィー、ポロの選手でデビュー ●ロジェールへの褒美 ●Club Football FC Barcelona |
試合終わって、落ち穂拾い(2002年11月4日)
●ラーシング-バルサ戦●(リーグ) ・アラベス戦開始前に、バルサの選手が円陣を組んでカツを入れる珍しいシーンが見られたが、その時の6-1の効果を狙ってかこの試合でも再び。しかし・・・。 ・ナバーロは1部リーグで初ゴール。1部だけではなくバルサB時代にもゴールを入れたことがない。最後にゴールを決めたのは、フベニル時代の4年前、それもPKでの1点。あまりに久しぶりなので、どうやって喜んでいいのかわからなかったナバーロ君、あのガッツポーズもよかったね。 ・久しぶりなのは、オーベルマルスのリーグ出場も。昨シーズン5月11日のサラゴサ戦から実に半年ぶり。 ・バンガール監督、サルディネーロでは負け知らず(2勝2分)という記録「一応」更新。 ・今シーズン、未だ逆転劇を演じたことのないバルサ。今まで先制されたベティスとバジャドリには敗北、オサスナとこの試合はやっと引き分け。 ・普段はファールを受ける方が多いバルサ。この試合では、90分通じてバルサのファールが27と、ラーシングの20を上回るファールを記録。これは何を意味する? ・観客席には、バルセロニスタのプロゴルファー、バジェステロスと奥様の姿。そして、ジャージ姿で潜り込んだのは、アルゼンチン代表監督のビエルサ。彼はこの試合の前にビルバオ-セルタの試合を観戦し、その足で駆けつけている。 |
2200試合を迎えるバルサ(2002年11月3日)
スペインリーグは、1929年にラーシング、バルサ、レアル・マドリ、エウロッパ、ソシエダ、ビルバオ、アレナス・グエッチョ、At.マドリ、エスパニョール、レアル・ウニオンの10チームで創設されました。そして、同年2月10日に最初の試合が行われ、それ以来1シーズンも欠かすことなく1部チームで戦い続けているチームは、バルサ、マドリ、ビルバオの3チーム。今週第8節の試合が各チーム2200試合目となります。 バルサの記念すべき第1試合目は、1929年2月12日、第1節の最後の試合として、サンタンデールに出向いきラーシングと戦い0-2と勝利しています。そして今夜2200試合目を同じラーシングと戦う事になります。 ビルバオは、このときいきなりソシエダ相手のダービー戦で、1-1の引き分け。マドリはエウロッパ相手に地元で5-0でスタート。そしてマドリ2200試合目は、昨日すでにリアソールで引き分けで終えています。 また、エスパニョールがレアル・ウニオン相手に開始5分で決めたのがリーグの最初のゴール。そしてこの最初のシーズン、バルサが25ポイントで優勝しています。 ●2199試合の3クラブの成績 バルサ 1195勝 547敗 457分け マドリ 1255勝 476敗 468分け ビルバオ 991勝 713敗 495分け |