2002年
2003年
2月
試合終わって、落ち穂拾い(2003年2月27日)

●インテル-バルサ戦●(CL)

・この試合で、デブーはインターナショナルの大会出場118試合。この数字、マルディーニとなら並んで1位。

・サンシーロに駆けつけたバルセロニスタは約400人。カンプノウに駆けつけた5000人のインテリスタに比べると、ちょっと少ないかな。

・サンシーロ、バルサカピタンに呪いをかけたか。まずは、ルイス・エンリケがミラノまで行きながら、風邪で熱を出し出場できず。そしてカピタンマークをつけたコクーが2〜3か月の負傷。その後のカピタンプジョーはデブーと衝突して負傷。デブーも眉の所を一針縫う負傷。お祓いしなきゃ!

・バルサはサンシーロでのインテル戦は悪くない。初回は2−4で勝利、2回目は1−1の引き分け、そして3回目のこの試合0−0の引き分けで、未だ負け知らず。

・サビオラが白いシューズをデビューさせたのはエスパニョール戦。それ以来白が流行なのか、この試合ではモッタとロッケンバックも白いシューズをはいてプレー。そこで思い出すのが、白はバルセロニスタにウケがよくないと金色のシューズにしたアルフォンソ。今なら白でもよかったのにね。

・貴賓席にはたしかもうやめたはずの会長ガスパーの顔も。

連勝キラー不在(2003年2月26日)

1992/93シーズンにミランによって作られたチャンピオンズ10連勝という記録を破り、快進撃中のユーロバルサ。今日は12連勝とさらに記録更新を賭けてのインテル戦。

しかしながら、データをよく検討してみると、チャンピオンズに限定しなければ、ヨーロッパの大会で11連勝というのは実はすでに達成されている記録なのです。それは2シーズンに渡っての記録ですが、1986年から88年にかけて、アジャックスが達成しています。86/87シーズン、レコパ(カップ・ウィナーズカップ)の準々決勝から決勝まで4連勝したアジャックスは、翌シーズンは、12試合目の準決勝でマルセイユにホームで1−2と敗北。もっともその前の試合がフエラで0−3と勝利していたため決勝に進んでいますが、連勝は11でストップ。

さて、そこで思い出すのは、ミランが11試合目で負けて連勝をストップさせられた相手、これもマルセイユ。マルセイユは、隠れた連勝キラークラブ。そして今回のチャンピオンズにはこの連勝キラーが顔を出していない。ということは、バルサの連勝を止められるクラブはない!

試合終わって、落ち穂拾い(2003年2月23日)

●バルサ-ベティス戦●(リーグ)

・ベティスはこの試合で、新しいデザインのユニフォームデビュー。色こそ違え半分に分かれたデザインは、バルサの100周年のユニをちょっと思い出させる。そしてもう一つ初お目見えしたのは、ホアキンのオレンジ色のシューズ。

・バルサ、スペインリーグが始まって72シーズン目にして1200勝を達成。

・実は、カンプノウでのベティス戦は、バルサ大勝のお約束試合。98/99、99/00と2シーズン続けて4−1、次のシーズンはベティス2部落ちで試合はなく、01/02の昨シーズンは3−0、そしてこの試合4−0。

・サビオラのハットトリックは、バルサのユニを着て初めてのこと。そして、17歳でリーベルでデビューして以来、この2つ目のゴールでプロ生活100ゴール達成。

・アンティックが来てからの4試合、最初のビルバオ戦で2失点したのみで、3試合連続無失点。そして得点は11。うち2得点のみが後半で、残りの9得点はすべて前半での獲得。

・バンガールがしつこいほどやらせた、クルービーのヘッドに合わせたスローイン。一度として成功しなかったが、アンティックバルサは4試合目の開始1分で決まった。

・試合後、ホアキンはプジョーとユニ交換。

・前半途中で左足に痛みを感じて交替したオーベルマルス。詳しい検査の結果はまだだが、ドクタープルーナの診断では、それほど重大な負傷ではないものの、来週のインテル戦はお休み。

リケルメ、ウソつかない!(2003年2月22日)

「ヨーロッパのフットボールの水に慣れるには時間が必要だし、彼自身が目覚める努力をしなければ」というリケルメへのコメントに対し、彼自身はそんなことはないという。出場チャンスがもっと欲しいという。「これまで出場機会を与えられた時には決して悪いプレーはしていないと思っている」と主張する。

ほんとうか、リケルメ?

リケルメは、リーグ15試合出場(スタメン7試合、途中出場8試合)でトータル896分プレーしています。そしてその多くは本来の彼のポジションではない所でのプレー。その中で1ゴールを決め、そしてゴールへのアシストは2回。アシスト数は彼の2倍以上(1901分)もプレーしているチャビと同じ。もっとも2ゴール決めているチャビよりは、1ゴール少ないですが、リケルメの枠内へのシュートは14本、チャビは16本。3ゴール決めているサビオラ(1230分)も枠内シュートは17本ですから、リケルメ決して見劣りしません。また、1333分プレーして1ゴール1アシストのメンディエタより上。ちなみに、シュート数は全部で27本。

この数字、ヨーロッパの大会を見てみるともっと驚くべき事がわかります。11連勝しているこの大会では、リケルメは331分プレー。そして2ゴールを決め、3アシスト。アシスト効率はバルサのなかではトップ。2ゴールは、サビオラ(5)、クルイベル(4)に次いでのもので、ルイス・エンリケ、ダニと同じ。そしてそれは、フィーゴ(697分 1ゴール)、ベルグカンプ(371分 1ゴール)をも押さえるプレーぶり。

リケルメ、ウソつかない!

「週刊三面」(2003年2月21日)

●浪費家の奥様はだ〜れだ?
「買い物しようとしたら、私のカードが使えないって言うのよ、どうなってるの?!」と、奥様から電話を受けたのは、バルサの外人選手の一人。銀行に電話して確かめると、その月の使用限度額を超過しています、との返事。そしてその限度額とは4万5千ユーロ、600万円近い金額。いったい誰の奥様でしょう?

●お隣さん
ブラッド・ピットが少年時代にアムステルダムに一時住んでいたことがあり、アメリカに帰るときに自転車を街の一角に置いてきた。そして今でも時々その自転車をみにアムステルダムを訪ねる・・・・という話がまことしやかにささやかれているそうだ。それが本当かどうかは別として、アムステルダムをよく訪ねるのは、マンションの1室をもっているから。そしてそれは、クルービーの持っているマンションと同じビル内ということだ。

●お帰り、バルサのココ
先日のCLでインテル側のベンチに座っていたココ。それでも、試合が終わるやいなや、グラウンドに飛び出し、クルービー、プジョー、ガブリに抱きつき、その他のかつての仲間にも挨拶。その姿は、まるでバルサの選手が勝利を祝い合っているようだった。そしてガブリとユニフォームを交換したココは、それを来て、バルサの選手控え室にも顔を見せた。そして、次のミラノでの試合では、ドクタープルーナにユニフェオームを進呈する約束を。

●サングラス一丁やっとくれ!
たった1試合のみの監督だったデ・ラ・クルス。試合後のインタビューでどうやって3-0なんていう結果がでるのか、という意地の悪い質問を受けた彼は「君は試合を見ていなかったのかね。もし見ていてそんな質問をするんだったら、モラト眼鏡店でメガネ作ってもらう必要があるね」と応じた。この思わぬ宣伝をしてもらったモラト眼鏡店、デ・ラ・クルスにサングラスを贈呈したそうな。1試合限りの監督の余録。

試合終わって、落ち穂拾い(2003年2月19日)

●バルサ-インテル戦●(CL)

・試合前、最近引退したテニスプレーヤー、アランチャ・サンチェスの功績をたたえて、クラブからたてが贈られ、集まったバルセロニスタから拍手でむかえられた。

・カンプノウには5000人のインテリスタが応援に駆けつけた。試合中に、彼ら向けにイタリア語でアナウンスがある毎にブーイングが飛ぶカンプノウだった。

・この勝利で、チャンピオンズリーグ始まって以来の11連勝という新記録を樹立したバルサ。またこれは、1955年にヨーロッパの大会が戦われるようになって以来の200勝目となった。

・デブーは、この試合でチャンピオンズリーグ70試合目。

・インテルがヨーロッパの大会で3失点を喫したのは、88-89のUEFAカップで、バイエルンに地元で1-3と負けて以来。

・この試合でイエローカードをもらったコルドバと、レッドカードのレコバは次の試合のバルサ戦には出場できない(12連勝、いただき!)。

・久々にゴールを決めたクルービーは、今までと同じ黒い靴。というのは、スポンサーが決まらず、履いているシューズを黒く塗りつぶしてから、ゴールが決まらなくなったのでは、という噂が最近でていた。しかし、その同じシューズでゴールが決まり、靴には責任がないことが判明。

・レンタルという形で昨シーズン1年間だけのバルサ在籍だったにもかかわらず、バルセロニスタから好かれているココ。この試合には出場しなかったが、試合後、かつての仲間一人一人挨拶してまわるココだった。

・この日、バルサ新会長のとなりに座ったインテルのモラッティ会長は、1995年にインテルの会長になってからちょうど8年の記念すべき日だった。そして貴賓席には我らがやめたばっかり会長のガスパーの顔も。

試合終わって、落ち穂拾い(2003年2月16日)

●エスパニョール-バルサ戦●(リーグ)

・エスパニョールにとって、この試合は3万9000人と先日のマドリ戦に次ぐ2番目の入りとなった。

・この試合で初デビューのサビオラの白い靴は、アディダスのニューシューズ。ゴールこそ決めなかったけど、久々勝利で縁起よし?

・バルサの勝利となる2ゴールを決めたコクーとチャビ。彼らにとってもそれぞれリーグ2ゴール目。コクーは今年1月のレクレアティーボ戦で1ゴール目を決めたばかりだが、チャビは約4か月前のアラベス戦でのゴール以来。

・前半の終了間際から、屋内の練習場で走り込みを始めたタムード。前半終わって控え室に帰って初めて2点リードされたことを知らされた。

・かつてのバルサカンテラたちが多く見られたエスパニョール。ルジェールはこの試合がエスパニョール100試合目。そして後半出場したお兄さんのオスカーは、これが1部150試合目となった。

・バルサにとってクレメンテとの相性は悪くない。というのも、クレメンテは1989-90シーズンにAt.マドリの監督のとき1-0でバルサを破って以来、チームは代わってもバルサ相手に勝ったことがない。14年間で9試合戦い、成績はソシエダ時代に0-0と唯一引き分けただけの8敗1分け。バルサに決められたゴールは32ゴール、入れたのはたったの3ゴール。

・この試合、レイナ新会長のデビュー。エスパニョール会長の横に座ったレイナ会長、バルサのゴールやピンチに、顔一つ眉一つ動かさない。ガスパーを見慣れている人には寝ているようにもみえたかも。

「週刊三面」(2003年2月14日)

●一に節約、二に節約、三四も含めてなんでも節約
今やお金のないバルサ、1ユーロでも節約できることは実行せよ。というわけで色々チェックした結果、バルサの遠征先での警備に、そのホテルの警備員を雇うよりも、バルサの警備員を遠征に同行させた方が安上がりという報告が出た。そのため今後はすべての遠征に3人の警備員が同行することに。監督が代わろうが、会長がやめようが、バルサの厳しい財政状態は同じ。

●ペップ2世か、プチ・ストイチコフか
2月8日、グアルディオーラに2人目の子供であり長男となるマリウスが誕生。それはまさしく、ガスパーが予告辞任をした後に生まれた最初の新星バルセロニスタ、ペップ2世。そしてその日は、ルル〜ン・ストイチコフの誕生日でもある。それにしても長女は、セルジと同じ誕生日だったはず。バルサとの縁は切れないペップ・ファミリー。

●バルセロニスタの苦悩
PP(大衆党)の党首アスナールがマドリディスタというのは有名。そして対抗するPSOE(社会党)の党首サパテーロがバルセロニスタというのも周知の事実。しかしサパテーロがキニエラ(サッカーくじ)好きで、いくつかのキニエラファングループに所属し毎週賭けている、というのはあまり知られていない。そしてもっと知られていないことは、かなり確率よく当てているらしいということ。つい先日も、1325ユーロ(17万円)当てたそうだ。しかし今シーズンの彼は、当てるためにはバルサの引き分けや負けもつけないとならないのが・・・つらい。

●カナルプルスは鬼門
日曜日にリーガの1試合を中継するTV局はカナルプルス、今シーズンはバルサの試合を6試合中継している。その内訳は、バジャドリ、セビージャ、セルタの敗戦、ラーシング、マラガ、ビルバオの引き分けで6試合で0勝という呪われた成績。18ポイント中3ポイントしか獲得できないバルサだが、果たして呪われているのはカナルプルスとの相性なのか?

試合終わって、落ち穂拾い(2003年2月10日)

●バルサ-ビルバオ戦●(リーグ)

・新星バルサ出だし好調、と思わせた前半だったが、結局引き分けに。これでバルサ、5試合連続勝ち知らずの2分け3敗。

・この試合ゴールを決めたサビオラとオーベルマルス。今シーズン初ゴールではないけれど、2人ともカンプノウではデビュー・ゴール。

・監督が代わってのカンプノウ初試合は負け知らずという、57−58シーズンにエレーラ新監督になってからのバルサの記録は、アンティック監督も引き分けという結果でかろうじて維持。その間14監督の名が刻まれ、引き分けと終わったのはアンティックで4人目。

・カンプノウの保安上の問題から、北ゴール裏にいつも陣取り旗を振って応援するボイショス・ノイスと他のファンとの間に新たに柵が作られた。そしてそれに抗議の意から、ボイショス・ノイスの面々はカンプノウには来たものの、前半は応援を拒否。後半5分後からは彼らの姿が見られたが、試合は・・・。

・1998年のノーベル平和賞受賞者、John Hume氏が、元バルセロナ市長マラガールとガスパー2月いっぱい会長と一緒に観戦。

・客席にはかつての名キーパースビサレッタの姿。現ビルバオのスポーツディレクターの彼は、もちろんバルサの応援はしない。一方バルサの応援をしていたもう一人の元キーパーはレイナ。引き分けに終わった試合を惜しみながらも、試合後はかつての仲間に挨拶。新顔は、アンティック新監督の姿を観戦にやってきた、アンティックファミリー。今シーズンサブコーチとしてベンチに座っていたジョンケル氏も観客席では新顔。

監督への長い道のり(2003年2月9日)

ラーシングの会長ピーテルマン氏は監督も務める・・・といっても、カメラマンとしてだったたり、道具係としてだったりと変装(?)してのベンチ入り。彼は監督のライセンスを持っていないため、監督としてベンチ入りは許されないからなんです。これは最近話題になっている「ピーテルマン事件」、じゃ、さっさと監督のライセンスをとれば・・・というわけにもいかないのがつらいところ。というのはスペインで1部の監督としての資格を取るためには6年間の講義と実地訓練が必要になるのです。

この監督資格を取るためのコースは3段階に分かれており、各コース共に1学年(9月ー6月)の授業と、その後半年の実地訓練で計2年間かかります。最初のコースを終えれば、少年チーム(クラブ下部組織)の監督をする資格が得られます。そして次のコースを終えるとアマチュアチーム(3部以下)の監督の資格。最後のコースを終了する事によりプロチーム(1部と2部)の監督資格が取れます。

他の国はどうかというと、イングランドは資格の規定が一切ありません。そのため、ビアリがチェルシーの監督兼選手などということもできたわけです。フランスはスペインのように資格が必要ですが、ナショナルチームにいた選手には自動的にプロチームの監督の資格が与えられます。プラチニやルイス・フェルナンデスなどがその特典で監督の資格を獲得しています。しかし彼らもアマチュアや少年チームの監督になるにはちゃんと勉強して資格を取らなければなりません。他の国はスペインと同じようなシステムですが、特例がある国もあります。オランダのクライフやドイツのベッケンバウアーなどは、彼らの選手としての功績から、監督の資格が贈られています。

スペインではこの特例というのは認められておらず、どんなに有名な選手でも1部の監督になるには6年間の期間が必要。監督を目指す人は選手時代から勉強を始めますが、週3回ある講義に出席するのはプロの選手達、特に1部で活躍する選手達には時間的にもかなりきついものがあります。
この審判学校、全国で23校ありますが、各校によって授業時間もマチマチであったり、未だに統一のとれていない制度だと批判するのは、昨シーズンソシエダの実質監督だったオラベ氏。彼はこの資格コースの第2段階までしか終了していないため、サモーラ氏を名義上の監督としておき、彼はサブコーチとしてベンチに入っていました。しかし彼は、監督として記者会見をしたいうことで、4か月の制裁をうけました。またこの制度に対し、ろくにフットボールをしたことのない人物が講義する授業から何一つ学ぶことはなかった、まったくの無駄の6年間だった、という批判も聞かれます。

ちなみにこの6年間という期間は、医者になるなるために必要な期間と同じ。授業料も大学の法科や経済などが平均約600ユーロなのにくらべ、この監督資格コース、第1コースは750ユーロ、第2コースが850ユーロ、第3コースが950ユーロとかなり高くなっています。それでもスペインで監督を目指すならこの道を通らなければないません。昨年はこの第1のコースに2000人が登録しました。

「週刊三面」(2003年2月6日)

●TVゲーム
以前話題に上がった、バルサのTVゲーム「クラブ フットボール FCバルセロナ」がいよいよこの春にはプレステ2と、XBox版でデビューする。これにはカタラン語とカステジャーノ語・バージョンの2つが用意されるそうだ。この「フットボールクラブ」シリーズは、バルサの他、マドリ、ユーベ、マンU、ミラン、バイエルン、インテル、アーセナル、チェルシー、アストンビラ、ハンブルゴ、リーズ、レンジャーズ、アジャックス、ドルトムンド、リバプールと計16クラブが予定されている。ヨーロッパのTVはPAL方式のため、残念ながらこのゲームはそのままでは日本では遊べない。日本向けのものが発売されるといいね。

●インターネット、リーグ順位より上
dicelared.comの発表では、インターネット上でバルサのオフィシャルページのアクセス数は、スペインで10番目ということ。これはマドリ・オフィシャルページアクセル数の上を行く。ちょっと面白いのは、一つ上の9番目に入っている会社。マドリのフロレンティーノ会長の経営するアセッサだ。ちなみに1位はBBVAという銀行。

●お住まいはどちら
元バルサ監督となったバンガールだが、当分オランダに帰る気はなく、このままバルセロナ郊外のシッチェスの住み続けるということ。一方、サブコーチとしてオランダからやってきたジョンケル氏は、3人の子供の学校が終わり次第、オランダに帰るということだ。短い滞在でしたね。

●試験地獄
オレゲールは大学で経済を学ぶ学生でもある。1月29日には経済の歴史の試験があったが、ベンフィカ戦に招集されていたため、先生の特別許可で1週間試験を延ばしてもらった。そしてその新たな試験日はアンティック新監督の練習初日。どっちもパスできたかな?

はじけたフットボールバブル(2003年2月4日)

1月31日をもって、冬の移籍マーケットが閉じられました。今年は1部20チームで20人の加入選手が記録されましたが、そのほとんどは、移籍料なしか、レンタルの形。

オサスナがウルグアイ人のモラーレス獲得に200万ユーロ、セルタがラス・バルパスからアンヘル獲得に100万ユーロと、この冬のマーケットで移籍料として動いたのは全部で300万ユーロのみ。1998年のこの時期の移籍総額が6600万ユーロにくらべると、なんと5%にしかなりません。ちなみに、1999年5700万ユーロ、2000年は少し落ち込んで1500万ユーロ、2001年5280万ユーロ、昨年の2002年は2420万ユーロの移籍料が払われています。バルサだけでなく、フットボールバブルがはじけてどのクラブも苦しい状況を迎えているのがみてとれます。

この冬補強選手をとらなかったのはAt.マドリ、ビルバオ、ベティス、デポルティーボ、マラガ、マドリ、ソシエダ、バジャドリの8クラブ。一番多くの補強選手をとったのは、オサスナとレクレアティーボの3人。オサスナはこれにカンテラからもう1人引き上げています。

バルサには、ソリンがラッチオからレンタルで。そして、この冬の移籍マーケットとは関係ありませんが、アンティックという監督も新登場。

試合終わって、落ち穂拾い(2003年2月2日)

●At.マドリ-バルサ戦●(リーグ)

・この試合の朝、選手達はホテルの周りをのんびりと散歩。この散歩、昨シーズンまではアウェーの時に必ず行われていた事だったが、バンガールが監督になってからは、必要ないと取りやめられていた。しかし、久しぶりの散歩も勝利にはつながらなかった。

・試合開始前、発煙筒を焚いたということで、バルサファンが一人逮捕された。そして試合中に発煙筒を焚いてグランドに投げ込んだアトレティコファンも2人逮捕。

・選手入場の時、両チームの選手が掲げていたのは、2012年のオリンピック開催地をマドリッドへというプロモーション。このお返しとして来シーズン、アトレティコがカンプノウで試合をするとき、一緒に2004年のバルセロナフォーラムの宣伝をすることに。

・今シーズン、2連勝止まりで3連勝をしたことのないバルサだが、バレンシア(2-4)、セルタ(2-0)、At.マドリ(3-0)と3連敗の方はこれで達成。

・失点が得点を上回ってしまったバルサだが、2試合続けて無得点というのもすでに3回目。1回目はデポルティーボ戦とマドリ戦、2回目はラーヨ戦とセビージャ戦、そしてこのセルタ戦とAt.マドリ戦。

・プジョーは、先週から痛みがとれず、この試合には痛み止めを打っての出場となった。

・レッドカードで退場となったロッケンバックは少なくとも、ビルバオ戦は出場停止。