2003年
9月
2004年
ビバ、メヒコ! ビビッタ メヒコ!(2003年9月30日)

バルサは、At.マドリ戦終了後、バルセロナには戻らず、そのままマドリの飛行場からメキシコに向けて旅立ちました。チャーターしたエアバスには、バルサの選手、コーチ陣、役員など関係者のほか、記者やAt.マドリ戦とメキシコ観戦を含めて600ユーロで売りに出されたパックを買ったバルセロニスタ約40人の計110人が乗り込み、29日午前0時30分に出発。そしてほとんどの人が眠っていた約5時間後、飛行機は予期せぬ上昇気流に突入、約5秒間で200メートル近く機体が持ち上げられました。シートベルトをしていなかった人は席から放り出され、床で寝ていたルイス・エンリケ、プジョー、モッタもあわてて飛び起きるなど、機内は一時パニック状態。その後は何事もなく無事メキシコに着陸。飛行機嫌いのサビオラとルイス・エンリケは青い顔をしていたそうですが、同乗していたセクレタリオ・テクニコのチキは「な〜あに、At.マドリ戦の最後の15分間の恐怖に比べれば、この5秒間はたいしたことなかったな、ワッ、ハッ、ハッ」と高笑いだったとか。

すでに、メキシコについている選手たちは、時差になれるため、眠くてもすぐにはベッドにいくことは許されません。まずはのんびり散歩し、夕方には軽い練習が予定されており、明日10月1日20時30分(スペイン時間2日3時30分)からの試合に備えます。この試合後トンボ帰りのバルサは、日曜日にはバレンシアをカンプノウに迎えます。

初のUEFAカップ優勝を目指して(2003年9月26日)

1955年から始まったUEFAカップの前身、コパ・デ・フェリアでは3回優勝したことがあるバルサですが、1971年にコパ・デ・ウエファ(UEFAカップ)と名を変えてからは決勝戦にも進んでいません。一番最近のUEFAカップでは、2000−01にリバプールに準決勝で敗れています。

71年からは今シーズンを含めず10回UEFAカップ戦に参加していますが、そうのち4回が準決勝で敗退、3回が準々決勝での敗退となっています。この10回の参加で、70試合戦っており、36勝19敗15分け、133得点71失点の成績。得点王はヨハン・クライフの12ゴール、続いて11ゴールのレシャック、8ゴールのヨハン・ニースケンス。ハットトリックを決めた選手はレシャック、ルジェール、ルイス・エンリケの3人。

現在、UEFAの3つの公式カップ(ヨーロッパカップ、レコパ、UEFAカップ)をもっているクラブは、ユベントス、バイエルン、アジャックスの3つ。今シーズンバルサがUEFAカップを手にすれば、4つ目のクラブとなることができます。ちなみにレコパはすでに廃止されているので、どんなに宇宙艦隊を率いようが達成できないクラブもあります。

第1試合目引き分けと、スタートはあまりよくなかったバルサですが、こんなところでつまずいているわけにはいきません。未だバルサ博物館に飾られていない優勝カップ、UEFAカップを獲得し、ヨーロッパ3大カップ保持を目指せ、バルサ!

カンプノウ、
試合終わって、落ち穂拾い(
2003年9月21日)

●バルサ−オサスナ●(リーグ)

●土曜日の19時30分という開始時間にもかかわらず、カンプノウは83,674人の大盛況。そして、この試合の前にミニエスタディで行われたバルサBの弟たちの試合も大盛況。普段は500人から1,000人という観客数が、この日はなんと7,000人。結果は残念ながら、兄弟共々引き分け。

●この試合でチャビはバルサ公式試合200試合を達成。1998年8月にデビューしてから6シーズン目にしての記録。

●真夜中のパーティー・セビージャ戦に引き続いて、夕方のパーティー・オサスナ戦。18時に開門したカンプノウでは、ロックバンドが入ってコンサート。もちろんバルサイムノも演奏。
一方、真夜中には無料で配られた食事は、今回は有料。それでもモンタディートと呼ばれるバスク地方のオープンサンドスタンドは人気。
ハーフタイムには、スコットランド楽団が観客の目と耳を楽しませた。

●今シーズン、ガンペル杯を含めてカンプノウでの3試合はすべて1−1の引き分け。しかも相手に先制されて、バルサが追いつくという同じパターン。

●バルサのリーグ・ゴレアドールは、コクーとロナルディーニョの2ゴール、次いでルイス・エンリケの1ゴール。おーい、デランテーロはどこだ?

●オサスナは3シーズン続けてカンプノウでポイントを稼いでいる。しかも地元試合含めて3勝3分けのバルサ相手に負け知らず。

●リーグ開始から地元2試合で2引き分けという成績はなんと60年前の43−44シーズンまでさかのぼらないとない。その当時はレス・コルツなのでカンプノウでは始めての出来事。
60年前は4試合で1勝3分け、カサでビルバオ(3−3)、デポルティーボ(3−3)の2引き分けで、フエラではバレンシアに勝ち、ソシエダに引き分けていた。
リーグ第4節で2勝2分けという成績はよくあることで、最近では01−02シーズンも。

●試合終了後、ロナルディーニョとバカヨコがユニ交換。この2人、昨シーズンまでは、フランスリーグで戦っていた仲。

●観客席シリーズ
・パルコ招待席ではなく、自分の席に座っていた元会長のヌニェスとガスパー。こんなに近くにいるのにお互い知らん顔。
・パルコの招待されたのは、カタルーニャを公式訪問しているスコットランドの大臣たち。現在開催中のレディス・ワールド・マッチに参加している女子ゴルファーたち。そして真夜中のパーティ・セビージャ戦で協力したメーカーの人たちも。
・日本でのバルサオフィシャルショップ開店記念に訪れていたチキも、バルセロナに戻っての観戦。

死の高原ロード(2003年9月20日)

リーグが始まってから、ナショナルチームの試合などがあり、ハードなスケジュールでしたが、今週はようやく1週間みっちり、のんびり練習ができたバルサ。しかし、今日のオサスナ戦を皮切りに、リーグ、UEFAカップ、国王杯とこれから過密スケジュールが続きます。そしてこれをまた一段とハードにするのは、10月1日に組み込まれたメキシコDFとの親善試合。これによりバルサは18日間(9月20日から10月7日)で6試合戦わなければなりません。

 9月20日 バルサ−オサスナ(リーグ)
 9月24日 プチョフ−バルサ(UEFA)
 9月28日 At.マドリ−バルサ(リーグ)
10月 1日 メヒコ・DF−バルサ(親善試合)
10月 5日(?) バルサ−バレンシア(リーグ)
10月 7日 グラマネ−バルサ(国王杯)

問題はただ親善試合が1試合増えるというだけではありません。マドリ経由でメキシコまで往復約2万キロの旅を強いられることになり、体力的な事に加えて時差ボケも考慮に入れなければなりません。時差ボケ回復には、だいたい1時間の時差に対し1日かかるといわれていますが、メキシコとは7時間差あるにもかかわらず、帰りの飛行時間を加えても次の試合は3〜4日後となります。

そしてもう一つの問題は高度。試合が行われるアステカスタジアムは標高2,300メートルという高地。こういうところでプレーするという事は、酸素不足で、心臓、血管、肺、脳などの働きに影響がでるため、事前の順応時間が必要となります。もっとも、この高度の影響は、試合直前に到着し、練習もまったくしないということで逆にかなり減らすことができるといわれています。そしてバルサドクター陣は、すべての選手が45分以上プレーしないようにとも忠告しています。それにしても、この影響もやはり回復するまでに3〜7日かかると言われており、週末に予定されているバレンシア戦は苦しい戦いとなるでしょう。

では、これほど厳しい状況での親善試合をなぜしなければならないのか、その答えは、もちろん金。この1回の親善試合でバルサに入ってくる金額は、なんと180万ユーロ。これはプレシーズンの3つの親善試合をしたにアメリカ遠征よりも多い額です。金も大事ですが、ケガだけはしないように。

スポーツ・ディレクター(2003年9月17日)

チームの成績が悪い、勝てない・・・そりゃ、監督が悪い! クビだ! というのが今までのフットボール界の常識。しかし、ここ数年チームの良し悪しの責任を問われる別の人物が登場してきています。その名はスポーツ・ディレクター。以前はセクレタリオ・テクニコと呼ばれていた人たちで、太鼓腹で葉巻をくわえているのが彼らのイメージでしたが、現在では1部リーグでこの職についている16人は元選手となっています。ラーシング、ムルシア、サンタンデール、ビジャレアルの4クラブのみが、昔タイプのセクレタリオ・テクニコを起用しています。

このスポーツ・ディレクターの彼らが監督を選び、チームの構成も決めます。この監督よりも選手構成に力を持つスポーツ・ディレクターの存在理由を、1994年からセルタのスポーツ・ディレクターを務めるフェリックス・カルネロはこういいます。
「監督たちは、短い期間にやめていったり、クビになったりするが、選手たちはそうではない。だから、新しい選手獲得するとき、監督にあった選手でなく、クラブにあった選手を獲得しなければならない。誰がベンチで指揮をとろうが関係なく、プレーできる選手を。それがクラブの方針であり、我々がやろうとしていることだ。」

もちろん、こうなると監督とスポーツ・ディレクターの衝突も起こってきます。バレンシアの監督ベニテスは、カリュー、サルバ、ディエゴ・アロンソなどを放出しておきながら新たなデランテロを獲得してこないスポーツ・ディレクター、ガルシア・ピタルチともめました。また監督よりも権限を持つスポーツ・ディレクターが監督よりも若いという現象が起こってきていることも一つの問題といえるかも知れません。

この選手獲得・放出の仕事が主な彼らにとって、リーグが始まる前の夏は、ゆっくり休むどころか、地獄のような忙しさになります。
「もう、1分たりとも動けない。7月は選手探しにアルゼンチンリーグにくっついていたし、その後は監督交代、選手の去就・・・もうダメだ。」と最近ようやく2週間の休みを取ったのは、AT.マドリのスポーツ・ディレクター、トニー・ムニョス。このほかにもリーグが始まりようやく休みを取ったのは、オサスナのマルティネス、セビージャのモンチ。
「もはや我々にとって夏は楽しい時期じゃないね。」と、何もしないので有名なスポーツ・ディレクター・ホルヘ・バルダーノさえいいます。

そして我が新星バルサのスポーツ・ディレクターのチキ・ベギリスタインは、こう語ります。
「元選手であるという経験は非常に重要なポイント。例えば、選手のエージェントと会って話すとき、どこまでいくのか予測が付く。だって、選手市場の価格やその選手がどれだけ活躍できるかなど、事前に分かっていることで、だまされるようなことも避けられる。」
彼の元同僚で友人、AT.ビルバオのスポーツ・ディレクター、スビサレッタは、このスポーツ・ディレクターの仕事をもう一歩めて考えています。「我々スポーツ・ディレクター同士がクラブを越えてもっと自由に情報を交換できるようになればいい。難しいこととは思うが、できるとしたら今しかない。」

この若いかつてクラブに所属した選手たちが権限を持って、クラブを運営していくわけですが、しかし、どんなに権限があっても、越えることのできないものもあります。それはクラブの金庫にある金。どんなに交渉を重ねに重ね、選手の承諾をとっても、支払うべき金がなければ苦労も水の泡。やっぱり一番力のあるのは・・・

●16人の元選手スポーツ・ディレクター

AT.ビルバオ(01年6月〜) アンドニ・スビサレッタ 41歳
  (選手時代所属チーム ビルバオ、バルサ、バレンシア)
セルタ(94年7月〜)     フェリックス・カルネロ 56歳
  (カステジョン、セルタ)
AT.マドリ(03年4月〜)  トニー・ムニョス 35歳
  (AT.マドリ)
R.マドリ(01年6月〜)   ホルヘ・バルダーノ 47歳
  (アラベス、サラゴサ、マドリ)
バルサ(03年6月〜)     チキ・ベギリスタイン 39歳
  (ソシエダ、バルサ、デポルティーボ)
アルバセテ(99年7〜)   アントニオ・ロペス 38歳
  (アルバセテ、エストレマドゥーラ)
ベティス(03年7月〜)    マヌエル・モンパリエ 36歳
  (ラーヨ、メリダ)
セビージャ(00年7月〜)   モンチ 35歳
  (セビージャ)
デポルティーボ(01年7月〜) エドゥアルド・ロペス 59歳
  (デポルティーボ)
オサスナ(02年1月〜)    マルティン・ゴンザレス 39歳
  (オサスナ、ラーヨ)
サラゴサ(02年5月〜)    ミゲール・パルデッサ 38歳
  (マドリ、サラゴサ)
エスパニョール(01年6月〜) セルヒオ・モルガド 39歳
  (エスパニョール)
バレンシア(02年9月〜)   ヘスス・ガルシア・ピタルチ 39歳
  (バレンシア、エスパニョール、ログローニェス)
ソシエダ(02年6月〜)    ロベルト・オラベ 35歳
  (ソシエダ)
マラガ(02年7月〜)     マノロ・イエロ 41歳
  (マラガ、バジャドリ、ベティス、テネリフェ)
マジョルカ(93年7月〜)   ぺぺ・ボネ 46歳
  (マジョルカ)

ゴレアドールはどこだ?(2003年9月13日)

第1節、2節が中2〜3日で戦われた後、10日間ほどの休みになっていたリーグが今日戻ってきます。たった2節だけの統計ではどんな結論も引き出せませんが、それでも目立つ数字は、ゴール数の少なさ。2節終わっての20試合で36ゴール。1試合平均1.8ゴールのこの記録を下回るのは、33ゴールの1984−85シーズンまでさかのぼらなければなりません。
クラブ別には、デポルティーボ、マドリ、ラーシング、マヨルカ、エスパニョール、ベティスが3ゴールで最多、1ゴールもあげていないのは、マラガ、ビルバオ、サラゴサ、アルバセテ。

●過去10シーズンの2節までの総ゴール数
94−95  58ゴール
95−96  67ゴール
96−97  67ゴール
97−98  55ゴール
98−99  37ゴール
99−00  55ゴール
00−01  61ゴール
01−02  51ゴール
02−03  60ゴール
03−04  36ゴール

ちなみに他のリーグを見てみると、イタリアは1節9試合で、32ゴール(1試合平均3.5ゴール)、ドイツは4節36試合で、101ゴール(1試合平均2.8ゴール)、イングランドは3〜4節36試合で、104ゴール(1試合2.9ゴール)となっています。
さて、今日から戻ってくるリーグでどれくらいゴールが増えるでしょう。バルサのゴレアドール、クルービーも戻ってくることですし。

増えるソシオ(2003年9月10日)

敗退したとはいえコパ・デ・ヨーロッパの決勝まで進んだ1986年、バルサは歴史上で最高のソシオ数108,928人を記録しています。それ以後、ソシオ数は下降線をたどり、1992年のヨーロッパチャンピオンの年で98,677人、翌年93年には95,889人まで落ち込みます。そしてその年を底として、徐々にソシオ数を増やし、今年03−04シーズン初頭には、106,766人と86年の記録に近づきました。

特に7−8月の2か月に限ってのソシオ申し込み数をみると、ガスパー政権の00年232人、01年212人、02年の397人に比べ、ラポルタ政権に変わった今年は946人のと、倍以上の新たなソシオが増えています。それは、新しいバルサへの期待度のあらわれでしょう。またこの新規ソシオ946人のうち半分以上の598人が11〜14歳となっています。バルセロニスタ次世代も着々と増えているのです。

カンプノウ、
試合終わって、落ち穂拾い(
2003年9月4日)

●バルサ−セビージャ●(リーグ)

●火曜日には試合はしません、というセビージャ会長に対し、水曜日だったら文句ないだろう、と試合開始時間を水曜日の0時5分としたバルサ会長。この真夜中のパーティーには・・・
 ・集まったバルセロニスタ80,237人。
 ・売りだされたチケット12,000枚で完売
 ・オフィシャルショップボティガの売り上げ通常の2割増し。
 ・博物館入場者数3,301人

●9時15分から開門したカンプノウ。皆様に無料のお食事をサービスと、それぞれスタンドを立てて提供されたものは・・・
 ・ガスパッチョ  35,000杯
 ・キットカット 100,000袋
 ・チップス    20,000袋
 ・Actimel    25,000本
 ・ラスク     20,000袋
 ・ハム・サラミ       1トン
これらにクラブがかけた費用はゼロ。すべてメーカーが宣伝を兼ねて無料提供。

●試合開始前、先日行われたガンペル杯の最優秀選手に選ばれたプジョーに記念トロフィーが贈られた。

●試合時間を早めたににもかかわらず、結局コクー、クルイベル、レイジゲル、オーベルマルス、ジオの5人のオランダ人とサビオラは、ナショナルチームに呼ばれて不在。

●試合開始前のアナウンス。普通は「BONA NIT(よい夜を・・・今晩は)」とはじまるが、この試合では「BONA MATINADA(よい夜中を)」とはじめ、おおウケ。

●試合開始前に各選手の背番号と名前が呼ばれ、いつもならその名前の後に「オー!」という歓声が聞かれるが、今回はまず選手の名前がアナウンスされ、その後に観客がその選手の姓を返すという新方式に挑戦。例えば、「ヌメロ・ウノ ビクトール」とアナウンスされ、バルセロニスタは「バルデス!」と返した。
この試合ではうまくいったが、これから問題になりそうなのは・・・
 ・「ヌメロ・ドッセ バン」といわれて、誰が発音できるのかBRONCKHORST「ブロ・・・・むにゃむにゃ」
 ・ところで、マリオっていう選手はいったい名字はなんていうんだね? これは問題ない。「ヌメロ・ディエスセイス スーペル」・・・「マリオ!」

●スタメン出場のセルヒオ・ガルシアは、1部デビューは昨シーズン果たしているもののリーグ戦は初出場、そしてカンプノウでも初プレー。

●ガンペル杯での発煙筒投げ入れ事件以後、過激応援グループに対して取ったクラブ側の厳しい処置に、ボイショス・ノイスもはや応援はしないと対抗。というわけで、いつも彼らが占拠している北ゴール裏はひっそり。

●試合終了の笛が吹かれるやいなや、ロナルディーニョはゴラッソを決めたボールを手に取った。記念に持ち帰るのかと思ったら、クラックはそんなことはしないのだ。夜中に応援に駆けつけた8万人バルセロニスタのいる客席に向けてプレゼント。もっとも、もらえた幸運なバルセロニスタは1人だけ。

試合に備えて(2003年9月2日)

いよいよ明日未明、というよりも本日深夜のカンプノウでのリーグ初戦。このとてつもない時間に向けて、選手も観客もいつもとは違った行動予定となります。

選手たちバルセロニスタたち
14:30 カンプノウ近くのホテルに集合
15:00 昼食
16:00 お昼寝・休憩
20:30 夕食
21:15 カンプノウ開門するのでなだれ込む
21:30 軽い運動・マッサージ
22:30 カンプノウに向けて出発

22:45 スタジアムでのショーを見てやんややんやの喝采

00:05 試
始 盛り上がる声援

そして、この平日の深夜という時間にバルセロニスタをカンプノウに呼ぶためにクラブが繰り出すあの手この手は、以下のもの。

・ 早くからカンプノウを開いて、22:45からはグラウンドでショーを開演。
・ 入場料の割引。一番安い席は通常の半額で15ユーロ。
・ 入場者にはお弁当配布(ガスパッチョ、サンドイッチ、チョコレート)そして試合観戦用にチュッパチャップス。
・ バルサ博物館は22:45まで開館しチケットを持っている人は無料。
・ ソシオ、ヘンテ・デ・バルサの人たちは、ボディガでの買い物10%割引。
・ 01:30〜 街中心に向けてのバス運行。

新たなユニ販売戦略(2003年9月1日)

今シーズン、ビルバオは経済的理由からユニフォームに広告を入れる事を決定。そしてバルサも8月22日のソシオ審議会でバルサのユニフォームに広告を入れることが承認さたことにより、これでリーガすべてのクラブのユニフォームに広告が入ることになります。

クラブ理事会は、これからどこのスポンサーと契約するか検討段階にはいりまが、リーグが始まったからと言って急ぐことなく、契約料だけでなく、そのスポンサーがバルサにふさわしいところであるかどうかも考量の対象にし、慎重に検討していくということです。。

それでは、ユニフォームにつくスポンサーにはどんなところがあるか見てみると、フォードやトヨタ(バレンシア)、シトロエン(セルタ)などの自動車会社、銀行(オサスナ)、建設会社(デポルティーボ)、保険会社(ソシエダ)、携帯電話会社(マドリ)などです。バルサにはいくつものオファーが来ているということですが、その一つに製薬会社の名もあげられていました。

いずれにしても、スポンサーの名前やロゴが契約期間中ユニフォームにプリントされるわけですが、今シーズンのAT.マドリの契約したスポンサー「コロンビア・トリスター映画会社」はちょっと違います。1年のみの契約となっていますが、AT.マドリのユニには、この映画会社が配給する封切り映画のタイトルがはいります。ということは、ある期間毎にプリント文字が変わるわけです。それは同じユニを大量に作るわけにはいかないことを意味し、選手が勝手にユニ交換などできないという状況もうまれます。そして何よりも、この全タイトルのユニを蒐集しようというファンもあらわれるかもしれません、というよりも、すでにそれを見越して、セット販売も考えられていると言うことです。ちなみに最初のCMは黒人警官2人のコメディアクション映画名が、次にはハリソン・フォード主演の映画が予定されているそうです。