クリスタンバル Christanval

カルラス・レシャックが来シーズンに向けた構想の中で、かなりの比重をしめているのがディフェンスの補強だ。アベラルドがシーズン開始に間に合うのはほぼ不可能ということに加え、デブーの出場は絶望的状況。今シーズン、ただでさえ問題が多かったディフェンスである。その補強に力を入れるというのは、しごく当然のことだろう。
彼が特に興味をもったディフェンスは3人。ソル・カンベル、クリスタンバール、そしてアンデルソン。そして6月27日、モナコの宝石と呼ばれるクリスタンバールが5年契約でバルサに入団した。

バルサ側とモナコ、クリスタンバールとの交渉は3月の段階から始まっていた。基本的合意を得たのは、5月21日のモナコでおこなわれた会合といわれている。バルサ側からディレクターのアントン・パレイラとミンゲージャが交渉担当として会合に参加している。この日から約一か月たって、最終的に契約書が交わされた。

フィリップ・クリスタンバール、1978年8月31日生まれ。
彼の両親は、カリブ海に浮かぶアンティル諸島出身。70年代の中頃にフランスに移住している。クリスタンバールはサルセーラス(パリ)で生まれている。

幼少時のクリスタンバールは、どちらかというとスポーツに興味を示さない子供だったようだ。いつも家の近くで一人で遊んでいたり、部屋の中で勉強ばかりしている息子を見て、母親は彼を外に出すために何かスポーツクラブに行かせることを考える。その結果クリスタンバールは、柔道クラブに通わなければならないハメになる。しかし、それは2週間と続かなかった。なぜなら、どうせスポーツクラブに入るならフットボールの方がかっこいいと思ったからだ。

地元のサルセーラスに入ったクリスタンバールは、しょうにあっていたのかめきめきと頭角を現していく。3、4か月後には、歴史あるフットボールスクール・クレアーフォンタイネーに入る。アンリーやアネルカを生み出すことで有名なスクールである。

17歳を迎えた1995年、名門モナコが彼に目をつける。モナコ以外の都市から来た少年の誰もがするように、彼も両親と離れモナコの寮生活を強いられることになる。最初の2日間、彼の父親は近くのホテルに滞在し、息子を見守ったという。クリスタンバール家にとって、初めての親子別れ別れの生活が始まる。

友達はできたとはいえ、初めての寮生活が数か月間にわたり、寂しさを感じていたクリスタンバールだが、コーチたちも驚くような成長を見せる。翌年1996年、ヨーロッパジュニアー大会にクリスタンバールはフランス代表として選ばれ、初の優勝カップを手にすることになる。

クリスタンバールの成長に特に注目していたのは、ジャーン・ティガナであった。モナコの監督である。1997年10月1日、待望の一部デビューの日が訪れた。しかもバイエルン・リバクーセン相手のチャンピオンズリーグの試合がデビューとなった。そして3日後リーグ戦にもデビューすることになる。クリスタンバール、まだ19歳であった。

1999−2000のシーズンでクリスタンバールは、フランスリーグにおける「将来有望な選手」ナンバーワンの賞賛を受ける。だが彼はすべてのナショナルチームのカテゴリーに出場してきたとはいえ、セレクションAではまだ1回しかプレーしたことがない。彼の戦績を示しておこう。

フランス1部リーグ 81試合出場
チャンピオンズリーグ 15試合出場
カップ戦 15試合出場
アンダー20 16試合出場
セレクションA 1試合出場

フランスナショナルチームのディフェンスの壁は厚い。「ローレン・ブラン二世」と期待されるクリスタンバールにとって、2002年のワールドカップへの参加は、すべてこのバルサのシーズンにかかっている。バルサでスタメンとして出られない場合、日本行きも非常に難しいことは承知しているであろう。