クアレスマ  QUARESMA

リカルド・クアレスマの父であるアルフレッドは1970年代にオス・ベレネンセスというクラブでセントラルを務めたカピタンであり、またリカルドの兄もアカデミカというクラブでの現役選手だ。1983年9月23日生まれのクアレスマは、まさにフットボール世界を身近に育ってきた若者だ。

クアレスマは8歳でスポルティング・リスボアが経営する少年フットボール学校に入学している。この学校にはパウロ・フトレやルイス・フィーゴ、そしてシマオ・サブロッサを育てたことで知られているセサー・ネスシメントがいた。クアレスマは少年部に入ってすぐにこのセサーの注目を浴びることになる。だが彼のしたいスポーツはフットボールだけではなかった。暇を見つけてはもう一つの大好きなスポーツに親しんでいたクアレスマ、それはポルトガルでフットボールに次いで人気のあるローラーホッケーだった。そしてある日ついに“スポーツ替え”を決心し、フットボール学校を辞めローラーホッケーのクラブに入ってしまう。

この“間違った道”に進もうとしている息子に説得というかお説教というか、とにかく兄や父と同じ道を歩みなさいという母のお言葉がクアレスマを襲う。クアレスマ少年まだ11歳、執拗な母の前に人生最初の完全敗北を喫する

2000−01シーズン、すでに16歳となっていたクアレスマはわずかこの一シーズンをスポルティング・リスボアBで過ごすだけで、翌年には一部チームに上がってきている。翌年、17歳となった彼は一部リーグで14試合の出場を果たした。そしてその翌年、つまり昨シーズンとなる2002−03シーズンにおいて、スポルティング・リスボアでスタメンを勝ち取り27試合に出場し5ゴールを決めている。“第二のフィーゴ”と呼ばれる彼は、ゴールを決めることは得意技ではない。彼の特徴は相手ゴールに向かっていく直線的動きとその際の派手なドリブル芸。ゴールチャンスを作り仲間にゴールを贈る、それが彼の仕事となる。

昨シーズンの彼の活躍に注目したクラブがいくつかあった。レアル・マドリ、マンチェスター、そしてユベントス。彼らはそれぞれスカウトを送り分厚い報告書を作成している。その中でもマンチェスターが彼に一番興味を示したクラブだ。ベッカムが移籍してからさらにクアレスマ獲得の動きが激しくなる。彼のドリブル技術と、そして何よりも右サイドからのセンターリングに惚れ込むサー・アレックス。だがこの勝負、バルサの勝利となる。その主な原因、それはクアレスマの代理人はすでにバルサが獲得していたマルケスと同じ人間だったことが大きい。

「ソックスをヒザの上まであげないとどうも気持ち悪い」と語るクアレスマ。まだ19歳の彼のアイドルはバルサの中にいる。パトリック・クルイベル、彼がクアレスマのアイドル。今シーズン、彼が右サイドからのセンターリングを彼のアイドルに提供するシーンが多く見られるかも知れない。