ルイス・ガルシア LUIS GARCIA

1996−97シーズン、バルサBは二部Aカテゴリーに所属していたがリーグ戦19位という成績に終わり翌シーズンは二部Bカテゴリーへの降格が決まる。そしてこのカテゴリー降格を期にバルサBチームの大改造がはかられる。バケーロの弟であるジョン、ルジェーの兄にしてオスカーの弟のジェニス、デランテロのハビ・モレーノやルフェッテ、彼らはそれぞれ新たな道を模索することを要求されクラブを去ることになる。そしてジェラールには拒否できないほどのオファーがやって来てバレンシアへと移籍していく。

バルサCから上がってきた選手が1997−98シーズンに向けてバルサBを構成することになる。もともとバルサBにいたアルナウは別として、プジョー、チャビ、ガブリ、そしてルイス・ガルシアがバルサCから上がってきたのがこの年だ。1978年6月24日、バダロナ(バルセロナ)生まれのルイス・ガルシアは19歳になっていた。そしてこのシーズンを含めて2シーズンバルサBのデランテロとしてプレーすることになる。

1999−00シーズンを前にして、ルイス・ガルシアは“放出候補”選手となっていた。これまで同僚だったガブリやチャビが一部への道を少しずつではあるが開かれてきたのに比べ、ポジションがデランテロのルイス・ガルシアにとって一部への道は限りなく厳しいものだった。バジャドリが彼に興味を示し、そして二部Aカテゴリーにいたトレドにレンタルさせる。そしてその翌年は、現バレンシア監督のベニテスが率いるテネリフェにレンタル。40試合出場し16ゴールを決めテネリフェを一部へあげる原動力となった。

2001−02シーズンにはバジャドリに呼び戻されて初めて一部リーグでプレーすることになる。28試合に出場し8ゴールを決めているが、彼にとって忘れられないゴールはこの8ゴール以外の“記録されない”ゴールのなかにある。それは2001年12月28日にカンプノウでおこなわれたカタルーニャ代表対チリ代表の親善試合でのゴールだ。彼にとって初のカンプノウでの試合、そして大観衆が見つめる中での初のゴール、カタルーニャ代表がチリ代表に勝利することを決定づける貴重なゴールを決めたルイス・ガルシア。もちろんミニ・エスタディで2年間一緒にプレーしたチャビやガブリ、アルナウも一緒になっての記念に残る試合となる。

翌シーズン、バジャドリから買い戻されバルサに戻ってくるものの、バンガールを筆頭とするテクニカルスタッフは再び彼の移籍を決めることになる。彼に興味を抱いていたルイス・アラゴネスがいるAt.マドリへの完全移籍、だが買い戻し権利付きの移籍ではあった。このシーズンは25試合に出場し6ゴールを決めている。

この夏、再びバルサに買い戻されたルイス・ガルシアは、昨シーズンと同じように移籍の際の“交換選手”候補であり、あるいは彼に興味を持つクラブへより高い価格で売りつけられる“商品”と見られていた。だがアメリカ遠征が始まっている今、彼はとりあえずバルサに残ることが許される幸運がやって来ているようだ。しかもクラブとの新たな契約まで結ぶことに成功した。それは2008年までの5年契約で、移籍の際の違約金は900万ユーロとされている。

ルイス・ガルシアにとって本当の意味での勝負が始まる今シーズン、それは念願のバルサ一部チームの選手としてカンプノウでデビューを飾ることから始められる。彼の夢は試合ごとに達成されていくことになるだろう。