ラルソン  Henrik Larsson "Henk"

アフリカの西海岸に位置するカボベルデ生まれの船乗りが、ある日スウェーデンに上陸しそのまま住み続けることになる。一人のスウェーデン女性と結婚し家庭を築いたからだ。アフリカ人とスウェーデン人によって構成されるラルソン家は3人の子供をもうける。一人は幼少時代に悲惨な事故によってこの世を去り、残った二人のうちの一人が近代スウェーデンフットボール界における最も優秀な選手の一人となった。その名をヘンリック・ラルソンという。スウェーデンはヘイシンボーグという町で1971年9月20日に生まれている彼は、32歳という年齢でバルサに入団してきた。

決して白人と言える肌の色ではないし、髪の毛は直毛でも金髪でもなく、そして目の色は真っ青でもなく、身長もスウェーデン人としては決して高くないヘンリック・ラルソン、幼少時代には一人の有色人種が白人社会に移民してきた際に起こりうる“差別”と“いじめ”が蔓延している日常生活をおくることになる。ケンカ、ケンカ、そしてケンカに明け暮れる毎日。だがそれでもケンカだけが彼の一日ではなかった。運動神経の優れていた彼はどんなスポーツでも試してみている。水泳、アイススケート、スキー、バスケットボール、そしてフットボール。父がペレのビデオを何回も見せてくれたことから幼少時代の彼のアイドルはペレであり、週末のフットボールテレビ中継ではリバプールを応援するインチャでもあった。

将来プロ選手となる多くの人がそうであるように、彼も子供の頃から地元クラブに入団しプレーしている。
「フットボール選手として成功することはほとんんど諦めていた。20歳になっても三部リーグあたりでプレーしている自分を見ていると、とても子供の頃に夢見た超一流のプロ選手どころか、プロの選手になること自体が怪しいことのように思えてきたんだ。」
昔を振り返ってそう語るラルソン。6歳の時に地元のクラブであるホガボーグBKに入団する彼が10代の後半にはそのクラブの最高クラスでプレーするようになっている。だが最高クラスといっても三部リーグに所属するチームだ。だが彼に突然の転機が訪れるのは21歳になったときだ。地元で最も大きいクラブであるヘイシンボーグから入団の誘いが来た。最初はセミプロ扱いで450ユーロという給料をもらい、翌年から少しはプロらしい年俸をとるようになる。1992年、1993年とヘイシンボーグで活躍した彼に、今度はオランダのクラブからオファーが来た。徐々に徐々にプロ選手らしくなってきたヘンリック・ラルソン。

1993−94シーズンから1996−97シーズンまで4シーズン彼が在籍することになるオランダのクラブはフェイノルド。彼は今でもデビュー戦のことを覚えているという。
「ビテッセ相手の試合が自分のデビュー戦だった。とにかく寒い日だったことをよく覚えている。スウェーデン人の自分が言うのも何だけれど、マイナス5度とか6度ぐらいの温度でグランドの芝が凍っていたのでビックリした。」
1年目のオランダリーグで彼はそれほど活躍していない。やはりそれまでやっていたフットボールと比べるとスピードが圧倒的に違うことを認識したという。それでもオランダフットボールの水に合うようになってきた2年目は10ゴール以上を決めてそれなりの活躍をしている。そして大いに期待された3年目、彼にとって不幸だったのはこのシーズンから新たな監督がやって来てことだ。彼をどうしても欲しいとしてヘイシンボーグから移籍させてくれた監督はもういない。
「デランテロ・セントロが自分の子供の頃からのポジションだったのに、新しく来た監督はまず自分を右エストレーモとしてテストした。そして次は左エストレーモ、気がついたときはメディアプンタとしてプレーしていた。自分にとってフェイノルドでの最後のシーズンとなる1996年のクリスマスあたりにはもう他のクラブを探した方がいいだろうという結論に達していた。」
フェイノルドとの契約書には他のクラブから89万5千ユーロ以上のオファーが来たらいつでも移籍できる、という条項があった。幸運にもそれを満たしてくれるクラブがあらわれた。スコットランドのセルティック・グラスゴーだ。

仲間にはヘンケと呼ばれるラルソン、彼のセルティックでの7年間の活躍は数字で表すとわかりやすい。セルティック1年目となる1997−98シーズン、最初の年としては合格点と言っていい16ゴール(35試合)を決めている。2年目は29ゴール(35試合)、7か月のリハビリが必要となる大怪我をした3年目は8ゴール(8試合)、完全に体調が復帰した翌年となる4年目は35ゴール(37試合)、5年目は29ゴール(33試合)、6年目は28ゴール(35試合)、そして彼にとって最後のシーズンとなった7年目は30ゴール(36試合)を決めている。スコットランドリーグとはいえ、驚くべき数字と言える。

スコットランドではお互いにライバルクラブに所属しながらも、かつてフェイノルドでは同僚として特に仲のよかったジオと再び味方同士として試合に臨むことになる。19歳の時に知り合った今の奥さんであるマグダレーナ、そしてジョーダン、ジャネーラという二人の子供を引き連れてバルセロナにやって来たヘンリック・ラルソン。一人のスポーツ選手として最も尊敬する人物というマイケル・ジョーダンにちなんで長男にはその名を拝借した。ゴールを決めたときには、彼のアイドルの真似をして舌をだしながら走るヘンリック・ラルソンは、パトリック・アンデルソンに続きバルサ二人目のスウェーデン人選手となる。そしてカンプノウにゴールが戻ってくる。

スエルテ!ヘンリック・ラルソン“ヘンケ”!
ブエナ・スエルテ!