![]() |
|
ラルソン
![]() |
|
アフリカの西海岸に位置するカボベルデ生まれの船乗りが、ある日スウェーデンに上陸しそのまま住み続けることになる。一人のスウェーデン女性と結婚し家庭を築いたからだ。アフリカ人とスウェーデン人によって構成されるラルソン家は3人の子供をもうける。一人は幼少時代に悲惨な事故によってこの世を去り、残った二人のうちの一人が近代スウェーデンフットボール界における最も優秀な選手の一人となった。その名をヘンリック・ラルソンという。スウェーデンはヘイシンボーグという町で1971年9月20日に生まれている彼は、32歳という年齢でバルサに入団してきた。
決して白人と言える肌の色ではないし、髪の毛は直毛でも金髪でもなく、そして目の色は真っ青でもなく、身長もスウェーデン人としては決して高くないヘンリック・ラルソン、幼少時代には一人の有色人種が白人社会に移民してきた際に起こりうる“差別”と“いじめ”が蔓延している日常生活をおくることになる。ケンカ、ケンカ、そしてケンカに明け暮れる毎日。だがそれでもケンカだけが彼の一日ではなかった。運動神経の優れていた彼はどんなスポーツでも試してみている。水泳、アイススケート、スキー、バスケットボール、そしてフットボール。父がペレのビデオを何回も見せてくれたことから幼少時代の彼のアイドルはペレであり、週末のフットボールテレビ中継ではリバプールを応援するインチャでもあった。 将来プロ選手となる多くの人がそうであるように、彼も子供の頃から地元クラブに入団しプレーしている。 1993−94シーズンから1996−97シーズンまで4シーズン彼が在籍することになるオランダのクラブはフェイノルド。彼は今でもデビュー戦のことを覚えているという。 仲間にはヘンケと呼ばれるラルソン、彼のセルティックでの7年間の活躍は数字で表すとわかりやすい。セルティック1年目となる1997−98シーズン、最初の年としては合格点と言っていい16ゴール(35試合)を決めている。2年目は29ゴール(35試合)、7か月のリハビリが必要となる大怪我をした3年目は8ゴール(8試合)、完全に体調が復帰した翌年となる4年目は35ゴール(37試合)、5年目は29ゴール(33試合)、6年目は28ゴール(35試合)、そして彼にとって最後のシーズンとなった7年目は30ゴール(36試合)を決めている。スコットランドリーグとはいえ、驚くべき数字と言える。 スコットランドではお互いにライバルクラブに所属しながらも、かつてフェイノルドでは同僚として特に仲のよかったジオと再び味方同士として試合に臨むことになる。19歳の時に知り合った今の奥さんであるマグダレーナ、そしてジョーダン、ジャネーラという二人の子供を引き連れてバルセロナにやって来たヘンリック・ラルソン。一人のスポーツ選手として最も尊敬する人物というマイケル・ジョーダンにちなんで長男にはその名を拝借した。ゴールを決めたときには、彼のアイドルの真似をして舌をだしながら走るヘンリック・ラルソンは、パトリック・アンデルソンに続きバルサ二人目のスウェーデン人選手となる。そしてカンプノウにゴールが戻ってくる。 スエルテ!ヘンリック・ラルソン“ヘンケ”! |