エトー  Samuel Eto'o Fils

1981年3月10日カメルーン生まれのサムエル・エトー、彼はどこにでも転がっている並の選手でないことはすでにスペインリーグで証明されている。若くしてアフリカ最高プレーヤーとして選ばれていることやカメルーン代表選手としてすでに多くのタイトルを獲得していることだけではなく、これまで何回かグランドの内外で示してきた強烈な個性そのものが彼の特別さを証明してきている。カメルーンの貧しい家庭で生まれ育った家庭環境が彼の強烈な個性を生み出した理由でもあるだろうし、あるいは単純に、もともとそういう性格に生まれてきただけなのかも知れない。いずれにしても、現状に満足しないでひたすら前を見て歩いてきた彼にとって、過去はすでに存在しないものとなっている。現在、そして未来があるのみだ。

厳しい社会状況を迎えていたカメルーンからスペインに渡ってきたのは彼が15歳の時だ。彼を受け入れたクラブはレアル・マドリだった。いわゆるマドリカンテラの一人としてスペインフットボール人生のスタートを切ることになるエトーだが、マドリBにはほんのわずかの期間しか在籍していない。19歳になるまでの4年間、マドリBを皮切りにレガネス、ビトリア、そしてエスパニョールというクラブを転々とするサムエル・エトー。そして2000年、彼が19歳となったときにマジョルカへと移籍することになる。いわゆる“問題児”としての烙印を押されてのマジョルカ移籍ではあったものの、彼にとって幸運だったのはルイス・アラゴネス監督との出会いがあったことだ。彼との出会いが今日のサムエル・エトーを形成していると言っても決して過言ではないからだ。

ルイス・アラゴネス監督とサムエル・エトーの間での象徴的な出来事、それはロマレーダでおこなわれたサラゴサ戦での試合中の“衝突事件”だ。ルイス・アラゴネスの指示により途中交代させられたエトーは、ベンチに下がるなりルイス・アラゴが座る方に向かって怒鳴り散らすだけではなく水のボトルを投げつけるなどして怒りの態度を表明。ルイス・アラゴネスは選手のわがままな反抗に黙っている監督ではない。彼の右5mのところに座っているエトーに走り寄り素早く胸元をつかんだかと思うと、
「黙れ!このガキ!」
という感じでエトーの行為を追求するルイス・アラゴネス。もちろんエトーにとってこんな監督は初めてだった。そしてその日以来、ルイス・アラゴネスをフットボール界の父親として尊敬することになるサムエル・エトーだった。と、同時に、彼の中で何かが変わった瞬間でもあった。
「あの事件以来、自分が大人になったような気がする。」
そう語るサムエル・エトー。

一皮むけたかのように、そう、あのシーズン以来確かにエトーの活躍は目を見張るものがある。シーズンを重ねる毎に、常に戦いの勝利を目指す者として、決して最後まで諦めない闘争者として、決して大きくはないがマジョルカというクラブを引っ張っていくリーダーとして生まれ変わっていく。だがそれでも彼のエネルギーの根元となる本質的な部分、つまり反逆精神そのものには変わりがない。
「もしレアル・マドリが自分を欲しいと考えるのなら、現在クラブが抱えている外国人選手問題を解決してからにして欲しい。ロナルド、ロベルト・カルロス、そしてサムエル、彼らのうち誰かを選手登録から外さない限り自分はレアル・マドリには行かない。なぜならプレーする能力に限って言えば、自分は彼らの誰にも負けないと思うからだ。」
マジョルカとレアル・マドリにそれぞれ50%の権利を分割されていたエトーだが、フロレンティーノ・ペレスがバルサに彼を持っていかれないためにマジョルカから残りの50%の権利を買おうとしたことに対する発言だった。どのようなビッグクラブであろうと、自分はスタメンとして出場できる才能を持っていると自己評価するサムエル・エトー、かつて買いたいものを買い占めてきたフロレンティーノ・ペレスに対してこのような発言をした選手はいない。

サンティアゴ・ベルナベウで戦ったここ2シーズンの試合が、多くのマジョルキニスタにとってエトーへの思い出となることは間違いないだろう。レアル・マドリにとっては両試合ともシーズンそのものをかけた試合となりながらも、半分の権利を有するエトーのゴールにより敗北した試合だ。もちろん多くのマジョルキニスタにとって、クラブとして初の国王杯優勝という事実も決してエトー抜きに語られることはないだろう。決勝戦の2日前に同じカメルーン人であり親友でもあったビビアン・フォーエが死亡するという大事件がありながら、エトーは試合を休むどころかカピタンマークを腕に巻きマジョルカをクラブ初の優勝に導いた主人公となった。

すでに“大人”となりながらも“反逆児”としての精神を忘れていないサムエル・エトーはひたすら刺激を追い求めるプーマ(ピューマ)だ。そのプーマがこれまで一度として経験できなかったこと、それはビッグクラブでプレーすること。だがバルサ入団という事実がついに大きな夢の一つを実現することになった。バルサにとって大金をはたいての獲得であり黒いプーマにとっては念願のビッグクラブ入団、万事メデタシメデタシでありながら、それでも決して問題がないわけではない。闘争心あふれる彼に時々訪れる頭脳回線のショート現象、それは2002年12月21日、モッターとの説明のつかない衝突で退場となった試合を見れば明らかだ。すでにマジョルカは一人退場となっていたこともあり、彼の行為は誰にも説明のつかないものだった。昨シーズンの冬にモンジュイクでおこなわれたエスパニョール戦での退場騒ぎも、頭脳回線のショート現象としか考えられないものだった。そしてそのような行為とキャラクターは、かつてバルサに在籍していたウリスト・ストイチコフを多くのバルセロニスタに思い出させることになる。

グランド内のトラブルだけではなくグランド外での度重なる“問題発言”でクライフにとって問題児となっていたストイチコフは、同時に多くのバルセロニスタの心を手中に収めることに成功した選手だ。頭脳回線のショート現象がありながらも、それでもすべてのエネルギーをグランドの中で発散したストイチコフだからこそファンの心をつかむことに成功した。そして今、サムエル・エトーにも同じようなことを望むバルセロニスタでもある。あくまでも強烈な刺激を求める黒いプーマの目標は、ここ5年間にわたって何のタイトルも獲得していないクラブの歴史を変えること。そしてアフリカ最優秀選手からバロン・デ・オロを獲得すること。

マジョルカに残っている二人の子供と奥さんはじきにバルセロナにやって来る。家が見つかるまで当分ホテル暮らしとなるサムエル・エトー。彼の使用する選手控え室ロッカーは彼の親友であるナダールがかつて使用していたもの。そして彼の隣のロッカーの持ち主はこれから息の合う仲間となるティアゴ・モッタだ。

スエルテ!サムエル・エトー!
ブエナ・スエルテ!