“グディ”グジョンセン  Eidur Gudjohnsen

アイスランドは地球上にある国の中で最も寒さが厳しい国。この人口28万人という小さい国で1978年9月15日にエイドゥル・グジョンセンは生まれている。赤ん坊エイドゥルの父親はアルノウ・グジョンセンといい、エイドゥル長男坊がこの世に誕生してきたときには、まだ17歳という若きフットボール選手だった。そして長男が誕生して間もなく、グジョンセン一家はアイスランドを離れベルギーに引っ越している。父親アルノウがスポルティング・ロケレンというクラブに入団するためだ。

父親アルノウはベルギーでの最初のクラブであるスポルティングを経て、アンデルレヒトで7年間プレーしている。その後フランスにわたりブルデオスで、そして最終的にスエーデンのクラブに移って現役生活を閉じている。したがって長男エイドゥルも北ヨーロッパ各国の文化に触れて育っていることになる。これまでスカンジナビアからやって来た何人かの選手と同じように、どこか閉鎖的で、あくまでも冷静沈着であり、そしてとてつもなく規律正しい、そんなイメージがグジョンセンから浮かび上がってくる。だが幼少時に色々な文化に触れて育った彼に限ってはそれは当てはまらないようだ。彼をよく知る1人であるフィリップ・コクーが語る。
「自分が1995年の夏にPSVに入団したとき、アイスランドという国から若い選手がやはり入団してきた。それが彼さ。まだ17歳ぐらいだったと思う。やたら気が強くて生意気そうで熱い血が流れている坊やだった。何と言ってもスピードが魅力的な選手だったのを覚えている。」

親しい友達からはグディ(例のメレンゲ・オカマ・グティではない!)と呼ばれているグジョンセンは、15歳でフットボールのプロ世界に足を踏み入れている。アイスランドのバルーというクラブだった。ここで2年間プレーした彼はオランダに渡りPSVに入団し、コクーだけではなく2歳年上のロナルドとも知り合うことになる。だがこのクラブでは期待したほどの出番もなく、したがって活躍した記録もそれほど残っていない。それはあくまでも負傷が原因だった。それも選手生命を脅かすほどの大負傷だった。アイスランドUー20の代表戦で足首に大負傷を負った彼はほぼ一シーズンを棒に振ってしまう。PSVを放出された彼は行き先もなく、自国アイスランドへと戻ることになる。地元のクラブで負傷をいやしながらプレーするグジョンセン、そんな彼に目をつけたのが当時プレミアの二部に所属するボルトンというクラブだった。完全な体調に戻った彼はボルトンに2年間在籍し、その間の活躍を当時チェルシーの監督であるラニエリが注目していた。2000年の夏、チェルシーは600万ユーロでグジョンセンを獲得する。

だがチェルシーに入団してからも平坦な道を歩いてきているわけではない。特に最初のシーズンは「どん底状態」だったと語るグジョンセン。再び負傷に倒れた。リハビリに励みながらも遊びまくっている彼をロンドンのパパラッチが追いかける。あるモデル女性との浮気を現場写真と共に週刊誌に暴露され、二人の子供を連れて奥さんはアイスランドに帰ってしまった“女房帰国事件”を起こしたり、酔っぱらい運転で何回も警察沙汰になった“酔っぱらい常習犯事件”を巻き起こしたり、あるいはカジノでの夜遊びやテリーやランパルなどと連れだっての“ディスコバカ騒ぎ事件”でも週刊誌をにぎわせた。だが、それはあくまでも一時的なものに過ぎなかったようだ。ロンドンという大都市での新生活や、若くして高額な年俸を稼ぐようになったことが、彼を一時的に“誘惑”しただけだった。そして今年の夏にやって来たグジョンセンはすでに27歳、もう大人となったグジョンセン。いや、正確に言うならばチェルシー選手時代にすでに大人となっているグジョンセンだ。色々な意味で週刊誌をにぎわせたのはチェルシー入団1、2年目だけで、その後はグランド外ではなくグランド内で立派なプロ選手として活躍している。チェルシーでは6シーズン263試合出場(チェルシーに在籍した外国人選手でジアンフランコ・ゾーラに次ぐ2番目の出場回数)し78ゴールを記録、多くのチェルシーファンから親しまれる選手となっていた。

2006年現在、グジョンセンはアイスランド代表のカピタンを務めている。彼がその代表に初めて招集されたのはまだ17歳の時であり、父親アルノウもまだ現役プレーヤーだった。1996年4月24日、アイスランドでおこなわれたエストニア戦が、彼が初めての招集された試合であり同時にデビュー戦ともなっている。後半に入ってから登場した彼と交代した選手、それは父親のアルノウだった。そしてこのデビュー戦以来、負傷していない限り彼は絶対のスタメン選手となっているし、アイスランドの英雄として讃えられている。

アイスランド語、オランダ語、英語を完璧に話し、ドイツ語とフランス語を理解できるというグジョンセンだからカステジャーノをマスターするのも早いかも知れない。チェルシーに支払う移籍料は1200万ユーロ+タイトルを獲得した場合の300万ユーロのオプション付き。そしてバルサとは2010年6月30日までの4年契約で彼の違約金は6000万ユーロ。

スエルテ!“グディ”グジョンセン!
ブエナ・スエルテ!