ピントという名から、すっかりポルトガル出身の選手だと以前から疑いもせずに思い込んでいたが、それはとんでもない勘違いで、アンダルシアはカディス出身の正真正銘のスペイン人だった。1975年11月8日生まれというから、すでに32歳のベテランポルテロ。そして、各メディアの紹介記事を読むと、なかなかの苦労人らしい。確かに22歳でプロデビューを果たし32歳となる今日まで、スポットライトを浴びた期間は非常に短い。

1994年、19歳でベティスに入団。当時二部Bカテゴリーに在籍していたベティスBで4年間プレーし、すでに22歳となった1997年のシーズンに、わずか1試合だけベティスAチームでプレーしている。そして翌年の1998年、ビゴにあるセルタに移籍。このシーズンもわずか1試合だけ出場しているが、セルタ選手2年目となる1999−00シーズンから徐々にではあるものの出場機会が増えてくる。9年半にわたって在籍したセルタ選手として、最も華やかなシーズンとなったのは2005−06シーズン。リーグ戦37試合出場し許したゴールが28。このシーズンはバルデスやカシージャスを抜いて、リーグ戦最少失点ポルテロに贈られる“サモラ賞”を獲得し、ポルテロというポジションではスペインリーグでの頂点に立った。

だが、ピントのポルテロとしての長い経験を眺めると、非常に苦労の多い選手だったことがわかる。ベティスに在籍していた5年間、一部チームにはトニー・プラッツという絶対スタメンのポルテロがおり彼の出場を拒んでいたし、セルタに移籍してみても、そこにはドゥトゥエルがおり、彼の入団後しばらくしてカバージョがやってくる。常に控えポルテロという立場に置かれていたそのピントに、絶対スタメン選手の称号がおくられることになるのは、セルタが二部リーグに落ち込んでしまった2004年からだ。そして、スペインリーグ126試合を経験しサモラ賞まで獲得しながら、今シーズンはエステバン・スアーレスの控えとしてベンチに座ることが多いシーズンとなっていた。

「セルタには約10年間在籍したが、1回としてスキャンダルな発言や行動はしたことがない。例え控えポルテロという扱いを受けても、決して監督にその理由を問いつめたことはないし、毎日の練習にモチベーションを欠いたこともない。バルサに入団してもバルデスの控えとなるのは覚悟しているが、彼やチームの助けとなる仕事ができればいいと思っている。」
バルサに入団することが決まってからも、そう控えめに語るピント。セルタではかつてカピタンマークまでつけた選手である彼に対し、多くのセルタファンがバルサでの成功を祈っていると地元メディアが伝えている。

セルタという二部リーグでプレーしているチームの控えポルテロから、やはり控えポルテロとしてバルサというビッグクラブへレンタル。そのレンタル期間は今シーズン残り半年のみ。だが、レンタル料50万ユーロというのは、言い方を変えれば移籍料に等しい。なぜなら、もしバルサがピントの更なる残留を希望したとしたら、1ユーロもセルタに支払うことなく自動的に残留が決まるという。ちなみに、バルサに残ることになろうが、セルタに戻ることになろうが、ピントにとって変わらないことがある。それは、彼の音楽活動だ。ヒップポップミュージックの世界にしっかりと染まっている彼は、2006年に自らプロデュースした最初のアルバム“Wahin Makinaciones”を世に出し、現在もまた音楽活動を続けている。

もし、バルデスの控えであるジョルケラが長期負傷しなければ、間違っても実現しなかったであろうバルサ入団。外見だけを見れば“バルサのシーマン”みたいだが、実力的にもジョルケラよりは期待できそうだ。

スエルテ、ピント!
ブエナ・スエルテ!