「アンリを獲得するために、すべきことはすべてしたように思うこともあった。だがそれでも彼は決してバルサには来ないのではないか、そういう思いもあったことも確かだ。しかし幸運にも、ついに我々の目的が達成することができた。」
我らが金庫番フェラン・ソリアーノがそう回想する。アンリ獲得作戦はバルサと話し合う用意があるとアンリ側関係者が伝えてきた日から、今シーズンのアーセナルのプレゼンテーションがおこなわれた日の30分前までの期間にわたっておこなわれている。ソリアーノが“ラ・バンガルディア”というメディアをとおして回想するアンリ獲得作戦。

●5月24日
アンリ側関係者からクラブ宛に“バルサ入団の意思あり”というアンリの思いを伝えてきたのは、チャンピオンズ決勝戦がおこなわれる日のかなり前だった。私は早速ベンゲルに連絡をとり、移籍交渉の開始を促した。しかしベンゲルにはアンリを手放す意思はないということで、交渉そのものに応じないという返事が返ってきた。だが、いずれにしても我々はアテネでのチャンピオンズ決勝戦で顔を合わせる機会がある予定だったので、その時に電話ではなく直接話し合いをもとうと約束した。

私とチキ・ベギリスタイン、そしてベンゲルと共に朝食をとりながら話し合いをしたのが、チャンピオンズ決勝戦の翌日5月24日。だがベンゲルの意思は電話で話した時と変わらず、アンリを手放す気持ちはまったくないということだった。したがって彼としては交渉の余地なしということであり、我々としてはアンリ獲得の進展はまったく見られぬままバルセロナに戻るという、言ってみれば獲得作戦失敗というイメージだった。だが、この日から約1週間後にアンリ自らベンゲルと話し合いを持ち、バルサ移籍の強い希望を伝えることになる。その情報が我々のもとに伝わってきて以来、私は執拗にベンゲルとの電話による話し合いを続けていた。電話を切るときはいつも同じ結論にたっしていた。それは、彼には交渉に応じる気持ちはないということだった。だが、ある日、執拗なアタックが功を奏したのか、ついに話し合いのチャンスが訪れた。
「それでは一度だけ私の自宅でお会いしましょう。」
我々にとって待望の約束の日は6月18日と決まった。

●6月18日
ヒースロー空港には我々(チキと私)をベンゲル宅に送ってくれる車が待っていた。ベンゲル宅にはアーセナル側交渉人としてフライアー氏も待機していた。3時間にわたる話し合いで最終的に移籍料に触れるところまで来た。だが、それでもこの交渉は我々にとって失敗と総括するに至ることになる。なぜならあまりにもお互いの示す移籍料に差がありすぎたからだ。我々が示したオファー額が1800万ユーロだったにもかかわらず、彼らは3500万ユーロをスタートとして話し合いに応じるということだったからだ。アンリ獲得の可能性は限りなく遠いと感じた話し合いだった。

●6月21日
アーセナルクラブ理事会が開かれる日だった。我々はその理事会が開かれる前にアーセナル宛にメールを送り、我々のオファーを再検討するように要請した。彼らが送り返してきたメールには“ノー”と書かれていた。チキと私は気持ちを入れかえて、翌日におこなわれるキブ獲得交渉に向けての準備にかかった。すでにローマ行きのエアーチケットも購入していた。だが、予期せぬ出来事がおこった。この日の23時、アーセナルから連絡が入る。新しいオファーを出す気があるかどうか、そういう内容だった。夜中の1時、バルサのクラブ弁護士オリオル・ラフォイスが最初の1800万ユーロというものに少し上乗せした新しいオファー額のメールをアーセナルに送る。そしてそのオファーに関する話し合いがもたれることに決まったのは、まさに深夜のことだった。

●6月22日
ローマ行きをキャンセルしてロンドンに飛ぶ。バルセロナ・エル・プラット空港を出発したのは朝の7時。チキはローマへと飛ばなければならないので、今回は私一人だけが交渉役となってのロンドン行きだ。前回のロンドン行きではクラブの車が待っていたが、今回はそれをお断りし地下鉄を使うことにした。アンリ移籍をめぐってイングランドメディアが目を光らせているので、なるべく目立たない方法を選んだ。フライアー氏との話し合いは13時まで続き、どうにかこうにか基本的な合意まで到達することができた。移籍料の基本額は2400万ユーロ、これに各種のボーナスを含めることになるが、いずれにしても口頭で決めたことを書類にするまでに時間がかかるので、その時間を利用してアンリと直接会い、具体的な交渉に入ることにする。アーセナルからもらった“交渉許可証”を持参しアンリと交渉。そして15時、彼との交渉はあっと言う間に終了。それにしてもアンリという選手は想像していたのとだいぶ違っていた。まだフットボール界に足を踏み入れた若者のようにこの移籍話に興奮しているようで、とてもクラック選手のそれというイメージではなかった。彼の希望と我々の希望が一致し、アンリ、バルサ入団に大前進。だが、まだ基本的な合意にしか過ぎないのも確かなことだ。まだすべての点で合意に達し契約書にサインがされたわけではない。

●6月25日
23日、24日、そして25日と、こまかい交渉が続く。この交渉は主に両クラブの弁護士たちの仕事であり、移籍料の支払い方法や税金関係などの専門的なことが、具体的に書類化され、この書類にサインがされることによって最終的に終わりを見ることになる。そしてその最終段階がやってきたのが、6月25日、アーセナルのプレゼンテーションがおこなわれる30分前だった。この瞬間、アンリがついに正式にバルサの選手となった。

バルサとは4年契約、そしてアーセナルに支払われる移籍料2400万ユーロの支払い方法は次のようになっている。
・2008年8月・・・1200万ユーロ
・2009年8月・・・1200万ユーロ
驚くことに、彼が移籍した年である2007年にはいっさいの支払いがない。つまり、なんだ、今シーズンはタダだ。

スエルテ! アンリ!
ブエナ・スエルテ!