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ここ2、3年で急激な上昇カーブを描き、そして気が付いてみればバルサにまでたどり着いたシンデレラボーイ選手。マルティン・カセレスがフットボール世界の一部リーグに登場してきたのは、今からわずか2年前の2006年6月のこと。彼の生まれ故郷であるウルグアイのデフェンソール・モンテビデオというクラブで一部デビューを飾っている。そして翌年の2007年にはビジャレアルに移籍し、そのままレクレにレンタルされて2007−08シーズンをこのクラブでプレーしている。 それにしてもビジャレアルはビジネスがお上手だ。カセレスを昨シーズン獲得した際、彼が在籍していたクラブに支払った移籍料はわずか100万ユーロだという。そしてそれから1年後の現在、商売上手ビジャレアルは1650万ユーロという移籍料でバルサに権利を譲っている。もっとも、この金額すべてがビジャレアル金庫に入るわけではないようだ。1シーズン彼をレンタル選手としてプレーさせたレクレに“教育料”として100万ユーロ、そしてカセレスの代理人とデフェンソール・モンテビデオに総額650万ユーロ支払われることになる。それでもビジャレアル金庫には900万ユーロの資金が納まることになる。ご破算で願いましては、1年間で800万ユーロの純益となった。人生一度でいいからこういうビジネスをしてみたいもんだ。 マルティン・カセレス、1987年4月7日、ウルグアイはモンテビデオで誕生している。偶然にも彼もまた、メッシーやピケと同じ1987年世代となる。バルサにとってウルグアイ選手を獲得することは、30年ぶりの出来事となるらしい。バジャドリでプレーしていたアルフレッド・アマリージャ(知らん!)というのがこれまでの最後のウルグアイ選手で、1976年から1978年までバルサでプレーした人物という。 マルティン・カセレスを一躍有名にしたのは、2007年にパラグアイで開催された南米U20の大会だという。この大会ではウルグアイ自体は良い結果を出せず、最終的にオリンピック参加権を得ることができなかった。だが、カセレス自身には良い大会だったようで、最優秀デフェンサ賞を獲得している。つまり、その活躍はバルサスカウトマンたちの目にはとまらなかったものの、ビジャレアルスカウトマンの注目するところになったということだろう。 「とてつもなく幸せに思っている。ヨーロッパでのプレーチャンスをくれたビジャレアルにも感謝しているし、そして何よりも自分を高く評価してくれたバルサには言葉もないほど感謝している。自分が目標とする選手はミリートとプジョー、その彼らと同じチームでプレーできるなんて夢のようだ。」 なぜかイタリアパスポートも所持しているから、外国人籍選手とはならない。そして個人的な経験から言えば、彼はカンプノウでの人気者選手となるような気がしている。バルサとの契約は2012年までの4年間。違約金は5000万ユーロと設定された。 スエルテ! カセレス! |