元セビージャ選手セイドウ・ケイタのバルサ入団記者会見の席で、我らが会長ジョアン・ラポルタはジャーナリストを前にして、胸を張りながら次のように語っている。
「セビージャとバルサの関係は非常に良好であり、今回のケイタ獲得交渉に関しても何の問題もなく、お互いが満足する形で終わりを見ることができた。」
ジャーナリストはもちろん、この記者会見の模様をテレビ中継で見ていた暇なバルセロニスタにとっても、何とまあ、開いた口がふさがらないビックリ発言だった。

このラポルタの発言がなにゆえビックリ発言であり、素っ頓狂なものだったか、それはこの記者会見がおこなわれた数日前に、セビージャ会長が次のように語っていたからだ。
「つい先日、セイドウ・ケイタ選手は私セビージャ会長宛にファックスを送ってきて、6月30日付けをもってクラブとの契約を解約することを表明してきている。つまり彼がセビージャに入団する際に結ばれた契約書に示された違約金を全額支払い、クラブとの関係と絶つことに決めたと言うことだ。」

ペップバルサがケイタ獲得に興味を抱いていることは、すでに5月の段階でメディアを賑わしていた。その話題に触れるたびに、セビージャ会長ホセ・マリア・デル・ニードは、バルサとの交渉はいっさい受け付けないと公言してきている。つまり、セビージャとバルサとの間に、ケイタ獲得に間する交渉など存在していない。そもそも違約金を全額支払うわけだから、クラブ間の交渉など必要ないのだ。かつてデポルからリバルドを獲得した時のように、そしてペセテロが首都に引っ越していった時のように、違約金全額を支払う移籍にクラブ間の交渉など必要ない。そして、もちろんケイタの移籍にしても同じことが言える。彼の違約金は1400万ユーロ、これが高いか安いかはまた別の問題となるが、それを支払ってしまえば移籍はクラブ間での交渉なしに完了してしまう。

トントントンマの天狗さんラポルタのことはどうでも良いとしよう。バルサにとって重要なのは、ペップ監督が必要とする選手を獲得できたことにある。しかも、ここ1、2年の“お嬢さん中盤”的発想を否定し、ガッツあふれる選手を中盤にぶちかますことが、ペップ監督のアイデアの一つなのだから、その意味で重要な選手の獲得と言える。

セイドウ・ケイタ、1980年1月16日バマコ(マリ)生まれの28歳のセントロカンピスタ。彼の存在がフットボール界で知られるようになったのは、1999年ナイジェリアで開催されたムンディアルU20の大会での活躍だ。チャビやガブリが活躍したスペインU20代表が優勝を飾った大会だが、チャビやロナルディーニョ、あるいはフォルランを押さえて、ケイタがこの大会の最優秀選手に選ばれている。そして、これがフランスクラブの目にとまることになった。

ヨーロッパに進出してきてからの最初のクラブはオリンピック・デ・マルセイユ。だが、ヨーロッパ最初のシーズンでもあり、若干19歳のケイタはこのクラブでは活躍していない。わずか6試合に出場しただけで、翌年はフランスリーグ二部カテゴリーに所属していたロリエンというクラブに移籍。そして1年でこのチームを一部リーグに昇格させる主役の一人となり、さらに翌年にはフランス国王杯まで手に入れることになる。この活躍が認められ、2002−03シーズンにはレンスに移籍。ここで5年間プレーした後、2007−08シーズンにセビージャに移籍料400万ユーロで買い取られることになる。わずか1年後に、1400万ユーロでバルサに買収されたケイタ選手、

叔父に当たるサリフ・ケイタという人が指導していたフットボールスクールで、彼は少年時代を過ごしている。同じバマコ生まれのディアラ(現レアル・マドリ選手)も、このフットボールスクールの出身だ。ちなみにこのサリフ・ケイタという人は元バレンシア選手でもあり、1970年に最初のアフリカ最優秀選手に選ばれた人物でもあり、ヨーロッパで活躍したほぼ最初のアフリカ人選手でもあるらしい。ケイタの従兄弟には、やはり元バレンシア選手であり、リバプールを経由してユベントスでプレーしているシソコという選手もいるし、マルセイユでプレーしているカデルという選手もいる。血筋的にはまったくもって問題なし、年齢的にも良し、あとはバルセロナの水にできる限り慣れること、それだけだ。フランスパスポートを所持している彼とバルサとの契約は、2012年までの4年間。違約金は9000万ユーロと設定された。

スエルテ! ケイタ!
ブエナ・スエルテ!