ロシアの人かと思ったら、ベラルーシ共和国の人だという。それではベラルーシ共和国とはどこ、と調べてみたら次のように説明されていた。
“ベラルーシ共和国、通称ベラルーシと呼ばれるこの国は東ヨーロッパに位置し、ロシア、ウクライナ、ポーランド、リトアニア、ラトビアと国境を接し、首都はミンスクに定められている。旧ソビエト連邦から独立し、国際連合にはソ連時代からソ連とは別枠で加盟していた。”
アレクサンデル・フレブ、1981年5月1日ベラルーシ共和国の首都ミンスクで誕生している。もちろんバルサにとって、その長い歴史においても初めてのベラルーシ共和国出身選手となる。

2008年7月16日、フレブにとっては非常に長い1日となった。バルセロナ・プラット空港に早朝到着した彼は、クラブの車でカンプノウに向かう。午前中を通してのメディカルチェックを済ました後、遅い朝食というか早い昼食をとり、午後一番にはカンプノウ内にある会長室で契約書にサイン行事。夕方には入団記者会見場に姿をあらわし、ラ・マシア(カンプノウではなく、ラ・マシアでの入団選手プレゼンテーションを見たのは個人的にも初めてのことだ)でのプレゼンテーションをおこなったのは、すでに夜9時を過ぎている頃だった。珍しい国から来た選手は、なかなか珍しいことをする。そして印象的だったのは、いつもニコニコしていることだ。ちなみにプレステージでの練習風景でも、練習試合でゴールを外した後でも、やはりニコニコしていた。この人は笑顔が普通の顔なのかも知れない。

彼の経歴もなかなか興味深い。ベラルーシ共和国内では体操選手として知られるだけではなく、水泳選手としても有望だったようだが、最終的に彼の判断でフットボールの道を選んだという。それほど屈強な体でもないのに、当たりに強いブンデスリーガやプレミアで活躍できたのは、体操競技で培った下半身の強さとバランスの良さだという。なにか、ゴム人形みたいな変な選手だ。しかも若いときは非常にプレーボーイだったという。それほどいい男には見えないものの、ベラルーシ共和国ではあの手の顔がもてるらしい。だが、遊び50%、フットボール50%の人生だったのをフットボール100%に変えたのは、2003年に起きた遊び帰りの自動車事故で死にそうになってからだという。いろいろと突っ込みどころの多そうな選手ではある。

彼が18歳となった1999年夏、自国にあるバテ・ボリソフというクラブでプロデビューを飾っている。そして2000−01シーズン、ドイツの名門シュツットガルトが15万ユーロの移籍料を支払って獲得。最初のシーズンは出番があまりやって来なかったものの、入団翌シーズンからは、ほぼスタメン選手となり5年間プレー。その後はアーセナルに移籍し、3年間プレーして現在に至っている。

「多くのバルセロニスタにとっては驚きの選手となるだろう。インテリオールのポジションはもちろんのこと、エストレーモでも起用できるオールランドプレーヤーだ。ボールテクニックは、誰もが知っているように非常に高度なものがあるし、何よりも相手ゴールに向かう直線的なプレースタイルが気に入っている。我々のチームにとって重要な選手の一人となることは間違いないだろう。」
そう語るペップ監督の強い要望で入団してきた選手。まだ短いプレー時間しか見ていないものの、確かに“驚き”を与えてくれる選手ではある。デランテロというポジションであるにもかかわらず、シュートを打つのが苦手の選手のようだ。いや、シュートするのが苦手なのか、そもそもそういう目立ったことをするのが嫌いなのか、はたまたラストパス大好き人間なのか、今後じっくりと研究してみよう。

ルイス・ガルシアを外国人風にするとこんな顔になるという感じのフレブ選手の移籍料は1500万ユーロ(+200万ユーロのオプションボーナス)。バルサとの契約は2012年までの4年間。違約金は9000万ユーロと設定された。

スエルテ!フレブ!
ブエナ・スエルテ!