はっきりしておこう、FIGOのことは
(2000/10/23)

2000年の夏、つまり今年の夏、R. MADRID会長のLORENZO SANZは任期がまだ残っているにもかかわらず、突然のクラブ指導部の解散、それに伴う新たな会長選挙に打って出る。

それは突然ではあったが、指導部内に金銭問題でゴタゴタが続いた時期でもあっただけに、理由は明らかだった。彼に対峙してきた野党グループをこの際すべて合法的に追い出してしまい、自分の思い通りに動かせる指導部を作ることであった。勝算はあり余るほどあった。1966年以来遠のいていたヨーロッパチャンピオンカップを彼の4年間の会長就任中2度も手に入れていたからだ。誰が会長候補に出てきても負けるわけがない、と、彼だけでなく誰もがそう思ったはずだ。

ここに、FLORENTINO PEREZ(以下PEREZ)という人物が現れる。LORENZO SANZの前の会長時代に立候補し、選挙戦に負けて以来の登場であった。彼を擁護する数少ない組織以外の人たちにとって、この立候補は、どう見ても勝てるけんかにみえなかった。

だが、彼は世界中に500の支社を持つ大企業の会長であり、冴えた政治家でもあった。彼は一つの作戦、それも強力な作戦を持って勝負に出る。ライバルチームのスター選手を引き抜いて、それを立候補の際の目玉公約にするということであった。それは究極のライバル、つまりFC BARCELONAのスター選手、しかもまさかこの選手がというものでなくてはならない。

LUIS FIGOがターゲットに選ばれた。

なぜ、RIVALDOでなく、FIGOだったのか、それはわからない。RIVALDOの移籍料が150億、FIGOが100億だったからか。あるいは、RIVALDOより、FIGOの方がバルサファンに人気があったからか。そう、FIGOは、明らかにRIVALDOを人気のうえではこえていた。5年間というバルサ選手時代にキャプテンマークまでつけ、下からあがってきたカンテラの選手とほぼ同じ扱いを受けていた。彼は外国人選手だけれど、決してバルサから動かない選手、そう思っていた人は多かった。

PEREZは、まず、元At. MADRIDにいたPAOLO FUTRE(ポルトガル人)を通して、FIGOのマネジャーJOSE VEIGA(ポルトガル人)に接触する。獲得の条件をVEIGAに次のように示した。FIGOは6年契約、年俸は1,150,000,000ペセタ、それとは別にボーナスとして5億ペセタを移籍の際に支払う。

JOSE VEIGAには350万ドル、仲介人のFUTREには100万ドルをそれぞれコミッションとして支払う。これらはすべて彼が会長になったらという条件であることはもちろんだが、もし会長になったときに、どちらかのサイドがこの約束を破棄すれば、50億ペセタの違約金を払う、ということも書いてあった。

この話は、VEIGAにとって渡りに船だった事は間違いない。なぜなら、前シーズンの終わり頃からFIGOはバルサ指導部に年俸の引き上げを要求してきたにもかかわらず、何の返答も示されなかったこと。もし、この条件をバルササイドに持っていけば、確実に動き出すことは明らかだった。VEIGAはFIGOがバルサに残りたがっていることを知っていた。しかも、PEREZが選挙戦に勝つことはないだろうと読んでいたことは十分考えられる。この仮契約がバルサ側にプレッシャーになりさえすれば、という思いがあったであろう。しかし、危険な賭でもあった。もし、会長に選ばれたら・・・。もともとこのVEIGAという人物、過去に似たような例を持っている。SPORTING DE LISBOA からFIGOがバルサに来るとき、実はイタリアのPARMA、MILAN(JUVENTUSだったかも)と、二重契約してしまった人物である。結局、国内の2チ−ムと契約したということで、イタリアサッカー協会がFIGO追放を決定する。そしてスペインのバルサに来ることになったのである。

この仮契約は、7月1日にPEREZ、VEIGAのサインを持って行われている。会長選挙投票日7月16日まで、残すところ2週間という時期である。

7月17日早朝、R. MADRID会長選挙の開票結果が発表される。新会長FLORENTINO PEREZ の誕生。LORENZO SANZの思わぬ敗北となった。このニュースをFIGO はバケーションを過ごしていたセルダーニャで知ることになる。

7月1日に行われた仮契約書にはFIGOのサインはない。あくまでもPEREZとVEIGAの間によってなされたものだ。しかし、もしFIGOが自分の意見を通してバルサに残ることになれば、VEIGAはまずFIFAに契約違反で訴えられ、マネジャーとしての資格を取り上げられた上、全く勝ち目のない裁判沙汰の後、50億ペセタを払うことになるだろう。もしも、それだけの金を持っていればの話だが。FIGOにとってVEIGAは自分のマネジャーであり、お互いに資本を出し合って事業をしているソシオでもあり、そして何よりも親友であった。7月18日、仮契約書にFIGO のサインが加わることになる。

これが、いわゆる暗黙の「FIGO 移籍公式発表」である。誰がどのように細かい数字をリークしたかはわからない。だが、マドリッド、バルセロナ双方ののメディアともに若干の相違はあるにしても、このような報道をしている。そして、R. MADRID会長PEREZも肯定はしないまでも、否定もしていない。それは当然のことだ。350万ドル、100万ドル、5億ペセタ等々の金がいったいどこから出たのかということを明らかにできないし、もししたら、税務署も黙っていないだろう。

一方、バルサの会長 JOAN GASPARTは、次のようなコメントをしている。「PEREZが、会長に決まった日の夜中の3時、FIGOが電話してきた。それは、バルサに残りたいので、違約金の50億ペセタをバルサ側が持ってくれないか、というものであった。でも、私にはそんなことはできなかった。10万ソシオのお金を、ソシオを裏切った人のために使うなんてことはね」

FIGOの友人でもありポルトガルのジャーナリストであるTONI FRIEROSが、7月10日前後にカタルーニャ最大のスポーツ紙「SPORT」にFIGOの独占インタービュー記事を掲載する。それはだいたい以下の内容のものだった。

「バルサファンの皆様、安心してください。私は決してR, MADRID に行ったりしません。家族もバルセロナの街に親しんでいるし、家も買って、レストラン業もはじめました、そして何よりも私はバルサを愛しています」

このインタビューはPEREZとVEIGAが仮契約をした後のものである。そして10万ソシオは思う。選手のマネジャーが選手の許可なしに仮契約とはいえ、ペナルティ付きの契約書にサインするだろうか。常識的に考えればマネジャーは常に選手の意志のもとに動いているはずだと。ということはFIGOはVEIGAとともに、どちらに転んでもいいと踏んでいたに違いないと。PEREZが会長になれば金が入る、ならなくても、バルサとの交渉手段として使えると。

FIGOがR. MADRIDと正式契約し、白いユニフォームを両手で胸の前にかざしたとき、バルサソシオは、完全に裏切られたと思った。彼の言っていたことはすべてウソだったと。この感情は他の外国人選手が、バルサを出た行った時のものとは比較にならないほど強いものだったはずだ。バルサソシオはだれもFRANK DE BOERやKLUIVERTに「私はバルセロニスタです」などといってもらうことを期待していない。なぜなら、彼らはチームを単に強くするために入団してきた選手だということがわかっているし、それはそれでよいと思っている。RIVALDOにすらそうだ。彼はブラジル代表というチームからやってきた助っ人にすぎない。でも、FIGO は違っていた。無名とは言わないまでも、それに近い状況でバルセロナに着陸し、年々成長してきた選手。まるで、カンテラからあがってきたような錯覚を覚える選手だった。そしてなによりも、代表よりもクラブを大事にする彼に、ソシオは「バルセロニスタ」を映し出していた。

入団後の最初の記者会見で、FIGOは次のように語っている。

「R. MADRIDに来て、非常に満足しているし、何の後悔もしていない。これからの何年間を元のチームにいたときと同じようにすばらしいものとしたい。ただ一つ友達のポルトガル人ジャーナリスト、バルサファンの人々に誤解されるようなことを言ってしまったことは反省している」

しかし、それは「誤解されるような」ことではなく、「全くのウソ」だったことを、彼は認めなかった。

10月21日に行われた対R. MADRID戦、10万観衆のつもりにつもった怒りの表現は当然のものだった。若者が「裏切り者」と叫び、子供達のアイドルだった選手が突然ライバルのチームに金欲しさに移籍したことをうまく説明できない親たちの「ペセテロ」の声が飛ぶ。

バルサ100周年の催しの一環として行われたCRUYFFの記念試合の時に、バルサユニフォームを着たLAUDRUPを、10万観客は彼への過去の感情を流し去って、暖かく迎えたことがあった。果たしてFIGOにもそういう日がやって来るのだろうか。

最後に、個人的意見を言えば、彼はドジったんだとおもいます。それもとんでもないドジ男だと思います。