バルサのキーパー
(2000/11/ 1)

1986年5月7日、5万人のバルサファンを収容したセビリアの SANCHEZ PIZJUAN で COPA DE EUROPA (現 CHAMPIONS LEAGUE ) の決勝戦がおこなわれた。対戦相手は STEAUA DE BUCAREST。地元での試合だけに、バルサファン悲願のヨーロッパチャンピオン達成に対する期待は、非常に大きいものがあったことは当然だろう。しかし結果的には、後の世に語られる「歴史的敗北」を喫する。ヨーロッパチャンピオンに初めて輝くまで、あと6年間またなければいけないこととなる。

この決勝戦が行われる数日前、 ZUBIZARRETA のバルサへの移籍発表がおこなわれている。それは以前から噂はあったものの、当時のキーパー URRUTI に対して絶大の信用と親近感を抱いていたバルサファンにとっては、突然の知らせであり、「何でこんな大事な試合の前に」という思いから、アンチ ZUBIZARRETA 感情を生むこととなってしまった。

ANDONI ZUBIZARRETA, 1981年21歳で BILBAO のキーパーとしてデビュー、82−83,83−84年と2シーズン続けて、CLEMENTE 監督の下、リーグ優勝をかざり、デビュー当初からスペインの正キーパーとして期待された、超大型選手のバルサへの移籍である。

ZUBI のデビューは決して、明るいものとはいえなかった。ひとつは、バルサという大きなチームに移籍したことによる予想をはるかに超えたプレッシャー、そして彼の意志とは無関係ながらも、前シーズンまでの正キーパーをベンチにおかせたことによるファンからのプレッシャーだった。FIGO に対するほどではないにしても、 前シーズンまでの正キーパーに対するバルサファンの信頼度は圧倒的であった。「なぜ今、新しいキーパーをつれてこなければいけないんだ」というファン感情から ZUBI はスタートしなければいけなかった。ところが、ZUBI は試合をかさねていくにしたがって、ファンの信頼を得ていくことになる。派手さはないものの、確実なプレーと、ここぞという時の絶妙な守備で人々を徐々に納得させていった。そしてシーズンが終わりに近くなるころには、 堂々としたバルサの正キーパーとして誰しもが認める存在となっていく。

自分の眼でみてきた何年かのバルサの中で、キーパーというポジションに関していえば、最も平和で落ち着いた時期が ZUBI の入団時から93年前後までだと思う。つまり ZUBI の全盛期にあたる。98年ワールドカップフランス大会を最後に、128回代表選抜というスペイン最高記録をあとに残し、ZUBI は現役生活を終える。

最後の1,2年、下り坂の彼を見るのはちょっと辛いものがあったような気がする。何でもないようなシュートを入れられたり、キックがあまり飛ばなくなったり、特に印象にあるのは何と言っても最後のワールドカップのナイジェリア戦。さわらなければ入らなかったボールをゴールにしてしまったあのプレー、ああ、あれは忘れられない。「ス、ス、スッビー」でした。

その後の2年間、LOPETEGUI (現 RAYO VALLECANO )、BUSQUETS (現 LLERIDA) 等がバルサのゴールを守ることになるが、CRUYFF のドリームチームの崩壊時期と重なり、キーパーに限らず全体的になにも目立たない季節となる。

96年、ROBSON の監督就任と共に、鳴り物入りで ポルトガルのOPORTOから VITOR BAIA がやってくる。久々の大型キーパーの登場である。すでにポルトガル代表としてかかせぬ選手であり、世界最高キーパーの一人として名声を欲しいままにしていた存在であった。

彼のプレーの特徴は、その派手さにあったといってもいいと思う。地味なプレーをしていた ZUBI ならば少し横に動いてパンチングするようなところを、彼は横にすっ飛び宙に浮いてパンチングするような、カメラマン大喜びタイプの選手だった。しかしそんな派手さを持っていた彼も、CAMP NOU のプレッシャーに徐々に、徐々につぶされていく。

毎日何十人もの報道陣、カメラマンに囲まれ質問責めにあう。「あのミスについてどう思いますか?」、「ミスを繰り返さない自信がありますか?」、「負けたことに責任を感じますか?」etc.etc. 彼は最初からそんなにミスしたわけではなかった。ただ鳴り物入りで来たために、すこしのミスも大きくあつかわれてしまったような気がする。結局彼は負傷という悪運にもみまわれ、実力の半分もでないまま、消えていくこととなる。

翌年97年、ドシッ、ドシッ、っと VAN GAAL がやってくる。それとともに同じオランダ人の HESP もやってきた。もちろん、誰も HESP のことなど知るよしもない。当初は誰もが BAIA が正キーパーだと思っていたし、多分 VAN GAAL もそう思っていたのだろう。あくまでも控えとして HESP を連れてきたというようなコメントを聞いた覚えがある。ただ、ここで不運の落とし子 BAIA はケガをしてしまう。そこで 控えだった HESP の登場。彼は何試合かを良くもなく、悪くもなくプレーしていく。彼には一つの優れた才能があった。それは語学である。何人か来たオランダ人の中で、いち早くスペイン語をマスターしていった。8月に来て10月の記者会見では、すでに片言ながらスペイン語で応対するようになり、彼の好かれやすい性格と共にこのことがバルサファンの好感をよぶこととなる。もう BAIA はダメだ、これからは HESP という感情がバルサソシオの中にでてくることになる。

ただ HESP の唯一の欠点は、非常に非常に、普通のキーパーだったことだろう。ZUBI ほどの確実性もないし、かといって BAIA の派手さもない、ごくごくノーマルな、でもファンからはとても好かれていた、そうあの URRUTI みたいな選手だった。彼は決してヒーローでもなんでもなかったけれど、何かの機会にバルセロナに戻ってきた時には、ファンの人達が暖かく迎える、というタイプだったように思う。

DUTRUEL 。CELTA からバルサへの移籍という既成事実が、1年も前からほぼ暗黙の了解事項という感じで知れ渡っていた。そのおかげで彼は半年近くも CELTA でほされることになる。
ではなぜ彼がバルサに来ることになったのだろう。CELTA との契約が切れてフリーになったこと、それだけが理解できる要因というのは寂しすぎるし、もっと他にプラスアルファーがあるんだろうけれど、素人のオイラにはチョットわからない。CELTA にいたころの彼は何度か見たはずだけれど特に印象はないし、何試合か終わったバルサの試合を見たところでは、良いプレーもあり、大ミスもありということでまだまだ評価する段階ではないような気がする。HESP と同じように、ごくごく普通のキーパーという印象はぬぐえない。ただ彼の良いところはプレッシャーに強そうなところ。ミスして、ずーと頭下げているキーパーではなく、「なんかあったの?」という感じでプレーしている選手、この図太さがいい。

ARNAU が DUTRUEL 以上に、ごくごく普通のキーパーという印象が拭えない以上、個人的には DUTRUEL をガマンして使っていくしかないと思いますが、それはプロフェッショナールである監督が決めること。オイラの出るまくではありません。

バルサには VAN DER SAR が似合うと思うのですが、彼が来れない以上、今いる2人で仲良く助け合って、多くは望まないから「ごく普通に、できるだけミスを少なく」やってもらい、いつか登場するであろう超大型キーパーに期待をかける、これでどうでしょう。