カンプノウにはラジオが似合う
(2000/11/ 9)

カンプノウにはラジオが似合う。これは数多くの教訓を残して去っていった クライフの教えの一つである。

1992年6月7日、リーグ最終戦はカンプノウでビルバオとの試合。一方マドリは バルダーノ率いるテネリフェとの戦い。この最終戦までマドリがバルサに1ポイントの差をつけ首位にいた。したがってマドリが勝てば、バルサの勝敗に関係なくマドリが優勝、しかしマドリが引き分けか負けでバルサが勝てば、直接対決でポイントを稼いでるバルサの逆転優勝になる。このような最終戦はこの後3年連続してほぼ同じような状況の下で、カンプノウで行われることとなる。

92年の場合は、テネリフェがマドリに圧勝し、またバルサもストイコフの得点で勝利をおさめ、最終戦による1年目逆転優勝を飾る。
翌93年は皮肉なことにも、再びバルダーノ率いるテネリフェがマドリに勝ち、バルサはレアルソシエダーに、やはりストイコフの1点でからくも勝利をおさめ、2年連続(マドリファンには暗黒の歴史として残ることになる)最終戦逆転優勝ということになった。
そして94年、最終戦までトップを走るはデポルティーボコルーニャ。そして2位につけるは、ロマーリオが加わったバルサ。ここでもコルーニャが勝てば問題なく優勝、だが引き分けもしくは敗北ということになると、バルサが勝てば「あっと驚く」3度目の逆転優勝ということになる。バルサ対戦相手のセビージャは前半クロアチア代表スーケルの活躍で一時リードするものの、ストイコフ、ロマーリオ、ラウドゥルップ、バケーロなどの得点で後半一気に勝負をつける。一方、コルーニャで行われている対バレンシア戦はというと、後半44分までゼロ行進が続き、このままいけばバルサ優勝とおもわれたが、ここでコルーニャがペナルティーをとる。カンプノウ10万観衆の内、控えめにあげても7割方の人々が「視線はグランド、意識はラジオを通して耳から入ってくるコルーニャの試合」という状況だった。ペナルティーが吹かれたその瞬間、異様な静寂がカンプノウを包む。ベンチではすでに交代しているロマーリオが身をのりだして両手で頭をかかえいる。グアルディオーラはグランドの真ん中で「いったい、どうしたんだろう」という表情で、観客席をながめている。
このとてつもなく大きいカンプノウで、ボールを蹴る音だけが存在するというのは非常に不気味なものだ。人々の目はゲームの進行状況をおっているものの、意識はそこには無い。すべての神経が800km の彼方に飛んでいる。シーンと静まりかえった状況が永遠に続くのではないかと思えたその瞬間、ウオオオオオオォォーという歓声が突如として沸きあがる。コルーニャのジュキッチがぺナルティーをはずしたのだ。この瞬間、バルサの3年連続最終戦逆転優勝が決まる。

2000年11月8日、つまり昨日の対ベシクタス戦。6万観衆の7割方がラジオをもっていたことと、バルサにとっては文字通り最終戦になってしまったこと以外、過去の逆転劇とあまり共通点はなかった。まず、イタリアのチームを信じるほどバルサファンは「純」じゃなかったし、ましてここ何年間か「相性が悪い」ミランとなればなおさらだ。ミランがバルサを助けるなんてだれも信じちゃいなかった。もし何かの間違えでミランが勝つようなことがあるとすれば、それは彼らの危機意識からのもの。リーグでの成績が悪いうえ、ここ何試合か地元で勝っていないこともあり、ファンからのプレッシャーがあったからだ。
そしてもう一つ、だれもセラフェレールに、いや彼にだけではなく、ファンハールにもロブソンにも、クライフのもっていた異常なまでの「幸運」を期待するのは無理と知っていた。一度はだれにでも奇跡を期待できるかもしれないが、かれの場合は三回続けたのだ。クライフについてはいろいろな意味合いで、いまでも善しにつけ悪しにつけ語られるが、彼の最大のメリットは、その異常なまでの「幸運」であろう。

8時45分に始まったこの試合は15分後の9時に、事実上終わってしまった。コクー(11分)、ルイスエンリケ(15分)のゴールに対し、ささやかな拍手で興味を表した観衆は、1000km 離れた他の試合に耳をかたむけている。「もしかしたら、でもまさかなー」の思いは当然だれにでもあった。その観衆がウオオオォーと叫んだのは、前半26分のことだ。「ペナルティー」。その後今までの静寂に増して、さらなる静寂がおとずれる。再び、ボールを蹴る音だけがグランドを支配する。しーん、しーん、その静けさは46分に審判が前半終了の笛とともに、ガヤ、ガヤ、と人の動く気配によって、破られる。はるか彼方では、リーズがミランを一点リードしている。

続く静けさのなかで始まった後半23分、再び、突然の歓声が生まれる。ミラン1点を返す。

カンプノウに来ているソシオの平均年齢は50才前後と思われる。30年、40年もの間、フットボールを見ている人たちだ。当然彼らは、試合の流れを読む眼をもっている。ミランは引き分けでもグループの1位になるわけだから、まだ20分以上時間が残っているとはいえ、強引な攻撃をすることはないだろうと彼らは思う。それでも、思わぬペナルティーや、何かの間違えでの自殺点ということも十分に考えられる。「もしかしたら」「ひょっとしたら」の願いは、少なからずもあったにちがいない。しかし、やはりというべきか、「試合の正しい読み」が、わずかながらの「願い」に勝つことになってしまった。

早くもチャンピオンズリーグから消え去ったバルサに対し、残念、無念、サビシイーと思うことはあっても、ミランを恨む気持ちは全くない。彼らは当然の事をしたまでだし、それ以上の事を望むのは、ナンセンスというものだ。彼らにとってバルサを生かしておくことに、何のメリットもないし、まして、春先のバルサの強さを知っている。そして何よりも、彼らはリーズに勝てる力を持っていなかったと思う。ここが残念、無念、と感じるとこだ。バルサはどう考えても、この「最強のグループ」と呼ばれた中にあって、最も強いチームだったはずだ。ミランは何ほどのチームでもなかったし、フエラで1点しかとっていないリーズにいたっては、問題外だろう。

チャンピオンズリーグに関するバルサの歴史は、敗北と、挫折と、失敗の繰り返しの歴史でもある。45年にわたるこのカップ戦の歴史の中に、バルサは11回登場している。そのうち4回決勝戦に残ることとなるが、勝ったのはわずか1回。つまり45年のあいだに1回しか優勝したことがないのだ。対してレアルマドリは、30回の出場、そのうち11回決勝戦を経験し、そしてなんと8回も勝っている。この効率性には、青と赤の血が流れている人にとっても、素直に「スッゲェー」と思わせるものがある。それでも、それでも、それでも、来シーズンが始まれば、今年こそはヨーロッパチャンピオンにという熱い期待は生まれる。

UEFA CUP は格下のものとはいえ、個人的には非常に期待したいカップであります。それはなぜかと言うと、バルサを見始めてから唯一欠けているプレミアだからです。カップウイナーズカップは2回取ったし、ヨーロッパカップはクーマンさまさまのおかげで体験できたし、残るはこのカップだけとなり、もしこれに勝ったら、夢の3大カップの達成になります。

今回は絶望から立ち直るのに、非常に早い、カピタンでありました。