3月3日 マドリ・バルサ戦
(2001/3
/4)

今日のバルセロナの街は、マドリ・バルサ戦の翌日によくみられる「怒り」と「無力感」を覚える人々が、朝早くからキオスコを取り囲んでごった返していた。そして当然ながら「21世紀最大のダービー戦」が行われた翌日のカタルーニャにおける、一般紙、スポーツ紙、ラジオ、テレビ、要するにすべてのメディアでの最大のニュースは「世紀的略奪行為」についてであった。

[ エスポーツ紙 ] asi, asi,asi gana el Madrid!
バルサはいかなる観点から見ても、勝利に値していた。そして事実勝った、もし審判が恥ずべき略奪行為をしていなければ。スペインリーグは、審判のスキャンダラスなまでのマドリびいきによって操作されている。昨日、すべてのスペイン人がその目撃者となった。

[ エル・ムンド・デポルティーボ ]  リーガ? もってけ泥棒!
プレゼントは戻って来ない。今季のリーガは、恥ずべき審判によるバルサからの勝利の強奪により、カフェインの抜けたコーヒーとなってしまった。試合終了間際のリバルドのシュートは、紛れもなくゴールだった。

[ エル・パイス ] 昔の時代が戻ってきた!
勇気あるバルサは、試合終了間際における審判の「拒否」によって、臆病なマドリに勝つことができなかった。90分間にわたってバルサペースで進められた試合で唯一計算外であったのは、審判の最後の瞬間の裁断であった。これで再び昔の時代の「幻影」が戻って来たとしても不思議ではない。

昔の時代の幻影、それは中央独裁政権時代から始まったバルサの「被害者意識」を指す。そのうち「バルサ100年史」に登場して来るであろう「グルセッタ審判」事件や、その後のフランコ独裁政権の息のかかった多くの審判による「不可思議な裁定」。その否定的な思いは時代を通してカタラン人に浸透していく。

だがどう見ても、昨日の試合の審判の判断は単なる「ミスジャッジ」であった。それもかなり幼稚な判断ミスである。あれがもし、例えばオサスーナ・ヌマンシア戦であったら、たいしてニュースにならないミスであったことだろう。つまるところ、よくあるミスジャッジの一つにすぎない。だがあの審判の悲劇は、試合がマドリ・バルサであったことだ。カタルーニャのすべてのメディアの語る事実を尊重した上で言えることは、決して「昔の時代の幻影」を戻してはならないということだろう。今やバルサは、世界に存在するフットボールクラブの中にあって5本の指に入るといわれる。ならば「被害者意識」を持つようなクラブであっては絶対ならない。

昨日の試合は、15〜16年見てきたベルナベウにおけるマドリ・バルサ戦の中で最高の試合であった、と言っていいと思う。バルサがカンプノウにおいて行われるダービー戦で毎年ほぼ完璧といっていいような結果をだしてきたように、マドリも地元では「まったくもって強いレアル・マドリ」であった。しかし、昨日は違う。ベルナベウ・ステージにおけるバルサのリサイタルと言っていい試合だった。ほぼ90分間にわたってボールを支配し、ゲームのアイデアを唯一所有するチームであった。リバルドはミラン戦のリバルドに変身し、バロン・デ・オロは決してカメレオン・フィーゴに値するものではなく、間違いなく彼のものだということを証明した。ところで、カメレオンは昨日いったいどこにいたんだろう。今となってはバルサとは何の関係もなくなったゆえ、恨みつらみはなくなったファンハールが、いつだったか「フィーゴは、違いを見せてくれる選手ではない」と言っていたが、それを証明した試合であった。

試合前、この試合で期待するものは勝利による3ポイントのみ、と信じて疑わなかった。それは今でも変わりない。ただそれが審判によるミスジャッジにより1ポイントになって終わってしまった時、バルサの選手が見せてくれた「誇り」と「クラス」、そしてマドリの現リーグ首位は、多くの幸運とライバルチームの不運、そして相手チームのエラーによってなりたっており、決してプレー自体の優秀さによってではない、と感じられた事が、楽観主義への思いに走らせてくれた。だが、チャンピオンズリーグにおける早すぎる脱落が、リーグ最終戦でミランがリーズに勝たなかったからではなく、第2戦に当たったトルコのベシクタスに負けたのが原因だと思うように、もしリーグ優勝できなかったとしても、それはマドリ戦のせいではなく、サンタンデール、コルーニャとの敗北が最終的な原因だと思う。バルサが21世紀においてリーダーシップをとるクラブとなるには、この試合を決して言い訳にしてはならない。

試合開始直前のインタビューにマドリッド市長アルバレス・デル・マンサーノは次のようにコメントしている。「ベルナベウではどのように外国のチームを迎えるのか、バルサファンに教えてあげよう」。この発言は11年前、クライフ時代の初のタイトルとなったバレンシアで行われたバルサ対マドリの国王杯の決勝戦において、試合後敗れたマドリのキャプテンだったチェンド(現マドリ職員)が言った「何が悔しいかって、俺達に勝ったチームがスペインのチームじゃなかったことだ」を思い出させる。そしてやはり試合前夜の記者会見でカメレオン・フィーゴも次のようにコメントする。「バルセロナには人殺し(カタルーニャの新聞記者に対し)がごろごろしている」と述べ、バルセロナから来たジャーナリストの質問に対しては一切答えなかった。

これらの、おっちょこちょい政治家や、頭の中が腐ってる元体育系の戯言、そして金のなる木を見つけていつの間にか舌が2枚にも3枚にもなってしまった嘘つきカメレオン・フィーゴ、こういう人間はどこの国に行っても、どこの街に行っても、いつの時代にもいるハレンチ人間だ。だからといって、俺達がレベルを下げることはないだろう。

かつてフランコ独裁政権時代に、フランキスタで固められていたマドリのスポーツ紙「マルカ」が、一面に次のような見出しを使っている。「ゴールは合法だった」

すでに時代はかわっている。