コモ エスタ NADAL?
(2001/3/20)

1996年のイギリスで開かれたエウロコパで、強靱な体力を駆使しての守りを見せ「ザ・アニマル」の名称を受けたミゲランヘル・ナダールは、今再び、スペインナショナルチームに復帰した。
セラフェレール率いるマジョルカでセントロカンピスタとして、ロングシュートをバチバチ決めていたナダールに、ヨハン・クライフが目を付け1991年バルサと契約。8年間選手時代を送ったバルサでは、セントロカンピスタ、ディフェンスの両方をこなし、その陽気な人柄のせいもあってバルサファンには特別の人気があった一人だ。
バルサでは五回のリーグ優勝、コパ・デ・ヨーロッパを一回、四回のスペインスーペルコパ、二回のヨーロッパスーペルコパ、二回のスペイン国王杯、そしてカップウイナーズカップを一回とっている。

今34歳、いつまでやるの?

ハッハッハッ! 一体いつから年齢がそんなに重要なことになったんだい? 問題は気分良く仕事ができるかどうか、肉体的に丈夫かどうか、そういうことだよね。俺は頭が悪いから、先の事は考えないようにしているのさ。

現在の調子はどう?

デビューした時と気分は同じさ。ただちょっと年をくって、その分経験が増えたということかな。再びマジョルカに戻った2年前は、自分の一番調子のいいときに戻ることだけを考えていたけれど、うん、今非常にうまくいっていると思うよ。

若いね、ナダール

そう、あんたが言うんならね、きっとそうでしょう。ハッハッハッ! 俺はね、気持ちはいつだって若いよ。フィーリングだよねフィーリング。何を感じるかってことじゃないかな。よくわかんないけど。

マジョルカの若手の選手あたりには、パパ呼ばわりされているのかと思ったけれど。

バカ言ってるんじゃないよ。俺は自分の3人の子供でじゅうぶんさ。ハッハッハッ! 例えばチームに20歳の選手が入って来たって、それはあくまで同業者って感じさ。チームには経験を積んだベテランと、生きのいい若手が必要なんだから。わかる?

マジョルカの躍進はルイス・アラゴネスによるところが多いと言われているけれど。

そうだろうね、それは本当だ。あのオッサンはもう随分長いことこの業界にいるけれど、疲れを知らないチャンピオンだよね。相手がマジョルカより小さいチームだろうが大きいチームだろうが、選手を奮い立たせる、何て言うのか、つまりその、ハッパのかけ方がうまいんだあ。常にチーム全体の事を考えているみたいだな。そしてチームっていうのは、つまり俺達選手が主役なんだな。まあ、一言でいっちゃえば、人をおだてるのがうまいオッサンってことか。ハッハッハッ!

この前の日曜日、カンプノウに戻ってきたけれど、気分は何か特別だった?

あったりまえでしょ。あすこには8年間もいて、しかも素晴らしい時を過ごしたところなんだから。カンプノウは特別さ。あすこはいろんな選手と知り合い友達になり、一緒に楽しい一時を過ごした場所だからね。いつでもあすこは特別。わかる? でも感動的だったなあ、あの日は。スターティングメンバーの発表の時に俺の名前が呼ばれたら、すごい拍手だったでしょ? いやー、参った、参った、あん時は。

今バルサの監督はあなたと同じマジョルキン(マジョルカ生まれの人)だけど、あなたもバルサの選手としてマジョルキンの監督の下でプレーしたかったでしょうね。

わがままに言わせてもらえればだね、俺はどんな監督であってもバルサでプレーしたかったね、いや本当。俺は自分で出ていったんじゃなくて、追い出されたんだからね、わかる? 誰に追い出されたか? まあ、いいか。でも俺の運のいいところはマジョルカに戻れたっていうことだろうね。ここは俺の地元であり、チームも素晴らしい状況にあるし。うん、俺は運がいいんだ。ハッハッハッ!

バルサ時代の最高の監督は誰?

それはやっぱし、その監督の下でタイトルをとれたかどうかということだよね。でも正直に言うとみんな同じようなものさ。俺にとって最も大事だったのは、一緒にプレーする選手だったからね。彼らとの友情は今でも続いているし、まあ、人生で一番大事なのはそういうことじゃないの? 俺はよくわかんないけれど。悲しい出来事は何だったかと言えば、それはやはりバルサを出なくちゃいけなくなった時だろうな。

バルサの人間に何か恨みを持ったりしてる?

バカ言っちゃいけない。俺はそんなにしつっこくないさ。もともと単純にできてるからね。ハッハッハッ!

カピタン「そうか、あの時のオイラの『ナダール』の声と拍手が聞こえたのか。今度バルセロナに来た時には我が家にも寄ってて、お茶でも飲みましょう!
それにしてもアンニャロウがあと1年早く運河に戻ってれば、わがナダールはマジョルカなんかに行かなくてすんだものを!」